第24話 もうすぐ

 九月の上旬。スレインの即位とそれに伴う戴冠式を、一か月と少しの後に控えた秋。

 この日スレインは、王城の敷地の片隅にある農地を訪れていた。

 王族の日頃口にする食材を栽培するため、そして新たな作物や農法を試すための場としても維持されているこの農地。その一角には現在、ジャガイモが栽培されている。


「王太子殿下。一目ご覧いただければお分かりいただけるかと存じますが、報告通り、我が国の土地においてもジャガイモは順調な成長を見せております」


 農務長官のワルターがそう説明しながら手で示す先には、ジャガイモの葉が青々と生い茂っていた。この葉の下、地面の中に、育ったジャガイモがごろごろと埋まっているのだという。


「この農地以外にも、王城内の適当な空き地の地面を掘り返しただけの場所でも問題なく育っております。いずれも生育にかかる期間や見込み収穫率などは、御用商人ベンヤミン殿の説明通りのようです。収穫時期はおよそ一か月後。収穫後、人が食して問題ないことを確認すれば、早くて来年より王都周辺での栽培に移れるでしょう」


「……うん。今のところ最良の結果だね」


 定期的に報告は受けていたが、あらためてワルターの説明を受け、実際にジャガイモの育つ様を確認し、スレインは呟く。

 おそらく大丈夫だろうとは思っていたが、実際に育てるまではどうなるか分からないのが農業。無事にハーゼンヴェリア王国でジャガイモが収穫を迎えそうだという事実に、スレインは心の底から安堵していた。

 栽培に成功したジャガイモを王都周辺でさらに栽培し、王国社会の主食のひとつに組み込むための準備も進んでいる。王都に暮らす臣民たちから好感を抱かれるための交流は今も順調に継続されており、彼らにジャガイモの件を聞いてもらうための下地はできている。


 後は、よほど予想外の出来事でも起こらなければ大丈夫。王領の食料自給率改善という大きな功績の足がかりを早くも掴んだ有能な王太子として、来月の後半には戴冠を遂げて国王となる。名実ともにこの国の君主となる。

 この王城に連れて来られ、ただひたすらに困惑していた頃とは違う。

 未だ途上とはいえ、最初と比べれば見違えるほど成長できた。周囲の臣下たちに手を引かれ、何もかもを助けられていた頃とは違い、自分の足で立ち、自分の頭で考え、自分の言葉で語ることも少しずつできている。

 その臣下たちから向けられる目も変わった。頼りがいがある、とまではまだ言われないかもしれないが、少なくとも将来性のある若き主君としては見てもらえている。その手応えがある。

 王城の使用人や、王国軍の兵士たち、そしてこの地に暮らす臣民たちからも、親しみを持ってもらえている。

 きっと、自分の才覚で実現できる最上の状態を以て、戴冠式を迎えることができるだろう。

 ジャガイモの栽培状況を見届け、モニカと共に城館の中に戻ったスレインは、足取りも軽く執務室へと戻る。


「殿下、この後の執務の前に、少しご休憩をなさいますか? お茶をお淹れしましょうか?」


「そうだね。お願いしようかな」


「かしこまりました。すぐにご用意します」


 いつも通り優しい笑顔を浮かべながら言ったモニカは、執務室に常に置かれているお茶淹れ道具を使い、既にスレインにとって馴染みとなったハーブ茶を淹れてくれた。

 モニカと二人、のんびりとお茶休憩をしたスレインは、午後の机仕事に取りかかる。執務机に積まれているのは、王太子であるスレイン宛ての書簡の類だ。

 その多くは、来月の戴冠式についてのもの。周辺諸国の代表者より、自身が、あるいは名代が出席する旨が記されている。


「これは……フロレンツ皇子からか」


 束になった書簡の中には、国葬の後の社交でスレインに対して好意的に接してくれたガレド大帝国の第三皇子、フロレンツ・マイヒェルベック・ガレドからのものもあった。

 スレインの戴冠式には、帝国において大陸西部との外交を担当するフロレンツ自身が出席してくれるという。さらに、出席の件だけでなく、彼個人からスレイン個人へ宛てた言葉もあった。


 曰く、国葬のとき以来、連絡もできずに申し訳ない。王太子としての慣れない生活や執務で大変なことも多いと思うが、上手くいかず辛いことはないか。自分が戴冠式出席のためにそちらを訪れた際は、ぜひ一緒に食事でもして話そう。若くして責任ある立場にいる者同士、気持ちを分かり合えることもあるだろうから。そう記されていた。


「……」


 律儀な人だ、とスレインは思った。

 国葬の際の会話は単なる社交辞令ということにしてもよかっただろうに。ガレド大帝国と比べれば泡沫もいいところであるハーゼンヴェリア王国の、次期国王とはいえ平民上がりの自分に、これほど細やかに接してくれるとは。

 親切な善人なのか。あるいは少し変わり者のお人好しか。そんなことを思って微笑しながら、スレインは植物紙と、母の形見であるペンを手に取った。


 親切な言葉に感謝する。あれから自分もそれなりに努力し、多少なりとも次期国王らしくなってきたように思う。臣下や臣民とも心を通わせ、万事は概ね順調。心配には及ばない。しかし、来月会った際はぜひ食事を共にしたい。互いに立場もある身だが、できれば友人と呼べる関係になることができたら嬉しく思う。


 そんなことを、スレインは綴った。


「……モニカ。この書簡を最優先で出したい。ガレド大帝国のフロレンツ第三皇子宛てに。手続きをお願いしていい?」


「かしこまりました、殿下。ただちに手配いたします」


 モニカはスレインから紙を受け取り、それを手に執務室を出ていく。スレインが書いたフロレンツへの書簡は、これから内容に問題がないか王国宰相セルゲイに確認され、問題なければ羊皮紙の封筒に包まれて封蝋をされ、ガレド大帝国へと運ばれることになる。


「……もう来月か」


 執務室の窓から秋空を眺め、スレインは独り言ちた。

 あっという間だったような気もするし、途方もなく長かった気もする。ルトワーレの家で暮らしていた日々は昨日のことのようでもあるし、もう何十年も前だったようにも思える。

 自分はもうすぐ王になるのだ。

 覚悟を固めきったようで、まだいまいち実感が掴めないようで、スレインは不思議な心地を覚えていた。




 それからおよそ二週間後。ガレド大帝国より国境を越えて、騎兵三百がハーゼンヴェリア王国の領土へ攻め込んできたと、緊急の報告が届いた。

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