第34話 決戦①

 同日の正午前。スレインを大将とし、イグナトフ王国より援軍を迎えたハーゼンヴェリア王国の軍勢千六百五十は、クロンヘイム伯爵領の領都トーリエからやや東にある平原へと布陣した。

 最前列を東に向け、最後方となる西側には本陣が敷かれる。大将スレインと副官モニカ、参謀として将軍ジークハルト、そして近衛兵団長ヴィクトル率いる直衛の近衛兵四十。随行するベンヤミン他数人の商人が、この本陣にいる。

 そのすぐ前方には、主力となる歩兵がおよそ千五百。そのうち前衛の左右に置かれた合計百人ほどが、王国軍兵士や貴族領軍兵士、徴募兵の狩人などをかき集めた弓兵隊だ。戦闘職の王宮魔導士のうち、ブランカ以外もここに置かれている。

 そして、歩兵の右翼側には騎兵およそ百十が配置されている。この騎兵部隊が、最後に勝敗を分ける存在となる。

 本陣と主力前衛の兵士は整然と並び、徴募兵を主体とした主力後衛の歩兵と、突撃を敢行する予定の騎兵は雑然と並ぶ。その周囲を、アルトゥール司教が馬に乗って回っていた。


「――神は我らの父、そして我らの母。神は全てを見ておられる。これは大地と神の子を守る正義の戦い。神は我らと共にある。神は我らの父、そして我らの母。神は全てを――」


 祈りの聖句を何度もくり返しながら、杖の形をした聖具を掲げ、この国におけるエインシオン教の最上位聖職者であるアルトゥール司教が直々に、兵士たちに神の加護を授けていく。

 これだけで、戦いを前にやや浮き足立っていた兵士たち、特に戦い慣れていない徴募兵たちが目に見えて落ち着いていく。

 サレスタキア大陸西部において、教会の力は小さい。それでも自身の命がかかっている場となれば、神頼みは心理的に大きな効果を発揮する。人は皆、縋れるものには縋りたがる。


「王太子殿下。これで、戦いに臨む者たちに神の加護が授けられました」


「ありがとう、アルトゥール司教……君も戦場に留まるんだね」


 祈りを終え、戦場から退避することなくそのまま本陣の一員に加わったアルトゥール司教にスレインが言うと、司教は穏やかに笑った。


「戦いに臨む神の子たちには、神の言葉を語る者が必要です。これもまた、神に仕える者としての務めにございます」


「……そうか。この軍の大将として感謝するよ」


「恐縮にございます、殿下」


 司教と言葉を交わし終えてスレインが前に向き直ると、ちょうど本陣に筆頭王宮魔導士ブランカが歩いて近づいてくるところだった。彼女の肩には鷹のヴェロニカが乗っている。


「殿下。ヴェロニカに上空を見回らせましたが、敵の布陣は見えている分だけで間違いありません。正面に騎兵、その後ろに歩兵。それだけです。その他の部隊は見当たりません」


 人間の斥候も周辺偵察に出ているが、それ以上に上空から全てを俯瞰できる鷹のヴェロニカの存在は大きい。この辺りは丘と平原ばかりで、近くには伏兵を置ける森などもない。ヴェロニカの視点で、彼女の眼で見て見つからないのであれば、敵に別動隊はいない。

