第30話 準備
いざ戦いに向けた準備が始まると、進行していく全てが、初めて戦いに臨むスレインにとっては新鮮な光景として映った。
まず行われるのは、兵の招集。
軍勢の基幹となるのは王国軍。三個大隊、総勢三百人のうち百人は王領の各地に駐屯し、百人は南の国境地帯を守る任務に就いているが、それもほとんどが招集される。
最低限の防衛力として南の国境に貼りつける三十人ほどを残し、各部隊は緊急招集を受けて王都ユーゼルハイムへと急ぐ。
また、王家直轄の近衛兵団も、王城の警備に最低限の十人を残し、残る四十人は出撃の準備を進める。王国軍が王家の剣なら、近衛兵団は王家の盾。彼らは戦場で、スレインの周囲を守る本陣直衛かつ、いざというときに動かす予備軍となる。
そして、臣民からの兵の徴集も進む。
王領の人口はおよそ二万人。そのうち女や子供、老人、病気などで戦いに臨めない者を除いた徴集対象者は六千人ほど。しかし、その全てを動員することは不可能だ。
王国軍と近衛兵団からできる限りの人員を徴集作業に回しても、そこまで大規模に兵を集めるだけの労力はない。それだけの兵を食わせ、移動させ、野営させる金もない。徴集する前に、隣国から敵が攻めてくると聞いて遠くへ逃げようとする者、森や山に隠れる者もいる。
おまけに今回はとにかく時間がない。王国軍や近衛兵団は自分たちの出撃準備もあるので、王都で兵を募って自主的に集まるに任せるしかない。徴集兵というより、徴募兵と呼ぶのが正しい。
王領の各地から王都へと戻る王国軍兵士たちに、道中の都市や村で兵を募ってくるよう指示も出されているが、そもそも兵士たち自身も大急ぎで帰ってくる以上、徴募兵を連れてくる余裕もほとんどない。
よって、せいぜい対象者の一割、六百人ほど集まればひとまず上々と考えられている。
王領より西側の領主貴族の多くは、一週間で準備を整えて王国東端までたどり着くのは物理的にほぼ不可能なので、今回は戦力として頭数に入っていない。
王都を出た後は東進しながら王国東部の領主貴族たちと合流することになるが、各領地の人口は子爵領で二千人程度、男爵領なら五百人以下というところもある。彼らも時間がない中で戦いの準備をする以上、全ての領地を合わせても動員数は数百人と見られている。
また、時間がないために集められるのは少数だが、金で雇われた傭兵も戦力に加わる。
そして、残るは今この時も籠城を続けている、クロンヘイム伯爵領の戦力。一週間も戦えば相当に消耗していると思われるので、せいぜい百人も決戦に加われれば上出来と考えられている。
全ての戦力を合わせても、おそらく千五百人に届かない。これでも、人口五万人のハーゼンヴェリア王国が数日で整える戦力としては相当に頑張った方だ。
また、今回はスレインの策を実行するために、水魔法使いも五十人を目標に集められる。水魔法使いの招集を優先して労力を割いていることも、徴募兵の数が少なくなる要因の一つだった。
こうして動員兵力が決まったところで、これだけの軍勢を動かすための物資の準備も進められていく。
主となるのは、兵士たちの食料と馬の飼料。その他にも、現地調達の不足を補うために薪もある程度用意される。徴募兵に配る武具類も王城の倉庫から引っ張り出される。
飲み水に関しては進路上の川などを利用するか、従軍させる水魔法使いたちに頼るので、用意する必要はない。
王家と言えど千五百人の軍勢を動かすための物資を一瞬で準備することはできないので、特に食料や飼料に関しては、御用商人ベンヤミンをはじめとした商人たちの力も借りることになる。
また、行軍の進路上で物資の迅速な現地調達も叶うように、王国軍の士官や王家に仕える文官が先行して、道中の都市や村で事前交渉も行う。
「エリクセン商会はこうした食料収集にも慣れており、その他の各商会にも顔が利くため、行軍中の食料や飼料については出発までになんとか集められるそうです。後から輸送する分や、現地調達する分と合わせれば、兵士たちを飢えさせる心配はないでしょう」
戦いの準備を始めて三日。明日には王都を発つという日の午後。王城の会議室で、スレインはセルゲイからそう現状報告を受けていた。
「また、王都の徴募兵が想定よりも多く揃いそうです。徴募を始めて間もない段階から、自主的に戦いに臨もうとする者が次々に集まっているらしく……口々に、王太子殿下のもとでならば命懸けで戦うと言っているそうです。殿下のこれまでの施策が功を奏した結果でしょうな」
「あはは、それは嬉しい話だね」
良い報せを受け、セルゲイから珍しく褒められたこともあり、スレインは笑った。
セルゲイが顔に疲労を滲ませている一方で、スレインは元気そのもの。この三日間、慌ただしく準備が進む中でも、スレイン自身は大してやるべきことがないためだ。
兵の招集はジークハルトやヴィクトルが問題なく進めており、物資輸送の準備や全体の統括はセルゲイが適切に采配を振るっている。彼らの能力があれば、スレインに出る幕はない。
なので、今のスレインはむしろ普段よりも暇を持て余している。臣下たちからは行軍や野営に向けて体力を蓄えてくれと言われ、普段より早く寝て遅く起きている。
適材適所の結果とはいえ、若い自分が楽をして、老人であるセルゲイに激務を強いていることを少し申し訳なく思いつつ、スレインは話を続ける。
「トーリエの様子は?」
「ブランカの鷹に引き続き偵察をさせていますが、危なげなく防衛を成しているようです。この調子であれば我々の到着まで持ちこたえるでしょう」
