第25話 フロレンツの未来図

「モルガン、今からできるだけ早く、ハーゼンヴェリア王国への侵攻を開始してくれ。これは第三皇子としての正式な命令だ」


 九月の中旬。ガレド大帝国西部において最大の都市、アーベルハウゼン。

 そこに置かれた皇帝家所有の宮殿にある謁見の間で、第三皇子フロレンツ・マイヒェルベック・ガレドは、帝国貴族モルガン・デュボワ伯爵と顔を合わせていた。


「……以前に皇子殿下より聞き及んだ話では、ハーゼンヴェリア王国への侵攻は年が明けてからのはずでしたが」


 フロレンツより一回り以上も年上のモルガンは、刃傷の残る恐ろしげな顔に、疑問と少しの不満の色を浮かべて返す。

 デュボワ伯爵領はガレド大帝国西部の一角を占める大領で、抱える人口は二十万を超える。その頂点に立つモルガンは、帝国西部において指折りの武人として名高い。

 帝国西部で民や異民族、小貴族の反抗が起きた際には、第三皇子に声をかけられ、勇んで鎮圧に出ることで有名。それもあって世間からは「傭兵伯爵」などとあだ名されている。


「そうだったんだが、少し事情が変わったんだよ。ハーゼンヴェリア王国の次期国王、例の平民上がりの青年。彼がどうやら思いのほか成長が早いみたいなんだ。あちらの王領では民からの評判が良いみたいだし、先日届いたこの書簡にも、万事順調だなんて書いてある」


 起立しているモルガンに対して、フロレンツは豪奢な椅子に座ったまま、手に持った書簡をひらひらと振る。げんなりした表情で。


「このまま来年まで待っていたら、彼は国王としてそれなりに足場を固めてしまうかもしれない。彼がまだ正式な即位前で、まだまだ成長途上のうちに、一息にあの国を潰しておきたいんだよ。その方が楽そうだからな」


 ガレド大帝国の宮廷社会において、フロレンツの評価は低い。二人の兄はおろか、弟妹たちよりも低い。その評価と関係なく、皇帝である父から息子として愛されているのが幸いだが。

 そんなフロレンツにも野心はある。自身の評価を覆し、自身も皇帝家の一員としてふさわしい人物であると宮廷社会に、兄弟に認めさせたい。父の愛に応えたい。そう思っている。

 なので今から五年ほど前、帝国にとっては重要度の低い、サレスタキア大陸西部との外交担当という閑職を兄弟たちから体よく押し付けられたのを機に、フロレンツは策を練り始めた。

 大陸西部に並ぶ虫けらのような小国の群れにも丁寧かつ穏やかに接し、弱腰の穏健派と思わせて油断させた。将としてモルガンを見出し、民の反抗の鎮圧に駆り出して彼の戦いへの欲求を満たしてやり、手なずけた。

 小国の群れを油断させ、モルガンという強い手駒を得て、あとは成果を挙げるだけ。その段階までようやくたどり着いた。そんなときにハーゼンヴェリア王家があのような様になったのは、まさに運命だった。神が攻め込めと言っているようなものだ。


 この侵攻の計画に際して、皇帝である父からの許可も得ている。これまでとった策とこれからの計画を説明したら、「お前がそれほどの頑張り屋とは思わなかった。そこまで努力したのであれば、続きもやってみるといい」と言ってもらえた。

 帝国にとっては大陸西部のような辺境よりも、東や北の仮想敵国の方が注視すべき存在。本命の世継ぎとして次期皇帝の座を争う二人の兄も、そちらでの国境紛争に夢中だ。

 正妃の子である彼らとは違って、フロレンツは父の死んだ愛妾の子。亡き愛妾の面影を持った、猫可愛がりされるだけの息子でしかない。フロレンツが西部辺境で小さな野心を振るい、満足しているなら、父としてはそれでいいのだ。持つべきものは皇帝の父、親子の愛は偉大だ。


