第35話 決戦②

 スレインたちが布陣を終えて少し経った頃、ガレド大帝国の侵攻軍も布陣を終えたようで、敵兵が一斉に声を張った。五千を超える人間が一斉に吠える様は、さすがに凄まじい迫力があった。

 そして、敵陣の前列に並んだ騎兵およそ五百が、一斉に動き出す。驚くべきことに敵将デュボワ伯爵は自ら最先頭に立っているらしく、一際立派な金属鎧を身に纏った一騎に続いて、騎兵の群れが丘を駆け下ってくる。

 騎乗突撃によってこちらの陣形を打ち砕き、それに続く歩兵がこちらを飲み込む。デュボワ伯爵の最も得意とする戦法であり、単純だからこそ大きな破壊力を持った恐るべき戦法であり――対峙するこちらにとって狙い通りの、最も都合の良い戦法だ。


「殿下」


 ジークハルトの呼びかけに、スレインは無言で頷いた。


「水魔法使いは前に出ろ!」


 ジークハルトが指示を出し、今回の策の要となる水魔法使い五十人が陣形の最前列に並ぶ。

 そして、策を実行するべき時を待つ。

 今この瞬間も、敵の騎兵五百はこちらの陣形を一気に打ち破ろうと迫ってくる。五百の馬が大地を蹴る音が、まるで地響きのようにこちらまで伝わってくる。

 敵が丘の上から迫ってくるせいで、その様は全ての兵からよく見える。王国軍兵士をはじめとした正規軍人たちは身じろぎもせずに敵を見据えているが、元が素人の平民である徴募兵たちはさすがに怯み、わずかに後ずさる。


「逃げるな! 勇気を振り絞れ!」


 そんな徴募兵たちに向かって叫んだのは、騎士グレゴリーだった。中隊長として部隊指揮の能力がある彼は右翼側の騎兵部隊には加わらず、士官の一人として歩兵の指揮を務めている。


「ここは俺たちの生まれた国だ! 俺たちの国から、どうして俺たちが逃げる必要がある!? 逃げ去るべきは敵の方だ! そうだろう!」


 騎乗して徴募兵たちの横を行き来しながら、グレゴリーは叫ぶ。普段の陽気な雰囲気は微塵も感じさせず、手練れの武人として覇気を纏っている。

 覇気に満ちたその言葉が、徴募兵たちの士気を支える。他の場所でも、徴募兵の指揮を担う騎士たち数人がそれぞれ鼓舞の言葉を放っていた。

 一方で陣形の最前列では、水魔法使い五十人と、その指揮を務める王国軍副将軍イェスタフ・ルーストレーム子爵が敵を見据えている。


「よし、用意!」


 敵がある程度接近してきたのを確認し、イェスタフが片手を掲げて声を張る。それに従って、水魔法使いたちは利き手を前方に突き出し、魔力集中を始める。速い者では二秒未満、遅い者でも十秒はかからずに魔力を手の先に集中させる。

 それでも、イェスタフはすぐには次の指示を出さない。敵の接近を待つ。

 五百もの騎兵が地を鳴らして迫ってくる光景。自分がしくじれば戦いに負け、国が滅びるという重圧。それらから来る恐ろしいほどの緊張にも心を圧し潰されることなく、イェスタフは敵を睨み続け――そして、掲げていた手を下ろす。


「放てぇ!」


 その瞬間。水魔法使いたちの突き出した手の先で、青い光が瞬いた。


・・・・・・・


 敵陣の最前列に並んだ五十人が片手を突き出してきた時点で、モルガンは彼らが魔法使いであると気づいた。そして、不可解に思った。

 魔法使いの中には確かに戦場で大きな力を発揮できる者もいるが、その数は非常に少ない。まずもって戦いに向いた魔法の才を持っていなければならず、さらにその上で魔力量や熟練度が卓越していなければならない。

 人口から考えれば、戦いに向いている上に実力も高い魔法使いは、ハーゼンヴェリア王国全体を見てもせいぜい十数人。その全員がこの戦場にいるとも思えない。

 また、そもそも魔法攻撃は動きの遅い歩兵の群れにはよく効くが、全身鎧を着て疾走する騎兵には効果が薄い。仮にあの五十人全員が手練れの魔法使いだったとしても、五百の騎兵は止められない。敵もそれは分かっているはず。

 モルガンの率いる騎兵五百は、下り坂で勢いに乗っている。誰にも止められない突破力を、あらゆるものを打ち砕く破壊力を得ている。この力を前に、敵は一体何をしようというのか。

