第20話 殿下の努力

 六月。空気が少しずつ夏らしくなり、農地では麦の収穫が始まったこの時期。スレインは王城に隣接した王国軍本部の訓練場で、懸命に走っていた。


「貴様ら! 相手が王太子殿下だからといって手加減するのは失礼にあたる! 遠慮なく追い抜いて差し上げろ! 王国軍の精強さをお見せすることこそが殿下への敬意である!」


「「「おおっ!」」」


 王太子が訓練に参加するということもあり、直々に教官役を務めている将軍ジークハルト・フォーゲル伯爵が吠える。それに声を揃えて応えた三十人ほどの兵士たちが、次々にスレインを追い抜いて走り去っていく。

 王国軍三個大隊三百人のうち、王都には常に一個大隊が常駐している。そのうち六十余人、二個中隊が王都の警備や治安維持に当たり、残る一個中隊三十余人が訓練を行うのが定例。スレインは共に走る三十余人の全員に追い抜かれ、周回遅れとなる。

 彼らは数年、軍歴の長いものでは十年以上も鍛え続けてきた職業軍人。元が貧弱で、身体を鍛え始めてまだ数か月のスレインが敵うわけがない。


「は、速……」


 兵士たちの精強さを見て呟きながらも、スレインは足を止めない。

 最終的には兵士たちより三周遅れで、最後は徒歩と大差ない速度になりながら、それでもモニカと兵士たちに励まされながら、何とか予定距離を走り終えた。


「殿下、お見事です。お疲れさまでした」


 足元をふらつかせるスレインを受け止めたモニカが、スレインに水の入った革袋を手渡す。革袋に口をつけるスレインの髪や顔、腕の汗を清潔なタオルで優しく拭う。

 水分を補給し、汗を拭いてもらったスレインは、その場に座り込んだ。それを、各々薄いタオルやハンカチ、なかには適当な布の切れ端で汗を拭きながら兵士たちが囲んだ。


「いやー、まだ三回目なのにあの距離を走りきるとは、殿下は根性をお持ちでおいでだ」


「だな。都市部出身の新兵なんかだと、途中で音を上げる奴もいるってえのに」


「……これでも、近いうちに、国王に、なる身だから……これくらいは、やってみせなきゃ」


 息を切らしながらも殊勝な言葉を吐き、無理やり笑みを浮かべて見せたスレインに、兵士たちがどっと笑った。


「こりゃあなんとも頼もしいですね」


「ああ、殿下がこうして気合いを見せておられるんだから、俺達も軍務に気合いが入る」


「これで後は、俺たちも走り終わったときに美人の副官に世話してもらえたら、言うことなしなんだが――」


「グレゴリー、馬鹿か貴様は! たかが中隊長のくせに副官が欲しいだと!? 欲しければ功績を上げて大隊長まで出世して見せろ! 殿下の前で見苦しいぞ!」


 軽口を叩いたのは、この第一大隊第三中隊の隊長を務める騎士グレゴリー。三十代後半の、あまり上品ではないが陽気で好印象な男。その軽口が終わらないうちに、ジークハルトが鋭く彼の頭を引っ叩いた。


「いってえ!?」


「はははっ! また中隊長がやらかした!」


「そんなんだから大隊長にもなれないし、近衛兵団への異動も叶わないんすよ、万年中隊長」


 自分たちの上官を遠慮なく笑い飛ばす兵士たちと一緒に、スレインも笑った。モニカもくすくすと上品に笑い、グレゴリーを叱ったジークハルトも、結局は苦笑を見せている。

 おそらくはジークハルトや兵士たちの配慮もあるが、スレインはこうして自分に仕える者たちと一緒にいても、居心地の悪さは感じない。


・・・・・・・


 走り込みを終えたスレインはモニカと共に王城に戻り、使用人たちに出迎えられる。


「「「お帰りなさいませ、王太子殿下」」」


 この王城の主、今この国にたった一人しかいない王族の帰宅だ。手近にいた数人のメイドが、声を揃えてスレインに頭を下げる。


「ただいま、ありがとう……今日はね、ついに兵士たちと一緒に最後まで走り切ったよ」


「まあ、それは素晴らしいですわ」


「いつも中庭で鍛えておられた成果ですね、殿下」


「お風呂のご用意ができております。お夕食の前に、どうぞ汗をお流しくださいませ」


 スレインの報告を聞いたメイドたちは、笑顔を見せながら口々に言う。

 この数か月で、臣下だけでなく使用人たちの態度もずいぶんと柔らかくなった。それはスレインが中庭で彼らに見えるよう努力を続けていたのはもちろん、積極的に彼らに言葉をかけていたからこそだ。

 庭師には庭の木々や花々について尋ね、料理人には食事が美味しかったとまめに伝え、厩番には馬との触れ合い方を教えてもらい、メイドたちには日々の細やかな仕事への感謝を語る。

