第29話 策

 その日の夕刻には、クロンヘイム伯爵領から戻ってきた鷹のヴェロニカによって、伯爵領都トーリエが無事に籠城戦に入っていることが確認された。敵軍は騎兵に加え、増援の歩兵が既に到着し始めていることも。

 また、ヴェロニカがトーリエの指揮官から預かり、王都へと持ち帰った書簡によって、敵の指揮官がガレド大帝国貴族のデュボワ伯爵であることが確認された。帝国旗に加え、伯爵家の旗が掲げられていたという。


「モルガン・デュボワ伯爵。ガレド大帝国の西部では名の知れた武人ですな。その勇ましさは大陸西部にも聞こえています」


 再び会議室に集った重臣たちのうち、ジークハルトが腕を組みながら語る。


「デュボワ伯爵領軍は、優れた騎兵を多く有していることで有名です。自慢の騎兵部隊を以て敵陣を打ち破り、続く歩兵部隊で一気に殲滅する……という戦法で、帝国内の幾多の反乱や紛争を制してきたのだとか」


「トーリエが籠城に成功したのは不幸中の幸いでした。精鋭の騎兵部隊が相手となれば、籠城戦以外では持ちこたえられない。準備を整える間もなく急襲されていては、一週間にわたってトーリエを守り抜ける見込みは立たなかったでしょう」


 ジークハルトに続いてヴィクトルが、彼にしては珍しく険しい表情で言った。

 籠城戦は、城門を閉めればすぐに始められるわけではない。都市周辺の農地に出ている民を都市内に急ぎ戻らせ、周辺の農村から食料や避難民を収容し、治安維持に出ている兵士を帰還させ、その上で城門を閉鎖して戦闘準備を行わなければならない。

 そうしなければ、家族と知人を城壁の外に見捨てた兵や民が士気を保てなかったり、食料が不足したり、籠ったところで城壁防衛の部隊編成が間に合わず簡単に陥落したりする。

 エーベルハルトの決死の反撃がなければ敵は瞬く間にトーリエに到達し、下手をすれば城門を閉じる暇もなく三百の騎兵に都市内を蹂躙されていた可能性もあるという。


「とはいえ、敵将が戦慣れした武人であることは凶報ですな」


「ああ、違いない。数倍の戦力差でデュボワ伯爵に勝つのは容易ではないだろう」


 ヴィクトルに同意を示すジークハルトの表現は、それでもまだ控えめな方だった。実際は、容易ではないどころではない。ほとんど絶望的な戦いと言っていい。

 誰もが険しい表情で、あるいは暗い顔で黙り込む。そんな中でスレインは、表情を変えるのではなく、顎に手を当てて思考を巡らせていた。


「……ひとつ、策を思いついた……かもしれない」


 しばらく思案した末にスレインが言うと、全員の注目が集まる。


「殿下、是非お聞かせ願えますか?」


 スレインの聡明さは、今では臣下の全員が認めている。ジークハルトが期待を込めて尋ねると、スレインは微苦笑を浮かべた。


「僕は戦場に出たこともない身だからね。素人の馬鹿げた思いつきに過ぎないかもしれないけど……まず、敵将デュボワ伯爵が得意とするのは、騎乗突撃の後に歩兵が続く戦法なんだよね?」


「はっ。その通りです」


「僕たちとの戦いでも、デュボワ伯爵はその戦法を使ってくると思う?」


「……あくまで私見となりますが、その可能性が非常に高いのではないかと。デュボワ伯爵の戦法は単純なものですが、だからこそ強い。突撃する騎兵が精鋭ぞろいとなれば尚更です。彼我の戦力差が圧倒的である以上、デュボワ伯爵も奇策を用いず確実に勝てる手を選ぶでしょう。ベーレンドルフ卿、お前はどう思う?」


「私もフォーゲル閣下と同意見です。敵はこちらを少数の弱兵と思っているはず。自分がデュボワ伯爵の立場であれば、効果的かつ得意な戦法を使います」


 スレインの問いかけに、ジークハルトとヴィクトルが軍人として意見を述べる。


「分かった。その上で確認したいんだけど……水魔法を使える人間を今からできるだけ多く集めたとして、何人くらい揃えられる?」


 スレインの問いかけを聞いた臣下たちは顔を見合わせ、代表してジークハルトが発言する。


「……畏れながら殿下。水魔法は地勢に関係なく飲み水を供給できるなどの利点がございますが、戦いで役に立つものでは……」


 魔法の種類は幅広い。一口に魔法使いと言っても、戦場で活躍できる者ばかりではない。

 現にハーゼンヴェリア王家に仕える王宮魔導士を見ても、直接的に戦闘に有用な類の魔法を使えるのは五人程度。水魔法使いはその中に含まれない。

 使い手によっては樽をいくつも満たせるほど大量の水を生み出せる水魔法は、術者が隊商や軍隊に同行して飲み水の補給問題を解消したり、都市部で火災に対応したりといった活用はできるが、直接の戦闘で効果を発揮する場面はほとんどない。


