第15話 手取り足取り

「はあっ、はあっ、はあっ」


「もう少しです、殿下。どうか頑張って動き続けてください。しっかりと腰から身体を動かしましょう」


 顔を上気させ、荒い息をしながら懸命に全身を動かすスレインに、モニカが囁くように語る。

 スレインがモニカに手取り足取り教えられていること。それは――武芸だった。

 スレインは今、姿勢や身体の動きをモニカに監督され、助言や励ましを受けながら、木剣の素振りを懸命にこなしている。

 子供の頃から家に籠って母の写本の手伝いをすることが多く、あまり身体を動かしてこなかったスレインは、体力がない。運動神経も良いとは言えず、外で遊んでいるときにエルヴィンをはじめ幼馴染の友人たちに茶化されることも多かった。

 そんなスレインにとっては、ただの素振りでも辛い運動だ。

 一日のノルマは五十回から始めて、多少慣れてきた現在は一日百回。木剣を振り下ろす際は一歩前に踏み込み、一回一回をしっかり打ち込む。

 スレインの体力では、最後の二十回ほどは剣筋も遅く、腕を上げるのも精いっぱいになる。太陽が西に傾いた夕方、涼しい風が吹く中でも、スレインの顔には大粒の汗が浮かんでいた。


「お疲れさまでした、殿下。お見事です」


 素振りを終え、その場に座り込んだスレインに、モニカが笑顔でタオルと水袋を差し出す。


「……ありがとう」


 スレインは苦笑しながらタオルで汗を拭い、水袋に口をつけて水をがぶ飲みした。

 少し休んだら、今度は簡単な打ち合いの稽古を行う。モニカが木剣で簡単な攻撃をくり出し、スレインはそれを自身の木剣で受け止める。

 スレインの体格と体力では、残念ながら屈強な戦士になれる見込みはほとんどない。そもそも、国王となるスレインが、戦場で敵と直接剣を交える可能性はほぼない。唯一考えられるのは奇襲や暗殺を敢行された場合だが、その際も戦うのは護衛の兵士や王宮魔導士だ。


 それでも、スレインは一か月ほど前からこの武芸の訓練を毎日行っている。その理由は二つ。

 まずは、身体を鍛えるため。

 スレイン自身が直接戦う場面は来ないとしても、戦争が起これば指揮官として戦場に立つこともある。そうなれば、長時間の(場合によっては強行軍による)移動や、快適とは言えない戦場での野営を幾日も経験することになる。

 そうなると、今のスレインでは体力不足も甚だしい。戦いが始まる以前に、行軍や野営で国王が疲れ果てる情けない様を見せたら、士気はがた落ちとなる。

 なので、スレインは体力をつけなければならない。

 もうひとつは、目に見えて分かりやすい努力を重ねているところを周囲に披露し、国王として少しでも頼りがいがあるように見られるため。

 現状、臣下も使用人も、スレインのことを頼りなく思っている。生まれながらの王族を見てきた者たちからしたら、平民上がりの青年が頼りなく見えるのは当然だ。

 だからこそスレインは、せめて見た目だけでもそれなりに剣を振るえるように、勉強と執務の終わった夕方に王城の中庭で鍛錬を行うことを日課としている。

 王族や貴族は武勇によって民と領地を守るからこそ、支配者として世に君臨してきた。時代が進み、支配者に武勇よりも政治力が必要になった現在であっても、支配者とは戦士であるべし……という価値観は根強く残っている。

 なので、領地を持つ者は程度の差はあれど身体を鍛え、武芸の腕を磨いている。

 一人前の支配者とは、人並みに武器を扱えるもの。逆を言えば、十分以上に武器を扱う技能があれば、一人前の支配者らしく見える一要素となる。 

 所詮は表面的なはったりだが、人の世においてはったりは大切だ。スレインが自らの意思で日々鍛錬を重ね、成長し、それなりに剣を扱えているところを臣下や使用人に見せれば、彼らから一人前と認められやすくなる。それは王家による国家運営の安定に寄与する。

 いずれは必要になる体力を今のうちから身につけ、身体を鍛える姿を以て周囲からの評価を多少なりとも高めることができるのだ。空き時間での武芸の鍛錬は、スレインにとって一石二鳥の行いだった。


「殿下、今の受け方はお見事でした」


 スレインが汗を浮かべながら木剣を振るう一方で、モニカは汗ひとつかかず、涼しい笑顔で称賛の言葉をくれる。


「いや、今のはモニカのおかげだよ……モニカ、本当に何でもできるよね」


 自分に武芸の才能がないことは、スレインもこの一か月で理解した。鍛錬を始めて一か月の凡才がそれなりに打ち合いらしきものを演じられるのは、モニカの対応が上手いからだ。

