第4話 血の責任
「スレイン様、あなたにはこのハーゼンヴェリア王国の王位を継いでいただきたい」
「………………へっ?」
スレインの声は、不格好に裏返った。
今さら自分の出自を明かされたのは、父が死んだからだろうとは思っていた。父の死後、彼が父親であったことを明かしてもよいと遺言でも出ていたのだろう。そんな想像をしていた。
しかしまさか、王位を継げと――王になれと言われるとは。まったく予想していなかった。
「いや、えっ? どうして僕が……もっと他に、王家の血が流れていて、身分的にもふさわしい人がいるんじゃないですか? 少し家系図を辿れば――」
「いないのです」
ノルデンフェルト侯爵はスレインの言葉を遮る。
「申し上げたように、国王陛下の弟君は亡くなられました。王弟殿下は独身でした。王妹である公爵夫人も、そのご子息も亡くなられました。次に家系図を辿ると、陛下の従兄弟筋ということになりますが……陛下の二人の従兄弟のうち、一人は独身のまま病死されています。もう一人、陛下の従妹にあたる方がいらっしゃいますが、その方は既に他国の王家へと嫁いでおられます。ハーゼンヴェリア王家がこのような状況で、他国の王族を国王に迎えるわけにはいきません。属国化されかねないのです」
「じゃ、じゃあ、もっと家系図を辿って、僕の祖父、先代陛下の従兄弟の子孫を――」
「それでは血の繋がりが離れすぎ、数も増えすぎます。今の王家の直系からあまりにも血筋の遠い者が王位を継ぐのは、王位の正当性そのものを損ないます。誰が王位を継ぐのかで貴族の争いも起こるでしょう……それよりもずっと近い方が、陛下の直系の子孫がいらっしゃる。スレイン様、それがあなたです。あなたは庶子とはいえ、陛下の実の息子です。今この国であなた以上に王位にふさわしい人物はいないのです」
「………………」
スレインは呆然としていた。
自分はただの平民だ。ただ都市の片隅で平穏に暮らしているだけの、しがない平民だ。
それが王位を継ぐ? この国の王になる?
想像もつかない。自分がそうなった姿が微塵も思い浮かばない。王が務まるとは思えない。
「む、無理です、僕は……」
スレインは立ち上がる。この部屋から、ノルデンフェルト侯爵の視線の圧から逃げ出したい衝動に駆られて後ずさる。
その肩を、後ろからベーレンドルフ子爵が無言でがっちりと掴んだ。
「なりません、スレイン様。あなたに逃げるという選択肢はない」
そして、ノルデンフェルト侯爵が射貫くような視線でスレインを見据えて言った。
「……それって、もし断ったら、僕は殺されるってことですか?」
「そのようなことはいたしません。国王陛下の遺児であらせられるあなたを殺すはずもない。ですが……スレイン様。あなたには責任があります。王家の血を継いで生まれた責任が。だからこそ、あなたには王位を継いでいただかなければならない」
ただでさえ鋭いノルデンフェルト侯爵の目が、さらに細められる。
「あなたが国王になるのを拒否されれば、この国は王を持たぬまま混乱に陥ります。そのような国がまともに存続できるはずもない。周囲から国として尊重されるはずもない。国は割れ、領土は荒れ、民は騒乱に飲まれるでしょう。多くの者が今の生活を失うことになり、死者も出るでしょう……あなたが王位継承を拒否されれば、そのような事態が起こり得るのです。あなたの血には、それを防ぐ責任があるのです――スレイン・ハーゼンヴェリア殿下」
・・・・・・・
その後のノルデンフェルト侯爵の話を、スレインはよく憶えていない。
数日後に国王をはじめ王族の死を公表し、二週間後に王国貴族や周辺諸国の代表者を集めて国葬を行う。スレインの存在は今この瞬間からひとまず王太子という扱いにして、今年中――秋頃を目処に戴冠式を行い、それを以てスレインを正式にハーゼンヴェリア王国の国王とする。
そう説明されたことだけはなんとか記憶に留め、細かな話は聞き流してしまった。
