第26話 宣戦布告

 二十二の小国が並ぶサレスタキア大陸西部と、ガレド大帝国の支配する大陸中部は、エルデシオ山脈という長大な山脈によって隔てられている。

 山々は険しく、山登りに慣れた少人数が越えることでさえ大きな危険を伴う。ましてや大規模な軍勢が越えることは不可能だ。

 しかし、この山脈の全ての箇所がそのような要害というわけではない。標高が浅い、あるいは山が僅かに途切れて谷のような地形になっている箇所がいくつか存在し、そうした箇所は大陸西部と中部を結ぶ交易路として活用されてきた。

 そのうち最も通りやすい道が、大陸西部の中でも北東端に位置するハーゼンヴェリア王国の東にあった。

 その場所の名はロイシュナー街道。山が途切れて谷になっている箇所の東西の長さは、およそ十五キロメートルと短い。徒歩でも半日で渡れる距離だ。

 谷の西側、すなわちハーゼンヴェリア王国側には、出入国を管理する関所がある以外に人里はなく、幅十キロほどの範囲が帝国との緩衝地帯になっている。帝国を刺激しないためと、村を作って農業を行うには地勢がやや険しいという理由がある。

 一方で東側には、谷に蓋をするように帝国の要塞が築かれ、強固な防衛線を成している。とはいえ両国はハーゼンヴェリア王国の建国以来、長く平和を保っていたので、こちらも今はただの国境関所と化している。宿場代わりに商人の宿泊さえ許すほどだ。

 しかし今、この要塞がおよそ百年ぶりに要塞として使われた。この要塞を前進基地として、モルガン自ら率いるデュボワ伯爵領軍の騎兵およそ三百が、ロイシュナー街道からハーゼンヴェリア王国へと侵入した。

 帝国暦二八二年、ハーゼンヴェリア王国暦では七十七年、九月二十二日の明朝のことだった。


・・・・・・・


 ロイシュナー街道の西側出口からハーゼンヴェリア王国の人里までの緩衝地帯を、三百の騎兵は短時間で走破。クロンヘイム伯爵領に入った。

 それに僅かに先駆けて、第三皇子フロレンツからの使者が伯爵領の関所へ到達し、宣戦布告の書簡を警備兵に渡した。

 布告の理由は、ハーゼンヴェリア王家がここ数年で軍備を増強し、帝国の平和を脅かしたため。たかだか百人の常備軍増員が帝国の平和を脅かすはずもなく、これは完全なる難癖だった。

 交渉の余地はなし。王族と貴族は殺し、民は帝国のものとする。この地域の平和を脅かしたハーゼンヴェリア王国への罰である。布告書にはそう記されていた。

 この緊急事態を受けて、領主エーベルハルト・クロンヘイム伯爵は、ハーゼンヴェリア王家に向けて事態を報せる伝令を送った。それと併せて、帝国の侵攻軍を迎え撃つために全領軍兵士を招集するよう命じ、さらには領民からも兵を徴集し始めた。

