第1話 逆転の一手

糸上いとうえ春眞はるまは能力者だ。

 手に持つハサミで物体、しかも生命を問わず、形なきものさえ裁断する。

 切り取り、貼り付ける、まるで小学生の工作みたいだ』


 ……と、手帳を見たら僕の文字でそう書かれてあった。



「……用意周到なやつ……」


 手帳の文字を見せつけると、そう悪態を吐かれた。


 数秒前に、階段を下りて帰ろうとしていた女子生徒を呼び止めた。

 彼女が手帳に書かれていた、糸上春眞だろう。


 事前に調べて貼っておいた顔写真を見て知ったから間違いはない。

 低い身長、小柄な体格が、小動物を思わせる。


 ショートボブの茶髪を、片方だけ結んでおり、まるで犬の尻尾のようだ。

 ぴょこぴょこ小さく跳ねながら階段を下りていると、まさに喜んでいるように見える。


「あたしの能力を見破ったのは、坂上さかがみくんが初めてだよ」


 彼女は仁王立ちで僕と向き合った。


「あ、じゃあこれって、僕の勘違いや妄想なんかじゃなかったんだ」


 僕の文字であることは信じられるが、書いた状況までは推測の域を出ないし、信用もできない。彼女から否定されたら、それはそれで、色々と切ろうとしていた手札があったのだけど……どうやら必要ないみたいだ。


 しかし、こうも簡単に白状するとは思わなかった。

 大きく胸を張っていた(アンバランスにも思える大きなバストだ)糸上春眞が、自分の失敗に気付いて、「あ」と思わず声を出し、張った胸を引っ込めた。


 頬をほんのりと赤く染めて、分かりやすく、こほんと咳払いをした。


「……知ったからどうだって言うのよ。

 あたしに一度、記憶を切り取られてるってことを忘れてるわけじゃないでしょ!?」


 記憶を奪われているなら、忘れてるはずなんだけど……。

 思わず噴き出しそうになる言い方だった。


 切り取られる、か。記憶の空白に納得がいった。数日間、丸々の記憶がないのではなくて、糸上春眞というワードで検索した記憶の、該当する部分だけが抜かれているのだ。


 糸上のことが分からないわけだ。

 だけどメモは残る。だから僕は、違和感に気づけた。


 遅かれ早かれ気づくだろうけど、手帳に書かれていた内容が、興味を引きつけた。


 能力者。

 これはさすがに、面白い。


 というわけで、放課後、一人でぽつんと教室にいた不安になるスタートから、どうしてこんな状況になったのかを解き明かすよりも先に、糸上春眞へ突撃することを選んだ。


 結果、さっさと帰ろうとしていた糸上の背に追いつくことに成功したわけだ。


 用意周到さもそうだが、過去の僕は未来の僕をよく分かっている。

 ここで本題だ。


 過去の僕はひとまず糸上春眞に追いつけと、能力者というワードで僕の興味を引きつけた。

 なら、そこには追わせる目的があったのだ。


 僕は糸上に見せていた手帳の、次のページをめくる。


「君の仕業なんだろ。ネットの匿名掲示板で、僕が『一人の生徒を名指しで非難した』ってことになってる……。周りの女子からの視線が凄く痛いんだ。誤解を解いてくれよ」


「そんなの知らないよ。匿名なんだし、坂上くんが非難していないって証拠もないじゃん」

「僕はネットを使わないんだよ」


 持っているスマホも、最低限、家族との連絡でしか使わない。

 友達とやり取りをするのも基本的に電話か、メールを使う。


「被害者の女子はネットで見たって言ってたよ」

「さっきからネットって言うけど、一応、アプリだからね」


 そうそれ、アプリだ。……ネットとは違うのか? ともかく、僕はそのアプリを使わないし、だからこそ珍しいと、一時期クラスで取り上げられたこともあった。

 遅れてるどころか、老人扱いされたのが記憶に新しい。


 それは男子だけではなく、女子も巻き込んだ周知の事実になっている。

 だからこそおかしいのだ。


「僕がアプリを使わないって知っているみんなが、どうして僕を疑うんだ?」


「スマホの二台持ちを疑ってるとか? 人には二面性があるし、機械音痴の坂上くんのキャラは、ただ演じているだけかもしれない。

 実は、裏では匿名掲示板で人の悪口ばかり言ってストレスを発散して、非難が話題に上がった時は日頃のキャラクターがあるから疑われるはずがないって計算しているのかも!? ――て、思った子が多いだけでしょ」


「だとしても、僕を真っ先に疑うか?」


 非難しそうな奴は他にもたくさんいる。

 誰とは言わない。特定ができないからだ。


 二面性を考えれば、全員がやりそうなものだ。

 匿名となれば、始めるハードルも低い。


 それに、被害者は女子だ。加害者も同じく女子だと推測しそうなものなのに、そこを男子で、しかも僕に辿り着くとなると、意図的な誘導があったと思うしかない。


「それにここ最近、同じように身に覚えのない罪を被せられた生徒が数人いるみたいだ。弁解しても聞く耳を持ってくれず、確かな証拠もないのに憑りつかれたようにみんなから犯人扱いされている。……で、数日前の僕は、探偵並に動いていたみたいだ」


