第9話 国葬準備

 自分はこれからさらに学び、成長しなければならない。俯き気味の固い表情でそう考えていたスレインの顔を、モニカが覗く。


「殿下、とてもお疲れになられたでしょうから、少しご休憩なさいますか? お茶をお持ちしましょうか?」


「……そうだね。お願いするよ」


 学ぶべきことは多いとはいえ、休息を挟まなければ前進し続けることはできない。まだまだ先は長い。モニカの提案をスレインはありがたく受け入れることにした。

 一旦退室したモニカが、それほど時間を置かずにハーブ茶の載った盆を持って戻ってくる。

 数日前。譜代の臣下たちが居並ぶ前から逃げ出し、ジークハルトの説得を受けたあの時、モニカがそっと差し出してくれたハーブ茶。母が育てていたものと同じ種類のハーブを使ったお茶。

 以前は特に好きでもなかったこのお茶をスレインは自分でも不思議なほど気に入り、以降こうして一息つくときに出してもらっている。


「それにしても、モニカは男爵令嬢なんでしょう? いいの? お茶を淹れるような仕事までやってもらって。こういうのって使用人に任せてもいいんじゃない?」


 ほどよく温かいお茶を口にしながらスレインが尋ねると、モニカは微笑をたたえて静かに首を横に振る。


「私は殿下の副官です。殿下が望まれたとき、お茶をお出しするために最も早く動けるのが私ですから、私が動くのは当然のことです。こうして殿下のお世話をさせていただけることを、心より光栄に思います」


「……なら、いいんだけど」


 スレインは多少の戸惑いを覚えながらも、そう答えた。

 モニカは出会った初日から、奇妙に思えるほどスレインに優しい。


「失礼します、王太子殿下」


 そのとき、執務室の扉が叩かれ、メイドが呼ぶ声が聞こえた。

 今は午後四時頃なので昼食や夕食の用意を告げに来たわけではないはずで、スレインが執務室を使っている日中に掃除などが行われることもないはず。

 一体何の用か……という疑問をスレインと同じくモニカも抱いたようで、彼女は扉の方へと歩いて行き、扉を少し開いてメイドと二言三言、言葉を交わす。

 そして、笑顔でスレインの方を振り向いた。


「殿下、ルトワーレの方からお荷物が届いたそうです」


 それを聞いて、スレインは自分の家――自分の生まれ育った小都市ルトワーレの家から、全ての荷物を王城に運ぶよう手配を頼んでいたことを思い出す。


「分かった。今から行って……もいいかな?」


「もちろんです。きりのいいところまで暗記を終えたところですし、今日のお勉強は終了としましょう。ご案内します」


 スレインは広い城館の構造をまだ憶えられていない。モニカの後に続いて執務室を出ると、階段を降りて三階から一階へ、そして廊下を歩いて荷物の運び込まれた一室へ移った。

 そこに並んでいたのは、スレインが物心ついたときから自分を囲んでいた生家の家具や服、小物、そして書物。


「……あぁ」


 いずれもこの城館の中ではみすぼらしく見えたが、それでも懐かしさの方が勝った。スレインは思わず感嘆の息を吐いた。

 わずか数日前まで、これらに囲まれて自分は暮らしていたのだ。それがまるで遠い昔のことのように感じられる。


「いかがでしょう、殿下。不足のものはございませんか?」


「うん……大丈夫だよ、ありがとう」


 荷物に目を奪われながらスレインは答えた。丁寧に並べられたそれらに歩み寄り、書物を一冊手に取る。母の蔵書のひとつで、スレインが特にお気に入りだった、歴史を題材にした物語本。

 それをパラパラとめくり、再び置くと、今度は母の化粧台に近づいてそっと触れた。


「……お母様のものですか?」


「うん。母さんが持ってた唯一の贅沢品だよ」


 スレインの感傷を邪魔しないよう、静かな声でモニカが尋ねる。スレインはそれに、少し寂しげな笑みをたたえながら答えた。


「黒樫の化粧台、これはおそらく木工で有名なルヴォニア王国で作られた逸品ですね。フレードリク陛下は荘厳な黒樫をお好みでいらっしゃいました。王城にも黒樫の調度品が多くございます……これはおそらく、陛下がお母様に贈られたものでしょう」