 それなのに「お見事」と言われて、スレインは微苦笑を浮かべた。褒められるべきはモニカの方だ。彼女はスレインの副官としても、教師としても、基礎的な武芸の教官としても有能だった。


「恐縮です。一応、私も騎士を名乗れる身ですので」


 打ち合わせた木剣を下げ、数歩退いて姿勢を整えながら、モニカは答える。

 騎士資格は、王国軍あるいは領主貴族の抱える領軍で鍛錬を重ね、一定の実力を認められることで与えられる。この資格を得た者は士官として戦場で騎乗することを許され、平民であれば一代限りの準貴族として扱われる。

 騎士資格は身分も出自も関係なく一個人ごとに与えられるものであり、逆に言えば、たとえ貴族の子女だろうと実力を認められるまで騎士は名乗れない。一般平民にとっては数少ない出世の道であり、領主貴族や武門の貴族の子女にとっては越えるべきハードルとされている。

 モニカはアドラスヘルム男爵家の伝手で十四歳のときに王国軍に入り、三年と半年で騎士資格を得たのだという。通常は四年から五年ほどかかることを考えると、これは相当に早い部類に入る。

 モニカが軍装を仕事着としているのは、彼女が騎士でもあるため。彼女はスレインの副官であると同時に、日常生活の中での護衛も兼ねている。


「さて、殿下。次は今までよりも少し速く打ち合ってみましょうか?」


「分かった……上手くできるか分からないけど、頑張るよ」


「ご安心ください。私の木剣が殿下を直接打つことはありませんし、殿下が本気で打ち込まれても私は受け止めることができますので。どうか遠慮せず、全力で臨まれてください」


 スレインとモニカの実力差は圧倒的で、彼女の言うことは尤も。しかし、やはり男としては情けなさを覚えたスレインは、小さく笑うとすぐに表情を引き締め、少し強気で踏み込んだ。

 自分だってこの一か月で多少はできるようになった。それを証明しようと本気で振り下ろしたスレインの木剣は――モニカに最小限の動きで逸らされる。モニカはそのまま全身と共に木剣をぶつけるように迫り、その攻撃にあっさりとバランスを崩したスレインは、真後ろによろけた。


「うわっ」


 それを、モニカがカバーする。彼女は自身の木剣を即座に投げ捨てると、空いた右手をスレインの背中に回す。彼女はスレインを支えてくれようとしたが、焦ったスレインは彼女の軍服の肩口を掴んでしまい、全体重をもって彼女を巻き込みながら後ろ向きに倒れていく。

 本来はモニカに支えられるままに身体を起こすのが正解であり、スレインのとった行動はその真逆。無意味で、おそらくはモニカにとっても予想外のものだった。


「「あっ」」


 二人揃って声を漏らしながら、スレインとモニカは転ぶ。

 地面に尻餅をついたスレインは、そのまま無様に後ろへと倒れる。スレインが頭を打たないようにとモニカが手を回してくれたおかげで、怪我をすることはなかった。

 しかし、モニカがスレインの頭を守りつつ、スレインに肩を引き寄せられるように倒れかかってきたので、仰向けで倒れたスレインの上にモニカが覆い被さるような体勢になる。

 倒れた姿勢のままスレインが目を開けると、見えたのは空ではなく、モニカの顔だった。

 彼女の端整な顔が、吐息が届くほどの距離にある。モニカは右手でスレインの頭を抱き、左手はスレインの顔のすぐ横、地面についているので、傍から見れば彼女がスレインを押し倒しているようにも見えるだろう。

 つまり、夫婦や恋人ではない男女の距離感としては、あまりにも近すぎる。


「……っ」


 モニカの吐息の温かさ、わずかに香水をつけているのであろう彼女の甘い匂い。それを意識してしまったスレインの顔が、急激に赤くなる。

 一方のモニカは、状況に少し驚いたような表情を見せた後、笑みを浮かべた。間近で見る彼女の笑みは、大人びていて美しかった。


「失礼しました、殿下」


 モニカはスレインの上から降りて、スレインを抱き起こす。立ち上がりながら、スレインの手を取って立たせる。


「殿下、お怪我はございませんか?」


「ああ、うん……大丈夫」


 もう顔は赤くないだろうか、と思いながらスレインは頷いた。モニカの様子を窺うと、彼女はスレインと違って動揺した様子は微塵もなく、「ご無事で良かったです」と微笑んでいる。


「あはははっ! まだ日が出てるうちから屋外で王太子殿下を押し倒すなんて、モニカもなかなか大胆だねえ」


 そのとき、そんなからかいの声が飛んできて、スレインは驚きに肩を揺らした。

 声のした方を振り返ると、そこにいたのは王宮魔導士のブランカだった。

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