第22話 故郷と友人

 六月の麦の収穫時期が終わり、慌ただしかった王国社会が落ち着きを取り戻した七月。スレインは久しぶりに王城を出て、遠出をしていた。

 スレインの一行が入ったのは、王都ユーゼルハイムと南の国境とを結ぶ街道上にある、人口千二百人ほどの都市ルトワーレ。すなわち、スレインの生まれ育った街だ。


「王太子殿下。到着いたしました」


 馬車が停車し、外から近衛兵団長ヴィクトルの声がかかった。

 モニカが馬車の扉を開けて先に下車し、扉を支えてくれる。ヴィクトルと近衛兵たちが護衛として馬車を囲む中で、スレインはルトワーレの地に降りる。


「皆ありがとう、ご苦労さま」


 スレインは護衛の面々を労いつつ、ルトワーレの街並みに視線を移し、深く呼吸する。自分が生まれてからおよそ半年前まで、ほぼ全ての時間を過ごした都市の空気を肌で感じる。


「いかがでしょう殿下。やはり懐かしく思われますか?」


「……うん。なんだかほっとする」


 かつてないほどの深い懐かしさを覚えながら、スレインはモニカに答えた。

 スレインが馬車を停めさせたのは、当時の自宅近く。この辺りは平民だった頃の自分がまさに歩き、眺めていた場所だ。

 子供の頃に駆けまわった路地や川辺。春に花を、秋に紅葉を見せてくれた大きな木。都市の中心街へと続く通り。全てが懐かしい。


「だけど、昔と同じままとはいかないね」


 スレインは苦笑交じりに言って、周囲を見回す。

 今日のルトワーレ来訪はあくまで私的なもの。警備上の理由で、王太子がここへ来ることは事前に知らされていない。白昼にいきなり王家の馬車とそれを囲む護衛が登場したので、近くにいた住民たちが寄ってきて、周囲はちょっとした騒ぎになっている。


「おい、あれって新しい王太子様か?」


「どうしてこんなところに……」


「今の王太子様は元平民で、この街の出身なんだろう? それでこの街に来たんじゃないか?」


「あれだろ、街はずれに暮らしてた写本家の息子なんだろ?」


「これが近衛兵団か。近くで見るのは初めてだな……」


 集まっている住民は、現時点で十数人。さすがに王太子の近くまで近寄ってくるような者はいないが、皆あれこれ話しながら遠巻きにスレインの方を見ている。


「やはりと言いますか、我々は目立っているようですね」


「まあ、王領内の都市とはいえ、王家の一行が来訪することなんて滅多になかったからね。ルトワーレは」


 スレインとモニカがそう話す間にも、集まる住民の数は増える。

 母は街はずれの家に籠って淡々と仕事をしており、スレインもそれを手伝っていたので、故郷であるこの街にも知り合いは多くない。隣近所の人々も、スレインの数少ない友人たちも、昼間は中心街の方へ仕事に出ているはずだ。

 なので、周囲を見回しても知った顔は見えない。今集まっている住民は、偶然にここを通りがかっただけの者や、単に興味本位で寄ってきた者だ。


「殿下。よろしければ周囲から人払いをさせますが」


「いや、そこまではいいよ。彼らの生活を邪魔したら悪いし……そんなに長くいるつもりもないからね」


 ヴィクトルの進言に、スレインは首を横に振った。

 王太子になってから半年近く勉学と執務に集中していたスレインは、モニカの提案とセルゲイの許可を受けて、王家の保養地である王領はずれの温泉に向かうことにした。ルトワーレに立ち寄ったのはそのついでだ。少し懐かしさに浸ったら、すぐに出発する予定だった。


