part4

第1話 vs魔女

 彼は堅牢な意志を持ち、決して揺らぐことはないと思っていた。


 自分がどれだけ言ってもなびいてくれないのだから、他の誰が言っても(彼が執着する姫様でない限り)彼の感情を動かすことはできないと高見の見物をしていた。


 姫様を除けば自分が最も近い存在なのだと信じて疑わなかった――はずなのに。



 時間はたっぷりとある……、

 その余裕が、努力の怠慢が、横から掻っ攫われる悲劇を生んでしまった。


「……なんで」


 だって、もしも感情が揺れたとしても、決してあの子ではないと言い切れるのに。


 彼が絶対に許せないことを、あの子はしていたと言うのに……。


「あ……、これ、夢なのかな?」


 だとしたら悪夢だ。


「そうだよ、夢だ、夢、夢……ほら、だって剣でこうして傷をつけたら――」


 斬りつけた腕の傷から血がどくどくと溢れてくる。

 滴り落ちる血までもが、完全再現されている……なるほどかなり現実に近い夢だと言えた。


 目を瞑り、再び目を開ける。さあ、これで夢から醒めたはず……。


 だけど腕の痛みは消えず、次第に激しさを増してきた。


「どう、して…………ッ」


 夢だと思いたかった真実は、当然のように変わることはなかった。


「彼を取り戻したいのなら、僕の手伝いをしてほしいんだけど」

「きゃっ……、え、誰……?」


 背後から肩に手を置かれ、全身がびくんと跳ねた。


 帽子を被った少年……のように見えたが、腰のラインなどを見れば少女だと分かった。


「実は、君がいま嫉妬している原因のあの赤髪の女の子、理由わけあって捕まえたい……できればそのまま撃退してくれるとありがたいんだけどね。

 ちょっとした因縁があってさ、だけど今は彼に守られてしまっていて手が出せない。君の力を借りたいのだけど、いいかな?」


「……あなたは」


「名前はフルッフ。悪いようにはしない。というより、君にぴったりの報酬を渡せると確信したからこうして声をかけているよ。

 君にとって、彼女は邪魔だろう? なら、排除してしまえば、少なくとも君を邪魔する者はいなくなる。後はいくら時間をかけようが、君の独壇場のはずさ」


 姫様がいる限り、独壇場ではないのだが……、最大の障壁は一日そこらで取り除けるものではない。……運悪く、突発的に命を落とさない限りは。


「……でも、私の剣の腕は……、それに力だって、女だから強くはないのよ」

「その点については大丈夫だよ」


 女同士だから、とは言っても、ドキドキすることに変わりはない。

 急接近してきた少女の唇が、頬に触れた。


 ちゅっ、という音が耳に近いため、鮮明に聞こえてくる。

 甘い匂いが漂ってきて、顔を真っ赤にさせてへなへなと足腰が柔らかくなってしまった。


「へあ、な、いきなり、なん、なに、を……!?」


「剣の実力は求めていないよ。それに、男相手ならまだしも、君の相手はあの子じゃないか……女同士であれば、君はきっと基礎体力からして、負けないと思うけどね」


 じゃあ、手筈通りに任せたよ、と去っていく少女の後ろ姿を見送る。


 数分してやっと顔の赤みが引いた彼女が立ち上がろうと地面に手をつけた時、手の甲に浮かび上がる刻印が目に入った。


「…………さん?」


 数字の『三』が、刻まれていた。



「聞き捨てならないが、僕がいつ、君を騙そうとしたんだ? その子に移った魔女の力をアルアミカに返すことで、僕たちの標的はアルアミカに戻る。

 君の大切なお姫様を竜の餌にすることもなくなるんだ……わざわざ戦う理由もないだろう?」


「あいつを差し出すってのも後味が悪いしな、取引は成立しねえよ」


「理解できないな。人殺しを隣において、君は気にしないかもしれないが、その子は強がっているのかもしれないのに」


「もう許したもん」


 と、アリス。


「だ、そうだ。それに、姫サンからあいつに魔女の力を戻すとお前は言ったが、やり方はともかく、仮に力の譲渡ができたとしてだ。

 禁忌と言われてるやり方で人間を蘇生しておいて、魔女の力を戻した場合、蘇生した人間がそのまま生きているとは思えねえな。

 元に戻すというのなら、姫サンの蘇生も、元に戻るんじゃねえか? 俺が取引に応じていたら、あいつは標的に戻り、姫サンは死んだまま――お前らが得をするだけだろ」


 全て推測である。正解は求めない、間違っていても構わない。


 アルアミカを差し出すという条件など、飲む気はないのだから。


「盤外戦術を仕掛ける段階はもう過ぎた。互いに譲れねえし、妥協もできねえ。

 そもそも命が懸かってんだ、言葉で解決すんのは無理だ。やるしかねえだろ」


 ディンゴの剣が魔女フルッフに向いた。


「この喧嘩、買ってやる」


「いいや、ここからは戦争をしよう」


 フルッフが開戦合図を出した瞬間だった。


 遠く、町の方から破壊音と共に飛んでくる物体があった。


 小さな点に見えたそれは、近づいてくるにつれて巨大になってくる――、

 本来の大きさを、脳が理解したのだ。


 飛んできたのは人間よりも大きな岩だ。

 石造りの家の破片。破壊音は家が砕き割られた音だったのだろう。

 今も連続して響き、そして砕かれた家の破片が、斜めにディンゴたちの元へ降り注ぐ。


「姫サン!」


 ディンゴが体を前にしてアリスを庇う。アルアミカは近くの建物に隠れて降り注ぐ瓦礫を防いでいた。周囲にいた男たちも同様にすぐに身を隠したようだ。しかし……、


「おい! お前、なにしてんだッ!!」


 全員が隠れたからこそ行動の異常さにすぐに気づけた。

 魔女フルッフは逃げることなく、その場に立ったままだった。想定外の事態に体が動かなくなったのか……? ディンゴはアリスから受け取った魔法で瓦礫を液体に変えながら隙を見て、敵である魔女を気にかけるが……、


「なにを慌てる必要がある? 僕は魔女だ。そしてこれは、敵意ある攻撃だぞ?」


 魔女に当たるはずだった瓦礫が、彼女の寸前で見えない壁によって阻まれていた。


 意図的に、味方に当てる攻撃――、敵意が全て味方に向けば、敵に向くことはない。万が一の可能性を考えれば、するべき策ではないが、騎士一人を戦闘不能にするためであれば仕方のない戦法とも言える。


「君を信じてみよう。その子を必ず守ってくれるのだろう?」


 敵意がなければ魔女の壁は機能しない。眷属がいる魔女は無敵に思えるかもしれないが、些細な事故で命を落とすことは普通の人間と変わらず存在する。


 意図的に(考えた時点で敵意ありと判断されてしまうが)魔女を殺そうと思えば、本当の事故を利用するしかない。


 魔女の特性を利用した先制攻撃。

 町、上空からの奇襲――まさに、開戦の合図だ。


「合図があるだけまだマシだと思った方がいいさ。

 実際は、気付けば始まっていて、気付かぬ内に殺されているのが戦争なのだから」


 路地裏の喧嘩程度の認識だったディンゴにとっては、刺さる一言が浴びせられる。


「……戦いを、なめるな」

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