「そう、よかった」
努めて落ち着いた声で答えながら、スレインは内心で安堵した。この戦いはトーリエが一週間持ちこたえる前提で考えられている。もし陥落すれば、被害はさらに甚大になる。
「水魔法使いの招集も順調です。やはり、布告された報酬が魅力的だったようですな。後は……特に報告すべき事項はございません」
「万事順調か。三日でここまで準備できたのも臣下の皆、特に全体を的確に統括してくれたセルゲイ、君のおかげだよ。ありがとう」
「……恐縮に存じます」
スレインが率直な感謝を伝えると、セルゲイは疲れを伺わせる声で答える。
「明日の朝、行軍が開始されてからは将軍であるフォーゲル卿に全ての実務権限を委ねることとなります。私が務められるのはここまでです……あと十年若ければ、私もお供できたのですが」
「大丈夫だよ。君はこの三日間、ほとんど不眠不休で働いてくれたんだ。老体に鞭打ってね。だから、戦いは僕たちみたいな若い者に任せてよ」
冗談めかして言ったスレインに、しかしセルゲイは笑わず、真剣な顔になった。
「王太子殿下」
そして、冗談めいた言葉への返答としては不自然なほど真剣な声色で言った。
「……お願い申し上げます。どうか生きてご帰還ください」
それはセルゲイらしくない言葉だった。
彼は王国宰相として、スレインに現実的な進言や諫言しかしてこなかった。その彼がこんな、ただ自分の願いを、叶うという絶対の保証もない願いを口にするなど、彼らしくなかった。
しかし、これは紛れもなく彼の言葉だ。彼らしくないこの言葉こそが、おそらくは彼の心からの願いなのだろう。
目を丸くしていたスレインは、微笑を浮かべる。
「大丈夫。僕はこの国の王になる人間だ。勝って、国を守って、生きて帰ってくる。そしてこの先も王として国を守り続けるよ」
・・・・・・・
会議室を出たスレインは、モニカを伴って城館を出た。
王城の敷地内では、出発を明日に控えて準備が急ぎ進められている。
まだ馬の繋がれていない荷馬車が並べられ、そこへ食料をはじめとした物資が詰め込まれる。
別の場所では、兵としての招集に応じた王都の住民たちに備品の槍や剣が配られ、おそらくは行軍する際の部隊分けがなされている。
「あっ、王太子様」
粗末な槍を持ち、王国軍兵士に言われるがままに列を作っていた徴募兵の一人が、スレインを見て言った。
それをきっかけに、スレインが来ていることに気づいた王国軍兵士や近衛兵たちは慌ててその場で敬礼し、荷馬車に物資を運んでいた商人たちは深々と礼をし、徴募兵たちは近くの者同士でざわざわと話し始める。
「邪魔をしてすまない。そのまま準備を続けて」
暇つぶしがてら様子を見に来て、ついでに皆に労いの言葉でもかけられたらと思っていたスレインは、僅かな時間とはいえ準備を中断させてしまったことを慌てて詫びる。
スレインの言葉を受けて兵士たちは即座に仕事に戻り、それに倣って商人や徴募兵たちも、間もなく準備を再開する。スレインは安堵しつつ、適当に兵士たちを労ったり、協力してくれる商人たちや徴募に応じてくれた臣民たちに感謝を伝えたりしながら城内を回る。
旗頭であるスレインには、今はこれくらいしか貢献できることはない。
一通り声をかけ終わり、ふと城門の方を見ると、ちょうど荷馬車に乗って入城してきた若い商人と目が合った。スレインの幼馴染、エルヴィンだった。
スレインを見たエルヴィンは少し驚いた表情になると、荷馬車を止めて御者台を降り、数歩進み出て片膝をつく。
「王太子殿下」
「……君は確か、ハウトスミット商会の子息だったね」
今は大勢の目がある場所。エルヴィンは平民の一商人としての態度をとり、スレインも臣民に接する王太子としての態度を示す。
「はい。この度は王家御用商会のエリクセン商会より声をかけていただき、酒保商人として物資補給に参加いたします。こうして微力ながら王家のお役に立てますこと、王国商人として大きな喜びにございます」
私人としてのエルヴィンは陽気な青年だが、商人としての彼はそれなりに経験を積んだ一人前。落ち着いた受け答えを聞いて、スレインは小さく笑みを浮かべる。
戦争において補給を担う酒保商人となるには、王家あるいはその御用商会への伝手がいる。参加することさえできれば、軍隊という巨大な消費者を相手に必要物資からちょっとした嗜好品まであらゆるものを売る酒保の仕事は、商人にとっては良い商売となる。
今回スレインは、小都市の中小商会でしかないエルヴィンの実家ハウトスミット商会が酒保に加われるように、御用商人ベンヤミンに口添えをしていた。王太子となった自分が、今もなお友人でいてくれる幼馴染への礼として行える、小さな贔屓だ。
もちろん、エルヴィンが酒保を務めるに値する真面目な商人だと信じているのもある。
「君のような献身的な商人の力を借りられることは、王家としても心強い。どうかよろしく」
「私などには勿体ないお言葉です」
エルヴィンはそう答えて立ち上がり、スレインに一礼して荷馬車に戻る。
そして荷馬車を進め、スレインとすれ違う最後の一瞬だけ、周囲には気づかれない程度の笑みを見せた。
「……行こうか、モニカ」
「はい、殿下」
スレインは機嫌よく歩きながら城館に戻り、モニカが笑顔でその後に続いた。
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