第14話 焦燥と羞恥②

 その瞬間、セルゲイの目の色が変わった。まず驚きが、その直後に明確な怒りの色が浮かんだ。


「殿下、失礼ながら申し上げます……これは国家運営の根幹を担う場です。子供じみた発言はお止めいただきたい。聞くに堪えません」


 王国宰相の容赦ない言葉に、この場にいる彼以外の全員が黙り込んだ。


「殿下が努力をされていないとは申しません。日々の勉学に臨み、簡単な執務についても少しずつ慣れていらっしゃることは存じています。ですが、まだ一か月強です。その程度の期間、机についていただけでご自分の扱いや周囲の状況が変わると期待しておられるのだとすれば、殿下は国王や王太子という立場を相当に甘く見ておられるようですな」


 セルゲイの刺すような視線がスレインを射貫く。まるで蛇に睨まれた蛙のように、スレインは言い返すことも動くこともできない。


「臣下や民の信頼を得る君主となるには、知識と経験、そして何より覚悟が必要です。それらは一朝一夕に備えられるものではございません……殿下は勉学において聡明なお方でいらっしゃると、副官モニカ・アドラスヘルムより報告を受けております。であれば、この事実をご理解いただけないことはないかと存じますが」


「………………君の言う通りだね。幼稚なことを言ってごめん」


 スレインは羞恥の感情をこらえながら答えた。


「お分かりいただければよろしゅう存じます。では、本日の議題は以上。王太子殿下、会議を終えてよろしいでしょうか?」


 問われたスレインは深呼吸をして、平静な表情を作って顔を上げた。今は執務中だ。いつまでもくよくよしていたら、それがさらなる恥になるだけだ。


「いいよ。会議を終わろう」


・・・・・・・


 スレインがモニカを伴って会議室を後にし、執務室へと戻るために廊下を歩いていると、王太子殿下、と後ろから呼び止められた。

 快活で野太い特徴的な声で、振り返る前に誰だか分かる。


「……ジークハルト」


「殿下、お呼び止めして申し訳ございません」


 大柄な軍務長官ジークハルト・フォーゲル伯爵の顔を見上げながらスレインが呟くと、ジークハルトは相変わらず嫌味のない笑みを見せる。


「先ほどのセルゲイ・ノルデンフェルト侯爵閣下のお言葉について、殿下が気に障られたのではないかと思いましてな」


「ああ……あれは確かに堪えたけど。そもそも僕が悪かったからね。気に障ってはいないよ」


 どうやらジークハルトは、セルゲイのフォローをするために自分の後を追ってきたらしい。そう理解したスレインは、弱々しい苦笑を浮かべながら答えた。


「左様でしたか。それは幸いです……ノルデンフェルト閣下があえて辛辣な言動を見せるのは、殿下のご成長を願われているためです。フレードリク陛下をはじめとした王族の皆様を失い、その心の傷が未だ癒えない中で、殿下を厳しく教え支えなければと閣下は考えておられるのです。どうかご容赦いただきたい」


「心の傷……仕えるに値する偉大な主君を失った傷、っていうことかな?」


「それもあるでしょうが、どちらかというと、長年支えてきた王家の一族……特に、この国の未来を担う国王陛下や王太子殿下に先立たれた悲しみの方が大きいのでしょう。絶望、と言った方がいいかもしれません」


 絶望。そんな強い表現に、スレインはどう返すべきか迷う。


「ノルデンフェルト閣下は、フレードリク陛下の父君が国王でいらっしゃった頃から、王国宰相を長年務めてこられました。フレードリク陛下が誕生されたときから臣として陛下のご成長を見守り、師として陛下の教育を成されました。陛下のご成人も、ご結婚も、ご即位も見届けられ、陛下の嫡子であるミカエル殿下にもまた教育を施しておられた……そんな閣下にとって、先の火事がどれほどの悲劇だったことか。想像を絶します」


 スレインはセルゲイの心境を想像しようとして、しかしジークハルトの言う通り、とてもできないと思った。

 立派な国王へと育った、自身が育て上げたフレードリク。次期国王として申し分ない逸材へと育ちつつあったミカエル。宰相として自身が守り抜いてきたこの国を、国王としてこれからも守ってくれたであろう二人。

 しかし、二人は死んでしまった。後に残ったのは年老いた自分だけ。彼の絶望は如何ばかりか。


「ノルデンフェルト閣下が独身でいらっしゃることはご存知ですかな?」


 ジークハルトの問いかけに、スレインは無言で頷いた。

 セルゲイは弟の息子――すなわち甥をノルデンフェルト侯爵家の跡継ぎとし、自身は結婚しないまま、ただ宰相としての職務に生きてきた。モニカからそう聞いている。


「だからこそ、閣下はフレードリク陛下を我が子のように、ミカエル殿下を孫のように思っておられました。お二人を失った絶望は、そう簡単に癒えるものではないのでしょう……そんな中で新たな王太子としてお迎えした殿下に、ノルデンフェルト閣下は本心では、大きな期待をかけておられるのです」


「……」


 スレインは思わず俯く。

 スレインも母を亡くした。泣き、悲しみ、寂しさを感じたが、少なくとも絶望はしていない。想像よりも早い別れとはなったが、親が子より早く旅立つのは世の定めだと諦めもついた。

