第16話 筆頭王宮魔導士

 声のした方を振り返ると、そこにいたのは王宮魔導士のブランカだった。


「今のは鍛錬中のちょっとした事故です。殿下に対して不敬ですよ、ブランカさん」


 ブランカのきわどい冗談にスレインがどう答えればいいか分からずにいる一方で、モニカはいつもと何も変わらない、穏やかな微笑をたたえながら言う。


「殿下、お気に障られましたか?」


「あっ、いや、別に……」


「だそうだよモニカ」


「殿下は優しいお方なのでこう仰っていますけど、不敬は不敬です。怒りますよ」


「おお、怖い副官殿だね」


 モニカとブランカは仲が良いようで、互いの口調は気楽なもの。スレインは普段あまり見られないモニカの様子を少し面白く思いながら――ブランカの後ろと肩に目を向けた。


「殿下、こいつらを見るのは初めてでいらっしゃいましたね」


「うん。話には聞いてたけど、凄いね」


「ははは! そうでしょう。あたしの自慢の相棒たちです」


 ブランカの後ろにいるのは、ツノヒグマと呼ばれる魔物。そしてブランカの肩に止まっているのは一羽の鷹だった。

 筆頭王宮魔導士であるブランカは、「使役魔法」という魔法の才を持っている。

 魔法は人間のおよそ三十人に一人が持っている特殊な力で、特定の儀式――エインシオン教を信じる地域においては、十歳で受ける「聖なる祝福」という儀式をもって発露する。スレインも十歳のときにルトワーレの教会で儀式を受けたが、何の才も得られなかった。

 魔法の種類は様々だが、どれほど大きな才を持っているかは個人差が大きい。大抵の者は、魔法を使って生活費を稼ぐのに困らない程度の才しか持たない。

 戦いの場で大きな力を発揮できるような魔法の才を持つ者は、さらに三十人に一人ほど。そうした者は「魔導士」と呼ばれ、王家や貴族家、豪商や豪農の家に好待遇で雇われる。

 ハーゼンヴェリア王家も、戦闘職から技能職まで十数人の王宮魔導士を抱えている。その筆頭であるブランカが有する使役魔法は、その名の通り他の生き物と心を通わせ、使役する力。数ある魔法の中でも珍しいものだ。

 使役魔法使いの中でも彼女の才は一際大きなものだそうで、彼女は強力かつ危険な魔物であるツノヒグマの雄を見事に使役している。それでも余る魔力を用いて、さらに鷹まで従えている。一国の王家の筆頭魔術師にふさわしい実力者だ。


「ほら、アックス、ヴェロニカ。この方が私の新しいご主人様だ。ご挨拶しな」


 ブランカの言葉をそのまま理解しているらしいツノヒグマ――アックスは、スレインの足元に前足をついて頭を下げる。そんなアックスの背に飛び乗った鷹のヴェロニカも、まるで礼をするように姿勢を低くする。

 鷹はともかく、体長三メートルを超えようかというツノヒグマがひれ伏す様を目の当たりにして、スレインは目を丸くした。

 ツノヒグマといえば、遠目に見かけただけでも危険を感じ、目の前で出くわそうものなら死を覚悟するのが当たり前と言われている魔物。

 それがまるで、利口な犬のように大人しくしている。スレインの上半身を一発で千切り飛ばせそうな前足をちょこんと揃え、スレインの胴体ほども大きな頭をぺこりと下げている。


「はははっ、賢いでしょう? 何なら頭を撫でてやっても大丈夫ですよ」


「ほ、ほんとに?」


「はい。ヴェロニカの方は指で優しく。アックスの方は荒っぽく撫でても平気です」


 スレインはまず、ヴェロニカの小さな頭をそっと撫でた。滑らかで繊細な羽毛の感触が指先に伝わる。

 一方でアックスの毛は、硬くごわごわしていた。鉄の剣の斬撃を弾くと言われているツノヒグマの毛皮。それを、当のツノヒグマが生きている状態で触る日が来ようとは、スレインもまさか思わなかった。


