第37話 決戦④

 一方で、それを迎え撃つべき侵攻軍の歩兵たちはますます混乱を極める。


「おい、まずい、敵の騎兵が来ちまう!」


「どうすりゃいいんだ! 騎兵と真正面から戦わされるなんて聞いてないぞ!」


「いかん! 列を作れ! 武器を構えて敵の突撃を防ぐんだ!」


「馬鹿言え! あんな大勢の騎兵、こんな武器で止められるわけがねえ!」


「そうだ、無理だ! 逃げよう!」


 歩兵の大半は徴集兵。ただ突撃して得物を振り回すだけならともかく、陣形を組んで騎乗突撃を受け止めるなどという器用な真似はできない。そんな運用が想定された部隊ではない。

 連携も、互いの信頼も何もなく、それ以前にもはや士気を保つことができていない。

 僅かに残っている指揮役の騎士や、二百人いる正規軍歩兵がなんとか迎撃態勢を整えようと命令を飛ばすが、徴集兵は誰も従おうとしない。自分が生き残ることだけを考え、端の方にいる者たちは勝手に逃げ出し始める。

 五千近い徴集兵が今日まで秩序を保っていたのは、強き将たるモルガンがいて、確実な勝利とその先の輝かしい未来を語っていたからこそ。状況が大きく変わった今、徴集兵たちはただ数が多いだけの烏合の衆と化す。


「逃げろ! 早く逃げろ!」


「馬鹿、こっちじゃない! あっちに逃げるんだよ!」


「うわっ! こんなところで武器を下に降ろすな! 刺さるだろ!」


「戦え! お前たち戦うんだ! 数ではまだこちらが……」


「うるせえ! だったらお前が勝手に戦えよ!」


「止めろ! 押すな! 息ができない!」


 無力な歩兵たちに、百の騎兵と一匹のツノヒグマが突き進む。

 敵歩兵部隊の中には少数ながら弓兵や魔法使いも配置されていたようで、散発的に矢と炎が飛んでくる。

 しかし、密集した歩兵ならともかく、突撃する重武装の騎兵に矢や炎が当たってもそうそう撃破には至らない。おまけにオスヴァルドのくり出す追い風は、敵から見れば向かい風。敵の攻撃の威力は大きく下がる。

 数人が軽傷を負ったのみで、騎兵部隊は一騎も欠けることなくそのまま突撃する。

 馬の体重は四百から五百キログラム。完全武装の騎兵が乗ればさらに百キログラムほど重量が増す。それが百十騎、密集して迫ってくる。建物が突っ込んでくるようなものだ。素人同然の徴集兵たちには成す術もない。

 また、ツノヒグマは普通なら見かけただけで死を覚悟するほどの魔物。それが突っ込んでくる様も、徴集兵たちの恐怖をさらに煽る。


「死んじまう! 早く逃げろ!」


「おい! どけ! どけよ! 逃げ道を開けろよっ!」


「くそ! 陣形を! 並んで槍衾を……」


「うわあああっ! 来るなあっ! 来――」


 恐慌状態に陥って泣き叫ぶ徴集兵と、なんとか態勢を立て直そうと声を張るも依然無力な正規軍歩兵の群れに、オスヴァルドを先頭にした騎兵部隊が突入する。

 数が五千近くいようと関係ない。騎乗突撃の前に、鎧すら満足に装備していない人間の身体はあまりにも脆く、まるでナイフでバターを切るように歩兵の群れが裂かれていく。

 圧倒的な重量を誇る馬の一蹴りが人間の頭を陶器のように容易く割り、馬上から振るわれた剣や槍の一撃が人間の身体を斬り裂く。

 そこから少し離れたところでは、アックスが猛威を振るっていた。ツノヒグマの巨体からくり出される破壊力は尋常でなく、前足の一振りで人間の半身が千切り取られて血と臓腑が宙を舞い、顎の一噛みで人間の頭は熟れた果実のように潰れる。

