第23話 優しい王太子
保養地で王族専用の温泉に浸かり、素朴だが上質な食事と酒を堪能し、いつもより長くぐっすりと眠る休暇を終えたスレインは、足早に王城へと帰った。
そして、新たな試みを始めた。
「お、王太子様……本物だ」
「すげえ、こんなに近くで王太子様を見るのなんて初めてだ」
「あはは、皆こんにちは」
今スレインがいるのは、王都の一角、都市内にいくつかある広場のひとつ。広場に立てられた小さな時計台の台座に腰かけ、臣民に囲まれていた。
さすがに、臣民たちもスレインに触れられるほどの距離にはいない。スレインの周囲はモニカとヴィクトル、近衛兵たちに固められている。それでも、臣民たちは普段王族に接するよりは格段に近い距離、スレインとわずか数メートルの位置にいる。
「そこの君。君は農民かな?」
集まっている臣民の一人に視線を向けてスレインが声をかけると、その中年の男性臣民は驚いた表情を見せた。
「ど、どうして分かるんですかい?」
「足元が膝のあたりまで土で汚れているし、手の指にはマメができている。毎日真面目に農作業に励んでいる証拠だ……そっちの君は荷運び労働者かな? 荷運びの仕事でよく使う利き腕と肩の筋肉が盛り上がっているから」
スレインが別の男に視線を向けて言うと、その男もやはり驚いた顔を見せる。
「あ、当たりでさ。すごいですね王太子様。見ただけで分かるなんて」
「あはは、これくらいは分かるよ。だって僕は、もともと君たちと同じ平民だったんだから」
スレインは明るく笑って見せた。
家に籠って母の仕事の手伝いをしていることが多かったとはいえ、平民として十五年も生きれば、他の職業の者を見る機会も多い。農民や荷運び労働者など、珍しくない仕事に就いている者であれば、その特徴は一目で分かる。
「すげえ、本人が言うってことは、やっぱり噂は本当だったんだな」
「ああ、王太子様は本当に元平民なんだ」
集まっていた臣民たちはざわざわと話し始める。そんな彼らを、スレインは微笑ましく見守る。
「あの、王太子殿下」
「ん? 何かな?」
おそるおそるといった様子で声をかけてきた若い女性に、スレインは笑顔で返す。
「王太子殿下は最近、王都の中をよく回って私たちのような下々の人間とお話しされてると聞きましたが……どうしてそんなことを?」
「それは、僕が次期国王として君たちを大切に思っているからだよ」
スレインはできるだけ優しそうな表情を意識して言った。
「国は王族と貴族だけでは成り立たない。君たち臣民がいて、毎日勤勉に働き、税を納めて義務を果たしているから、このハーゼンヴェリア王国は安定しているんだ。僕は平民から王太子になったからこそ、この国に生きる君たちが頑張っていることを知っているつもりだよ」
集まった臣民たち一人ひとりの顔を見回して語ると、王太子から直々に頑張りを認められた彼らは、照れたような表情を見せる。
「だからこそ、君たち臣民と触れ合って、君たちの話を聞きたいと思っている。この国の王になる人間としてね。それで時々こうして王都の中を回っているんだ。いずれ他の都市や村も回りたいと思っているけど、まずは王家の膝元であるこの王都の住民たちの声を聞きたい」
元平民で、平民に優しく、平民の気持ちを理解してくれる次期国王。そんな評価を今のうちから確立することができれば、ジャガイモの普及を目指す際に間違いなく効果を発揮する。
見知らぬ作物を見せられてその栽培を奨励されるとして、好印象を抱いている為政者から言われる方が、臣民たちも従おうと思ってくれるのは間違いない。
なのでスレインは、こうして王都に暮らす臣民たちとの交流を続けている。
最初、彼らの反応はいまいちだった。彼らにとって王太子とは、普段は接することのない雲の上の存在。言ってしまえば得体の知れない存在だ。そんな存在がいきなり市街地に現れても、臣民たちは怖がって遠目に眺めるだけだった。
それでも、スレインは根気強く市街地を訪れ、自分から臣民たちに声をかけた。そうした試みを何度かくり返すうちに、「新しい王太子は平民にも優しく親しみやすい」という評判が少しずつ広まり、臣民たちは以前よりも近くまで集まってくるようになった。
スレインが話しかけるのに答えるだけでなく、今声をかけてきた女性のように、自分から話しかけてくる者もいる。臣民たちと確かに交流できていると、スレインは手ごたえを感じていた。
「それで皆、最近の生活はどうかな? 何か困っていることや、不安なことはある?」
尋ねられた臣民たちは顔を見合わせ、先ほどスレインと話した肉体労働者の男が口を開く。
「い、今は特にそんな……戦争はとんとねえですし、税も長く変わってねえですから」
「ああ、でも、飯を食うのにはちょっと金がかかるなと思います」
続いて発言した農民の男が、皆の視線を集める。
「いいよ。大丈夫、怒らないからそのまま話を聞かせて」
注目されて委縮してしまった男にスレインが優しく声をかけると、男はまた話し始める。
「……今年の麦も十分に豊作だったんですが、粉を引く水車小屋やパン焼き窯の利用料は、昔と比べたら少し高えです。麦を売って金に換えるときは高く買ってもらえますが、そういう出費のせいで打ち消されて、結局変わらねえです」
「確かに。パン屋で売ってるパンの値段、あたしが若い頃より少し上がったまま下がらないね」
「野菜や肉の値段も、昔よりちょっと高いよな。昔と全然変わらないのは塩くらいか?」
