第8話 お勉強
譜代の臣下たちと顔を合わせ、最上位の証である首飾りを身につけた翌日から、スレインを待っていたのは膨大な量の勉強だった。
フレードリク国王をはじめとした王族を見送る国葬が開かれるのは、今よりおよそ二週間後。その際には王国貴族や平民の重要人物たちはもちろん、近隣諸国からも代表者が王都ユーゼルハイムにやって来る。事態が事態なので、おそらくは国王自ら参列する国も多い。
そうした参列者たちと、スレインは直接会い、挨拶を交わさなければならない。いくら平民からいきなり王太子になった身とはいえ、それでも事実として王太子である以上は、あまり無様な姿は見せられない。
なのでスレインは、これから二週間かけて、王国や周辺国についての最低限の知識と儀礼の作法を身につけなければならない。
「それでは殿下。早速始めさせていただきます……この場には私しかおりません。どうぞお気を楽にされてお聞きください。質問がございましたら、いつでもどうぞ」
「……分かった。よろしく」
城館の一室。以前は国王フレードリクの、これからはスレインの執務室となる部屋。そこでスレインは、黒板と、その傍らに立つモニカと向き合っていた。
政治の場に王族が実質的に不在である今、王国宰相セルゲイをはじめとした重臣たちは多忙を極めている。スレインにつきっきりになれるほど暇ではない。なのでスレインの教師役を務めるのは、副官であるモニカだ。
「まず最初にご説明させていただくのは、このハーゼンヴェリア王国の歴史と、王国各地の現状です。この国の建国は――」
モニカが語るハーゼンヴェリア王国の基礎知識の中には、写本家の息子として多くの書物に触れ、一般的な平民より広い教養を得てきたスレインが既に知っている部分もあった。
ハーゼンヴェリア王国のあるサレスタキア大陸西部には、かつて大きな統一国家が存在した。
大陸中部を広く支配するガレド大帝国と並び栄えていたその国家は、しかし百余年前に崩壊。無数の貴族が入り乱れて争うしばしの混迷期を経て、二十二の小国へとまとまった。
その国のひとつが、このハーゼンヴェリア王国。今より七十六年前に建国され、亡きフレードリクは四代目の国王だった。
現在、ハーゼンヴェリア王国を含む二十二の小国群は、国境での小競り合いなどは時おり行っているものの、決定的には対立することなく共存している。そうしなければ周辺の大規模な国に飲み込まれかねないためだ。
ここまでが、ハーゼンヴェリア王国のある大陸西部の状況。加えて、スレインは王国内部の状況も把握する必要があった。
ハーゼンヴェリア家を王家に据え、周辺の領主貴族家が集まって建国されたハーゼンヴェリア王国は、今のところ封建制をとっている。
国土のうち王家が支配するのはおよそ三割弱。全人口五万のうち王領に暮らすのは四割の二万。それ以外は、伯爵から男爵まで合計二十の領主貴族家が治めている。彼らは王家より領地と領民を安堵され、それと引き換えに王家への忠誠と、国を守るための軍役を義務付けられている。
王家が直接動かせる兵力は、常備軍たる王国軍が三百人。それとは別で、王城や王族の身辺を守る近衛兵団五十人が存在する。戦時はこれらを軸に民から兵を徴集し、他国から侵攻を受けるような緊急時には王領だけで最大三千人ほどの軍勢を動員できるようになっている。
こうした軍事力と、一国を治めるだけの権勢を保つため、王家には王領からの税収以外にも収入源がある。鉄鉱山と岩塩鉱だ。
鉄鉱山から得られる鉄は王領内の消費を補って余りあり、各貴族領や他国に輸出できる程度。岩塩鉱は王国において唯一のものであり、国内において塩は王家の専売となっている。
また、もう一つ王家が抱える鉱山として、国石であるルチルクォーツの鉱山がある。規模は小さいが、ここから得られる宝石は主に国内を中心に装飾品として人気を博している。
これだけの情報でも、スレインがモニカから教えられた知識のほんの概要に過ぎない。
ここからさらに、王国内の各貴族家の名前や特徴や役割、現当主の名前、大陸西部の各国をはじめとした周辺国家の名前、それぞれの特徴やハーゼンヴェリア王国との関係、現在の君主の名前など、スレインは立て続けに教えられた。
