第36話 決戦③

「大成功ですな。殿下のご想定通りです」


 敵騎兵の先頭が濡れた地面に足を滑らせて倒れ、それに後続の騎兵が巻き込まれながら突撃陣形を崩壊させていく様を見て、ジークハルトが言った。

 迫りくる敵騎兵が自滅によって無力化していく様を見て、兵士たちからは興奮と喜びに満ちた声が上がる。

 そんな光景を見ながら、スレインは無言で笑みを作ってジークハルトに頷いた。今はまだ、敵の騎兵部隊を無力化させた喜びよりも、思いつきによる奇策が上手く決まったことへの安堵の方が大きかった。


「殿下、次の段階に移りましょう」


「分かった。それじゃあ、弓兵と魔法使いは攻撃。その後、歩兵の前衛五百は前に」


 スレインの命令をジークハルトが大声で復唱し、さらに士官たちが声を張って伝達する。その命令を受けて、ハーゼンヴェリア王国の軍勢が本格的に攻勢を開始する。

 まず攻撃を放ったのは、総勢およそ百人の弓兵と魔法使い。ぶつかり合い、絡まり合って潰れた敵の騎兵部隊に向けて、矢や魔法攻撃を放つ。

 百の矢と、数発の火の玉が放物線を描きながら飛び、それを風魔法による追い風が後押しする。未だ混乱の只中にある敵の騎兵たちは、降り注ぐ攻撃に無防備に晒される。

 一方的な攻撃がさらに二度、行われた後に、主力である歩兵のうち前側の三分の一、およそ五百が前進する。

 彼らは歩兵の中でも、王国軍兵士、各領主貴族家の当主とその子弟、領軍兵士、そして傭兵など、戦い慣れた者たちだ。五百の歩兵は恐れることなく前進し、敵騎兵に襲いかかった。

 まだ生きている敵騎兵も多いが、そのほとんどは怪我を負っている。骨折や気絶で動けない者の方が、立って動ける者より多い。組織立った抵抗も叶わず、一人ずつ、あるいは数人ずつこちらの歩兵に囲まれる。

 なかには殺されるまで抵抗する者もいるが、多くは勝ち目がないと見て降伏する。あるいは抵抗を試みるも、多勢に無勢で殴り倒されて武器を奪われ、取り押さえられる。

 陣形の最後方にいて、運良く落馬せずに済んでいた少数の敵騎兵も、歩兵に肉薄されて大した抵抗もできず、一人また一人と馬から引きずり降ろされていく。

 こうして捕らえられた敵騎兵は貴重な戦利品だ。騎士の身代金は高い。突撃した五百の歩兵は職業軍人だからこそそれをわきまえていて、なるべく加減して攻撃し、敵騎兵を生け捕っていく。

 この一方的な捕獲劇のなかで、しかし敵にも根性のある者がいた。突撃陣形の最後方で無事だった敵騎兵のうち十数騎が、こちらの歩兵の包囲を強行突破して飛び出してきた。

 十数騎はそのまま、こちらの陣形の左翼側に回ってスレインたちのいる本陣に迫ろうとする。

 陣形の左翼側にいた弓兵や魔法使いが攻撃を仕掛けるが、とても全騎撃破とはいかない。敵騎兵は数を減らしながらも、九騎がスレインたちの側面に到達する。


「近衛兵団! 王太子殿下をお守りしろ!」


「「「おおっ!」」」


 ヴィクトルが鋭く声を張り、それに近衛兵たちが応える。

 四十人の近衛兵のうち、十人が敵騎兵に向けてクロスボウを構えた。

 クロスボウは高価で、作りが複雑なために維持管理の手間が多く、弓よりも有効射程が短く、おまけに連射性能が極めて低い。しかし、人力では弾けないほど硬い弦から高初速で放たれる金属製の矢は、金属鎧を着た騎士でさえも仕留める威力を持つ。