農民の男の発言をきっかけに、臣民たちは互いに話し始める。
やはり食事にかかる費用が高くなっているのか、とスレインは内心で思った。
王領の食料自給率が低下した分、不足する食料は領外から輸入されているが、その価格には輸送費が上乗せされる。その結果、王領全体でどうしても食料品の価格は少し上がる。
臣民たちの反応を見る限り深刻な問題にはなっていないようだが、食事は人間が生きる上で欠かせないものである以上、早く改善できるに越したことはない。
「皆、有用な意見を聞かせてくれてありがとう。感謝するよ」
「そんな、王太子様がお礼なんて」
「滅相もないです」
スレインが感謝を伝えると、臣民たちは揃って恐縮した。
いかにスレインが優しさを見せていても、許される限度を越えて馴れ馴れしい態度をとるような者はいない。
スレインの周囲はヴィクトルや近衛兵たちが囲んでおり、彼らは隙のない姿勢と鋭い視線で警戒を保っている。彼らが睨みを利かせる前で、罰しなければいけないような勘違いをする者は今のところ出ていない。
精強な近衛兵団に囲まれることで立場と身分を示しつつ、しかしスレイン個人は優しさや親しみやすさを見せる。意図的にこのような構図を作ることで、臣民との交流と、王太子としての格の顕示を両立している。
「――それじゃあ、僕はそろそろ王城に帰るよ。今日は楽しかった」
その後もしばらく臣民たちと語らい、スレインは今日の交流を切り上げた。
次に王都へと出てくる日は告知もされない。警備上の理由もあり、スレインがいつどこで臣民たちと交流するかは臣民たちには知らされない。
・・・・・・・
馬車で王城に帰り、城館の中に入ると、そこで偶然セルゲイと鉢合わせする。
「……お帰りなさいませ、王太子殿下。本日も『臣民との交流』ですかな?」
分かりやすく渋い表情で尋ねてくるセルゲイに、スレインは苦笑を返した。
「うん。今日も臣民たちと色々話してきたよ。特に問題も起きなかった」
王都に出て臣民たちと交流したいとスレインが最初に提案したとき、当然ながらセルゲイは難色を示した。
その理由は、スレインの次期国王としての権威性が崩れるのではないかという懸念。そして、唯一の王族であるスレインを王城の外へと頻繁に出すことによる、安全面の懸念。
なのでスレインは、セルゲイの懸念を払拭するために、近衛兵団による示威的な警護を付けることを自ら提案した。スレインが優しさと親しみやすさをもって臣民に接しても、重武装の近衛兵団による厳しい警護体制が王家の権威と王太子の安全を守ると語った。
そして、自分は臣民たちの前で次期国王としての分別を間違えるような馬鹿ではないと、セルゲイを説得した。スレインが少なくとも馬鹿ではないことは、これまでに証明されている。
さらに駄目押しとして、スレインは民に優しい国王として知られた第二代国王、すなわち自身の曽祖父の例を出し、平民上がりの自分は彼のような国王を目指したいと語った。
スレインが臣民を畏怖させるような国王にはおそらくなり得ないと理解している上に、偉大な前例を出されたセルゲイは、スレインの考えに理を認めるしかなかった。
結果、セルゲイもスレインが臣民たちと交流することを許した。一度でもスレインの身に危険が及んだり、副官モニカや護衛のヴィクトルから見てスレインが臣民たちとの距離感を割りすぎていると思われる言動があったりすれば、以後は交流を止めるという条件付きで。
「ベーレンドルフ卿、どうだ?」
「王太子殿下の仰る通り、警備面も殿下のお立ち回りも、共に問題はありませんでした」
セルゲイに確認されたヴィクトルが、そう即答する。モニカはいつもスレイン寄りの発言をすることが既に知られているので、セルゲイから何も聞かれない。
「……ならば結構。殿下、くれぐれもご無理はなさいませんよう」
心配というよりは警告に近い声色で言ったセルゲイに、スレインは苦笑の表情のまま頷く。セルゲイも別に意地悪で言っているわけではなく、現実的な進言をするのが彼の役割であることは、スレインも理解している。
「分かってるよ。せっかく交流の効果も出てきてるから、今後も無理はしない」
王都ユーゼルハイムの人口はおよそ五千人。スレインが王都に出て臣民たちと交流したのはこれまで十回弱。一度の交流で十人よりやや多い臣民と直接言葉を交わしているので、これまでに百人ほどと交流できたことになる。
彼らが周囲の者にスレインの印象を語り広めてくれたので、スレインが民に優しい王太子であることは既にほとんどの王都住民に知られている。この事実はジャガイモの普及はもちろん、王家が今後行う様々な施策においてプラスに働くだろう。
そして、スレインの内面にも良い効果が表れている。
王太子としての立場から接する臣民たちは可愛い。自分を「王太子様」「王太子殿下」と呼びながら寄ってくる彼らは、老若男女問わず、慈愛を注ぐべき存在なのだと思えてくる。
亡き父が臣下の誰からも「良き国王だった」と言われるほどに、国王としての仕事に励んでいた理由が今なら理解できる。
国王とは国の父であり、すなわち臣民たちの父だ。まだ十五歳の自分でさえ、次期国王という立場に半年以上もいると、そんな感覚がだんだんと芽生えてくる。
この道でいい。このまま進み続ければいいのだと、スレインの心の中に自信が育っている。
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