「……ありがとう」


 スレインはアックスとヴェロニカに礼を伝えた。一匹と一羽はスレインを上目でじっと見ていた。


「ブランカさん、今日は訓練でこちらに?」


「ああ。近衛兵団の魔物対応訓練に付き合ってたんだよ」


 モニカに答えたブランカは、首を小さく傾げるスレインにもう少し詳しく解説してくれる。

 近衛兵団は王族の護衛が使命。都市外を移動する際に魔物と出くわしたら、たとえそれがどれほど危険な魔物であろうと、戦って護衛対象を守り抜かなければならない。

 対人と対魔物の戦闘術は全く異なる。魔物相手の陣形や攻撃手順を確認する訓練の相手役として、ツノヒグマのアックスは最適なのだとブランカは語った。


「ところで殿下、お勉強や執務だけじゃなく、夕方には武芸の鍛錬までこなされているなんて、頑張っておられるようですね。この一か月、毎日休まずに続けられていると近衛兵団の連中から聞きましたよ。なかなかの根性です」


「……まあ、できる限りはね。傍から見ればまだまだお遊びみたいなものだろうけど」


 スレインは自嘲気味に答えた。王国の最精鋭である近衛兵団や、その訓練に付き合っていたブランカから見れば、スレインの鍛錬など子供が剣の玩具を振り回しているようなものだろう。


「そう卑下なさらずに。今の自分にできることをして、今の自分より一歩でも成長することこそが一番大切で、周りから見ても頼もしいものですよ……畏れながら、殿下のお気持ちはあたしも少しは分かるつもりです」


 ニッと笑いながら、ブランカは自身の出自を語る。

 母はブランカの妹を生む時に死に、ブランカは病気を抱えた父と幼い妹と、その日の食べ物にも困る極貧生活を送っていたという。

 そんなとき、彼女は十歳で類まれな使役魔法の才を得た。フレードリクの父が彼女を王宮魔導士として王城に迎え、代が替わって国王となったフレードリクが、実力と実績を身につけた彼女を筆頭王宮魔導士に任じた。

 王城に来た当初、彼女は苦労の連続だったという。言葉づかいや所作はおろか、生活のことから社会のことまで何もかもが分からない。フォークの握り方も知らず、給金の数え方も知らず、自分の名前すら書けない。そんな状況で、ひとつずつ必要な知識を学んでいったという。


「そんなあたしでも、今じゃ必要な場面では名誉貴族らしく振る舞えるようになったんです。元々ご聡明で、それだけの努力をされている殿下なら、あたしなんかよりずっと早くご立派になられるでしょう……ノルデンフェルトの頑固爺はまだしばらくガミガミ言うでしょうが、どうかお気になさらず」


「ブランカさん。殿下の前で宰相閣下にそんな言い草、さすがに告げ口しますよ」


「おいおい冗談だろ? ただでさえ普段の振る舞いで睨まれてるのに」


 静かに笑いながら言ったモニカに、ブランカは強張った笑みを返す。そんなやり取りを見てスレインは小さく吹き出した。

 モニカだけではない。自分の努力は周囲から見られているのだと、認められるかはともかく知られてはいるのだと、そう思うだけで少し救われる気がした。


「とにかく殿下、ご安心ください。ノルデンフェルト閣下はお立場もあって殿下に厳しいことを仰いますけど、その閣下も含めてあたしたち臣下は、例外なく殿下と王家に忠誠を誓ってます。あたしも自分と相棒たちの命を懸けてお支えしますよ。親父と妹の御恩もありますからね」


 最後の一言の意味を理解しかねたスレインに、ブランカはさらに続ける。


「あたしの親父は五年前に四十で死にましたが、もともと病気がちで三十は越えられないだろうと医者に言われてました。それが、あたしの給金で良い薬を買えるようになって四十まで生きられたんです。妹も良い暮らしができるようになって、親父に綺麗な花嫁姿を見せてやることもできました。王家からいただいた御恩です。まだまだお返しし足りません……皆、そんな感じでハーゼンヴェリア王家に個人や家の御恩があるんですよ」


 だから、これからも王家に仕えさせてください。ブランカはそう言って、アックスとヴェロニカを引き連れて帰っていった。


「……モニカ。もう少しだけ、打ち合いに付き合ってもらっていいかな」


 スレインは木剣を強く握りしめる。

 自分はまだ、臣下たちから頼られていない。しかしそれは、今後の成長を期待され、願われていることの裏返しだ。

 ならば一日も早く、国王としてふさわしい人間にならなければ。彼らに支えられてなんとか立っていられる主君ではなく、彼らの支えを得ることで王国を前に進める主君にならなければ。そうでなければ、母の愛した、父から受け継いだこの国の頂点に立つ意味がない。


「もちろんです、殿下。喜んで」


 モニカはいつものように穏やかな微笑をたたえ、スレインと適度な距離をとって木剣を構えた。

 今は四月の上旬。冬の名残のような寒さもなくなり、季節は春へと移り変わっていた。

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