第6話 ディンゴの覚悟
外的要因ではなく、内的要因だと気付いたのは彼女と出会って随分と経った後だった。
外傷が彼女の表情を苦痛に歪めているのかと思っていたが、原因はもっと心の奥の方に刻まれていたものだったのだ。
「簡単に人を殺せる、か。魔女ならそうだろうな、魔法があれば俺たち騎士よりも負担なく、時間もかからずに殺せる……。だがよ、他の魔女は知らねえが、お前はどうやら俺たち側の『人間』だったってことがよく分かった」
直前にフルッフと会っていたからこそ気づけたことだった。
いや、彼女をこうして見るようになったからこそ、気づけた人間らしさかもしれない。
もっと早く彼女を見ていれば、抱えていたものを肥大化させることもなかった――。
「斬った人間、殺した人間……、姫サンを守るためとは言え、もっと他に、平和的に解決できなかったものかと思うことはあるな。
斬った奴らの屍が動いて、俺の足や腕を掴むような夢を見ることも何度もあった。最初はきつかった……、今でこそ斬る理由はそいつらが作ったし、最優先を姫サンにしている以上、覚悟を決めている。俺は絶対に地獄に落ちるだろうし、そもそもまともな死に方もしねえし、そうであるべきだと思ってる。……誰かの命を奪って平気でいられる奴なんか、いねえだろ」
人間である以上、必ず抱える意識だ。
竜はただの食事としか認識していない。
魔女は弱肉強食の世界にいるため、必要な犠牲としか思っていないのだろう。
造られた、と聞いてしまうと思い浮かべてしまうのが、心のない人形だ。
人の形をしていても、本当の意味で人間と同じ心は持っていない。
「だけどお前は違う……魔女をやめたからか、魔女だった時からそういう心を持っていたのかは知らねえが――お前は人を傷つけ、感じる罪悪感を、ちゃんと持ってんだ」
姫様と一緒にいて苦しそうにするのは。
仲良くし、そんな自分に嫌悪し、吐き気を感じるのは。
罪の重さを自覚して涙を流すのは――。
アルアミカは、罪を絶対に、忘れたりしない。
……ディンゴが、アルアミカに向けていた剣を下ろした。
「俺はこっちにつくぜ。そもそもお前の取引には、はっきりさせてねえ部分がある。……俺を騙そうとしてんのが見え見えなんだ、乗るわけねえだろ」
もしも、取引自体に怪しい部分も――細部まで詰められたために穴がなかったとしても、ディンゴは同じ選択をしていたはずだ。
姫様を守るために……アルアミカが必要だから。もちろん理由の一端だ。
以前のディンゴであれば、アルアミカを手段としか見ていなかっただろう。
しかし、昔とは違う。
姫様だけを見ていたために狭まっていた視野では、もうない。
姫様を思い浮かべれば、今では隣にアルアミカが浮かび上がる。
姫様が必要としている人材なのだ。だったら同じく、ディンゴが守るべき相手だ。
それに……、姫様だけが必要としている人材ではない。
口が裂けても、自身の口から誰が、とは言いたくなかったが。
「言っているようなものだがな……。取引内容の穴とはなんだい?」
魔女の声が響き渡る。
姿は見えず、どこかに隠れているらしい。
声だけ、魔法で大きくし、ディンゴの周辺に聞こえるようにしているのだろうか。
隣のアルアミカにも、フルッフの声が聞こえていた。
「え――ちょっとっ、取引ってなんの話!?」
「お前は黙ってろ」
「あ、あんた、わたしをフルッフに売るつもりなんでしょ!?」
「黙れよ。俺はお前の味方をするって言ったばっかりだろうが」
「い、言ってないわよ!」
言い方の差異はあれど、ようはそういうことを言ったつもりだったが、伝わっていなかったようだ。
「つまりだ。……ついでだ、姫サンと一緒に、お前も守ってやる」
「はぁ!? どうして急に……っ」
「苛つくな、お前って……ッ。話を聞いとけよ。
……説明するのも面倒くせえ。だから、苦しむお前を、助けてやるって言ってんだ」
