第7話 アリス その2

「……なんで、ここまでするのよ……」

「お前を守ると一度でも言った以上、途中で投げ出さねえよ」


「だって、わたしは、たくさんの人を、犠牲にしてきたのに……ッ!」


 復讐心に憑りつかれた男。

 彼の大切な人を、アルアミカが殺した……。


 弁明するわけではないが、わざとではない。

 だけど結果的にそうなってしまった。


 過程はどうあれ、原因はアルアミカなのだ。


「わたしは守られるべきじゃない……ッ」


「そうやって抱え込むだけマシだろ。中には人を殺しておいて、なんとも思わない奴だっているんだ。人間の中にもいる……最低、最悪な奴がな。

 自分で責め続けるなら、もうそれが罰でいいはずだ。お前は自分に厳しい。なら、周りにいる俺らくらいは、お前を助けようと思ったっていいじゃねえか。好きにさせろよ、俺の人生だ」


 その時、アルアミカがディンゴの腹部に刺さっていたナイフを思い切り引き抜いた。


「あぐっ!? ッ、て、てめえ……抜く時は抜くって――」


「絶対に、苦労する。あんたは、幸せになれなくても……?」


「幸せになんかなれねえよ。だからなるんじゃなくて、させるんだ。……姫サンが幸せになれるなら、俺は地獄に落ちたって構わない。

 あの人に人殺しをさせるくらいなら、俺が殺す。これまでずっと、そうして手を汚してきた――お前よりも断然、最悪なんだ」


「違う!! わたしの方が……」

「ああ、最悪だ」


 直接的な言葉にむかっとして、アルアミカが顔を上げる。

 目を合わせた時、あいつ(ディンゴ)は楽しそうに、笑っていた。


「自分では最悪だと言いながら、人に言われたら腹が立つってわけか。

 それともお前以下の俺に言われることが苛立ったか?」


 誰が上とか下とかは考えなかったが、お前が言うな、とは思った。


「いいんじゃねえか、それで」


 アルアミカは黙っていたが、彼女の表情を見てディンゴが答える。


「犯した罪を踏み倒すくらいでいいんだ、じゃねえと気持ちは沈んでいく。自分で勝手に押さえて、縮こまっちまう。塞ぎ込まれても周りは迷惑なだけだ。お前を好いて近づいてくる奴はお前の事情なんか知らねえし、直接、助けてと言わなきゃ踏み込んでくる奴はいねえもんだ。過去ばっか見て、今お前が持つ繋がりを雑に扱うってのは、酷い話だろ」


「なによ、わたしに、仲良くしてほしいわけ?」

「そういう敵意が向けられるなら充分だ」


 ……なんでこいつは、上から目線で……!!


 だったら言ってやる。

 どんな困難が待っていようとも、気を遣う必要はないのだ。


 守ると言ったのだ、だったら最後まで、逃がさない。


 こいつには、責任を取らせてやるのだ――!


「わたしたちを、絶対に守りなさい!! そして、助けてッ!」



 助けてもらう立場でありながら、強気のその姿勢はまったく、彼女らしい。

 さっきまでの弱腰が嘘のように、アルアミカは立ち直っていた。


 過去を振り切ったわけではない。

 それはしてはならない。己の罪を自覚したまま、ただ縛られなくなった。


 自傷行為をしなくなっただけで、随分と違うはずだ。

 こっちは守りたいのに、一人で勝手に傷を作られては、堂々巡りになってしまう。


「何度も言わせんな」


 アルアミカの懇願に、ディンゴは最初から、応えていたはずだろう。


「お前が過去、どんな人間だろうが知らねえよ。俺が知ってんのは姫サンとじゃれ合う年相応のお前だけだ。……守ると言った。助けると言った! 曲げねえよ――負けねえ」


 ディンゴは、視線を、一人で取り残されているように不安がる、一人の姫様に向けた。


「姫サンは、どうすんだ? 

 あんたはこのまま、母親の亡霊と一生、付き合う気かよ?」



「亡霊……?」


 そんなわけない、と否定する。

 だって、目の前には、変わらない姿の母親が立っているのだから。


 おいで、と言うように、手を広げて待っている。

 アリスが、縋るように手を伸ばした。


 だけど見ている母親の頭が、一筋の光によって貫かれ、眼球がぐりんと上を向き、真下に見えた火によって溶かされていく。


 明るい黄色と白く見える肌色が混ざり、液体となってアリスの足下に流れてくる。


 溜まった液体が、アリスのくるぶしまでを浸からせた。

 動けない。


 液体がまるで手の形をして、彼女の足をがしっと掴んで離さなかった。


「母様……っ」


 前を見れば変わらない姿の母親がいる。

 その隣には、今よりも幼い、自分の姿も見えていた。


「え……」


 母親が隣にいる子供を抱きしめ、仲良く手を繋いで背を向けた。

 その子は確かにアリスだ……だけど違う。――本物は、わたしなのに!


