第10話 国葬と社交①

 アルトゥール司教より国葬での作法や当日の進行を教えられ、それと並行してセルゲイや外務長官のエレーナから付け焼き刃の社交技術を叩き込まれ、いよいよ国葬当日。

 王国の領主貴族たち、豪商や高名な職人など平民の代表者たち、そして近隣諸国の国王やその名代たち。百を超える参列者が集まった王都中央教会の礼拝堂で、スレインは自身の父であるフレードリクと彼の家族を見送る儀式に立ち会っていた。


「――神は乗り越えられない試練は与えない。古来より、人の世ではそう語られてきました。このあまりにも大きな悲劇を前に、それでも私たち神の子は前に進まなければなりません。偉大なる王と、偉大なる方々を失ったこの悲しみに今は打ちひしがれているとしても、時が癒してくれます。時の流れが痛みを流し、後に残るのは良き日々の思い出と、彼らの偉大な歴史です。今はただ、彼らが神の御許で悠久の安らぎを迎えていることを受け入れましょう。そして――」


 アルトゥール司教の長い説教を、スレインは参列者の先頭で聞いている。

 服装は黒一色の祭服。形式上は王太子のスレインがこの国葬の主催者であるため、最前列に一人立っている。後ろに立ち並ぶのはこの国の重要人物と、この国の周辺地域の支配者たち。彼らの視線が自身の背中に突き刺さっているのを、嫌でも感じる。

 当然、スレインとしては居心地が良いはずもない。

 まだ挨拶もきちんと交わしていない、この社会の大物たち。ほんの二週間と少し前までしがない平民だったスレインのことを彼らがどのような目で見ているかは想像に難くない。


 きっと「誰だこいつは」と思われているのだろう。おそらくは全員から。


 スレインは恐ろしいほどの緊張を感じていた。ただ信徒の礼をとって立っているだけでも足が震えそうだった。

 視線をちらりと横に向けると、礼拝堂の隅に立つモニカと目が合う。こちらにだけ分かる程度に小さく頷いてくれた彼女の反応を受けて、スレインはほんの少しだけ気が楽になる。


「――それでは王太子殿下。棺に花冠を」


 アルトゥール司教に呼ばれ、その安らぎはまたすぐに吹き飛ぶ。

 この国葬においてスレインが動くべきいくつかの役割のうち、最初に行うのが棺に花冠を捧げるこの工程。王弟と、父の妹一家にあたる公爵家は別で葬儀が済ませてあるので、花冠を捧げるのは父と王妃、彼らの嫡子である前王太子の棺の計三つだ。

 この工程だけはスレイン一人で動くことになるため、参列者たちの視線が全て、スレインの一挙手一投足に集中することになる。

 それでも、この神聖な役目は王太子であるスレインが行わなければならない。これを行わなければ王太子たりえない。


「……っ」


 スレインは足の震えを堪えながら前に進み出て、アルトゥール司教の部下である司祭が掲げる花冠を受け取る。

 そして、何度も練習した所作をなぞって、花冠をまずはフレードリクの――父の棺に載せた。

 エインシオン教では火葬が一般的で、死後なるべく早く荼毘に付すのが好ましいとされている。フレードリクたちの遺体もそのようにされ、棺の中にあるのは彼らの遺灰を収めた壺だ。

 だからスレインは、彼らの死に顔を知らない。顔さえよく知らない父の棺に花冠を捧げる。

 自分は父を、父が夫として愛した王妃を、そして異母弟を見送っている。それを意識することでなんとか目の前の儀式に集中し、手を滑らせたり転んだり所作を間違えたり緊張で気絶したりすることなく、スレインは役目を成し遂げた。


・・・・・・・


 花冠を捧げるくだりを終えれば、国葬におけるスレインの心労は幾分か少なかった。

 この後は聖歌を歌いながら棺を礼拝堂から運び出し、教会を出て、王都の大通りを練り歩いた上で王城に入り、棺から取り出した骨壺を墓地に安置する、という流れとなる。

 棺を運び出すのは近衛兵団の兵士たちであるし、スレインは彼らの後ろについて歩くだけ。おまけにスレインの周りはモニカや法衣貴族たちが囲み、さらにその周囲を王国軍の兵士が囲む。

 スレインとしては、礼拝堂を出る流れや聖歌の歌詞、歩く際の簡単な作法を間違えなければ失敗はない。王都の中を歩く際の、沿道に集まった民の視線も、臣下と兵士たちがある程度は遮ってくれる。

 ただ無心で前を向いて歩き、王城に入って墓地にたどり着いてからは骨壺が安置されるのを静かに見守り、そうして国葬は終わった。荘厳な葬儀だったと後世で語られるこの国葬だが、荘厳さをじっくりと感じる余裕はスレインにはなかった。


 そして、真に大変なのはこの後だった。


 スレインたちが骨壺の安置までを行っている間に、他の参列者たちは城館の広間に移り、社交を始めていた。葬儀を終えた後の場なので賑やかな宴会とはいかないが、ワインや軽食を手に、彼らは挨拶や歓談をしていた。

 この国の領主貴族の全員、さらに近隣諸国の国王やその名代が一堂に会する機会というのは、そうあるものではない。国葬に出席するという務めを果たした彼らにとって、今は人脈を広げ、深め、情報を集める貴重な時間だった。

 王侯貴族たちの、社交場という名の戦場。そこへ、スレインは今日の主役として入っていかなければならない。たとえどれほど不安でも。


「ハーゼンヴェリア王国王太子、スレイン・ハーゼンヴェリア殿下のご入場!」


 スレインが広間に入ると同時に、入り口に控える近衛兵が高らかに言った。

 その瞬間、それなりに賑わっていた広間が静まり返る。全員の視線がスレインに向けられ、国葬のときとは違ってそれを真正面から受け止めたスレインは、思わず一歩後ずさった。

 参列者たちはすぐに歓談に戻り、沈黙は終わる。

 しかし、彼らの意識がスレインに向けられているのは明らかだった。スレインの内心に不安がこみ上げる。全ての視線に嘲りが込められているように思え、全ての笑い声が自分を嘲笑しているように聞こえてくる。


「殿下、ご安心ください。私が補佐を務めますので。殿下は相手方の名前を間違えず、定型的な挨拶を述べられれば問題ございません」


「私もお傍におります、殿下」


「……うん。二人ともありがとう」


 外務大臣エレーナ・エステルグレーン伯爵と、副官として傍に付くモニカに言われて、スレインは硬い表情で頷く。

 自身の首元を彩る、ルチルクォーツの首飾り。スレインはそれにそっと触れた。ルチルクォーツは幸運を意味する石。しくじることがないようにと、内心で運頼みをする。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る