そして今、スレインは城館の最上階、三階奥の一室にいた。そこは前王太子ミカエルの私室だったそうで、華美ではないが質の良い調度品に囲まれていた。
いくら王位継承権一位の王太子になったとはいえ、亡くなったばかりの前王太子の私室では過ごしづらい。せめて客室で寝起きできないか。スレインがベーレンドルフ子爵に相談すると「警備上の理由」で断られてしまった。
王城の構造上、王族の私室は関係者以外の人間が容易に辿り着けない位置にあるのだという。この現状で万が一にもスレインを失うわけにはいかないので理解してほしいと、子爵から言われてしまった。
「……」
二週間前までは王太子ミカエル――自分のような代替品ではない本物の王太子が使っていたであろうソファに力なく座り、スレインは呆けた顔をしている。
昼食は断った。とても食欲は湧かなかった。眠気も感じない。ここに来るまでの一日半、寝てばかりいたせいだ。
目に映る部屋の景色も、吸い込む空気も、とにかくあらゆることにまったく現実味がなかった。母の葬式を済ませて、さてこれから食い扶持を稼ぐために動き始めようと思っていたら、いつの間にか王太子だ。
とにかく、何も分からない。何が分からないのかも分からない。何を考えればいいのかも分からない。王太子とはどのようなことを考えて過ごすものなのか。
「失礼します、王太子殿下」
そのとき、部屋の扉が軽く叩かれ、女性の声が聞こえた。スレインは驚いて身を竦める。
「…………殿下。入室してよろしいでしょうか?」
「あっ、は、入っていい……です」
そうだった。王太子という立場上、自分が入室を許すと明言するまで相手は待つしかないのだ。スレインの慌て気味の応答を聞いて、声の主はようやく扉を開ける。
入室してきたのは、肩口まで伸びた深紅の髪が印象的な、若い女性だった。使用人の服装ではなく、軍装を着ていた。
てっきりメイドが何かの用でやって来たのかと思ったスレインは、女性を見て驚いた。近衛兵の守るこの部屋に入ることができた以上、それなりの立場のある人物なのだろうが、「軍装した若い女性」という要素からはその正確な立場が掴めなかった。
スレインの驚きをよそに、女性は片膝をついて首を垂れる。
「お初にお目にかかります、王太子殿下。私はアドラスヘルム男爵家が長女、モニカ・アドラスヘルムと申します。ノルデンフェルト侯爵閣下より王太子付副官の任を与えられ、殿下のもとへ参上いたしました」
「ふ、副官?」
聞き慣れない言葉に、スレインは疑問を口にする。
「はい。私は殿下のお傍に常に控える副官として、殿下の執務と生活を補佐し、全てのご用命を最初にうかがい、あらゆる面において殿下をお助けいたします」
「……」
何となく、スレインは彼女の立場を理解した。要するにこのモニカという女性は、スレインの従者のような役割をこれから務めてくれるらしい。
ひとつ疑問だったのは、それほど重要な役割を務めるのが、男爵家の一子女だということ。
王太子で、いずれは国王になる人間の副官だ。もっと爵位の高い家の、自分と同性の人間が任命されるのが自然かつ妥当ではないか。
スレインはそう思ったが、口に出すことはしなかった。平民の身で王太子になってしまった自分が、正真正銘の貴族令嬢でもあるモニカの身分をとやかく言えるわけがない。
「今後は私が、殿下のお傍を離れることなく、全身全霊で殿下をお支えします。どうぞよろしくお願いいたします。王太子殿下」
「……は、はい。よろしくお願いします」
モニカは顔を伏せていてこちらを見ていないのに、スレインは思わず頭を下げる。
挨拶を終えてからも、モニカは跪いて首を垂れたまま動かない。何も言わない。
「あっ、か、顔を上げてください」
「はい、殿下」
立場上、面を上げることを自分が許してやるまで彼女の方からは動けない。スレインが焦りながら出した許可を受けて、モニカは顔を上げ、立ち上がった。
「それでは殿下、明日以降のご予定を説明させていただきます」
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