第11話 国葬と社交②

「それでは殿下、まずは諸外国からの参列者、なかでも国王自ら参列されている方々へ挨拶をしていきましょう……あちらはオスヴァルド・イグナトフ陛下ですね。我が国にとって重要な隣国の国王です。まずは彼へ挨拶をしましょうか」


 イグナトフ王国は、ハーゼンヴェリア王国から見て南東側にある国。人口はハーゼンヴェリア王国よりもやや多い六万人。良馬がよく育つ国土を持ち、騎兵を多く有する軍事強国。

 スレインはこの二週間で詰め込んだ記憶を辿り、かの国の基礎情報を思い出す。

 大陸西部に存在する二十二の国のうち、君主自ら国葬に参列しているのは八か国。その中でも直に国境を接する隣国は、やはり重要度が高い。エレーナが最初の挨拶の相手にイグナトフ国王を選んだのは、妥当な判断なのだろうとスレインは思った。

 エレーナが近づいていったことで、大勢立ち並ぶ参列者のうちどれがイグナトフ国王かスレインにも分かった。見たところ四十歳ほど。いかにも厳格な武人といった容姿の男だ。


「お、お初にお目にかかります、オスヴァルド・イグナトフ国王陛下。本日は我が国の国葬にご参列いただき、誠にありがとうございます。新たにこの国の王太子となりました、スレイン・ハーゼンヴェリアと申します」


 微笑を保つエレーナに促され、スレインは自らオスヴァルドに声をかけた。

 これが国王同士であれば名目上は対等な関係となるが、まだ王太子であるスレインは一段格が低いので、ややへりくだって挨拶する。

 スレインの挨拶を受けたオスヴァルドは、わざとらしく一拍遅れてスレインに視線を向けた。その視線は冷たく、お世辞にも好意的とは言えない。

 しばらくスレインを見ていたオスヴァルドは、数秒置いてようやく口を開いた――スレインではなくエレーナに向かって。


「エステルグレーン卿、久しいな。今日の仕事は子守りか?」


「……お久しぶりにございます、イグナトフ国王陛下」


 一瞬固まったエレーナは、穏やかな笑みを作って答える。

 王太子であるスレインを無視して一貴族であるエレーナに声をかけるのは、明らかな無礼。国王であるオスヴァルドがそんな基本的なことを知らないはずもなく、これは彼がスレインを侮っていることを示すためにわざと行った言動だ。彼の視線や表情から、スレインにも分かる。


「本日は我が国の次期国王であり、私たちハーゼンヴェリア王国貴族の新たな主君であるスレイン王太子殿下の補佐役を、このように務めております」


「そうか。まったくご苦労なことだな……それで、貴様がその王太子か」


 オスヴァルドはスレインを「貴様」呼ばわりしながら睨んだ。分かりやすく強面の武人である彼に睨まれて、それだけでスレインは怯む。


「フレードリク・ハーゼンヴェリア国王は、一国の王たるにふさわしい男だった。彼とも、彼の家族とも、私は隣国の国王として交流があった。彼らへの敬意を尽くすために、私は今日この場へ来ている。それだけだ」


「……」


 オスヴァルドの言わんとしていることは、スレインにも理解できた。自分は平民上がりの代替品の王太子と交流するために来たのではないと、彼は宣言しているのだ。


「彼らが一室の火事で死んだとは、未だに信じられん……おまけに次の国王は、数週間前までただの平民だった小僧とはな。ハーゼンヴェリア王国も終わりか」


「畏れながらイグナトフ国王陛下。王太子殿下は――」


「聞かぬ」


 多少の無礼を覚悟で口を挟もうとしたエレーナを、オスヴァルドは容赦なく遮る。


「エステルグレーン卿。外務長官として我が国をよく訪れる卿に恨みはないが、その小僧と仲良くしろと言われても御免被る。転がり込んできた地位に運良く収まっただけの、卑しい平民上がりの小僧に何ができる。こんな奴と共に、サレスタキア大陸西部に国を並べるとは。想像するだけで虫唾が走る」


「……」


 スレインは何も言い返せなかった。

 ここまで言われては思うところもあるが、この状況で自分に好印象を抱けというのもさすがに無理がある。オスヴァルドの言う通り、自分は父とその家族の死によって、本来得るはずではなかった地位を得た平民上がりの小僧でしかないのだ。今はまだ。