 どこからともなく現れた得体の知れない平民上がりの小僧ではなく、まだ未熟だが現在進行形で努力を重ねる王族見習いとして受け止めてもらえるよう、人間味を見せてきた。

 そうすることで、今がある。まだ頼れる次期国王とは思われていないだろうが「扱いに困る名ばかり王太子」という最底辺の評価からは、おそらく脱した。

 まだ四か月強。それだけの期間で得た成果としては上々だ。スレインは現状にひとまず満足していた。


・・・・・・・


 六月の下旬に入ってすぐ、周辺の国々から集めた作物が届けられたと、スレインのもとに報告が入った。

 それを受けて、スレインはより詳細な報告を受ける場を用意。自身とモニカの他に、王国宰相セルゲイと農業長官ワルターを同席させ、謁見の間に入った。


「それでは殿下。これより報告をさせていただきます……とはいえ、今回の功労者は私ではなく、御用商人ベンヤミン殿です。詳細は彼に説明してもらいます」


 異国から作物を集めるのは、仕事としては外務の担当分野。名目上の責任者として報告の場に立つ外務長官エレーナは、そう言ってすぐに話し手の立場を譲る。

 譲られて一歩前に進み出たのは――ハーゼンヴェリア王家の御用商人、エリクセン商会の商会長ベンヤミン・エリクセンだ。


「王太子殿下、ご機嫌麗しゅうございます」


 そう挨拶をしながら恭しく頭を下げるベンヤミンは、四十代半ばの中年男性。今まで何度か顔を合わせたことのあるこの御用商人に、スレインは少し苦手意識を感じていた。

 その理由は、彼の見た目にある。

 まず、ベンヤミンは太っている。王家の御用商人ともなればこの国の平民で五指に入る裕福さを誇るので、普段から良いものを食べているのだろう。顎の肉がたるみ、首は見えない。腹はでっぷりと突き出ていて、肉のついた腕はおそらくスレインの太ももより太い。

 それだけなら、別に全く悪いことではない。肥満は富の象徴だとする考え方もあるので、健康を害しないのであればどれだけ太ろうと本人の自由だ。

 しかし、彼はこの体形に加えて、表情が独特だ。

 商人だけあっていつも笑顔を浮かべているが、顔が大きく目が細く、暑がりなのか額によく汗を浮かべているので、その笑顔は何とも、ねっとりしている。

 そして、本人の仕草の癖なのか、よく揉み手をしている。

 それら、体形と顔立ちと表情と仕草が合わさった結果――彼はまるで、物語に出てくる典型的な強欲悪徳商人のような迫力を醸し出していた。

 もちろん、彼が実際に強欲で悪徳だというわけではない。御用商人として有能だと、臣下たちは口を揃えて(自他に厳しいセルゲイでさえも)語っているので、スレインが疑う余地もなく信頼できる臣民であることに違いはない。

 ただ、こうして久しぶりに会うと、その迫力にやはり少し身構えてしまう。


「久しぶり。今回は苦労をかけたね。色々とご苦労さま」


 笑みをわずかに硬くしながらスレインが労いの言葉をかけると、ベンヤミンは顎肉をぶるんぶるんと震わせながら首を横に振る。


「いえいえそんな。他ならぬハーゼンヴェリア王家よりのご依頼、それも殿下よりいただく初めてのご指示となれば、お受けさせていただくのは御用商人の誉れにございます……では早速ですが、周辺国家より集めた作物についてご説明させていただきます」


 揉み手をしながら答えたベンヤミンは、同行させている商会員たちに命じて、荷車から作物を出させる。

 今回調べさせたのは、サレスタキア大陸西部の中でも特にハーゼンヴェリア王国から遠く、今まで交流が極めて少なかった西側や南側。さらに、大陸西部の南の海に浮かぶ島国。そして、ハーゼンヴェリア王国が接するガレド大帝国の西側地域。

 それらの地域で普及しており、しかしハーゼンヴェリア王国ではほとんど知られていない作物のうち、明らかに今回の目的に適さないものを除いた作物が、合計で四種類発見されたという。


 そのうち三つまでは、これといって注目すべきものはなかった。

 一つ目は、一粒が親指ほどの大きさの白い豆類。腹持ちはして栄養もあるが、王国内で栽培されている豆と収穫効率や栽培期間が大差ないという。この国の土で育つのならば別に栽培してもいいが、王領の食料自給率改善には繋がらない。

 二つ目は、やや赤っぽくて横に平たい、玉ねぎの亜種のような野菜。これも味は悪くなく、栽培すれば珍しい食材として多少の経済効果を生むかもしれないが、王家が気合いを入れて栽培するほどではないという。

 三つめは、丸っこい根と細長い葉を持つ野菜。大陸西部の西端の方で栽培されているもので、名を「甜菜」と言うらしかった。しかし、その用途は葉が野菜として、根が貧民の食料や家畜の飼料として用いられているだけだという。ここまで紹介された中で一番魅力がなかった。


「……どれも価値がないとは言わないが、いまいちだな」


 この場にいる者たちの総意を、遠慮なく呟いたのはセルゲイだ。

 やはりそう簡単に、食料自給率の改善に繋がるような作物など見つからないのだ。この試みの発案者であるスレインも、内心で諦めを抱く。

 一方で、作物の説明をしているベンヤミンは、むしろ逆に笑みを深めた。傍から見たらとんでもない悪巧みでもしているかのような表情になる。


「それでは、最後の作物についてご説明させていただきます」


 そう言ってベンヤミンが掲げたのは、握りこぶしほどの大きさの、丸い奇妙な作物だった。

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