 なかには反撃を試みる者もいるが、ツノヒグマの硬く分厚い毛皮に生半可な刃物は通らない。農具や剣の一振りはアックスにダメージを与えることなく弾かれ、中途半端な体勢からくり出される槍の突きも、せいぜい毛皮と脂肪の表面に傷をつける程度に終わる。

 ツノヒグマに人間がまともに対処するには、数十人が間合いの長い武器を構えて囲み、適切な角度で一気に突き込む必要がある。それを知っている正規軍歩兵たちは周囲の徴集兵に隊列を組ませようとするが、徴集兵たちは誰も話を聞いていない。我先に逃げようとする徴集兵たちがごった返す中で、他の正規軍歩兵と合流することさえ叶わない。

 結果、練度の高い正規軍歩兵たちも単独では何の力も発揮できず、身動きもろくにとれない中でアックスに瞬殺される。

 騎兵部隊やアックスの攻撃にさらされていない徴集兵たちも、混乱を極めていることは変わらない。陣形の中央にいる者からは周囲の状況などろくに見えず、自分たちが攻撃にさらされていることには気づいていても、敵がどこから攻撃してきているのかは分からない。

 敵は右から来ている。いや左から、いや正面から来ている。いや後ろを突かれている。周囲の者が叫ぶ声に惑わされ、それぞれがてんでばらばらの方向に逃げようとする。

 混乱の最中で転んで踏み殺されたり、誰かが不用意に降ろした武器で誤って刺し殺されたり、大勢に押されて圧死したりと、戦闘以外の原因で死ぬ者も続出する。徴集兵の混乱に巻き込まれた正規軍歩兵は、もはや態勢立て直しの指示を叫ぶことも叶わず、やはり死んでいく。

 徴集兵も正規軍歩兵も、全員が烏合の衆と化した中で、指揮役に残っていた僅かな騎兵たちは果敢にも単騎で騎兵部隊に挑み、あっけなく撃破される。あるいは、どう見ても立て直しが利かないと察し、混乱する歩兵たちに先んじて東の国境へと逃走する。

 誰も指揮をとらない中、騎兵部隊とツノヒグマ、そして混乱と恐怖に襲われて、五千弱の敵歩兵は完全崩壊した。

 櫛の歯が欠けたように端の方から逃げ出していた敵歩兵たちは、仲間同士で潰し合う中央の混乱がようやくほどけ、その全体が壊走を始める。


「……勝ちましたな。殿下、とどめと行きましょう」


「そうだね。残る歩兵も前進。追撃を始めよう」


 スレインの最後の指示をジークハルトがやはり復唱し、それを士官たちがまた伝達し、徴募兵を中心とした千の歩兵が前進する。

 その一方で、ブランカがアックスを呼び戻すための笛を鳴らす音が聞こえた。魔物であるアックスは戦場の只中で歩兵の敵味方を判別できないので、この段階に入ると戦力にはならない。

 千の歩兵は左右に分かれ、未だ敵騎兵の捕獲劇がくり広げられている正面を避けて、壊走する敵歩兵の群れを追う。

 徴集兵や徴募兵は、劣勢になると途端に士気を失って弱兵と化すが、勝っているときは強い。勝利を目前にしたハーゼンヴェリア王国側の素人兵士たちは、天を突き破らんばかりの士気の高さで突き進む。鬨の声を上げながら丘を駆け上がり、壊走する敵歩兵の最後尾に襲いかかる。

 その後は戦いとも呼べない一方的な追撃戦がくり広げられた。真後ろからは歩兵に、側面からは騎兵に攻撃されながら、敵歩兵は這う這うの体でロイシュナー街道をエルデシオ山脈の方へと逃げ去っていった。

 王国暦七十七年。九月三十日。正午過ぎ。ハーゼンヴェリア王国の軍勢は、ガレド大帝国の侵攻軍に勝利した。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る