第5話 黒い顔
ない。
口に出したディンゴだったが、かつての彼ならばもっと素早く言っていたはずだ。
彼の内心を知らない魔女は、その微細な変化に気付く様子はなかった。
「アルアミカへ権利が戻れば、僕たちは最初の予定通りにアルアミカを狙う……、君やあのお姫様を巻き込む必要はなくなるってことさ」
姫様が狙われなくなるなら、この提案を蹴る理由はない。
……のだが、今、姫様にとってアルアミカは母親同然の存在となっている。
彼女の記憶が戻るまでは、アルアミカとの関係性は繋ぎ止めておきたいが、魔女だって、そんな余裕はないのだろう。
「期限は明日なんだ。……僕も必死でね。
君のお姫様の状態を気にするほどの余裕はないと思っていてほしい」
事情は分かる。
アルアミカから聞いた魔女の遊戯による敗者の末路を聞いているため、彼女が恐れる感情も理解できる。姫様がたまたま上の順位にいるだけで、もしもこれが反転していた場合、姫様の命が明日までだと分かっていれば、相手の都合など構わず、勝負を仕掛けていたはずだ。
フルッフの場合、力尽くでないだけまだマシである。
彼女は力技で捻じ伏せられる眷属を持っている。あの男に襲撃されていれば、ディンゴも、アルアミカも戦闘不能にされ、姫様は敗北の一途を辿っているはずだ。
「もしも踏み出せないのであれば、僕が後押しをしてあげようか?」
と魔女が言ったが、微笑む表情は、最初からその話を持ちかける手筈だった、と語っているようなものだった。
「お姫様のためが多大に含まれていても、少しくらいは、アルアミカを売ることに抵抗があるのかと思っていてね」
「……それはねえな。姫サンが最優先だ」
「返事までの間が気になるが、まあそういうことにしておこう」
さすがに今回の躊躇は、なにも知らないフルッフでも感じたようだ。
「僕としては理解に苦しむんだ。アルアミカと打ち解けているようだが、あいつがしたことを君たちは本当のところ、理解していない。だから平然と親子ごっこができるんだ」
「てめえ、やっぱり見てやがったのか……ッ!」
「そりゃ、一旦引くと言っただけで、見逃すとは言っていないからね。君たちの動向は見させてもらっていた。まあ、僕が全部、監視していたわけでもないから、時間によって見ていたものにばらつきはあるけどね」
だとしても、姫様とアルアミカのあの様子を見られていたと思うと、無性に腹が立つ。
覗き見されていたことに気づけなかった自分にも、同じくだ――、昨日から騎士として、自分はほとんど役に立っていない……。弱いだけでなく警戒さえもなおざりになっていた。
「あいつがしたことは、姫サンに魔女の権利を押しつけたことだろ。
なんだ? 他にもあいつはなにかしてやがったのか?」
「そうだ、君たちに対して、だ。
この国にくる前に、僕の眷属と因縁があったし、そのせいで復讐に憑りつかれた男がいるのは知っているな? ただ、それは関係ないよ。
とは言え、あいつが僕の仲間にしたことも当然、許せないことだが、今は考えなくていい――。君たちに、あいつはもう一つの罪を隠している」
考えるが、思い至らない。
その時点で、ディンゴたちにとっては重要度が低いものなのではないか……、だから明かされたところで、アルアミカを問答無用で差し出すことに、抵抗感がなくなるわけでもない。
……いや、姫サンのためなら抵抗感なんてねえんだが……。
「ちなみに、僕は国王と王女を殺しているよ……既にばれていることを隠す必要もないから言っておく。それについて、君は僕を糾弾する権利があるし、斬りかかってくれても構わない」
ばしぃッッ!! と、ディンゴが振り下ろした剣が、見えない壁によって弾かれた。
横薙ぎに振ろうが、背後に回り、死角を狙おうが、結果は同じだ。
同様に鉄を溶かすような音と共に、剣が弾かれてしまう。
「ちっ」
「だから僕にその剣は届かないって。
僕の眷属を全員倒さないと、僕の周りにある壁は破れないさ」
煮えたぎる怒りは収まらないが、無駄なことを続けるディンゴではない。
答えは出ている。
姫様を解放した後、個人的に怒りを剣に乗せて、勝負を仕掛ければいい――、
姫様に危害が加わらない保証があれば、ディンゴを縛るものはなにもなくなる。
「その場合は、君を押さえるために、お姫様を人質に取らなくてはならなくなるね」
「……てめえ」
「生きるためだ、許してくれとは言わないが、邪魔はしないでくれ。
全てが終わった後になんでもしてやるさ。一生、君に仕えても文句はない」
「奴隷でも文句ねえならな」
「別に。経験済みだから好きにしたらいいさ」
国に奴隷制度はなく、違法とされているため、ディンゴも詳しくは知らない。だが、他国からの情報を集めていれば、そういう存在もいると聞く。
奴隷を扱う者たちの話をよく聞き、便利な道具として人間を扱っているらしいが、なら、扱われる側は心身ともに、負担がかかっているはずだ。
心が壊れつつあれば、今の姫様のような状態になってもおかしくはない。
脅しとして言ったつもりだったが、国を渡り、ここまでやってきた見聞の広い魔女には通用しなかったようだ。しかも、まさか経験済みだとは予想外である。
「昔の話だよ。とにかく――僕は国王と王女を殺した……それだけだ」
それ以外は殺していない。いや、殺された騎士や国民は多数いる……。正確なことを言えば大火事によるものであったり、眷属の男が手を下したりと、確かに彼女が明確に殺したと言えるのは、国王と王女……だけか……?