「いかないで――母様ぁ!」


 手を伸ばす。しかし指先がこれ以上先へ進むことは、なかった。


 足が掴まれているために、追いかけることも叶わない。


「……アリス……」


 聞こえた声に反応して、下を見てはならない。

 液体がずっと話しかけてきている。

 足を掴んでいる手に、さらに力が込められていた。


 視界の端に映った液体は、赤一色に染まっていた。


「や、いやだ!!」


 背を向ける母親の姿が、やがて薄くなっていく。


 何度見たか分からない……、

 夢か現実か判断がつかないまま、繰り返している。


「わたしもそっちに連れていってっっ!!」



「いいよ。君が竜に捕食されれば、大好きな母親に会えるだろうさ」


 アリス姫の背後、誰にも気付かれず近づいた少年のような格好の少女が、自分の指先をアリス姫の喉元に食い込ませた。


 殺しては餌にならない。

 だから簡単に、首を絞めて意識を落とす。


 魔女同士であれば、眷属の壁は意味を持たない。

 そして魔女とは言え女の子である。剣も斧も槌も必要ない……、弱い力でも全力で首を絞めてしまえば、殺せなくとも意識を奪うことは可能なのだから。


 そうすれば、あっと言う間に順位は入れ替わってしまう。


「アルアミカを始末するのも目的の一つだが、なによりも君が最優先だ」


 アリス姫の首に、残された腕の指が触れそうになった瞬間――、風を斬る音と共に、切っ先が伸び、魔女の髪を数本、切り落とた。

 はらっ、と落ちる黒髪を見届ける暇もなく、魔女フルッフがアリス姫の背後からさらに後方へ、身を退いた。


「攻撃の無効化ってのは肉体だけか。服や髪の毛は別みたいだな」


「敵意を判断基準にしている、とも言えるからな。君が僕を殺すのではなく、その子から離そうとした――だけだから、壁も機能しなかったのかもしれないね」


「へえ、良いことを聞いた」


「とは言っても、間接的な攻撃も始めに敵意が乗ってしまえば防御対象だけどね」


 大きな手を肩に回され、ぐっと抗えない力で引き寄せられる。

 咄嗟に彼の服を掴み、温かさを自分の肌にくっつけて、安堵を得る。


 父上に見えているなんて、嘘だ――母様が傍にいるなんて、幻だ。


 ずっと自分の近くにいてくれたのは、ディンゴと、アルアミカなのだ。


 分かっていた。

 最初から、


 取り戻せない過去を演じていれば、本当にそうなるかもしれないって……、あり得ない夢を見ていただけなのだから――。


「…………父上、は」

「俺はディンゴだ。あいつは……国王は――」


「母様、は……?」

「王女も、もういないんだ、姫サン」


「いつ……帰ってくるの?」

「…………もう帰ってこねえ」


 そんなこと、言わないでほしい。でも、じゃあ、彼が言わなければ、一体、誰が言ってくれるのだろうか。両親を除けば、最も近く、親しい存在が、彼なのだから。


 彼までいなくなってしまったら……もう、アリスには誰もいない。


「そばに、いてよぉ……」


 いなくならないで。

 アリスは、決して口に出そうとしなかった現実を声に出した。


「お前まで、死んじゃあ、いやぁ……!」



「――死なねえよ。あんたを残して、死ねるかってんだ」


 彼女の傍に居続け、守ると誓った。苦しんでいれば助けるし、迷っていれば道の先を示すこともある。……だが、先へ進むには、姫様が自身の力で踏み出すしかないのだ。


 不安に押し潰されそうになって、ディンゴを頼りに抱きついている姫様を離す。


 伸ばされたディンゴの腕の分、姫様との距離が開いた。


「あんたの傍にいたのは、国王と王女と、俺と……あいつだけか?」


 ディンゴが親指で背後を示す。

 そこにはアルアミカがいる。


「俺がいなくなったらもう誰もいないなんて思うな。あんたには、あんたが大好きで、忠誠を誓ってくれている、たくさんの国民がいるだろ」


「あ…………」


 ディンゴたちから離れ、身を隠している男たちがこっちをじっと見ていた。


 毎日、王宮のバルコニーから顔を出して町を見下ろすと、アリス姫の姿に気付いたみんなが手を振ってくれていた。

 義務なんてない、見て見ぬ振りをして視線を逸らしたって、アリスは気付くわけもないのに、みんな、笑顔で手を振ってくれる――。


「俺がいなくなれば、別の誰かがあんたを守る。別の誰かがいなくなっても、そのまた別の誰かがあんたを守ってくれるだろうさ。

 親から子へ受け継がれて、国がある限り、あんたは絶対に、一人にならねえんだ。……全員が味方なんだよ。だから、勝手に一人で寂しくなって、孤独だって塞ぎ込んでんじゃねえ。

