第2話 彼の隣に

 背後から聞こえた足音に意識が持っていかれそうになるが、後ろを見たら最後、前方の瓦礫に押し潰されてしまうだろう。

 手を当てれば魔法が発動し、瓦礫は液体に変わる――とは言え、意識していなければ変化は起きない。無条件で変化するのであれば、剣を握ればすぐさま液体になってしまうからだ。


「きゃ――んむ!」


 近くの悲鳴にはっとして、意識が後方へ持っていかれる。

「姫サン!?」

 振り向いたディンゴの視界から消えたアリスを目で追うが、真横に落ちた瓦礫が地面を割って、小さな破片が勢い良くディンゴの肉体を突き破った。


「がッ」


 地面を転がるディンゴが見たのは、酒樽のように抱えられたアリスの姿だ。


 攫った男は金色をした鉄の鎧を着ており、時折、自重に体がよろけて倒れそうになるも、偏った重心へ無理やり体を傾けることで、なんとか転ばないで走っていた。

 その不安定な走りが運良く瓦礫を避けているのか、彼は瓦礫に一度も当たっていない。


 ……違う、偶然に見えて、あいつは瓦礫が落下したばかりの場所へ向かってんのか!


 一秒未満で、瓦礫が連続で落下することはない。瓦礫をこうして落下させている方も、できるだけ散らせているはず……、

 標的がいる場所の周辺、たとえば円に限定すれば、そこへ集中はさせるものの、枠からはみ出さない程度に全体を叩くはずだ。


 同じ場所に続けて二回も瓦礫を落としたりはしない。


 落としたとしても、僅かな時間をあけるはず……それを狙って――。


 鎧を着た青年が、逃亡ルートを導き出した。


「あッの、野郎!!」


 追うディンゴだが、瓦礫が視界を阻む。

 ここまでくるともう運だが、彼が進もうとする軌道に限って、邪魔をしてくるように瓦礫が落ち、そして積まれていく。


 まるで、迂回しろと言うように。


 誘導するように、道が作られていた。


「…………」


 積まれた瓦礫を登り、越えるには、次々と降ってくる瓦礫を考えると難しい。


 幸い、壁の向こうにはもう一人いる。


「アルアミカァ!!」


「あ! あんた無事なの!? 今、そっちに――」


「くんな! お前は、姫サンを追え! 金色の鎧を着た奴が姫サンを抱えて逃げてるはずだ!

 俺は……、お前の過去にちょっと踏み込んでくるが、構わねえよな?」


 壁を挟み、だけど隣にいるかのような声の近さに、やがて小声に変わっていく。


「……今更じゃない?」


「そうだな。今更、なにを聞いたところで、お前を見捨てようとは思わねえしな」


 壁を隔てた向こう側、アルアミカに向けて、ディンゴが拳を向ける。


「俺の一番大事なもん、任せたぞ」



 壁の向こうでは、流し切ったと思った涙を流す、赤髪の少女が。


 彼の姿は見えていないはずだが、まったく同じように、拳を突き出して。


 ……ありがと。

 そう小さくこぼし、


「うん! だからあんたも――負けんなッ!」



 視線の先に見える、よく目立つ金色の鎧を纏う男を追うため、石造りの家の屋根に上がったアルアミカを待っていたのは――騎士だった。


 ディンゴと同じ軍衣を身に纏っている。ただし――女性だ。


 女性というか、女の子だった。


 この状況でどうして立ち塞がるのか、分からないため、


「…………?」


 と首を傾げるアルアミカのすぐ前に――彼女が距離を詰めて、そこにいた。


 剣は既に抜かれており、刃の鏡面に映る自分と目が合った。


 咄嗟に魔力を操作しようと体内へ(感覚的に)手を入れたが、なにも感じない。


 そうだ……、もう魔女ではないのだと思い出した時には、もう腕が斬られていた。


 切断まではいかなかったが、服が裂け、肌色が見えてしまっている。

 斬られた肉から血が溢れて、足下に血溜まりを作り始めた。


 遅れて熱を感じる。

 血を止めるため手で押さえるが、隙間から血が止まらず滴り落ちる。


 半歩下がっても、一歩下がっても、彼女との間合いは変わらない。


 彼女の射程圏内に、入ったままだった。


「…………腕の、刻印……」


 彼女は眷属だ。

 この国の魔女は二名……、アリスでなければ、限られる。


「国を潰そうとした相手に寝返るなんてね……、今だって被害がたくさん出てるって言うのに、助けもしないでわたしを追ってきて……。一体、なにを天秤にかけられたの? 国よりも重たく傾く、あんたが欲しいものが気になるけど……」