 皇帝家の誰も見向きもしない大陸西部を相手に、ある程度好きに動ける。今の状況はフロレンツにとってチャンスだった。

 ハーゼンヴェリア王国へ侵攻し、かの国を占領し、大陸西部への橋頭保とする。その戦果への褒美として、今預かっている申し訳程度の歳費や常備軍をもう少し増やしてもらい、モルガン以外にも帝国西部の貴族たちを配下に収め、その戦力をもって残りの国を各個撃破する。

 そうして、大陸西部をガレド大帝国の領土とする。そうなれば父の愛に応えることができ、兄弟を見返すことも叶い、大陸西部の太守になれる。辺境に収まっておけば次期皇帝の座を狙う兄たちを刺激することもなく、気楽な贅沢暮らし。ついでに大陸西部の征服者として歴史に名も残る。

 これが、フロレンツの思い描く薔薇色の未来図だった。


「それにモルガン。お前としても、できるだけ敵が弱いうちに打ち破った方が楽だろう? いくら弱小国家とはいえ、結束を強められたらそれだけ叩き潰すのが面倒になる」


「確かに、殿下の仰る通りですが」


「な? そうだろう? そういうわけだから、今からできるだけ早くハーゼンヴェリア王国に侵攻してくれ。侵攻して、占領して、あの国の王族を断絶させてくれ。まあ、王族と言っても今はあの平民上がりの青年一人だけなんだけどな、ははは」


「……かしこまりました。それではこのモルガン・デュボワ、これよりハーゼンヴェリア王国への侵攻準備を開始します」


「ああ、頑張ってくれ。この侵攻が成功した暁には、お前はガレド大帝国でも随一の武人として名を馳せる。父からの褒美で私の使える歳費も増えるから、お前にもっと報奨金も出せるぞ」


 フロレンツは大陸西部を支配し、太守として楽しく暮らす。父の愛に応え、宮廷社会での評価も得る。一方のモルガンは、帝国中に響き渡る武人の名誉と、金を得る。戦いへの欲求も思う存分満たせる。互いに得をするこの関係が、フロレンツとモルガンの絆だ。


「しかし、急な侵攻となりますので、そのやり方は当初とは違ったものになることをご理解いただきたく存じます」


 そう切り出して、モルガンは今この場で新たに考えた侵攻計画を語る。

 まずは、デュボワ伯爵領軍の中核を成す、精鋭の騎兵を三百ほど動員してハーゼンヴェリア王国を急襲する。騎兵の機動力と、ハーゼンヴェリア王国に対しては破格の数である三百という数を以て、かの国を荒らせるだけ荒らす。

 伯爵領から国境へと連れてきた騎兵を、その翌日にはハーゼンヴェリア王国へと入れるのだ。敵は侵攻を察知することも叶わず、こちらの完全な奇襲を許すだろう。

 その間に、ハーゼンヴェリア王国との国境に面した皇帝家直轄地の民から、急ぎ兵を徴集する。

 今回の場合、兵の質は問わない。農民に粗末な武器と木の盾を持たせた程度の雑兵でいい。その代わりにとにかく数を集める。目標は五千。それを、こちらも伯爵領から連れてきた領軍の正規兵や、フロレンツの抱える帝国常備軍の兵士に指揮させる。

 これでもハーゼンヴェリア王国が相手なら十分だ。騎兵が敵軍を討ち破り、歩兵が敵の領土を蹂躙する。財産を略奪し、民を襲う。一か月もあれば占領し終えるだろう。


「ふむ……戦争のことはよく分からないが、それでいいんじゃないか? 私は父から預かっている帝国常備軍を少し貸せばいいんだな? 何人くらい要る?」


「百人もお貸しいただければ十分と存じます。我が領からも同数の領軍正規兵を動員しますので。正規兵が二百人ほどいれば、徴集兵の指揮役としては十分でしょう」


「そうか、分かった。お前が言うならそうしよう」


 フロレンツは武人としてのモルガンを信用している。騎兵の突撃と歩兵の大進撃の合わせ技を得意とする彼が、敗北するどころか苦戦するところさえ見たことがない。

 これまで自分の仕事として、政治的な立ち回りや根回しは済ませた。あとの戦いはモルガンに全て任せて、自分はこのアーベルハウゼンの宮殿で勝利の報告を待つのみ。フロレンツは満足げな表情で、椅子の背に身体をもたれた。

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