第4話 約束と破棄

 僕を公園まで運んでくれたガスマスクの女の子が、土足で踏み込んできた。

 僕と誠也の部屋に、だ。

 しかも窓の前だから仕方ないが、僕の机の上に立っている。


『定期報告だ』


「もうそんな時間だっけ? 

 ……分かったよ。だから、ひとまず靴を脱いで、下りろ」


 このままでいい、と言うが、僕がよくないのだ。

 外を走り回った靴で、これから勉強する机の上を荒らさないでほしい。


「勉強なんかしなくてもいいだろ、合格は決まってるんだし」


 と、先に週刊誌を読んでいた誠也が顔を上げた。

 ジャンケンの勝利者がゆっくりとページをめくっている。


 誠也の言う通り、受験はただのポーズであり、実は合格が約束されている。


 クラスのみんなが受験で焦る中、僕と誠也は気楽に中学三年生を謳歌しているわけだ。


「受験関係なく、やっておいた方がいいって……」

「言われたのか?」


「組織がそう言うなら、やっておいた方がいい」

「……ったく、相変わらず真面目だなあ」


 まあ、逆らう気もないし、勉強が苦であるわけでもない。

 やりたくない理由がない。やっておいて損がないなら、やってみてもいいだろう。


 だけど、する予定だった勉強は後回しだ。


 机の上に立つ彼女の両脇に手を差し込んで、持ち上げる。一旦、机の上に座らせてから靴を脱がせ、裸足の彼女が床に足をつけた。

 そして、僕の方のベッドに腰を下ろした。


暗殺対象ターゲットの様子は?』


 キャスターがついた椅子に座った誠也が、床を滑って寄ってくる。


「いつも通りだ。俺たちに向けては隙だらけ。……なら簡単に殺せそうだ、と考えるなよ。俺たちが家族を演じているからこそ、信用されているからこそ、あいつが見せてる隙だろうな。

 いざ殺そうとすれば、殺意を感じ取って、あいつは能力を使う。

 そしたら俺たちはひとたまりもない」


『こっちもいつもと同じだ。仕事中の暗殺対象を狙ったが、返り討ちにあった』


 死者数は三名。


「あ、だから昨日とは別の子なのか」


 見た目は同じだが、僅かに違う部分が細かくある。

 見て分かる違いはないが、感じることで発覚する部分だ。


『ガスマスクも実は新しくなっているぞ』


 いや、そう言われても、デザインに変化がないので分からない。

 新しくなったということは、旧・ガスマスクでは防げなくなったからだろう。


『ヤツの毒の成分が変わった』


「お前らがしつこく狙ってるから、あいつも切れたんだろ。

 ま、奥の手を引き出させているなら、前進はしてるようでなによりだ」


「毒の成分って、操れるもんなの?」


 父さんの能力は、言われている通り、毒を作り、体外へ出すことだ。……のだが、能力が発覚した、およそ十年前の事件を調べた限り、作られた毒は傷口から出たものだ。


 他にも、汗腺から出たり、吐息と共に漏れたり、操作についてはおぼつかない。


 成分を変えるというのは、

 父さんからしたら汗の成分を意図的に変えるようなものなのではないか。


「意図的でなくても、感情によって成分が変わるならあり得るだろ。ストレスを抱えた、疲弊したあいつの毒と、怒りを伴った敵意による毒の成分が同じとは思えないぜ?」


「それもそうか」


 誠也の視線が、ガスマスクの少女へ。


「お前らも、俺らとは関係ないところで襲撃すんのは勝手だが、あまりしつこくやり過ぎると『政府は敵対しない』っつう、あいつと交わした契約を反故にしてることがばれるぞ」


『心配いらない。政府が把握していないまったく別の組織が報道を聞きつけて襲撃している、と言い張っている。

 能力者の争奪戦という名目でだ。特定できれば可能な限り守る、が、さすがに百を越えた数の組織が独自に動き、襲撃者のタイミングや数が分からないとなると守りようがない。そう言い続けて、暗殺対象は納得している』


 納得は、たぶん、していない。

 言っても無駄だとは思っていそうだ。


 百どころか、自分たちが襲撃しているのだから、外敵は実際にはゼロだ。


 思い切り契約を反故にしている。

 組織からすれば、守る気は最初からないのだろう。


 使い捨てのガスマスクたちの犠牲を払い、襲撃を繰り返してデータの収集。それで今回は毒の成分が変わったと導き出せたのだ。

 確か、定期健診もおこなっているはず。そのデータと実際の戦闘のデータを組み合わせ、父さんを丸裸にし、僕たちの元へ二つのデータが送られてくる。

 読んで対策を練ったところで、結局、僕たちは父さんの『隙』だけを引き出すことしかできない。砥いだ牙を、向けられないでいた。


 向けてしまえば、データで見ている脅威が僕たちに噛みつくのだから。


 ここ数年、行き着くところまで辿り着いてしまった感じがする。


 行き詰まったまま、変化がない。


「……勝算ないまま突っ込んでみる?」


「やめとけ。上の連中もお前は失いたくないだろ。それに、家族ごっことして用意された俺たちが裏切ったとなれば、あいつは政府からの首輪をはずすだろう。いつ千切って逃げてもいい力があいつにはある。繋ぎ止めているのは、俺たち家族の存在だからな」


 当然、僕たちの正体を父さんは知らない。

 父さん自身が選んだ、孤児院で育てられた、ただの子供なのだから。


 選ばれたからこそ、僕たちは政府直下の組織に所属し、鍛え上げられた。

 父さんを殺すために。

 ――もう、九年になるんだっけ?


『明日』

 と、ガスマスクの少女が僕を見た。


「あ。訓練の日か」


 彼女が頷いた。

 僕と誠也は部活動には入っていないが、組織から指定されたスポーツジムの会員だ。もちろん、普通のジムではなく、エージェントとして活動するために作られた施設だ。

 表向きはただのジムで、組織に関係ない一般の人も参加している(父さんに向けてのカモフラージュのためだ)。そこで、定期的に戦闘訓練をおこなっていた。


「……訓練の内容って変わっているのか?」

「昔とは違うよ。量も時間も増えてるけど」


「お前、よくあれに耐えられるよな」


「慣れちゃえば楽だよ。なんだかんだと引き取られた時から続けてることだし、さすがに体もそれに合ってきた。逆に今は、定期的にやっておかないと落ち着かない」


 誠也もくる? と誘ってみたが、彼は「死んでもいかねえ」と言った。


 彼も彼で、僕とは別のアプローチで、訓練があるだろうし、負担をかけるのも悪い。

 僕たちは適材適所で振り分けられているし、互いの役目を分かっている。


『じゃあ、帰る』


 ガスマスクの少女がベッドから机に飛び乗り、窓の外に出た。


「靴」

 忘れていたそれを手渡す。

 屋根の上で靴を履いた彼女が、片手で敬礼をした。


 一応、僕たちは彼女たちガスマスク隊(と、僕と誠也は勝手に呼んでいる)よりも立場が上だ。堅苦しい階級を気にしない接し方を望んだが、そうもいかないらしい。


 ちょっと親しくなっても、彼女たちはいつの間にか死んで、入れ替わっている。

 いつからか、僕も敬礼を拒まなくなった。


「じゃあ、次の定期報告で。生きていたら、また会おう」


 彼女が去っていく。

 彼女は、頷かなかった。


 守れる自信がない約束を、彼女たちは絶対に結ばない。

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