「……あ」


 そのとき、スレインは集まった住民たちの中に、よく知る顔を一人見つけた。相手もスレインの方を驚いた表情で見ていた。

 スレインの幼馴染である、エルヴィンだった。


・・・・・・・


「ははは、うちの汚い居間に、まさか王太子殿下をお招きする日が来るなんてな。後でお袋が知ったら腰を抜かすだろうな」


 ヴィクトルに頼んでエルヴィンを近くまで呼び寄せたスレインは、彼と少し話し、そのまま休憩がてらにお茶をすることにした。

 スレインのかつての住居には家具も何も残っていないので、お茶休憩に使うのは、スレインも何度も招かれたことのあるエルヴィンの自宅だ。


「よかったね。貴重な経験ができて。僕のおかげだ」


「何だよ偉そうに……って、実際偉いのか。王太子になったのがお前じゃなかったらマジであり得ねえ状況だな……おっと、王太子殿下に『お前』はさすがに不敬だったか?」


 居間のテーブルの上や椅子の周りをどたばたと片づけるエルヴィンは、スレインの傍らに立つモニカやヴィクトルの顔色を伺いながら言った。

 いくら幼馴染と茶飲み話をするだけとはいえ、王太子であるスレインの傍から護衛がいなくなることはない。


「気にしないで。人目のないこういう場では、どう呼んでも大丈夫だから……外で僕が近くに呼び寄せたとき、ちゃんと平伏して『王太子殿下』って呼べたのは偉かったね」


「おいおい、これでも一応は商人だぜ? 個人的な関係と、公的な立場での口調を使い分けるくらいはできるに決まってんだろ」


 スレインが軽口をたたくと、エルヴィンは自慢気な笑顔を見せた。

 野次馬の中から呼び寄せられたエルヴィンが、スレインの前で膝をついて「お呼びでしょうか、王太子殿下」と答えたとき、スレインは衝撃を受けた。幼い頃から一緒に遊んだ彼も、もう自分に気安く話しかけてくれることはないのかと思い、呆然とした。

 今こうして昔のように、敬語もなく彼と話せるのは、スレインにとってたまらなく嬉しかった。こうした気安い会話をこれほど楽しいと感じるとは、半年前までは思ってもみなかった。


「それで、王太子様。調子はどうだ? 元気にしてたか? ちゃんと飯……は食ってるに決まってるよな。俺よりよっぽど良いものを」


「あはは、それは違いないね……まあ、新しい生活にも慣れたよ。未熟な見習い王太子の身だけど、臣下の皆が色々と支えて教えてくれるし」


「そっか。臣下の皆、か……お前、本当に王族になったんだな」


 椅子に座ったスレインの前に、エルヴィンがお茶のカップを置く。

 スレインがお茶に口をつけようとすると、モニカがそれを制した。「毒味です」と言った彼女は、スレインが口をつけるであろうカップの縁とは反対側に口をつけ、一口飲み、味や匂い、自身の身体に異常がないことを確認した上でテーブルにカップを戻した。

 王城の外では、毒味をしてもらわなければスレインは何も口にできない。それがたとえ友人の淹れてくれたお茶でも。そんな事実を前に、テーブルの向かいに座るエルヴィンとの距離がひどく遠く感じる。

 一方のエルヴィンは、自分の淹れたお茶が毒味される様を見ても、努めて無反応でいてくれた。


「……僕が王城に連れていかれた後、近所の人たちはどうだった?」


「けっこうでかい騒ぎになったぜ。夜中にお前んちの前に騎兵が何人もいたって噂になって、お前に話を聞こうと思ったらどこにもいなかったからな。俺も皆もわけが分かんなかったよ」


「あははっ、そうだよね」


 大仰な身振りを交えて話すエルヴィンに、スレインは小さく笑う。


「そんでさ、その何日か後に王国軍の鎧を着た兵士たちがお前の家から家財を運び出してて、兵士の隊長みたいな人がわざわざ家まで来て、わけがあってお前が王城にいるって教えてくれてさ。それから一週間くらい後だったか? 平民から新しい王太子が立てられて、その名前がスレインだって布告が出されて……そりゃあもう驚いたよな」


 そう言いながら、エルヴィンは苦笑する。スレインも同じ表情になる。

 生家から荷物を王城へと移す際、近隣の人たち、特にエルヴィンには自分が無事であることを話してくれるよう頼んでいた。当時は王族が尽く死亡したことが公表される前だったので、詳しい事情までは明かせなかったが。


「正直言って半信半疑だったけど、国葬の日にはさすがに信じるしかなかったよ。俺も王都まで国葬を見に行って、お前が王族の方々の棺と一緒に王都内を練り歩いてるのを見た。ほんの一瞬しか見えなかったけど、さすがに俺がお前を他人と見間違えることはねえから……」


「へえ、あの中にエルヴィンもいたんだ」


 お茶に口をつけながら、スレインは呟いた。

 国葬を行った当時はまだ自身の立場に翻弄されていて、教会から王城まで移動するときは、臣下や護衛の兵士たちの陰に隠れるようにして歩いた。民衆の中にエルヴィンがいたことに、全く気づいていなかった。