 そして、重要な手がかりを掴んだ。だからこそ、僕は数日間の記憶を抜き取られている……、だとすれば、手がかりが真相に近いという証拠になる。


「掲示板での非難、女子更衣室の下着泥棒、上位成績者のカンニング疑惑……、色々とはしゃいだみたいだな。非難された女子生徒は、前日に君と言い合いの喧嘩をした相手だ。下着泥棒は、元々、誰かに押しつけるためだったんだろ? 強固なセキュリティこそないが、人の目がそれに近いか。障害が多い更衣室へ侵入できる男子なんていない。……盗撮ならまだしも、直接、部屋に入って盗むのは、男子からすればリスクが大き過ぎる。

 だけど女子なら、簡単だ。上位成績者がカンニングをしたと疑惑が向けられている中、順位を大きく上げたのは、君だけだった。他にも、細々としたものがあるけど、全部が君の利益になっている。その上で、疑われる危険性を含んでいるけど、全部が他所へ向かっている。

 悪評が君を避けるから、ちぐはぐな部分が目立つんだ。こうして僕が気付くみたいにね」


「…………」


 階段の位置の関係上、上目遣いで睨み付けられていた。


「返す言葉はある?」

「じゃあ返すけど、疑惑を違うところに向けるって、どうやるの?」


「それは知らないけど、でも、できるでしょ。能力者なんだから」

「能力者がなんでもできると思わないで!」


「少なくとも君にはできるだろう。記憶を消すのではなく、切り取る、と書いてある。それを貼り付ける、小学生の工作みたいだって。

 昔、僕もやったよ、ゴミになった余りものを使って新しいものを作ったんだ。もしくは元からあるものに足してみたりして、グレードアップさせて遊んだりもした。

 それと一緒なんじゃないかって、僕は思ったんだ」


 結論は、既に過去の僕が出していた。


「自分に向けられた疑惑と悪評を切り取り、他人に貼り付けたんだろ?」


「……っ! ほんと、すっごいね。どうしてそこまで見破れるのか、頭の中を見てみたい」


 階段を上がる彼女の接近を許す。それが最大の失敗だった。


 原因は、一つの失念だ。

 疑惑や悪評と言った、形なきものを切り取るという能力の裏側の部分に目を向け過ぎていて、目立つ表側の能力の危険性をうっかりと忘れてしまっていた。


 じゃきんっ! と、二枚の刃が重なった音が聞こえた時にはもう遅く――、


 ハサミの両刃が、僕の首に深々と喰い込んでいた……。


 手に持つハサミで、物体を裁断する。

 信頼していた手帳のまず最初に、そう書かれていたはずだっただろう。


「こそこそと嗅ぎ回っちゃってさ、楽しかった?」


 

 彼女は力を緩めない。

 さらに首に入り込んでくる感触が、不快だった。


「そこそこ楽しめた。また一から繰り返しても、きっと君に辿り着く。簡単なんだよ、謎解きが。悔しかったら能力に頼り切りじゃなくて、ちょっとは頭を使ってみろ」


「うっさい、ばぁーかッッ!!」


 そして、ブラックアウト。



 目を覚ました時、癖で内ポケットにある手帳を取り出そうとしたが、なかった。

 どこかに落としたのかもしれない。


 個人情報が書かれてあるわけじゃないし、ただのメモ程度のものだ。職員室にある落としもの箱に入っていなければ諦めようと思い、教室から出ようとしたら、先に扉が開いた。


 足蹴にして開け、入ってきた人物は、女顔に見える学校一の優男である。


「放課後に一人で教室にいて、なにしてんだよ」

「そっちこそ、校内にいるなんて珍しい。デートは?」

「切り上げてきた」


「え、なんで? いま付き合ってる彼女は別にブスじゃなかった気がするけど。性格が悪かったりしたの? 匿名掲示板で特定の誰かを徹底して非難したりとか」


「それはお前のクラスでの揉めごとだろ。つーか、それについてお前に呼び出されたからわざわざ切り上げたんだけどなあ……呼び出したお前が忘れてるなんて、どういうボケだ? 笑える方か、笑えない方か? どっちにしろ、デートを切り上げさせられた俺としては笑えねえけどな」


「?」と、首を傾げていると、スマホの画面を押しつけられた。


「お前の妄想を、俺のスマホに送りつけたとか言うんじゃねえだろうな?」


 俺はお前のクラウド機能じゃねえんだぞ、と文句を言われた。

 ……クラウド機能。


 アナログの記録媒体を紛失した際に、内容をすぐに取り戻せる、ネット上に保管されているバックアップ。


 過去の僕にどういう意図があったのか分からないが、本来のクラウド機能ではなく、誠也せいやに送って、こうして送り届けてもらったことに、なにか重要な意味がある。


「それ、見せて」


 誠也のスマホの画面を見て、僕は自覚なく、彼から言われるまで分からなかった。


「……なににやけてんだよ」

「え? にやけてた?」


「現在進行形でな。垂らした餌に魚が食いついた時とおんなじ顔をしてるぞ」


 休日によく釣りに行く相方がそう言うのなら、そんな顔をしていたのだろう。


 ただし、今日に限っては同じ笑顔でも、釣られたのは僕の方だ。

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