「いかがでしょう、殿下。ここまではご理解いただけましたか?」
「……まあ、一応」
モニカから穏やかな口調で問いかけられ、スレインは頷いた。もともと知っていた部分もあったので、理解するのにそう難しい話ではなかった。
「かしこまりました。では、私が今ご説明した事項を、これより暗記してまいりましょう」
「えっ」
穏やかな口調のままモニカが言い、スレインは思わず間抜けな声で返した。
「これ、全部憶えるの? 国葬までに?」
「はい。国葬の際、殿下には参列者の皆様のお顔とお名前、お立場を把握していただかなければなりません。そのための前提知識として、今ご説明した事項については全て暗記していただく必要がございます。国葬までの日程のうち、後半は儀礼のお勉強や葬儀周りの準備と練習がございますので、あと一週間ほどが期日となります」
「……」
さらりと語るモニカを前に、スレインはげんなりした表情になる。
「……分かった、頑張るよ」
しかし最終的には、スレインは諦念を抱きながら頷いた。憶えずに済ませるという選択肢はないらしいと理解した。
「私もお支えいたします、殿下」
そう言って笑うモニカに、スレインも微苦笑で応える。
スレインの王太子としての最初の仕事は、知識をひたすら頭に叩き込むという、思いのほか地味なものとなった。
・・・・・・・
「たった二日で王国貴族についての基礎知識を全て暗記してしまわれるとは、さすがです、殿下」
「ありがとう。まあ、頑張ればこれくらいはね」
微笑をたたえて称賛してくれるモニカに、スレインは疲れを溜めた顔で返す。
昨日と今日をかけてひとまず憶えたのは、王国内の各貴族家の名前と領地の位置、各貴族領の特色と立場と力関係。写本家の息子として日頃から書物に触れていたおかげで、こうした「お勉強」はそれなりに得意だった。
勉強の過程でモニカと雑談をしながら各貴族領の話をより詳しく聞き、自分が次期国王に選ばれた背景の、より込み入った事情も知った。
この王城に来た初日、スレインがセルゲイに対して提案した「先代国王の従兄弟筋から次の国王を選ぶ」という手段。それが難しかった理由だ。
先代国王――すなわちスレインの祖父には、三人の従兄弟がいた。全員がそれなりの歳まで生き、子を作った。彼らの子孫は、国内各地の貴族家に合計で九人いる。
だからこそ、その子孫たちの中から次期国王を選ぶことはできない。彼らは等しく薄く、王族の血を継いでいる。その中の誰が王位についたとしても、選ばれなかった者たちとその親族は不満を抱えることになる。
国王と貴族たちの間にそのような確執が生まれれば、四代かけて安定させた王国貴族社会のバランスがまた崩れてしまう。
フレードリクはそれを分かっていたからこそ、平民ではあるが自身の直接の子であるスレインを次期国王に据えるよう遺言を残したのだ。スレインへの罪悪感を覚えながら。
そして、王国宰相であるセルゲイも、他の譜代の臣下たちも、国王の遺言に従った。
その根底にあるのは、この国の建国よりも前からハーゼンヴェリア家に仕えてきた彼らの揺るぎない忠誠心。そして「自分たちが支えるのであれば、たとえ平民上がりの国王を戴いてもこの国の政治を回せる」という自負。
ハーゼンヴェリア家の血の薄い者を国王に迎え、王国貴族社会を不安定にするよりも、より王家の血が濃く、言ってしまえば「御しやすい」平民上がりの若者を国王にする方が良い。その平民上がりの国王が能力不足なようなら、自分たちで手取り足取り支えればいい。
頼りない自分にも法衣貴族たちが忠誠を誓ってくれる背景には、そのような考えがあるのだと、スレインは理解した。
彼らの全面的な支えを受けられることは、次期国王として右も左も分からないスレインにはありがたい。とはいえ、まるで「お前が無能でも私たちが政治を回すから安心しろ」と言われているようで、当然ながら気分はよくない。
彼らの忠心に甘え続けるわけにもいかない。自分がいつまでもお飾りの国王のままでいたら、自分を「賢い子」と褒めてくれた母も悲しむだろう。
自分はこれから学び、成長しなければならないと、スレインは覚悟を固め始めていた。
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