「実際にお前が王太子になってるのを見たらさ、またビビったよな」


「分かるよ。最初は自分でも驚いたから。いきなり王城に連れていかれて、出自を明かされて、次期国王になってくれって言われてさ。話についていけなかったよ」


「そっか。お前、自分でも知らずに育ったんだよな。お前がお袋さんの腹の中にいるときに親父さんは死んじまったって、いつも言ってたもんな」


「そうそう。まさかその父さんが生きてて、しかも国王陛下だったなんてね」


「それじゃあ子供の頃の俺は、国王陛下の息子を喧嘩や遊びでぶん殴ってたことになんのか」


「あはは、そう考えると凄いね、エルヴィン。一生の自慢話になるよ」


 それから少しの間、スレインとエルヴィンはたわいもない昔話に興じる。


「――それでさ、スレイン。王太子の仕事って大変なのか? 何をするのか想像もつかねえけど」


「んー……大変じゃないとは、とても言えないかな」


「はははっ! そりゃあそうだよな」


 首をかしげなら微苦笑したスレインを見て、エルヴィンは声を上げて笑った。


「仕事って言っても、僕は王族としての教育を何も受けずに王太子になった身だからね。まだ色々と勉強しながら少しずつ執務に慣れていってる感じかな。あと、身体も少しずつ鍛えたりして」


「なるほどなぁ。まあ、勉強とか執務? の方はお前なら上手いことやれるんだろうな。お前、昔から頭よかったから……身体を鍛える方は苦労してそうだけどな。喧嘩も弱かったし」


「悔しいけど、当たってるね」


 図星を突かれて、スレインの苦笑が大きくなる。さすがに体力は多少ついたが、武器を握って戦うことに関しては一生活躍できそうもない凡才であることは変わっていない。 


「あとは……次期国王としての求心力かな、必要なのは。僕は平民として育ったし、見た目もこんな感じだから。人を惹きつける国王になるためにもっと頑張らないと」


 スレインが亡き国王フレードリクの息子だからという理由で献身的に支えてくれるのは、王家に直接仕える法衣貴族や昔からの使用人、王家に雇われる官僚や兵士だけだ。領主貴族や臣民の心は、自らの実力で掴んでいかなければならない。

 目下の悩みとしては、ジャガイモの実験的な栽培が成功した後に、あれを主食用の作物として王領の民にどうやって受け入れてもらうか。国王としてどのように栽培を奨励し、推し進めていくべきか、妙案がなかなか思いつかずにいる。

 民の信頼を得るには実績が必要で、ジャガイモの普及を成功させて実績とするには民の信頼が必要。なんとも歯がゆい状況に陥っている。

 ジャガイモの普及計画は一応は国家事業なので、一平民であるエルヴィンにそこまで詳しい話はできないが。


「そっか、そういうことも考えねえといけねえのか……まあ、大丈夫なんじゃねえの? 少なくとも俺から見たら、お前は親しみやすくていい王太子様に見えるよ。何せ元平民だからな。俺たちみたいな下々の人間の気持ちも分かってくれそうだ」


 冗談めかして言ったエルヴィンのその言葉に――スレインは突破口を見出した気がした。


「……元平民の王太子、か」


 確かにそれは、おそらく自分しか持ち得ない強みだ。平民の気持ちを理解できることを示せば、それだけでも民の信頼を得るひとつの実績となり得る。

 今までセルゲイをはじめとした臣下たちの話を聞いて、スレインは自分もフレードリクやミカエルを目標とし、威厳を感じさせる存在にならなければならないと思っていた。

 しかし、人を惹きつけるのは何も威厳だけではない。優しさや親しみやすさをもって支持を得るのも為政者のひとつの在り方だ。スレインがかつて読んだ書物にはそういう王や貴族の話も出てきたし、過去のハーゼンヴェリア王の一人――スレインの曾祖父にあたる二代目国王も、どちらかというとそのような気質を持った人物だったと学んだ。


「エルヴィン、ありがとう。君のおかげで上手くいくかもしれない」


「んっ? おう。よく分かんねえけど、上手くいくといいな」


・・・・・・・


 エルヴィンとはまた何らかのかたちで再会することを約束し、母の友人でもあった彼の母によろしく伝えてくれるよう頼み、スレインは彼の家を出る。あまりここに長居もできない。


「それでは殿下、これより予定通り保養地に向かうということでよろしいでしょうか?」


「そうだね……ああ、二泊の予定だったけど、一泊だけして帰ろうかな。ちょっと試してみたいことができたから、早めに執務に復帰したい」


 スレインが言うと、モニカは優しい表情で頷いた。


「かしこまりました。それではそのように手配いたします」

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