第28話 状況確認

 スレインがモニカを連れて謁見の間に戻ったときには、まだセルゲイがそこにいた。

 兵の招集の指示を出し終えたらしいジークハルトも、さらには近衛兵団長ヴィクトルも、外務長官エレーナも、筆頭王宮魔導士ブランカも集まり、重臣たちによる今後の対応の話し合いがなし崩し的に始まっているようだった。


「皆様、王太子殿下がお戻りになりました」


 話し合いに集中していた五人は、モニカがそう言ったことでスレインが戻ったことに気づく。

 彼らは一度目を見合わせ、代表してセルゲイが進み出ながら口を開く。


「……王太子殿下。困惑されている御心中はお察しいたします。ですが、ご決断――」


「戦おう」


 セルゲイが言い終わるより早く、スレインははっきりと言った。

 セルゲイは目を丸くして、無言をもって応える。他の臣下たちも同じ反応だった。

 数秒の間を置いて、セルゲイの口が動く。


「殿下。失礼ながら、今何と?」


「戦おう。帝国と。そして勝とう。ハーゼンヴェリア王国を――我が国を守ろう」


 その言葉を聞いた自分の耳が信じられないとでも思ったのか、セルゲイは他の四人の方を振り返った。四人も一様に驚愕の表情を浮かべている。

 その中で次に口を開いたのは、ジークハルトだった。


「……畏れながら殿下。これほど強大な敵との戦争となれば、唯一の王族であり、次期国王である殿下ご自身にも総大将として戦場に出ていただくことになります。しかし、正直に申し上げて状況は絶望的です。もちろん我々はこの国と殿下の御為に最後の一兵まで全力で戦いますが、勝利はおろか、殿下のお命をお守りできる保証もございません。亡命の道を選べば――」


「構わない」


 スレインは落ち着いた声で、微笑さえ浮かべながら答える。


「僕は父の跡を継ぐと決めた。この国を守ると決めた。僕は王太子だ。この国の王になる人間だ……敵を退けられなければこの国は消える。名前も、歴史も、文化も、そして民の平穏な生活も全て奪われる。それなら僕も、いやこの僕こそが、命を賭して戦場に出るべきだ。僕の命はこの国の運命と共にあるべきだ」


 別人のようになって語るスレインを見たジークハルトは、少しの間を置いて笑った。


「よくぞ仰ってくださいました。王太子殿下。我が主君よ。私も共に、全力をもって戦います」


「私も近衛兵団長として、殿下のお傍で身命を賭して戦います」


「当然、私も戦いますよ、殿下」


 ジークハルトに続いて、ヴィクトルが珍しく力を込めた声で、ブランカが不敵な笑みを浮かべながら、それぞれ決意を語る。


「私も外務長官として、これよりできる限りの力を尽くします」


 さらに、エレーナも笑みを見せながら言った。


「……殿下。戦いを決意していただけたことは、王国宰相としても誠に喜ばしく思います。ですが現実的に考えて、我が国が帝国に勝利できる可能性はごく僅か。まともにぶつかり合えば万に一つも勝てないでしょう」


 現実を見据えた発言をするのが宰相の務め。セルゲイの言葉は、スレインに鋭く刺さる。


「そうだね、君の言う通りだ。だから勝つ方法を考える。これから」


 セルゲイに答えたスレインは、ジークハルトの方を振り返る。


「ジークハルト。決戦までの時間と、それまでに揃えられる戦力の予想を教えてほしい。将軍としての君の見解を聞きたい」


 問われたジークハルトは顎に手を当てて少し考え、口を開く。


「決戦までの時間は、せいぜい数日でしょう。敵の数と侵攻の速さを考えると、奇襲を受けたクロンヘイム伯爵領は既にまともな抵抗力を失っています。今後、敵は兵力を増しながらさらに西進してくるでしょう……今の王都は籠城戦に向かず、直接攻められれば脆い。となると、敵が王都に到達する前に会戦に臨むことになりますが、そのためには明日にも発たなければなりません」


 ジークハルトはそこで言葉を切り、苦い笑みを浮かべる。


「しかし、そうなると民からの兵の徴集はおろか、王領各地に駐屯する王国軍の集結さえ満足にできないでしょう。おそらく我が方の兵力は千にも届きません。そのほとんどが歩兵、それも素人同然の徴集兵です。陣形を組むことさえおぼつかないでしょう」


「……なるほど。厳しい状況だね」


 聞けば聞くほどに絶望的だ。強がりの笑みを浮かべるスレインの額に、汗が一筋流れた。

 そのとき。


「伝令! 伝令です! 王太子殿下!」


 近衛兵が叫びながら謁見の間に飛び込んでくる。戦時の伝令は、王の私室以外では入室許可を求める必要はない。

 近衛兵の後ろに、さらに二人の近衛兵と、彼らに肩を貸された息も絶え絶えの兵士が続く。


「く、クロンヘイム伯爵閣下より、殿下に書簡を……」


 床に降ろされた兵士はそう言って懐から書簡を取り出し、スレインに向けて手を伸ばす。スレインが急いで書簡を受け取ったのを見届けた瞬間、兵士は気を失って倒れた。一体どれほど急いで来たのか。

