第3話 食卓の鬼

 公園のベンチで目を覚ます。

 気付けば夜の七時を回っている。父さんと母さんに心配をかけてしまう時間だ。


「うわ!? …………なにしてんの?」


 隣には、ガスマスクで顔を覆った、小学生ほどの小柄な少女がいた。


「道端で倒れていたお前を見つけて、ここまで運んで休ませてたんだぜ、そいつ。家に送るにはちょいと奇抜な見た目をしてるからな……、ただ、直接会わないなら、なんのためのガスマスクだって思うが……、良い判断だったよ」


 近づいてくる足音と共に、街灯の下に現れた人影が一つ。


「誠也……僕は……どうなったのか、分かったりする?」


「残念ながら。俺に送ってきたお前のメールの文面を見て、夕方に教室を出ていったきり、お前の動向は知らねえ。疲れて眠っていたか、お前にしてはあり得ないが、敵に遭遇して負けた、ってところだろうな。生かされていて、見た目の怪我がないから、敵の線も怪しいが」


 誠也がスマホを取り出した。


「糸上春眞か?」

「なにが?」

「お前が送ってきた、これだ」


 スマホの画面を、僕に見せてくる。


「それ、見せて」

「……同じやり取りはしないからな、振りじゃないからな?」


 誠也が肩をすくめた。

 指摘されて初めて気付く。

 自然と、笑みがこぼれていたらしい。



 食卓は全員で囲む。それが坂上家のルールだ。


「おかえりなさい。遅かったけど、なにしてたのかな?」


 母さんが玄関で出迎えてくれた。公園にいた誠也は僕を探して家を出たため、一緒に帰宅をしてもお咎めなしだった。僕と母さんの横を通り抜けて、リビングへ向かう。


「学校の図書室で勉強してたら、いつの間にか寝ちゃってたんだ、ごめんなさい」

「そっかあ……」


 誠也と相談して決めた言い訳だ。実際、記憶が抜けている僕からすれば、意識を失う前の僕の行動と一致しているかどうかは分からない。嘘だとも言い切れないわけだ。


 それが功を奏したのか、後ろめたさはなかった。


 母さんも、嘘を吐いている、とは思わなかったのだろう。

 力が入っていた肩がすとんと落ちて、ほっと息を吐いた。


「事件とかに巻き込まれていなくて良かった……!」


 そういう心配をしてくれるのは母さんくらいだ。自分と重ねているのだろう。

 昔、悪質なストーカーに粘着されたらしく、以来、夜道を歩くのが怖いのだそうだ。


 今年で三十二歳の母さんの外見は、かなり若い、と思う。大学生に混ざっていても違和感がないだろうし、家族で出かけた時も、僕と誠也が傍にいない時に、何度もナンパをされていた。


 髪は栗色のセミロングで、若者の最先端ファッションを着こなしている。読者モデルにいてもおかしくはない容姿だ。確かに、これでまさか子供が二人もいるとは思わないだろう。


「大丈夫だよ。男なんだから、自分の身くらい、自分で守れる」

「自信があるのはいいけど……、それが慢心にならないように」


 被害者だった母さんは、誰よりも恐怖を知っている。だからこそ気を抜くなと忠告をしてくれている……、男の僕にストーカーがいるとは思わないが、慢心しないように、という教訓は、素直に受け取っておこう。


 これから始まる受験に当てはめてみれば、無下にもできない。自信満々だった教科が足を引っ張る事態もあり得る。自分はできると過信するその思考こそが、すくわれる足を作る原因だ。