「理由が分からないから、ちょっと恐いんだけど――」
ブチッ、と、どこかの血管が切れたディンゴが剣を再びアルアミカへ向ける。
「ッ、個人的な感情だ! 姫サンと同じ――仕事じゃねえ、俺がそうしたいからそうしてるだけだ。分かったなら黙って俺に守られてりゃいいんだ。
これ以上、お前は命の危機に怯える必要もねえ。分かったか!? ちょっと黙ってろ!!」
「ひっ!? は、はいっ!」
両手で口を押さえるアルアミカを見て、極端だと呆れたものだが、指摘はせずに視線を前に戻す。相変わらず、敵となる魔女の姿は見えなかった。
代わりに、魔女の眷属である男が目先まで接近していた。
「素直に従っていればいいものを……、選択を間違えたために、お前はここで倒れる。
ただでさえ一人の姫を守れないお前が、アルアミカまで守れるとは思わないことだ」
男の口調は安定している。
彼の重心も乱れることなく、腰の入った拳がディンゴの顔面を狙っていた。
ディンゴは剣を地面に突き刺し、両手を空けた。
迫る拳を、両手で受け止める。地面を二歩ほど滑ったが、以前は町の端まで飛ばされていたのだ……、それに比べれば、男の力は本調子にはほど遠いらしい。
「酔えてねえんだろ? ……そりゃそうだ、町にこれだけ大きな被害が出て、酒が残っているとは思えねえからなっ!」
男の拳を掴んだまま、片手で地面に突き刺した剣を抜く。
そして――、
片腕の……、肩から先を、切り落とした。
「う、ぉお!?」
「言ったよな? 次はてめえの体で正面からこいって。……いつまで偽物の体で勝負を仕掛けてくる気だ? 安全地帯にいなければ人に喧嘩も売れねえ臆病者が、守れる守れないを口に出すんじゃねえよッ!!」
ディンゴの剣が、今度は正面から突き出された。
男の体に剣が深々と突き刺さり、心臓を貫いた。
だが流血はなく、あるのは泡が空へ舞い上がっていく、気が抜けるような光景だ。
落とされた腕の肩口から順番に、男の体が消えていく。
「小僧が思っている喧嘩が全てだと思うな。これが私の魔法であり、戦い方だ。
卑怯だなんて言う奴は最初から負けている……。なにをしてでも、勝つ。でないと守りたいものを、お前はあっという間に失うことになるぞ――」
消えつつある男の視線が、ぐりんと動き、アルアミカへ向いた。
拳を重点的に使うため見落としてしまうが、彼だって武器を持っている。
使うかどうかは別に、備えていてもおかしくはない。
彼は、腰のベルトに差していた取り回しやすい小さなナイフを、残った片腕でつまみ上げ、残された全ての力を使って、アルアミカへ向けて投擲した。
力を使い果たした身代わりの体が、一瞬で泡となって消えていく。
「あ……っ」
光を反射させた刃の鏡面を見て、アルアミカが、ぎゅっと目を瞑る。
どすっ、と音が響いた。
しかし痛みはなく、恐る恐る、目を開いた先には。
――腹部からナイフの切っ先が飛び出ている。
背中から突き刺さり、貫通してしまったようだ。
「くそっ、苦し紛れだからって、油断してた……、貫通してんじゃねえか……!」
「――あぁもうっ! もっとちゃんと、剣ではたき落としなさいよ!
自分の体を盾にするとか、なに考えてるのよ! もっと自分を大切に!!」
「う、るせえ。余裕がなかったんだ。これでもぎりぎり、間に合ったんだぜ……?」
震える手でナイフを引き抜こうとするディンゴの手を、アルアミカが止めた。
「乱暴に抜こうとするな! わたしがやるから、あんたは歯を食いしばってなさい!」
深々と刺さっているナイフと、滝のように流れている血を見て混乱しそうになったが、深呼吸を繰り返して心を落ち着かせる。
ナイフの柄を掴んだ時、ぼそっとこぼれた言葉があった。
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