第3話 王位
移動中は眠っていてもいいと言われたので、スレインは気まずい沈黙の時間をやり過ごすために、背もたれに体重を預けて夢の中に逃げた。ここ数日の疲れと、この異様な状況での気疲れのおかげで、微睡む程度には眠ることができた。
夜が明けて馬車が砦に着くと、砦の一室に一人で放り込まれ、そこで休んだ。夕刻にまた馬車に乗せられてからはまた微睡みの世界に逃げ、次に目が覚めたときには王都ユーゼルハイムへと到着したと告げられた。
「……窓って、開けたら駄目ですよね?」
「はい。あまり目立たずにあなた様をお連れするよう命じられておりますので」
スレインが尋ねると、ベーレンドルフ子爵は予想通りの答えを返してきた。
王家の馬車の窓から、どうみてもただの平民が顔を出していてはひどく目立つ。彼の言い分は尤もだった。
ここまでの道中で窓の外の景色を全く見ていないスレインは、自分が王城に向かっているという実感もほとんど湧いていない。
そのまま馬車は進み、やがて止まり、扉が開かれると、そこにあったのは大きな城館だった。
堀と城壁に囲まれた王城の敷地内には、王家の執務と生活の場として館があるのだと、母から聞いたことがあった。目の前の城館がそれらしかった。
馬車を降りたところで、スレインの足が竦む。
白い壁と黒い屋根を持つ城館。手入れの行き届いた前庭。馬車を迎える使用人たち。それらに囲まれた、安っぽい服装と貧相な体躯の平民――つまりは自分自身。
自分の存在があまりにも場違いすぎる。本当に自分はこんなところにいていいのか。
「こちらです。宰相閣下がお待ちですので、お急ぎを」
そんなスレインの様子を意に介さず、ベーレンドルフ子爵が城館の正面口を手で示す。
先導して歩く彼の後ろを、スレインはおそるおそるついていく。広々とした玄関。きらびやかではないが、掃除の行き届いた綺麗な廊下。そんな景色を通り抜け、階段を上がり、ひとつの扉の前でベーレンドルフ子爵は足を止めた。
「ここが宰相閣下の執務室となります」
「あの、貴族の方への挨拶の作法とか、僕は何も……」
「不要です」
どこか無機質な微笑を浮かべて短く答えた子爵は、スレインの返事を待たずに扉を叩いた。
「宰相閣下。ベーレンドルフ子爵です。アルマ様の御子息、スレイン様をお連れしました」
「入れ」
硬質で鋭い老人の声が部屋の中から答え、それを受けてベーレンドルフ子爵は扉を開いた。彼に手振りで促され、スレインはやや震える足で室内に歩み入った。スレインの後ろから子爵も入室し、扉を閉める。
部屋の中にいたのは、齢六十は過ぎているであろう老人だった。扉越しに聞こえた声の印象と同じく、鋭い表情をしている。
「スレイン様、お初にお目にかかります。国王陛下より王国宰相の任を戴いております、ノルデンフェルト侯爵セルゲイと申します」
ノルデンフェルト侯爵から頭を下げられたスレインは、ごくりと唾を呑んだ。
侯爵家といえば、ハーゼンヴェリア王国内に一家しかない大貴族家。そして王国宰相は、この国の内政の頂点に立つ人物だ。
そんな人物にお辞儀をされて、どんな反応を示せばいいと言うのか。
「……ご自身の置かれた状況について、色々と疑問を持たれていることでしょう。順にご説明しますので、どうかお座りください」
侯爵に勧められて、スレインは部屋の隅、応接席のような場所に置かれた椅子に腰かける。その向かい側に侯爵が座り、ベーレンドルフ子爵はスレインの後ろに立って控えた。
「まずは、あなたのお立場についてお伝えします。あなたが何故、このようなかたちで王城へと招かれたのか。それは、あなたがフレードリク・ハーゼンヴェリア国王陛下の庶子だからです」
「………………は?」
目の前に国内有数の大貴族がいることも忘れて、スレインは呆けた声で言った。
「ど、どういうことですか? どういう意味ですか?」
「申し上げた通りです。あなたの母アルマ様は、若い頃に王城で下級官吏として働いていました。そこで、当時は王太子であったフレードリク陛下と男女の関係になり、妊娠をきっかけに王城を去りました。その後に生まれたのがあなた……つまり、あなたは公式に認知はされていませんが、国王陛下の実の息子です。理解の難しい話でしたか?」
侯爵の言っている意味自体は、スレインにも理解できていた。
ただ、とても事実だとは思えなかった。はいそうですかと受け止めるには、あまりにも途方もない話だった。
「そ、そんな……そんな馬鹿な。冗談でしょう」
「私がこのような冗談を言う人間に見えますかな?」
「……いえ」
スレインは答えた。目の前に座るノルデンフェルト侯爵は、見るからに厳格そうな人物だ。とても悪ふざけでこんなことを言うようには見えない。
だから、彼の言ったことは、間違いなく真実なのだろう。
自分の父はこの国の国王、フレードリク・ハーゼンヴェリアなのだ。自分は庶子とはいえ、王の子供なのだ。
信じられないが、信じなければならないらしい。
受け入れ難い話を、ひとまず理性では受け入れたスレインの頭に、新たな疑問が浮かぶ。
「……僕が国王陛下の庶子だとして、どうして今になって王城に招かれて、そのことを明かされたんですか? 国王陛下が今まで一度も僕に会おうとも、父だと名乗り出ようともしなかったのを見るに、庶子の僕はあまり公にしていい存在じゃないのでは? 僕みたいな人間がこんなところに来ても、揉め事の種になるだけかと思いますけど」