 あんた、この国の姫だろうがッ!」


 ばちん! と、アリスの両頬が手の平によって挟まれた。


 痛い。でも、ぼやけていた世界が、鮮明に見えるようになった気がする。


「目を覚ませ! 王がいなくなった今、俺たちが頼れるのは、あんたしかいねえんだ!」


 アリスの足を掴んでいた手の拘束が緩くなった。

 引き抜いた足が、溜まっていた液体を越えて、地面を踏みしめる。


「アリス」


 背後から声が聞こえて振り向いた。

 国王と王女が、仲良く手を繋いで、手を振っていた。


 無愛想な国王は、「――後は任せたぞ」とだけ言って、振り返った。


 王女は、はぁ、と溜息を吐きながら、彼の後を追うために振り返ろうとした。


 ――その前に、アリス、と一言、もう一度だけ呼びかけた。


「……あなたの、好きなように」


 微笑みと共に手を振る――、

 それが、本当に最期の別れの挨拶のように。


「母様っ」


「あなたの後ろにはたくさんの人たちが見えるわ……だから、安心してるの。

 もうっ、心配かけさせないでね、化けて出るなんて、もうごめんだから」


 言われて振り向いたアリスの目に映ったのは、ディンゴとアルアミカ……そして、見たことがある顔ばかり。一体、どこまで続いているのか――後ろに並んでいる長い列の最後尾は、目で見える範囲にはいなかった。


「みんな……」


 再び前を向いた時、王女の姿はもうなかった。


「かあっ……」


 踏み出そうとした足は地面を踏みしめることなく、死者と生者を阻むように、大きな穴が空いていた。底の見えない闇だ。彼女の肩を掴んで止めたのは、ディンゴである。


「姫サン、俺たちは、どうすればいいんだ?」


 彼らの中にも、言葉や態度に出さなくとも小さく広がる不安がある。

 一つ一つは小規模でも、積み重なれば大きな不安へ肥大化する。


 国への不安、人への不安……、

 ぎくしゃくする関係が、やがて個々を孤立させていく。


 束ねる誰かが必要だ。


 ……自覚がなかった。

 まだそんなことをする立場じゃないと軽く考えていた。


 だが、決断をする時は、いつやってくるか分からない。



「ディンゴ……痛い」

「あ、すんません」

「あと、いつまでわたしの頬の感触を楽しんでるわけ?」


 さり気なくぷにぷにと指でいじっているらしいが、

 まさかばれていないとでも思っているのだろうか。


「厳罰ね」

「ちょ――」


「国の王女を、気安く触るの、禁止だから」

「姫サン……って、え、姫サ――」


「もう姫じゃない。わたしは……」


 アリスが周囲を見回した。

 物陰からこちらを見る男たちに向けて、


「心配かけてごめんなさい。でも、安心して。

 ……わたしが、王女になって、絶対、みんなに不安な思いは、もうさせないからっ」


 だから。


 だからっ。


「もう一度、わたしたちについてきてくださいっ!!」


 頭を下げるアリス姫……いや、アリス王の願いに、男たちが応える。


『当たり前だっ、どこへでもついていくぞ、王女様!!』


「……ぐすっ、みんなぁ……!」


 思わず流れた涙を指で拭い、アリスがディンゴへ、命令を下した。


「みんなを、国を、守りなさい――。

 敵をこれ以上、わたしの国で暴れさせるわけにはいかないからっ」



 先代王女の亡霊。

 彼女の姿は、ディンゴの目にも見えていた。


「あの子はわがままだし、まだまだ幼いし、だから足らない部分の方が多くて、この先たくさんの苦労をすると思うけど……、成長を見届けてあげて。

 守れとは言わない、あの子の傍にずっといてとも言わない。あなたの人生をそれだけに費やすわけにはいかないから……。

 それでも、あの子の家族は、あなたくらいだから……ふふっ、アリスに似て、わがままよね」


 先代王女は自身をそう評価した。


 だけど、ディンゴはそうは思わなかった。


 母親なら、それくらい想って当然だ。

 親にしては足らないくらいだと思ったくらいだ。


 王女と、姫様。二人の言葉に、彼は短く答えた。


 考える時間なんて必要ない。

 結局、彼が常日頃から軸としている、生きる理由である。


 剣を握る手に添えられた王女の手の温かさが、やがて消えていく。


 彼女がやり遂げられなかったことを、今度はディンゴが――。


 英雄を受け継ぎ、最強を名乗っていた騎士が言う。



「了解」

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