第18話 憎まれ役

「……まさか、あの王太子殿下からこのような提案が出てくるとはな」


 ワルターと二人になったセルゲイは、渋い表情で言った。


「殿下には失礼ながら、正直驚きましたな。長年にわたって国政に取り組んできた我々でも思いつかない発想を、一平民から王太子となったばかりのあの方が……」


 それに、ワルターは小さく息を吐きながら答えた。

 主要作物として、日々の主食として麦を育てる。それは「太陽は毎朝昇る」「冬の次は春が来る」といったことと同じほどに不動の事実だと、この国の人間ならば考える。自分の父母の代も、祖父母の代も、毎年麦を育てて主食としてきたのだから当然の話だ。

 頭の中に、社会の中に何代にもわたって刻まれてきた常識は、そう簡単には変わらない。常識を大きく外れた発想ができる者はそうはいない。

 しかし、スレインは常識という壁を、たった一つの思いつきで越えてみせた。もしかしたら王国社会を大きく改革するかもしれない道筋を見出した。驚くべきことであるし、感心し評価するべきことだ。


「殿下の仰ったように、何か有用な作物が見つかると思うか?」


「さて、どうでしょうか……個人的な予想では、可能性は一、二割といったところかと」


 サレスタキア大陸西部は、かつて大きな一つの国だった。それが分裂し、動乱の末に二十二の小国へとまとまった結果、国家間の人の往来は減った。大きいとはいえ同じ国の中を移動するのと、いくつもの国をまたぐように移動するのでは、物理的にも心理的にも困難の度合いが違う。

 大陸西部の北東端に位置するハーゼンヴェリア王国から、近隣の国へと外交官や商人が行くことはあっても、それよりさらに遠い国まで行くことは少ない。

 人の行き来が減ったことで、ものや文化の行き来も減った。宝石や金属、布や陶器や香辛料など価値あるものは今も交易によって各国を行き交っているが、大勢の庶民が普段から食すような安価な農作物は、わざわざ遠くまで運ばれない。

 サレスタキア大陸西部はこの百年、そんな地域として存在している。

 また、動乱の時代には多くの知識や技術、文化が失われ、途絶えている。今のハーゼンヴェリア王国にとって、いくつもの国をまたいだ向こうにある国々は、普段はほとんど意識すらされない存在だ。それらの国々で特有の作物もまた、この百年の間、特に意識されなかった。

 百年以上前までは今よりも交流のあった地域で、どんな作物が栽培されているのか。この百年でそれらの地域の農業事情はどのように変化したのか。詳しく知る者はこの王国にほぼ皆無だ。

 だからこそ、今まで行ってこなかった「他の国に特有の作物を能動的に探し回る」という試みを行えば、何かしらの作物は見つかるだろう。その中に有用なものが見つかる確率が一、二割というのは、ワルターの勘に近いものだった。


「一、二割か。フレードリク陛下の成し遂げられなかった、食料自給率の改善を早期に成し遂げる可能性として考えると……十分に高いな」


「今のままでは麦の農法発展か人口増をじっと待つしかなかったところ、殿下のご提案が成功すれば、自給率改善を数十年も早められるかもしれないのですからな。驚異的でしょう」


 口元で手を組んで呟くセルゲイに、ため息交じりのワルターが頷いた。


「勉学においての殿下のご聡明さは、殿下の副官を務める娘からも時おり聞いておりますが……やはり殿下はとても賢いお方のようですな」


「……やはり卿も、殿下は賢いと思うか?」


「はい。先ほどのご提案からも分かりますし、娘もしきりにそう話しています。父親の私が言うのも何ですが、あの娘が言うのですから間違いないかと」


 答えるワルターから目を逸らし、セルゲイは考え込む。

 スレインは賢い。その点についてはセルゲイも同意する。

 フレードリクの遺言とはいえ、平民の庶子を王太子にすると決まったとき、セルゲイは悪い意味で覚悟していた。

 アルマの手紙を読んだフレードリクから、庶子スレインが賢く良い子に育っているとは聞いていたが、そんなものは親の贔屓目が入って当然。実際に見るまでは分からない。

 最悪の場合、会話もろくに成り立たない次期国王を戴く可能性も考えていた。そのようなお飾りの国王を戴き、自分たち法衣貴族のみで国政の実務を担い、スレインの次代の王太子が生まれ育つまで国を維持する覚悟を決めていた。

 そんな悪い想像と比較すれば、スレインははるかに上出来だった。臆病で、まだ自信なさげではあるが、自分の立場を受け入れ、良き国王になれるようにと愚直に努力し、臣下たちの言葉も素直に聞き入れている。


 そして何より、頭が良い。驚くべきほどに。


 スレインは最初に王城へと連れてこられた時の言動で、既に頭の回転の速さを垣間見せていた。セルゲイは驚いたし、スレインを連れてきた近衛兵団長ヴィクトルも驚きを示していた。