 しかし、セルゲイは同時に子と孫を亡くしたようなものだ。彼が人生をかけて教え支えてきた、未来を託すはずだった二人はもういない。

 セルゲイはその絶望を抱えながら、尚も宰相としての激務をこなし、王国の政治を回し続けている。力足らずのスレインを支え続けている。

 それなのに、スレインは自分の能力不足を棚に上げ、会議であのような言い草を見せた。勉強を始めて一か月そこらのスレインが、フレードリクやミカエル――セルゲイが立派に育てた二人と同じように扱ってもらえないからと、幼稚に拗ねてみせたのだ。

 良き国王を目指して努力すると言いながら、わずか一か月でこれだ。セルゲイの覚えた怒りは「若造の生意気な発言に苛立つ」などという生易しいものではなかったはず。

 先ほどの彼は手厳しくスレインを叱責したが、それでも彼の本心と比べれば、言葉選びはまだまだ穏当なものだったのだろう。


「このような過程があったからこそ、ノルデンフェルト閣下は自分こそが誰より厳しく殿下を教え支えなければならないと考えておられます。ですので殿下。ノルデンフェルト閣下を、どうかご容赦いただきたい。閣下の言動はときに辛辣なものですが……」


「……大丈夫だよ。セルゲイに認めてもらえる日が来るまで、この先も彼の厳しい態度を甘んじて受け入れるよ」


 それもまた、自分が真に国王となる上で必要な過程のひとつだ。そう思いながらスレインはジークハルトに答えた。


「ありがとうございます。ノルデンフェルト閣下に代わってお詫びとお礼を申し上げます……我々臣下は全員が殿下の味方です。殿下に厳しく接するノルデンフェルト閣下もそれは同じです。我々が殿下をお支えし続けます。なので今はどうか焦らず、一歩ずつ着実に前へお進みください」


 スレインの会議での発言は、次期国王としてもっと早く一人前に扱われたいという焦燥から出たもの。それを察しているのか、ジークハルトは最後にそう言ってくれた。


・・・・・・・


 執務室に戻ったスレインは、椅子の背もたれにだらしなく体重を預ける。


「殿下、お疲れさまでした」


「……ありがとう」


 そこへ、モニカが優しい表情でハーブ茶を差し出してくれる。スレインは笑顔を返し、カップを受け取る。

 最初は男爵令嬢である彼女にお茶を淹れてもらうことに恐縮していたが、日に何度もお茶を受け取るうちに慣れた。疲れたからといって、彼女の前でこうしてだらしなく椅子にもたれることにも抵抗はなくなった。


「……先ほどの一件、やはり気になっておられますか?」


「ジークハルトの話を聞いたら特にね。自分が恥ずかしくて情けないよ」


 スレインから見て斜め前、副官用の執務席につくモニカに向けて、スレインは自嘲気味に笑う。


「他の方からはなかなか見えないかもしれませんが、殿下は日々努力されておられます。副官として誰よりも殿下のお傍で見ている私は、誰よりもよく知っています。私などが見ていても励みにはならないかもしれませんが……」


「いや、そんなことないよ。むしろ……君にそう言ってもらえるのが、今は唯一の励みと慰めになってる。助かるよ」


「それはよかったです、殿下」


 モニカは花が咲いたような笑みを見せ、自分のカップに口をつけた。最近は、スレインが休憩をするときは彼女も一緒にお茶を飲むようになっている。


「……でも、モニカに励まされて、慰めてもらって、それで安心して満足していたら駄目なんだよね。僕は王太子で、国王になるんだから。まだまだ足りない」


「畏れながら殿下。殿下は毎日着実に努力をされています。このまま努力を重ねられれば、後は時間が解決してくれる問題かと」


「うん。だけど……もう少し頑張りたいんだ。特に午後とか、暇なことも多いし」


 午前中は勉強に励んでいるスレインだが、午後の執務の時間は、毎日忙しいわけではない。

 王太子としての署名が必要な書類を確認する。形式だけでもスレインの許諾が必要な事項について、担当する臣下から説明を受け、許諾を告げる。仕事はそれくらいだ。

 早ければ夕方前には仕事が終わってしまい、長めの自由時間を持て余すこともある。


「ですが、お勉強を午後にも行うのはあまりおすすめできません。疲労された夕方以降にさらにお勉強を行えば、どうしても集中力が落ち、習熟度が下がるでしょう。次期国王として殿下が収めるべき知識教養は、無理をすることなく着実に身につけていくべきかと思います」


 王太子としての勉強は早く進むに越したことはないが、無茶をして雑に進めるほど急がなければならないわけでもない。自身の焦りを解消させるためだけに、疲れた頭でさらに勉強を重ねるのは悪手だと、スレインにも分かっている。


「そうだよね……じゃあ、机に座って学ぶ知識以外で、次期国王として今から習得していけることってないかな?」


「……ひとつ、ございます」


 スレインの問いかけに、モニカは少し考えてから頷く。


「学んでいただくのはもう少し先でも良いかと思っておりましたが……殿下は今年で成人のお歳なので、問題はないでしょう。私でよろしければ精いっぱい教えて差し上げます」


 どこか意味深な笑みを浮かべるモニカを前に、スレインはごくりと唾をのんだ。



★★★★★★★


感想は全て大切に読ませていただいています。

大きなモチベーションとなっています。皆様ありがとうございます。

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