「うん、分かった。ありがとう、母さん。心配してくれて……」

「そんなの、家族なんだから当たり前でしょ?」


 頭を軽く撫でられ、手を引かれてリビングへ。


 料理が並べられた食卓があり、椅子は四つ。


 既に父さんと誠也は、椅子に座っており、

 父さんの前に僕、誠也の前に母さんが座る。


「ただいま」

「おかえり、辰馬たつま。さて、それじゃあ、食べようか」


 父さんは遅れた理由を聞かない。玄関での会話が聞こえていたのか、そういう指導は母さんに一任しているのか。……思えば、直接、父さんに怒られたことは一度もなかった。


 場の雰囲気を感じ、怒っているのが分かった時は、僕たち兄弟は、空気を読んでおとなしくしていた。理想の子供を演じていたのだ。

 それに、父さんは元々、喋る方ではない。仕事先ではどうか知らないが、家の中では事務的なことしか話さない。

 母さんを相手にしても、基本的に聞き手に回り、ああ、とか、そうか、と、頷いていることが多い。……父さんは雑談をしない。聞きたいことは直球で聞いてくる。


 無駄な時間が嫌いなのだ。

 食事を終えてから、父さんが聞いてきた。


「お前たちは、高校、二人とも、同じでいいんだな?」


 誠也と相談して分けることも考えたが(受験の競争率が上がるためだ。しかしそれも杞憂だったと分かり、別々にする理由もなくなった)、結局、同じ高校に決めた。

 これまでずっと一緒だったのだ、今更、誠也がいない学校生活というのは考えられない。


 勉強には自信がある。父さんは志望校について、とやかく言わなかった。


「……自分で決めたのなら、尊重する。まあ、そうだな、頑張りなさ……いや、頑張れ」


 そう言い残し、父さんは食器を片付けて自室へ戻っていく。


「今さ、父さん……が」

 誠也に目を向けると、彼も気付いたようだ。

「ああ。少しだけ、俺たちのことを見てくれたってことなんだろうな」


 口調が事務的じゃなかった。普段、僕たちにまったく興味を示さない父さんが、あんな言い方をするなんて……心境の変化でもあったのだろうか。


「なーに言ってんの。あの人は二人のこと、ちゃんと見てるんだから。……まあ、ちょっと口下手だし、そう感情を表に出す人じゃないし、年下の扱いに慣れていないけど……、二人の将来のことを一番よく考えてくれてるんだから」


 食事を終えた母さんが、お風呂の準備をするために席をはずした。

 昨日で十月に入った。最近は日によって、肌寒くなってきている。


「なあ、辰馬」


 食器をシンクに置き、蛇口を捻った僕の背中に声がかかった。


「お前が送ってきたあの文面には、やっぱりなにか意味があるんだろ? 暗号と考えるのが正しいだろうが、もしも文面通りなら、可能性はあるんじゃねえか?」


 文面通り。糸上春眞は、能力者。


 確かに、前例がいることを僕たちは知っている。

 一人いれば二人いてもおかしくはないとも言えるが……。


「使えるか?」

「事実かどうかも分からないよ」

「もしも、事実だとしたら。上手く使えば、?」


 そんなこと、やってみなくちゃ分からない。


「そりゃそうだよな。正式に認められた世界で唯一の能力者で、大量殺人を犯した殺人鬼。……あいつの能力に対抗できる能力は、そうあるはずもない」


「文面を見る限りじゃ、難しそうだ」

「使いようって気もするけどなあ」


 それを言い出したら、あいつの能力だって使い方次第で、いま以上の脅威になる。

 やろうと思えばこの家にいる人間を全員、音もなく殺すことができるのだから。


「とりあえず、後日、調査して確かめてみる」


「ああ。確認が取れたら、アプローチをする。

 本当に能力者なら、俺たち側に引き込む可能性もあるからな」


 それが確実になりそうだ。


「そろそろ決着をつけたいところだな。

 こんな潜入任務をさっさと終わらせて、普通の高校生活をエンジョイしたいしよ」


 普通か。既に僕にとっては、この生活が普通だと感じてしまっている。

 誠也が思う普通とはなんなのだろうか、と気になった。



『大量殺人鬼、坂上臣さかがみしんの殺害依頼』



 それが僕と誠也に渡された、九年前から続いている任務だ。


 ――そう、僕たちの父親である。

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