 国葬の日までの詰め込み教育は、正直言って間に合わないと思っていた。スレインが国葬やその後の社交でへまをする可能性を鑑みて、それをどうカバーするかの手立ても考えていた。しかし、スレインは憶えるべきことを憶え、国葬の一日を無難に乗り越えてみせた。

 その後の勉強でも、スレインは驚異的な成長を見せている。

 彼が王太子となって二か月半が過ぎた。これだけの期間で、歴史に関しては今日の午前中に最終段階まで学び終えたという。写本家の息子として育ち、ある程度の教養を身につけていたことを差し引いても、相当の秀才だ。

 スレインの副官を務めるモニカ。あれは今の法衣貴族の子弟の中でも、ずば抜けて優秀だと評価されている。そのモニカがスレインを賢いと評しているのだ。彼女が手放しで称賛するということも、スレインの賢さを裏付ける根拠のひとつとなっている。

 そして極めつけが、先ほどスレインがセルゲイとワルターに話して見せた提案。あれははっきり言って目から鱗の内容だった。

 言われてみれば、自分たちは何故そんなことを今まで思いつかなかったのかと思うシンプルな提案だ。しかしスレインはそれを思いつき、セルゲイたちは食料自給率の改善を目指し始めたこの数年の間、思いつかなかった。それが全てだ。


 あの理解力、記憶力、そして発想力。それがどこから来ているのか。

 王家の血のなせる業か。フレードリクやミカエルと違って勇ましさや武芸の才能がない代わりに、スレインはその知力に高貴な血の力の全てを注いで生まれたのか。

 あるいは育ちか。スレインの母アルマは写本家で、スレインのこれまでの人生は写本家の息子としてのものだ。幼少期から文字や書物に触れる生活が、あの賢さに繋がったのか。

 もしくは、単に神から与えられた才能か。もとより賢くなることを運命づけられていたのか。


「……確かに賢い。それはもはや否定するまい。だが、それだけでは良き国王にはなれない」


 思考が横道に逸れている。そう感じたセルゲイは、ワルターとの会話に戻る。


「学問が得意でも、それを実社会で活かせない者はいる。殿下の今日のご提案は見事なものだったが、一度だけのまぐれの可能性もある。それにいくら賢さを見せているとはいえ、今のところ国王としての資質は、フレードリク陛下やミカエル前王太子殿下ほどではない」


 セルゲイの言葉を聞いたワルターは苦笑した。


「それは確かに仰る通りですが……スレイン殿下がいかに賢くあられても、さすがにフレードリク陛下やミカエル殿下にはまだ敵いますまい。今のお立場になって三か月と経っていないのです。にもかかわらず、あれだけ頑張っていらっしゃる。それを鑑みて……多少は、殿下のご努力を認める言葉をかけて差し上げてもよろしいのではないかと、個人的には思います」


 ワルターの意見は、セルゲイにも理解できる。いくらなんでも、フレードリクやミカエルと本気で比較するのはスレインに酷だ。

 スレインはおそらく、前王太子ミカエルよりも地頭が良い。

 しかしその代わりに、次期国王として多くの才覚に欠ける。臣下を惹きつけるカリスマ性や、内外に示すべき威厳。ミカエルには早くからあった、そうした才能の片鱗は未だ見えない。

 それでも十分以上に頑張っているのだから、少しは褒めてやれという意見は分かる。

 しかし。


「駄目だ。卿らが殿下を褒め、励ますことは否定しない。むしろ、殿下の御心が挫けないようにするためにもそうして差し上げるべきだろう。だが、私は殿下に甘くしない。これからも殿下を、フレードリク陛下やミカエル殿下と比較する……誰かが徹底的に、酷なほど厳しく当たらなければならないのだ。殿下のご決意にお応えするためにも」


 スレインが無能であったなら、次期国王として必要な才覚を持たない凡才であったなら、セルゲイも彼にこれほどの成長など求めなかった。スレインに子が産まれ、その子を教育して次の国王として擁立するまで、臣下が総出となって、スレインをいつまでも手取り足取り支えてやった。

 しかし、スレインは才覚の片鱗を見せ、今もなお成長を続けている。自ら考え、決定を下し、国を導く真の王になるための努力を続けている。であれば王国宰相として、スレインにより高い能力を求めながら現実を突きつけ、徹底的に厳しく振る舞うのが彼への思いやりだ。

 スレインがフレードリクを、せめてミカエルを超えるまで、決して優しくしてはならない。厳しく当たることで成長させなければならない。嫌われても、恨まれても構わない。

 それが自分の、残り少ない人生で成すべき使命だ。スレインを今後も長く支える若い臣下たちではなく、老いて死にゆく自分こそが憎まれ役を担うべきだ。セルゲイはそう考えている。

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