問われた侯爵は、少し驚いたような表情を見せた後、目を伏せて黙り込んだ。
やがて視線を上げ、スレインを見る。
「あなたを王城にお招きしたのは、国王陛下が亡くなられたからです」
「……っ」
スレインは無言を保ったまま、目を見開く。
「二週間ほど前、新年の祝祭の夜に、王城で火事があったことはご存知でしょうか?」
「……そういえば、聞いた気がします」
侯爵に言われて、スレインは思い出した。
一月の中旬頃に行われる新年の祝祭。その夜は、家族が皆で夕食を共にし、新しい年を迎えたことを神に感謝するのがこの国の国教における習わしだ。
その夕食時に王城で火事があり、火が上がっている明かりが王都の市街地からも見えたと、スレインの住むルトワーレにも噂話が流れてきた。噂が広まってそれほど経たずに母が死んだので、葬式の準備などに追われてすっかり忘れていた。
「でも、確かその火事では死者も重傷者も出なかったはずじゃ……国王陛下も、自ら王都の広場に御姿を見せて、無事を宣言されたと聞いています」
王城の火事は小火程度で収まり、王族も皆無事だったらしい。そう語られていたのも、スレインがこの火事の件を忘れ去っていた理由だ。
「そう、確かに陛下は王都の広場に立たれ、御身の無事を宣言された。実際はお身体に重い火傷を負われ、立つことさえお辛かったはずなのに、民を安心させて王家が盤石であることを示すためにそうなされた……一国の主にふさわしいお振る舞いでした」
侯爵は重苦しい口調で語る。
「それが十日ほど前のこと。その後も陛下は懸命に火傷と戦われましたが、数日後に亡くなられました。陛下だけではありません……カタリーナ王妃殿下、ミカエル王太子殿下、そして王弟パウエル殿下も火事で亡くなられました。さらには、晩餐に招かれていた陛下の妹君ティーア・ウォレンハイト公爵夫人、その夫君のチェスラフ・ウォレンハイト公爵閣下、お二人のご子息ヴラドレン・ウォレンハイト様も亡くなられました」
「……え」
侯爵の言っている意味を、スレインはすぐには飲み込めなかった。
彼の言っていることが正しいなら、国王とその妻、一人息子、弟と妹、妹婿、そして甥。その全員が命を落としたことになる。公爵は別としても、王家の直系の人間が死に絶えたことになる。
「そ、そんな……どうしてそんなことに」
「陛下はとても信心深い御方でした。新年の祝祭の夜は、この城館の三階にある祈りの部屋で、家族と共に神へ感謝を捧げながら静かに食事をすると決めておられました。今年の祝祭の夜もそのようになされ……その部屋で、火事が起きました。王妃殿下の御召し物の裾に燭台の火が燃え移り、慌てた王妃殿下が扉側の藁束に倒れ込んでしまい、火が部屋中に燃え広がったのです」
祝祭の夜の食事は、大地の恵みの象徴である藁を、室内を囲むように飾った中で取るのが最も望ましいかたちとされている。
全ての人間が信心深いわけではないので、そこまで厳密に祭事を行う家は少ない。実際、スレインの家も、玄関の扉の両脇に細い藁束を飾る程度だった。
しかし当代国王は、信仰を大切にする人物として民の間でも有名だった。そんな彼は、毎年の祝祭の夜、夕食を取る自分たちをぐるりと囲むように、多くの藁束の飾りを室内に並べさせていたのだという。
「陛下と王族の皆様がいらっしゃった一室は、伝統的な祈りの部屋のかたちに則り、入り口が一か所しかない石造りの部屋でした。おまけに窓は小さく……部屋を囲む藁束に次々に燃え移った火は大きくなり、王妃殿下は瞬く間に火に包まれたそうです。その他の皆様は、多くは煙を吸って倒れ、国王陛下と王弟殿下は避難経路を確保するために扉側の藁束をどかそうとしましたが、その際にやはり御召し物に火が燃え移り、全身に酷い火傷を負われました」
部屋の外で異変を察知した使用人や近衛兵たちが、扉を塞ぐ火を消してなんとか室内に入ったときには、王妃と王弟は火傷で、その他の者は煙で命を落とし、国王だけがかろうじて生きていた。
その国王から、室内で起こった一連の出来事を聞いたのだと侯爵は語った。
「本当に……本当に、そんな酷いことが起こったんですか?」
スレインは思わず尋ねた。戦争でも、疫病でも、暗殺騒ぎでもなく、単なる一室の火事で王族が全滅するなど、とても信じられなかった。
事実は小説より奇なりと言うが、これはあまりにも衝撃的すぎる。悲劇などという言葉では片づけられない。
「信じられないお気持ちは分かります。私とて、自分で話していて嘘ではないかと……嘘であってほしいと未だに思うほどです。しかし、これが変えようのない現実なのです。ハーゼンヴェリア王家は、城館の一室を焼いた火事で、当主と直系の一族を全員失いました」
ノルデンフェルト侯爵はそう言って、顔を伏せて黙り込んだ。
スレインはとても口を開けない。スレインの後ろに立つベーレンドルフ子爵も無言を保つ。重苦しい沈黙が室内を支配する。
たっぷり数十秒は経ってから、ノルデンフェルト侯爵が顔を上げた。
「ここまでの話はご理解いただけたかと思います。そしてここからが、あなたにとっては本題となります……結論から申し上げましょう。スレイン様、あなたにはこのハーゼンヴェリア王国の王位を継いでいただきたい」
★★★★★★★
毎日12時ごろに1話ずつ更新していきます。
本作をどうぞよろしくお願いいたします。
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