第21話 イモ

 そう言ってベンヤミンが掲げたのは、握りこぶしほどの大きさの、丸い奇妙な作物だった。


「これの名前はジャガイモ。私どもが入手したのは大陸西部の南にある島国スタリアですが、原産地は南の海の先、アトゥーカ大陸。その山岳地帯だそうです。ここ二十年ほどでスタリアに伝わり、定着したと、現地商人からは聞いております……主食として食べられることもあるそうです」


 最後の部分を聞いて、スレインはハッとした表情になる。他の者も驚きを表す。

 ベンヤミンの説明によると、ジャガイモは植物の茎にあたる部分が膨らんで可食部となった作物で、原産地となるアトゥーカ大陸の山岳地帯では、麦よりも普遍的な主食であるという。

 栽培方法は、麦と比べて至極簡単。数週間ほど日に当てるとジャガイモ自体から芽が出てくるので、それを適当に切って植えると芽が伸び、新たなジャガイモが育つ。一つのジャガイモから育つのはおよそ二十から三十。収穫率は麦の二、三倍になる。

 栽培のしやすさも魅力で、およそ農地とは呼べない、荒れ地に近い土に植えても育つ。山岳地帯が原産なので乾燥や寒さにも強い。おまけに、作付けから収穫までは四か月ほど。麦の半分の期間で済む。

 さらに、食すまでの加工の手間も少ない。焼くなり茹でるなり、皮のまま火を通せばそれで食べられる。

 惜しむらくは、長期保存が利かないのが難点。麦が年単位で保存できるのに対して、水分を多く含むジャガイモは冷暗所に保管してもせいぜい三か月しかもたないという。


「凄いね、ただ見つけて持ってくるだけじゃなくて、そこまで詳しく調べてくれてるなんて」


「ご依頼主にお渡しする品物について、できる限り知っておくのも商人の務めにございます」


 ベンヤミンはそう言うと、ねっとりした笑みを浮かべてお辞儀をする。


「……これ、どうかな? 食料自給率の改善に使えるんじゃない?」


 スレインがセルゲイとワルターの方を振り向くと、しばし考える表情を見せた後にセルゲイが口を開く。


「ベンヤミン商会長の言った話が本当であれば、非常に有用な作物です。我が国での栽培が可能だと確認できれば、麦の補助的な主食として栽培し、王領の食料自給率を高めることも叶うかもしれません……そう見込めるな、アドラスヘルム卿?」


「仰る通りかと思います。ひとまずは、王城内の農地や空き地で実験的に栽培してみるのが良いでしょう。ベンヤミン殿の話を聞いたところ大丈夫かとは思いますが、ハーゼンヴェリア王国の土地で問題なく育つことが確認できたら、来年より王家直轄の農地や王都周辺の農地へと栽培を広げて効果を見るのが良いかと」


 話を振られたワルターも頷く。

 彼ら二人が前向きな反応を示した。自分の提案から始まった試みが、本当に明確な成果を挙げるかもしれない。そう考えたスレインは笑みをこらえきれなかった。


「殿下、喜ぶのはまだ早いでしょう」


 そんなスレインに釘を刺すように、セルゲイが鋭い声を発する。


「このジャガイモという作物が、ハーゼンヴェリア王国でも異国と同じように育つかは、栽培してみるまで分かりません。仮に栽培が上手くいくとして……これを新たな主食として民に受け入れさせるのは容易ではないでしょう。この見た目をご覧ください。殿下はこれを植えて主食にしろと言われ、民が喜んで従うと思いますかな?」


 セルゲイが指したのは、二つ並べられたジャガイモのうちの片方。変色して芽が出ているものだった。

 収穫直後のジャガイモは黄色っぽい色をしていて、冷暗所で保管することでその見た目を数か月は保つ。しかし、栽培するにあたっては、数週間ほど日に当て、芽を出させる必要がある。それがベンヤミンの説明だった。