 真面目そうな騎士だ。だが、人を見た目で判断してはならない。


 見た目を言えば、おとなしそうに見えてフルッフだって意外と活発に動くものだ。


「ディンゴは許したみたいだし、姫様もあなたを慕っていると言っても、内心ではまだ消化できていない人がほとんどよ。国王様と王女様の殺害があなたではないにしても、姫様を一度殺したことには変わりないじゃない」


 フルッフの眷属であれば、誤解が解けていても、真実は聞かされているはずだ。


 国王と王女の殺害を聞いても尚、フルッフに忠誠を誓った刻印を持つ彼女は、それよりも重視するものがあるらしい。

 でなければ平然と国殺しの魔女に従ったりしない。


 動機は姫様殺しのアルアミカへの怒りではなく、もっと別のものだ。


 喉から手が出るほど欲しいもの……とか?


「あんたが……邪魔よ!」

「邪魔って……」


「私の大切なものを、大好きな、な、のに……ッ!

 簡単に横から掻っ攫っていきやがってぇッッ!!」


 身に覚えのない指摘だ。……え、奪う? 知らない知らない! と、首を左右に振るが、彼女の怒りをさらに逆撫でする結果になってしまった。


「そうよ、自覚がないから、なお腹が立つ」


 なによりも。


「あいつ自身が選んだことが一番、むっっかつくのよォッ!!」


 その言葉に、さすがにアルアミカも気付いたようだ。


 彼女の想いの強さを。彼女が想う『あいつ』の性格も考えた上で、ああ、そりゃムカつくよねえ、という同情の念を抱きながら。


 精神的に彼女よりも優位に立てたことは、実力差をひっくり返す、きっかけになる。


 かつて、まだ引っ込み思案で、魔女学院で選別されたクラスの中で、ほとんど目立たなかったフルッフは、こう語っていた。


『……アルアミカさんって、人が言われたくないことをずばっと言うよね……』


 言うくせに、言われるのは慣れていないときたものだ。


 まあ、彼女自身、自覚して言っているわけではないようだが。


 だから今回も……、例外ではない。


「あ、フラれたんだ……。

 でもさ、あいつはたぶん、相手にしてないと思うけど」


 論外なんじゃない? とまで。


「でも大丈夫だよ、きっといつか、『あ、なんだいたんだ』みたいな感じでやっと見てくれる日がくるはずだからさ!」


 アルアミカが想像した『あいつ』が、そんな風に人を認識したことさえ凄いことだと、アルアミカは説明したわけだが、少女騎士にとってはその段階であっては困るのだ。


 実の、ではなくとも、姉(妹)である。


 家族に向けて、『あ、なんだいたんだ』とは、興味がなさ過ぎるだろう。


「……バカにしてんの? してるわよね、してなきゃそんな言葉は出ないしっ!」


「まあでも、こんな風に敵に寝返ったあんたに、あいつが抱くのは恋心なんかじゃないってのは、的外れだったわたしでも分かるけどね」


 的外れの次には核心を突く。

 ぐうの音も出ないゆえに、腕に力が入るのは仕方ない。


 剣が大振りで迫る。意識して後退し、避ければいい――、だが、またもや下がった分、距離が詰められ剣が届いた。

 今度は精度が甘く、斬られた部分から噴き出す血の量も、一度目に比べれば少ない方だった。


「最初は恨みでも、怒りでも、敵対心でもいい……。

 振り向かせないことにはなにも始まらないから」


 ……意識してみれば、間合いが詰められているだけなのよね……。

 地形が変わったとか時間が巻き戻ったとか、そういう眷属としての魔法じゃない……。


 アルアミカが思い出したのは、フルッフの、魔女として司る魔法の種類である。

 確か……、『罪』だったはず。


 有名な七つの大罪と言われる魔法の、下位互換だった。


 大別されたものからさらに細分化された、誰もが慣れ、親しみある日常的な罪だ。


 罪を司る魔女から、授けられた魔法と連想すれば……彼女の魔法を読み解ける。


 ただ、読み解いたからと言って、優位に立てるとは限らない。


 それ以前に。

 アルアミカはまだアリスから授かった魔法さえ、分かっていなかったのだから――。

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