 前方に騎兵。後方に歩兵。敵将デュボワ伯爵が得意とする戦法を用いようとしているのは、もはや間違いない。


「分かった、報告ありがとう。助かったよ」


「お礼には及びませんよ。それじゃあ」


 ブランカは本陣を離れ、騎兵たちの方――自身の使役するツノヒグマのアックスが待つ方へと歩いていった。


「……」


 スレインは視線を正面に戻し、丘の上に布陣する敵を見据える。

 こちらの三倍の敵軍は、対峙するとやはり凄まじい迫力があった。しかし、それを直視しても不思議と恐怖は感じなかった。

 スレインの真横に進み出て、馬を並べる者がいた。スレインが隣を向くと、そこにいたのはモニカだ。


「王太子殿下。私たちは殿下と共にあります」


「……うん」


 微笑むモニカに、スレインも微笑みを返して頷く。

 共にある。スレインが王太子になった日から、誰よりも長く傍にいて支えてくれたモニカが言うからこそ、その言葉には揺るぎない説得力があった。

 そうだ。自分には仕えてくれる臣下が、付き従ってくれる兵が、慕ってくれる民がいる。自分と共に戦うと決めてくれた領主貴族や友邦の王がいる。

 自分は王太子だ。次期国王だ。次期国王としてここまで来たのだ。敵の前まで来たのだ。来ることができたのだ。後は戦うのみだ。


「殿下。兵士たちに殿下のお言葉を賜りたく存じます」


 ジークハルトに言われて、スレインはゆっくりと頷く。


「分かった。拡声の魔道具を」


 広い場所で大勢に呼びかける際に用いられる、拡声の魔道具。それが近衛兵から馬上のスレインに手渡される。

 それを確認した上で、ジークハルトが陣に向けて声を張る。


「傾注! 王太子スレイン・ハーゼンヴェリア殿下のお言葉である! しかと聞け!」


 拡声の魔道具を使う必要もなくジークハルトが兵士たちの注目をスレインに向けさせたところで、スレインは一度深く呼吸して、拡声の魔道具を口元にあてた。

 そして、口を開く。


「兵士諸君。君たちはこのハーゼンヴェリア王国を守るために、今日この場所に立ってくれている。そのことに心から感謝する。共に戦ってほしいという僕の呼びかけに、君たちは応えてくれた。これから僕は、財産や家族を守りたいという君たちの望みに必ず応える……そのために、この戦いで君たちに求めることはただひとつ」


 そこで言葉を切り、そしてまた語る。


「どうか、逃げないでほしい。見ての通り、敵はこちらよりも多い。あの大軍が迫ってくる様はきっと恐怖を生むだろう。だが、逃げないでほしい。勇気を振り絞り、その場に留まってほしい。ただそれだけでいい。逃げなければ必ず勝てる。そう約束する……勝利を掴み、国を守ろう」


 最後の言葉は高らかに、努めて明るい声色で言って、スレインは演説を締める。

 それに呼応して、兵士たちは拳を突き上げ、雄叫びを上げた。強敵を前に、しかし士気は最高潮に達している。

 スレインはルチルクォーツの首飾りにそっと触れた。

 自分たちは勝利する。不思議と、そんな確信めいた気持ちを抱いていた。


・・・・・・・


 ハーゼンヴェリア王国の軍勢が布陣を終えた一方で、モルガン率いるガレド大帝国の侵攻軍も、もう間もなく布陣を終えようとしていた。

 精鋭らしき護衛に囲まれながら陣形最奥の本陣に構えるハーゼンヴェリア王太子とは違い、モルガンは自ら陣形の最先頭に立っている。最先頭から敵陣を眺め――ため息を吐いた。


「一体何なのだ、この布陣は。敵は馬鹿揃いか?」


 敵の布陣は、モルガンには理解しがたいものだった。

 中央に歩兵を並べ、その最前衛の左右に弓兵や魔法使いを配置しているのはいい。ごく標準的な布陣と言えるだろう。

 その右翼側に騎兵をまとめて置いているのも、理解できる。どこかのタイミングで騎兵突撃を仕掛けるにしても、百騎程度であれば分散して両翼に配置するより片側にまとめた方が、破壊力は高まる。

 ここまでは分かる。しかし何故、丘の麓に布陣しているのか。

 この辺りのように少し起伏のある地形では、当然ながら丘の上に布陣した方が有利となる。突撃を仕掛けるにしても、矢や魔法を飛ばすにしても、より高い位置から攻撃した方が重力の助けを受けて威力を高められる。戦場では常識だ。

 敵の方が小勢で行軍が速いので、こちらに先んじて有利な位置に陣取ることができたはず。それなのに、わざわざ丘の麓を選び、こちらに見下ろされて布陣している意味が分からない。

 敵将である王太子が戦の素人なのは、平民上がりなので当然。軍人から見ればあり得ない間違いをすることもあるだろう。しかし、敵方にも武門の貴族がいて、助言役として王太子の傍に付いているはず。それでどうしてこうなる。

 何か政治的な事情でもあって、敵方の武門の貴族は進言ひとつ聞き入れてもらえないほど立場が弱いのか。あるいは、本当に敵が兵から将に至るまで底抜けの馬鹿揃いなのか。まともな戦争を数十年も経験していないと、一国の軍とはこれほど愚かな集団に成り果てるものなのか。