 しかし、全てが騎兵で構成された敵の方が、圧倒的に動きは早い。防衛準備が間に合わないと判断したエーベルハルトは――命を賭した時間稼ぎを行うことを決意した。


「……ガレド大帝国のクソどもが。兵力を頼りに油断して、呑気に休憩しているな」


 敵の騎兵たちが休憩地点として占領した、伯爵領の東端に位置する小さな農村の様子を観察しながら、エーベルハルトは呟く。

 敵がハーゼンヴェリア王国に宣戦布告しておよそ二時間。エーベルハルトは敵の進路を予想し、敵の目に入らない進路をとり、農村を見下ろせる小高い丘の森に身を隠していた。

 彼に付き従うのは、領内の馬に乗れる男のうち、この絶死の時間稼ぎに志願した者たち。総勢二十人で、騎士や領軍兵士もいればただの領民もいる。


「どうだお前たち。これから我々は死ぬわけだが、今になって止めたくなった者はいるか? 敵前で尻込みするよりは今のうちに辞退した方がいいぞ」


「ご冗談を、伯爵閣下。今さら命を惜しむような奴はいません。そうだろうお前ら?」


「ああ、俺たちはもういつ死んでも惜しくない歳だ」


「あの騎兵ども、こっちが小国だと思って舐め腐ってやがる。土地と家と家族のために時間を稼いで、ついでにあいつらに一泡吹かせられるなんて、死に方としちゃあ最高だ」


 領軍でも最古参にあたる騎士が煽ると、志願者たちは明るく笑いながら答える。

 これから、エーベルハルトたちは圧倒的多数の敵への突撃を敢行し、玉砕する。そうして敵を混乱させ、時間を稼ぐのだ。

 ここにいるのは、いずれも初老以上の者ばかり。なかには孫がいるような歳の者もいる。絶死の時間稼ぎということもあり、まだ若い者の志願はエーベルハルトが却下した。

 クロンヘイム伯爵領がこの危機を乗り越えて存続するのであれば、騎士や兵士、領民に死を命じて領主が生き永らえたという前例を作るわけにはいかない。そんな理由から、そして貴族としての誇りから、エーベルハルトは自ら突撃の指揮をとる。


「ふっ、どいつもこいつも馬鹿者だな」


 エーベルハルトは楽しげに言った。

 自分たちが狙い通りの戦果を挙げれば、敵の進軍再開は数時間ほど遅れる。それだけの時間があれば、領都が周辺に散った領軍兵士をある程度集結させ、周辺の農村から民と食料を運び入れ、女性や子供を西に逃がし、城門を塞いで籠城戦の準備を整えることくらいはできるだろう。

 そうして領都が籠城戦に入れば、敵の進撃をひとまず止められる。

 一定の兵力を蓄えた領都を、敵は無視することができない。そんなことをすればいつ後方を突かれるか分からないからだ。敵はおそらく目の前の騎兵だけではなく、後続の軍勢がさらに侵攻してくるのだろうが、たとえ数千の軍勢に囲まれようと、平時の人口およそ二千人の領都であれば一週間かそこらは持ちこたえる。

 そうすれば敵の侵攻を一週間遅らせることができ、すなわちハーゼンヴェリア王家に一週間の猶予を献上することができる。ガレド大帝国の大兵力による奇襲を前に、一週間の時間稼ぎ。現状クロンヘイム伯爵家が単独で得られる成果としては、おそらく最上のものだ。


 その後のことは、エーベルハルトが考えることではない。

 クロンヘイム伯爵家については、息子が継いでくれる。時代に名を刻むような傑物ではないが、十分に優秀な息子だ。跡継ぎとして不足はない。

 王国そのものの運命は、あの平民上がりの王太子が決めることだ。ガレド大帝国という強大な敵の軍勢を前に国を守れるか、そもそも戦いに臨む覚悟を決められるかさえ分からないが、エーベルハルトにどうにかできることではない。

 自分はただ義務を果たすのみ。かつて敵だったクロンヘイム家の存続を許し、建国に際して伯爵位を与えた上で王国へ迎え入れてくれた、ハーゼンヴェリア家への忠義を示すために。


「者共、馬に乗れ。武器をとれ」


 号令をかけながら、エーベルハルトは自身の愛馬に乗った。その後ろに、騎乗した志願者たちが並ぶ。

 森の端、敵から見えないぎりぎりまで前に出てから、エーベルハルトは空を見上げた。木々の隙間から除く快晴を見た。


「……死に日和だな」


 笑みを浮かべ、エーベルハルトは剣を抜く。

 馬を走らせて森から飛び出すエーベルハルトに、二十人の男たちが続いた。



★★★★★★★


作者Twitterで、ハーゼンヴェリア王国と国境地帯の簡単な地図を投稿しています。

作者名「エノキスルメ」か、作品名「ルチルクォーツの戴冠」で検索いただければすぐにアカウントが出てくるかと思います。

よろしければ是非ご覧ください。

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