 やはりそうか、とスレインは思う。


「母さんは質素な生活が好きだったけど、この化粧台だけは絶対に売らずに、いつも大切に使ってたんだ。ときどき愛しそうに眺めていて……どういう経緯で手に入れたものかは聞かなかったけど、きっと父さんが贈ったものなんだろうって、思ってた」


 その父さんがまさかこの国の国王だとは思わなかったけど。そう語ってスレインは苦笑した。

 母にとってこの化粧台は、一緒になることのできなかった、愛した男からの贈り物、思い出の品だったのだ。


「フレードリク陛下が殿下とお母様を想っていらっしゃったように、お母様も陛下を想っておられたのですね」


「……そうだね。そう思うよ」


 モニカから優しく語りかけられ、スレインは母の顔を思い出しながら頷く。

 これら運ばれた荷物は城館内で大切に保管され、そのうち書物はスレインの私室に置かれ、どちらも慣れない王城生活を送るスレインの心をたびたび慰めてくれるようになった。


・・・・・・・


 国王をはじめとした王族の死の公表は、国内外に大きな衝撃をもたらした。

 王国各地の領主貴族たちは強いショックを受け、動揺し、混乱した。

 直接接する機会が少ないので王族の顔などほとんど知らない、せいぜい名前程度しか憶えていない臣民たちも、さすがに呆然となった。

 近隣諸国の王族たちからは、取り急ぎ弔意を伝えるための使節が送り込まれた。王族がことごとく死ぬという重大な事態であることから、送られた使節は皆、それなりの格の貴族だった。

 とにかく、国内外でざわめきが起こり、ハーゼンヴェリア王国社会を揺さぶった。


 ただし、スレインはその事実を、モニカやセルゲイからの伝聞というかたちでしか知らない。貴族や民への説明、近隣諸国からの使節への応対などは、セルゲイをはじめとした臣下たちが全て実務を行ってくれた。

 これにはただでさえ王太子としての生活に慣れていないスレインにさらなる心労を与えないようにという配慮と、下手に表舞台に出すとスレインが失敗しかねないという警戒がある。直接言われたわけではないが、スレインもそれを察していた。

 世間はざわめいたものの、臣下たちの奮闘のおかげもあって、ことさらに大きな混乱は起こっていない。なのでスレインは相変わらず、国葬の日に向けて地道な勉強を続けている。

 国葬まで一週間を切ったこの日。王国貴族と近隣諸国の王族に関する最低限の知識の詰め込みは終わり、今日からは葬儀とその後の社交に向けた具体的な準備が始まろうとしていた。


「お初にお目にかかります。ハーゼンヴェリア王国におけるエインシオン教会の司教、アルトゥールと申します」


 謁見の間でスレインが向き合っているのは、この国の国教であるエインシオン教の聖職者の服装をした三十代ほどの男。柔和な笑みを浮かべる彼は、スレインに対して聖職者の礼を見せる。

 司教。それはエインシオン教会の称号のひとつで、エインシオン教を信仰する小国が並ぶこのサレスタキア大陸西部において、一国の聖職者を統括する立場を表す。司教の下には司祭や助祭がおり、各地の教会を運営している。

 サレスタキア大陸西部が数多の小国に分裂した際、エインシオン教会もまた分裂し、大幅に弱体化した。その政治的な影響力は小さいが、それでも教会は社会と、人々の生活と密接に結びついている。軽視できる存在ではない。

 今回の国葬のような重要な儀式の際には、伝統と格式を示すために彼らの存在が必要不可欠だ。


「よ、よろしく。顔を上げて」


 やや緊張しながらスレインが答えると、アルトゥール司教は顔を上げる。


「まず、この度のフレードリク・ハーゼンヴェリア国王陛下及び王族の皆様のご不幸につきまして、あらためて心よりお悔やみを申し上げます。訃報をお聞きした日より、神に仕える身として一日も欠かさず皆様のご冥福をお祈りしております」


 穏やかな表情で、アルトゥール司教は語り始めた。聖職者の性としてやや言葉数が多く話の長い彼と、スレインはしばし言葉を交わす。

 スレインの緊張が多少ほぐれた頃に、それを見計らってかアルトゥール司教は話題を変える。


「それでは殿下。これより国葬に向けた手順や作法について、ご説明させていただきます。国葬当日まではまだ日がございますので、少しずつ憶えていただければと存じます」



★★★★★★★


モニカが不思議なほどスレインに優しい理由はいずれ説明されます

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