「うん。普通ならそうだよね。僕もモニカとの勉強でそう習った。水魔法は戦闘の役に立たないのが一般常識。だからこそ、敵も戦場に水魔法使いが出てくるなんて考えもしないと思う。そこで少し考えたんだけど――」


 スレインが語った策を聞いて、セルゲイがしばし黙り込んで考え、ジークハルトとヴィクトルの方を向く。


「私は戦術にはあまり明るくない。フォーゲル卿、ベーレンドルフ卿、どうだ? 実現できるものなのか?」


「……このような戦術は試したことがなく、私の知る限り戦史上で似た事例もないので断言はできませんが、おそらく上手くいくのではないかと考えます」


「私もフォーゲル閣下と同意見です。奇策とはいえ、特に難しいことをするわけではありません。十分に殿下の狙い通りの効果を生み出せるのではないかと」


 軍人としての二人の見解を受けて、セルゲイは難しい表情を見せる。


「であれば、その策の実行を目指すとして……王宮魔導士には優秀な水魔法の使い手が二人おります。また、クロンヘイム伯爵家もそれなりの水魔法の使い手を抱えているはず。他にも、東への進軍の途中で東部領主貴族の抱える魔法使いを拾えば、それだけで合計五、六人になるでしょう」


「王家や貴族家に仕える程度の実力を誇る水魔法使いなら、そこらの凡庸な水魔法使い数人分の力になります。心強い戦力ですね」


 セルゲイに続いて、ブランカが言った。


「そして……魔法を使える人間がおよそ三十人に一人。水魔法の使い手はその十人に一人ほど。単純計算では、王領以東の民の中に百人以上がいることになります。とはいえ時間も少ないので、その全員を見つけて戦場に連れ出すことは難しいでしょう。半数程度は集めたとして……王家や貴族家に仕える水魔法使いと合わせて、五十人といったところでしょうか」


「それだけ人数がいれば、策を実行するのに足りるかな?」


「はっ。数としては十分でしょう」


 セルゲイの推測を聞いてスレインが尋ねると、それにジークハルトが頷いた。


「しかし殿下、集めた水魔法使いの大半は軍属ではなく、おそらく戦場に立った経験もない平民です。殿下の策を実行するとなれば、魔法使いたちは危険に晒されます。土壇場で怖気づいて逃げようとする者、恐怖で力を発揮できない者が出るでしょう」


「そうだね、セルゲイ。君の言う通りだ……だから、目に見えて魅力的な褒美を用意する」


 スレインは静かに笑みを浮かべる。


「戦いの際、魔法を行使した数によって金貨で報酬を支払う。ほとんどの者が一発で精いっぱいだろうけど、それでも金貨一枚、一万スローナをもらえるようにする。そして、勝利に貢献をした証として王家から感状を送られる。平民が魔法一発で受け取る褒美としては破格だ」


 水魔法使いは数が多いわりに活躍の場が限られるので、魔法使いの中ではあまり裕福ではない者が多い。そんな彼らにとって一万スローナは小さくない額。さらに王家の感状があれば、魔法使いとして今後仕事をする上で大きな箔になる。国を救った英雄として一生の自慢にもなる。

 これだけの褒美があれば、凡庸な魔法使いにとっては今後の人生を大きく好転させるきっかけになり得る。集められた水魔法使いの多くが、勇気を振り絞って役目を果たすだろう。


「……報酬の総額が金貨百枚以下であれば、王国を救うための出費としては安いものでしょう。王家からの感状についても、悪用されないよう文面に気をつければ問題はありません。殿下のご発案の通りでよろしいかと」


 財務や内政の統括を行うセルゲイの許しを得たことで、水魔法使いに力を発揮させるための褒美が決定する。


「よし、それじゃあ明日にも王家の名前で布告を出して、水魔法使いを集めよう」


 切り札となる策と、それを実行するために行う準備が決まり、会議は終了。

 そして翌日より、決戦に向けた準備が本格的に始まった。

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