 そう思った次の瞬間、五十人の手の先が魔法発動の光を放った。青い光、すなわち水魔法だ。

 一斉に放たれた五十の水の塊。なかには腕が良いのか、続けてもう一、二発放った者もいる。

 しかし、そんな水の塊など、放物線を描くように放ってもせいぜい二十メートル程度しか飛ばない。突撃を続けるモルガンたちの遥か前で地面に落ちる。

 そして、魔法を放ち終えた五十人の水魔法使いたちは一斉に逃げ去っていく。左右に分かれ、敵主力の歩兵たちの側面を通って後ろへ下がっていく。

 何がしたかったのだ、とモルガンは訝しむ。戦いでは役に立たない水魔法を、届くはずもない距離から放ち、慌てて逃げ去る。意味不明だ。ただ二十メートルほど前の地面を濡らしただけ――


「っ!?」


 モルガンは敵の意図に気づいた。

 騎兵五百による、丘を下っての突撃。この世に打ち破れないものはないと思わせるほどの破壊力を秘めた突撃。

 それはもはや、誰にも止められない。誰にも――突撃するモルガンたち自身にも。

 そんな突撃の進路上に、水魔法を放つ。五十人の魔法使いが放った水はそれなりの量になる。その水は地面を濡らし、染み込み、地面が吸いきれなかった分は地表に残り、その一帯はひどく滑りやすくなる。

 降雨の後なら地面は完全な泥濘になるが、今回は人為的に水を被せただけなので、滑りやすい地質になるのは地面のごく薄い表層だけだろう。しかし、一時の罠としてはそれで十分。

 下り坂に突如として発生した、極端に滑りやすい一帯。そんなところへ騎馬の集団が全速力で突入したらどうなるかは明らかだ。


「くそっ! まずい!」


 モルガンは悪態を吐くが、今さらどうしようもない。

 最前列を走る騎兵たちには、進路上で起こった変化が見えている。モルガンと同じく敵の狙いに気づいた者もいるだろう。しかし、もはや停止も進路変更もできない。ここまで速度が上がれば真っすぐ突き進むしかない。少しでも速度を落とせば後続の騎兵たちと衝突してしまう。

 その後続の騎兵たちは、進路上の状況が変化したことに気づいてもいないだろう。顔の全面を覆う兜を身につけ、密集隊形をとれば、見えるのは仲間の背中だけだ。

 目の前に罠があると分かっていて、しかしモルガンたちは全速力でそこを目がけて突き進む。最先頭を駆けるモルガンの愛馬が、濡れた地面に前足を踏み入れ――

 次の瞬間、足を滑らせた馬は前のめりに転び、モルガンはまるで投石機で撃ち出されたように吹っ飛ぶ。凄まじい勢いで地面が眼前に迫ってきて、衝撃と共に意識を失った。

 気絶していたのはおそらく僅かな時間。モルガンが地面の上で意識を取り戻し、後ろを向くと、そこには地獄絵図が広がっていた。

 前列の騎兵たちは、モルガンと同じように足を滑らせた馬から投げ出されたのだろう。濡れた地面の上に倒れ伏し、全く動かない者も多い。

 そして後続の騎兵たちは、いきなり揃って転んだ目の前の味方につまずき、あるいはやはり濡れた地面に馬の足を取られ、前のめりに飛ぶ。

 騎兵たちが倒れ、積み重なったところに、さらに後続の騎兵たちが次々に激突する。騎兵たちは馬から投げ出されて地面に叩きつけられ、あるいは落馬したところを後続の仲間に踏み潰される。その連鎖は止まらない。速度が上がり過ぎて誰も馬を止めることができない。

 下り坂で勢いに乗った、五百もの騎兵の突撃。全てを破壊する力を持っていた、デュボワ伯爵家の誇る騎兵部隊は、その破壊力故に自壊していく。


「……くっ」


 モルガンは立ち上がろうとして、激しい痛みに襲われる。痛みのした方を見ると、左足が折れて骨が飛び出していた。もはや動くこともできない。今この瞬間にも後方では騎兵と馬が次々に崩れて互いを潰し合い、その破壊の塊がモルガンまで迫りくる。

 モルガンは前方を、敵陣の最奥を見据える。

 こんな歪で奇妙な策を、武人が考えたとは思えない。敵将である王太子の傍によほど悪知恵の働く者がいたか、あるいは王太子自身が悪知恵の持ち主か、そのどちらかだろう。

 後者であれば驚くべきこと。前者だとしても、このような奇策を受け入れた王太子の度量と覚悟は驚嘆に値する。

 武人としての力を見せることさえ叶わなかったが、敵将に恨みはない。戦場には正義も悪も存在せず、ただ勝利と敗北があるのみ。

 モルガンはしくじり、敵将は一枚上手だった。それだけの話だ。


「……見事だ、ハーゼンヴェリア王」


 笑みを浮かべて呟いた直後。絡み合いながら後ろから突っ込んできた数頭の馬に、モルガンは圧し潰された。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る