「……いるだろ、もう一人」
「記憶にないな」
「姫サンを殺したはずだ! ……姫サンの胸には穴が空いていた。お前が殺した、王女様の頭を貫いた穴と、同じものだ!」
「それは同じだろうね。魔力を圧縮した弾を放つことができる魔法は、魔女であれば誰もが使える基礎的な魔法だよ。
僕でなくとも、たとえばアルアミカでも使えるはずさ。……たぶん、とか曖昧なことを言いたいわけじゃない。あいつは学院では成績が良かったし、友達も多かった……、僕とは正反対に、ね。あいつがこの初歩的な魔法を使えないわけがないと言い切れるよ」
最初は眉をひそめていたディンゴも、
彼女の言いたいことを理解したら、表情が大きく変化した。
「……まさか」
「僕を人殺しと言い切るのは勝手だが、覚えのない殺人の容疑までかけられるとなれば、僕だって抗議をするさ。僕が殺したのは、国王と王女の、二名だけだ。
お姫様に関して、僕は一切の手出しをしていない」
つまり、
「生き返らせたからと言って、殺していないとは限らないぞ?」
殺してしまったから生き返らせた、のではなく。
生き返らせ、魔女の権利を押しつけるために、殺した……のであれば。
悪意を持った、意図的な殺人である。
アルアミカにはその動機があり、死を回避するためであれば彼女はきっと手を下す。
火に包まれた王宮から逃げようと背中を見せた姫様の心臓を、撃ち抜いたのだ。
……殺しておきながら。
平気な顔をして隣にいた。
姫様が望んだとは言え、母親面して姫様を抱いていた。
姫様が心を許しているからと、警戒を解いてしまったのが、ディンゴの間違いだった。
「……気付いちゃったのね」
真実だとすれば、アルアミカは自分の不幸を謳って、同情を誘うかと思っていた。
しかし、彼女の選択は真逆であった。
「ええ、わたしが殺したの。悪い?」
俯かせていた顔を上げて、彼女は開き直ることにしたようだ。
「お前……が、姫サンを殺して……ッ」
「そうよ、でもこうして生き返ってるから、いいじゃない」
人間の命は一つだ。
だから一度死ねばそれで終わりであり、やり直しができない。
では、失った命が取り戻せるとしたら――、
一度だけなら人を殺してもいいと考えるか?
考えないし、たとえ方法があっても命を奪っていい理由にはならない。
それは魔女だって同じはずだ。命の蘇生の魔法があったって、それを禁忌としている以上、命の蘇生を認めていない証拠である。
人間の法を犯し、
魔女の禁忌を破った。
アルアミカはそうまでして、生きたかったのだ。
「……っ、悪いかって、聞いてんのよッ!」
開き直りどころか、アルアミカの方が怒りを見せている。
怒りを見せたいのは、こっちの方だと言うのに。
しかし、ディンゴは怒りの言葉が出なかった。いくらでも見つけられるのに。
喉元には既にたくさんの罵倒が用意されている。後は感情のままに、言葉を吐き出すだけだった。だが、自然と口は閉じていた。感情に任せていたら、言葉が自然と引っ込んだ。
代わりに、別の言葉がすっと出る。
「お前、悪役を演じるならもっと徹底しろよ……。
そんな顔をされたら、こっちも敵視しづらいだろ……」
「……え?」
アルアミカは自覚がないようだが、感情とは裏腹に、表情は素直だ。
涙が両目から流れ、頬を伝っていた。
腕で拭ったが、涙は止まらない。
構わず、アルアミカは続けた。
「生きるためよ。あんたには分からない。竜の捕食に怯えて、友達と戦って、誰が捕食されるかを決める遊戯に巻き込まれたわたしたちの気持ちなんかッ!」
当然、分からない。
ディンゴはそんな体験をしたことがないからだ。
「自分のことで精一杯なのよっ、人のことを構ってる余裕なんてないし、誰も犠牲にさせないなんて夢物語を叶えたい――そんな理想を簡単に口に出すほど、バカじゃないッ!!」
できることなら全員で助かりたい。でもそれは不可能なのだ……。
フルッフが危険に晒される前は、別の魔女が捕食の危機に襲われていたし、彼女を助けようにも、自分が犠牲になることは論外だ。
誰かが自分から、捕食されるよ、と挙手することもなく、結果、誰も助けに入ることなく、対象となった彼女は捕食されてしまった。
それがこれまで、何十人と続いていた。
全員で助かる、なんて願望を口に出す者はいなかったし、考える者さえもういないだろう……全員どころか自分さえも怪しいのだから、余計な考えに思考を割くわけがない。
捕食から逃れるためには、上位を維持し続けることが条件だ。
だが、それができない者もいる。元々持つ、魔女が司る魔法があるが、元々の魔法の力によって優劣が決まっては、平等性に欠ける。だから眷属システムが導入され、魔法の優劣だけでなく、眷属の優劣によって勝敗が読めなくなった。
しかし逆に、眷属の重要性も高くなり、強力な眷属を獲得すれば、その魔女は一気に上位を食い込むこともできるというわけだ。
世渡り上手、もしくはカリスマ性を備え持つ魔女が必然、上位を占めることになる。
アルアミカには、そのどちらもなかったのだ。
「禁忌を犯すのと竜に捕食されるの……どっちがマシかって話よ……」
生きられる分、まだ禁忌の違反者として学院から追われた方がいいと思った。
人殺しと言われ、追われても――生きられる分、堪えられると思っていたのだ。
だけど。
「わたしは魔女よ、人間を殺すくらい、簡単にできる!
生きるためっていう理由があれば、尚更、手をかけることに躊躇いなんかないのよッ!」
嘘ではないだろう、手をかけることに関して、アルアミカは本当に躊躇いがなかった。
だから変化が訪れたのは、その後だ。
「なら、どうしてお前はずっと、苦しそうにしてたんだ?」
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