 イグナトフ王国はハーゼンヴェリア王国よりも強い。治める者にこれだけの実力差や経験差があるのなら尚更に。スレインが言い返しても、その言葉に物理的な力はない。

 こうなっては、手練れの外交官であるエレーナにも手の施しようがない。貴族家当主ですらないモニカにも、当然ながらできることはない。

 気まずい空気が場を支配しそうになったところで――そこに声がかけられる。


「イグナトフ国王、そう仰らずに。王太子殿が困っておられますよ」

 声の方をスレインが振り向くと、そこに立っていたのは柔和な笑みを浮かべた青年。歳はおそらく二十代前半ほどか。他の参列者と比べても、相当に豪奢な装いをしていた。


「これはフロレンツ・マイヒェルベック・ガレド第三皇子殿下。此度はようこそハーゼンヴェリア王国へ」


 スレインに聞かせるためか、エレーナがそう言いながら青年に丁寧な礼をする。彼女の言葉で、スレインも青年の身分を知る。

 小国が並ぶサレスタキア大陸西部とは、エルデシオ山脈を挟んで隣り合う大陸中部。そこの大半を支配するガレド大帝国の第三皇子。それがこのフロレンツと呼ばれた青年だ。

 皇子の身でありながらオスヴァルドを「イグナトフ国王陛下」と呼ばなかったのは、帝国の威光をその背に抱えているからこそか。


「……フロレンツ皇子。貴殿はまさかその平民上がりの小僧と仲良くする気なのか?」


 オスヴァルドは表情こそ険を含んだままだが、大陸西部の小国が束になっても敵わないガレド大帝国の皇子が目の前に登場したからか、先ほどまでのような露骨に攻撃的な気配はない。


「誰もが生まれながらに王であるわけではありません。育ち、学びながら王になっていくのです。このスレイン殿は、王を目指して歩み出すのが偶々遅いだけのこと。まだ成長を始めたばかりの彼を、今の段階で能力不足だからと虐めるのは、公平ではないでしょう」


 言いながら、フロレンツはスレインとオスヴァルドの間に割って入るような立ち位置をとる。


「……勝手にするといい」


 オスヴァルドはしばし黙り込み、捨て台詞を吐いて離れていった。

 突然の状況変化に困惑していたスレインが視線を泳がせると、横に立つモニカと目が合う。彼女が視線で促した方を見ると、今度はフロレンツと真正面から目が合った。

 今は社交の時間。動揺は押し殺して挨拶を済ませるべきだ……と思っていると、相手の方に先手を打たれてしまう。


「初めまして、スレイン・ハーゼンヴェリア王太子殿。あらためて挨拶をさせてください。ガレド大帝国第三皇子、フロレンツ・マイヒェルベック・ガレドです」


「す、スレイン・ハーゼンヴェリアです……あの、先ほどはありがとうございました」


 余裕のある笑みを見せるフロレンツに対して、スレインの表情は硬く、不安げなまま。フロレンツはそれを気にする様子もなく、笑みを保ちながら握手を交わしてくれた。


「礼など不要ですよ。スレイン殿のご事情は聞いています。急にこのような場に立つことになり、緊張するなという方が無理な話でしょう……ましてや、イグナトフ国王のような方を前にすれば尚更に」


 くすりと笑うフロレンツに釣られて、スレインも表情を崩した。今日この場に来て、ようやく笑顔を作ることができた。


「私は第三皇子として、ガレド大帝国の西側……すなわちサレスタキア大陸西部の諸国と外交関係を築き、維持する役割を与えられています。今後ともどうぞよろしく。色々と大変かと思いますので、私が力になれることがあれば遠慮なく言ってください」


「……はい。よろしくお願いします」


 また後ほど、と言って、フロレンツは離れていった。


「いい人、なのかな」


 彼の後ろ姿を見送りながらスレインが呟くと、エレーナは微笑を浮かべる。


「フロレンツ第三皇子。穏健で、周辺国に対しても物腰柔らかな人物との評判です。その分、あちらの国内では弱腰との声もあるようですが……現ガレド皇帝の子女六人の中ではあまり目立ってはいませんが、人柄について悪い噂は聞きません」


 エレーナの語るフロレンツの評価を聞いて、スレインは少しほっとする。今後まともに話せそうな同世代の人間を、ようやく見つけられたと感じる。


「さて、殿下。参列者への挨拶は始まったばかりです。次にまいりましょう」


「……そうだったね」


 爽やかに言ったエレーナに、スレインは小さなため息をついて頷いた。一仕事を終えた気でいたが、まだほんの始まりに過ぎないのだ。

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