 芽が出る前のジャガイモはまだいい。豆や根菜などでこのような見た目の作物はある。だが、芽が出た後のジャガイモの見た目はよくない。全体が緑色に変色して四方に芽が伸びた様子は、はっきり言って禍々しい。

 自分が農民だったとして、ある日これを手渡され、農地に植え、育ったものを主食にしろと言われたら強い反感を覚えるだろう。栽培を奨励すると言われても避けるだろうし、必ず植えろと強制されたら王家に不信感を抱く。王家が不安定な今、民の不信を買うのは致命的だ。


「民は大きな変化を嫌います。主食という、生活の根幹に繋がる事柄なら殊更に保守的です。ジャガイモの栽培が成功し、期待通りの効果を上げる見込みがあったとして、それを社会に普及させるには大きな困難を伴うでしょう。その困難を乗り越えるところまで成し遂げて、それで初めて殿下は改革を成し遂げたと誇ることを許されます。まだ事は始まったばかりです」


「……そうだね。君の言う通りだ」


 まだ喜ぶな。容赦なく語るセルゲイに、スレインは微苦笑で答えた。


「まだ事は始まったばかり。だけど第一歩は刻んだ。だから次の一歩を刻もう……ワルター・アドラスヘルム男爵。王城の敷地内での実験的な栽培、その実務については任せていいかな? せっかくだから、他に見つかった三つの作物も栽培してみてほしい」


 スレインが尋ねると、ワルターは一瞬虚を突かれたような表情になり、そして頷く。


「……お任せください、殿下」


「ありがとう。ジャガイモの栽培が成功した後、民にこれを受け入れさせる方法については……じっくり考える。時間はあるからね。セルゲイ、ひとまずそれでどうかな?」


 今までとは違う、自信を含んだスレインの言動に呆気にとられながらも、セルゲイは最終的には頷いた。


「よろしいかと」


「分かった、じゃあそういうことで進めよう……ベンヤミン。今日はありがとう。王太子として、今回の君の働きに感謝するよ」


 スレインは有能な御用商人の方を向いた。王太子の雰囲気が以前から変わったことに、ベンヤミンもやはり驚いた表情を見せていた。


「滅相もございません。殿下のお役に立てましたこと、恐悦至極に存じます」


 さすがは手練れの商人と言うべきか、ベンヤミンはすぐに表情から驚きを隠して笑みを浮かべると、丁寧に礼をして謁見の間を退室していった。この後、彼には別室で王家の文官より十分な額の報酬が払われる。


「後は……僕が出る幕はないね。皆、今後の詳細な実務は頼んだよ」


「……はっ」


 代表してセルゲイが答え、エレーナとワルターは無言で頭を下げた。


・・・・・・・


 モニカを伴ってスレインが謁見の間を去った後、ワルターが口を開いた。


「まさかこれほど順調に、有用そうな作物が見つかるとは……殿下は発想力をお持ちであるだけでなく、運も持っておられますな」


「時には運が一国の存亡を左右することもありますからね。これも次期国王として素晴らしい資質ではないでしょうか?」


 ため息交じりのワルターの言葉に、エレーナがクスクスと艶やかな笑みを零しながら返した。


「私は農業の専門家じゃありませんけど、話を聞いた限り、上手くいきそうではなくて?」


「ええ、おそらくは。栽培が成功すれば、民に受け入れさせるのは単なる時間の問題です。ある程度の期間は要するでしょうが、じっくりと進めれば――」


「そうだ、時間がかかる。だから時間をかけて結果が出るまでは、私が殿下をお褒めすることはできない」


 エレーナとワルターの会話に、セルゲイが硬い声色で口を挟む。彼のあからさまに頑なな態度を受けて、二人は苦笑を見せた。


「相変わらずと言いますか、閣下は徹底されておられますね」


「当たり前だ。徹底的に現実を見ることが王国宰相の職務なのだからな。為政者は導き出した現実の結果が全て……真に結果を示していただくまで、私は態度を和らげることはない」


 セルゲイは中空を睨むようにしながら、低い声でエレーナに答える。

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