「クロスボウ隊、各自の判断で撃て!」


 ヴィクトルの指示を受けて、クロスボウを構える近衛兵たちはそれぞれが狙いを定めたタイミングで引き金を引く。

 さすがに高速で動く目標に全弾命中とはいかず、命中角度が悪かったために鎧に弾かれた矢もあったが、それでも敵騎兵は四騎まで減った。

 モニカとジークハルトがスレインを庇うように馬を移動させ、近衛兵たちも敵の接近に備えて陣形を調整する。


「騎兵部隊、迎撃するぞ!」


 迫ってくる四騎に、近衛兵のうちヴィクトルを含む騎兵十騎が向かう。

 先頭を駆けるヴィクトルは、敵の一騎に接近し――構えていた剣を投げつけた。

 武器を投げるという予想外の行動を受けて、敵騎兵は咄嗟に顔の前に自身の剣を構え、投げつけられた剣を弾く。

 しかし、そうして視界を塞いだ数秒が致命的な隙となった。ヴィクトルの後方から敵騎兵に迫った近衛兵が、全身鎧の弱点である脇の下に剣を突き刺す。

 敵騎兵は血を噴き出しながら崩れ落ちる。残る三騎にも近衛兵が多対一で対応し、巧みな連携で瞬く間に仕留め、あるいは捕らえていく。

 十秒ほどで、迫ってきた敵騎兵は全員が戦闘不能となった。


「片付きましたな」


「……さすがは精鋭の近衛兵団だね」


 それを確認したスレインたちは前を向いた。先ほどのような抵抗を見せる敵騎兵は、もはやいなかった。

 残るは五千弱の敵歩兵。途中までは騎兵五百の後ろに続いて前進していた歩兵たちは、しかし目の前で騎兵が全滅していく様を見て、その足を止めていた。

 事前の偵察からも分かっていたが、敵歩兵のほとんどは農民などから徴集された兵士。おそらくはできるだけ早く数を揃えるために質は考えられておらず、なかには農具を武器として握っている者もいる始末。

 そんな徴集兵でも、騎兵の突撃が成功した後であれば、圧倒的に有利な状況で勢いに任せて果敢に戦う戦力となっただろう。しかし今の状況は違う。

 ハーゼンヴェリア王国の軍勢を打ち破るはずだった騎兵五百は全滅した。大将であるデュボワ伯爵は、斜面を滑り落ちる馬と騎士の塊に巻き込まれて姿を消した。

 そうなると、徴集兵たちは当然混乱する。本陣のスレインたちから見ても、徴集兵たちは明らかに動揺していた。聞いていた話と違う、と誰もが思っていることだろう。

 五千弱もの数がいればさすがに全員が徴集兵ではなく、小部隊ごとの指揮をとる正規軍人もいるはずだが、どうやらその正規軍人たちも予想外の展開を前に狼狽えているようだった。


「敵歩兵はもはや烏合の衆です。殿下、今こそ好機かと」


「分かった。騎兵部隊は突撃を」


 スレインの指示をまたジークハルトが大声で復唱し、それが陣形右翼側の騎兵部隊まで伝達される。およそ百十の騎兵が、前進を開始する。

 この騎兵部隊の指揮は、援軍の将であるオスヴァルド・イグナトフ国王に任せてある。彼が優れた騎士であるという理由の他に、立場上はスレインよりも目上である彼に、客将としてそれなりの権限を預け、面子を保ってもらう意味もある。


「ようやく出番だ! 者共、我に続け!」


 そう叫んだオスヴァルドは大柄な愛馬を駆り、その後ろにイグナトフ王国軍とハーゼンヴェリア王国軍、そして各貴族領の騎士が続く。

 その前進に合わせて、筆頭王宮魔導士のブランカはツノヒグマのアックスを送り出す。


「いいかい、馬たちに付いていって狩りをするんだ。馬に乗ってない奴が敵だから、好きなだけ襲っていい。あたしが笛を鳴らしたら狩りを止めて、それ以上は誰も襲わずにすぐ戻って来るんだよ。ほら、行きな!」


 ブランカが横腹を叩くと、アックスは弾かれたように駆け出す。騎兵たちと並走しながら、敵歩兵に迫っていく。

 百十の騎兵と一頭のツノヒグマの突撃。その先頭で、オスヴァルドは空に手を掲げた。


「神よ! 我に力を!」


 オスヴァルドは一国の王であり、勇ましい騎士であり、優れた風魔法の使い手でもある。

 馬の上でバランスをとりながら魔力集中を行うという極めて難しい技を、これまでの努力に裏打ちされた技量をもって難なく成し遂げる。オスヴァルドの手の先が緑の光を放ち、風が生まれる。

 突撃するオスヴァルドたちの後ろから、強い追い風が吹く。上り坂という地形の不利をこの追い風がある程度解消し、百十騎と一匹は十分な速度をもって敵に向かう。

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