「閣下、敵はふざけているのでしょうか?」


「分からん。理解に苦しむが……まあいい。敵の愚かさをこちらが考慮してやる必要はない。期待外れなのは残念だが、叩き潰してやるのは変わらない」


 自分と同じく呆れた表情を浮かべている部下に、モルガンはそう返した。

 こちらは丘の上に布陣し、モルガン率いる騎兵五百が前に出て、その後ろに歩兵五千弱が控えている。

 戦術は極めて単純。モルガン率いる騎兵五百が突撃して敵の陣形を破壊し、続く歩兵が全ての敵を飲み込む。それだけだ。

 敵は総勢で千五百と少し。それもほとんどが歩兵で、その大半が平民に粗末な武器を持たせただけの弱兵だ。騎兵が五百で突撃すればどんな小細工も通用しない。確実に敵の陣形を破壊し、蹂躙することができる。

 そうなったら、敵は烏合の衆。そこに歩兵でとどめを刺す。こちらの歩兵も大半が農民から徴集した弱兵だが、数が五千弱もいれば関係ない。抵抗力を失った敵に襲いかかるだけでいいのだ。たとえ徴集兵だろうと、勇んで丘を駆け下るだろう。

 徴集兵がもたつくせいで多少時間のかかった布陣も、間もなく終わる。全軍が配置につく。

 それを確認したモルガンは、先頭から兵士たちを見渡した。


「いいか貴様ら、よく聞け!」


 小規模とはいえ数多の戦場で勝ち抜いてきた、その誇りに裏打ちされた声が、全軍に向けて響く。拡声の魔道具もなしに、自信に満ちた声が空気を揺らす。


「目の前にいるハーゼンヴェリア王国の軍勢! 数も少なく、質も低い弱兵! あれがこの小国の持ち得る力の全てだ! あの奥にいる大将は、この国で唯一の王族! あの弱軍を撃破し、大将首をとれば、我々の進撃を邪魔する者はもういない!」


 モルガンの自信が、兵士たちにも伝わっていく。強き武人であるというモルガンの自負が、自分たちは強き将に導かれているという兵士たちの自負へと繋がる。


「あれを打ち破れば、我らに敵はいない! 思う存分蹂躙しろ! 手当たり次第に奪え! 犯せ! 攫え! あの先に待っているのは宝だ! 貴様らのものだ! 好きなだけ掴み取れ!」


 そう吠えたモルガンに呼応して、兵士たちが獣のように吠える。

 戦争は勝てば多くのものが手に入る。経験をもってそれを知っているからこそ、デュボワ伯爵領軍や帝国常備軍の兵士は強い。徴集兵たちも戦いの素人ながら、平民のままでは手に入らない富を手に入れようと士気を上げている。

 地勢でも数でも敵よりはるかに有利で、士気も未だ高い。敗けるはずがない。

 モルガンは前に向き直り、剣を構える。この熱量が冷めぬうちに戦いを始めるべきだと、高揚した頭の中に残してある冷えた理性で判断する。


「我がデュボワ伯爵家が誇る騎兵部隊よ! 剣を構えろ! 我に続け!」


 モルガンは叫び、駆ける。それが開戦の合図だった。

 モルガンの後ろに五百の騎兵が続く。丘の麓の敵目がけて駆け出す。

 こちらが動き出したのに合わせて、敵側にも動きがあった。

 敵の主力である歩兵部隊の中から、五十人ほどが突出してきて、横一列に並ぶ。武器どころか盾さえ持っていない、手ぶらの集団だ。


「……ちっ」


 モルガンは突撃の勢いを緩めることなく舌打ちをした。

 何も持たされずに、突撃する騎兵の前に立たされる集団。おそらくはこちらの突撃の勢いを殺すための捨て駒、肉の壁か。

 兵を、民を最初から肉の壁として使う。モルガンはそのような戦術は好まない。

 おまけに、敵の考えの甘さにも反吐が出る。下り坂で勢いに乗った騎兵五百の突撃を、木盾すら持たない五十人一列で止められるわけがない。紙切れで刃を止めようとするようなものだ。

 スレイン・ハーゼンヴェリア王太子。戦いに出てくるだけの度胸はあったが、所詮は平民上がりの馬鹿な小僧か。こんな小僧に、歴戦の武人たる自分が負けるはずがない。

 モルガンが勝利を確信したその瞬間――ただの捨て駒と思われた五十人が、こちらに向かって手を突き出した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る