 運び出されていく兵士を見送って、スレインは書簡を開いた。


「……王国暦七十七年、九月二十二日、正午。敵は既にクロンヘイム伯爵領の東端にある農村を襲撃し、占領。これより更に侵攻し、我が領を、延いては王国各地を蹂躙するものと思われる。それを遅らせるには領都を絶対防衛線とし、籠城戦に臨むのが唯一の手段。これより我は少数の決死隊を率いて敵を急襲し、領都籠城のための時間を稼ぐ。我が命を以て、忠誠を誓うハーゼンヴェリア王家に猶予を献上する……王国に栄光あれ。クロンヘイム伯爵エーベルハルト」


 詩的に綴る貴族の文ではなく、簡潔に綴る武人の文。その形式で記された書簡をスレインが読み終えると、室内を重い沈黙が支配する。


「エーベルハルト・クロンヘイム。ハーゼンヴェリア王国の誇り高き貴族。彼の忠節と献身を忘れない。決して無駄にはしない」


 スレインは泣くでもなく、悲しげな顔をするでもなく、言った。今は戦時。犠牲になった者を悼むのは全てが終わってからだ。


「ジークハルト」


「はっ」


「クロンヘイム伯爵の決死の策で時間が稼がれて、伯爵領の領都が籠城戦に臨んだとして、状況はどう変わる?」


「……伯爵領の領都トーリエは人口およそ二千人。領都周辺から領軍兵士や領民も集まったとすると、西に避難した女や子供を差し引いても千人以上は残っているでしょう。それに、エーベルハルト殿から指揮を引き継いだであろう彼の嫡男は優秀です。敵が増援と合流し、仮に数千人規模になっていたとしても、一週間は持ちこたえられます。兵と民の士気を保つことができれば」


 ジークハルトの説明を聞いたスレインはしばし考え、また口を開く。


「トーリエが籠城に成功したかどうか、最短でいつ確認できる?」


「確認だけなら本日中にも」


 そう言って、ジークハルトが視線をブランカに向けた。それを受けてブランカが進み出る。


「フォーゲル閣下より指示を受けて、私の使役するヴェロニカを東へ飛ばしました。鷹の彼女なら、今日中に王都とトーリエを往復できます。鷹の知能では細かな戦況までは理解できませんが、トーリエに大勢の人間が立てこもっているかどうかくらいは彼女にも判断できます。籠城戦の指揮官から、最新の現状報告を書簡で受け取ることもできます」


「それと並行して斥候を送り、籠城戦の詳しい状況も随時調べさせます。最初の斥候は既に出発させています」


「そうか、二人ともありがとう……それじゃあ、ジークハルト。トーリエが無事に籠城戦に移行できていたとして、僕たちが王都を発つまでの猶予はどれくらいある?」


 ジークハルトはまた顎に手を当てて考える。


「……王都からトーリエまでは急いで三日。そう考えると、明日より三日ほどを準備に使えるでしょう。十分とはとても言えませんが、明日発つよりは遥かにましです」


 皆無だった時間的猶予を、三日も確保できた。それだけあればより多くの兵を集めることができ、進軍のための準備にも時間を使える。


「分かった。それじゃあジークハルト。引き続き戦いの準備を頼む。それと、トーリエが籠城戦の士気を保てるように何か手を打てる?」


「それなら、偵察に続いてブランカの鷹を使えます」


「明日にもまたヴェロニカをトーリエまで飛ばして、王太子殿下からの書簡を届けさせましょう。一週間持ちこたえれば援軍が来ると知らされれば、トーリエに立てこもった者たちの士気は上がるはずですよ」


「いい案だね。そうしよう……他に打てる手はあるかな?」


 スレインが尋ねると、エレーナが進み出る。


「殿下よりお許しをいただければ、周辺国……といっても時間がないので国境を接する数か国に限られますが、事情を伝えて援軍を求めてみます。傍から見れば我が国の勝ち目はほぼないので、応えてもらえる可能性は低いでしょうが、外交的に打てる唯一の手かと思います」


「分かった。それで頼む。細かいことは外務長官である君に一任する」


「御意」


 エレーナは女性文官としての所作で、静かに礼をした。


「あとは……セルゲイ。どうかな、ひとまずこんなところで」


 各々の話を聞いて許諾を出すだけとはいえ、王太子として自ら堂々と戦いに向けた采配を振るうスレインを見て呆気に取られていたセルゲイは、声をかけられたことで表情を引き締める。


「……私から見ても、問題ないかと存じます」


「よかった、ありがとう。僕には細かいことが分からないから、全体の統括は王国宰相である君に頼んでいいかな?」


「お任せを。それが私の務めにございます」


「よろしく。それじゃあ各自、ひとまずは現段階でできることをしながら、トーリエの状況が分かるのを待とう」


 臣下たちを見回して、スレインは言った。

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