第4話 アルアミカとフルッフ

 親子ごっこはもう終わりだ。

 あの子が喜ぶからと無理して微笑んで、甘えてきた彼女を愛でている時はずっと、吐き気がしていた。……あの子の心の拠り所になることで許されようとしている自分が内側にいると自覚したら、嫌悪感が止まらなくなった。


 生き様が、気持ち悪い。


 許されるわけがない……だって、わたしは――。



 ずずっ、と、剣の切っ先が太ももへ食い込んでいく。

 それから盾のように構えた腕を貫通し、血を纏う切っ先が鼻先で止まった。


「――アルアミカっっ!!」


 という少女の声と共に。

 ……防げなかった剣は、体を突き刺すその二本だけだった。


 それ以外の剣は――同じ剣でも使い手によって業物へ成る……素人とは違う本物が、赤髪の女の子に向けられた剣を払い落としていた。


 足下に散らばる剣。

 突き刺さっていた二本の剣の使い手も、恐れてすぐに手離した。


 引き抜かれた剣が、剣の上へ落下し、衝突した金属音を奏でる。


「こいつは俺が預かる。文句があんなら相手にするが……どうすんだ?」


 ディンゴの言葉に、男たちは全員、手に持つ武器をその場に捨てた。



「……助けにくるのが遅いのよ」

「勝手に部屋から飛び出していったくせに、好き勝手なことを言いやがる」


 アルアミカは自然と胸を撫で下ろしていた。


 死ぬことで楽になりたいと願っていても、痛みはまた別の覚悟が必要になる。

 さっきは状況が切迫していたし、余計なことを考える暇がなかった。

 もういいやという諦めが、死への恐怖や痛みの想像をさせる余地を残さなかったためだ。


 安堵したことで思考力を取り戻した。


 しかし……、あのまま八つ裂きにされていた方が、まだマシだったかもしれない。


「姫サン、そこから動くなよ」


 ディンゴが強い口調でアリスの足を地面に縫い止めた。


 彼が手に持つ剣が、体と共に反転して、切っ先がアルアミカの眼前でぴたりと止まった。


「……え」

「剣を向けられる覚えはねえか? ……そんなわけねえだろ」


 ――同じだ。


 ディンゴの目が、ついさっきまでアルアミカを追い回していた男たちと同じだった。


「……あんたも、フルッフに……っ。

 ふんっ、簡単に口車に乗るのね。あんたはあの時、二人いたわたしを見たはずよ」


 フルッフが変身し、国王と王女の殺害の罪をアルアミカに擦り付けたのだと気付いてもおかしくない位置にいる。アルアミカ以外では、彼しか知りようがないものだ。


「そっちじゃねえよ」


 そう、ディンゴが言った。

 アルアミカの心臓が、これまでにないほど大きく一回、体を揺らすほど鼓動する。


 そっちじゃない。


 アルアミカはずっと、自覚していたはずだ。国王と王女の殺害は自分ではないのだから、責められる言われはない。

 アルアミカにかかった嫌疑について、ディンゴが男たちと同じく誤解し、剣を向けてきたのだと思ったが……彼は言ったのだ、そっちじゃないと。


「あの二人を殺したのはお前じゃねえ。お前の言う通り、あの場で偽物のお前に会ったんだからな……、そもそも国王と王女を殺す理由なんかねえだろ」


 アルアミカはフルッフから逃げている立場であり、騒ぎを起こす必要がない。

 フルッフには国王と王女の殺害をアルアミカに押しつけることで、町中が総手で犯人を探す、という策を行使することで見つけ出そうとしたようだ……、だから動機の面で、フルッフよりもアルアミカが犯人として濃厚だと答えが出ることはまずないだろう。


 騒ぎを起こすよりも、ひっそりと隠れてやり過ごした方がアルアミカは得である。


 ……実際は、動機と言えばアルアミカにもあったのだが……、そもそも彼女が完遂させた会心の一手も、行き当たりばったりであり、通りすがりで手が届きそうだったから手を伸ばしてみたようなもので、計画性の欠片も最初はなかったのだ。


 頭の隅にとりあえず置いておいただけの、奇跡的な脱出法としか思っていなかった。


 だけど偶然にも状況が揃い、一手間加えれば完成する絵を見つけてしまえば、そこに絵の具を垂らして自分のものとする欲望が勝っても仕方がないだろう。


 彼女は色を撒き散らした。

 汚した手を誰にもばれないようにしながら。


 そして平然と、再び現場へ顔を出したのだ。


「…………仕方、ないじゃない……ッ」


「それは認めたってことで、いいんだな?」


 背後から、か細い声が聞こえてくる。


「か、母様……? ち、父上が、どうして母様に剣を向けて――」


「姫サン、あんたにも、もう付き合ってられねえぞ。いつから戻ってた? それとも最初からか? 現実から目を背けて、逃げて、過去に浸って――、まだ満足いかねえのか?」


「な、なにが、なの……?」


「あんた、さっき咄嗟に、こいつの名前を叫んだよな? 母様に見えてるはずじゃねえのか? そんなあんたがどうして、こいつの名前を叫べるんだ?」


 前方と後方——、新たな運命の流れに巻き込まれた二人の少女の表情が、内心を射貫かれたことでくしゃくしゃに歪んでいく。


 強くはない言葉だが、それでも責め立てていることに違いないディンゴだって、今の胸中はぐちゃぐちゃだった。


 どうすればいいのか、答えが欲しいくらいだ。


 相談に乗ってほしい頼れる大人はもういない。……奪われてしまった。


 ディンゴだって、現実を認めたくなかった――見たくなかったが、そうもいかないのだ。


 姫様が目を背けている以上、ディンゴまで逃げるわけにはいかないのだから。


 姫様を守ると同時に、導く存在でなければならないと――仰せつかっている。


 …………クソッ。


 ディンゴが思い浮かべたのは、胡散臭い魔女の顔だ。

 言葉巧みに操られているような気がしても、否定材料が思い浮かばない。

 彼女は真実を語っている、そうとしか思えない話術だった。

 ……話術だ、技術だと、こちらをいいように操作しようとする虚言として、耳を傾ける必要もないのだが……、言い分が胸にすとんと落ちてしまう。


 納得できてしまう。


 ――できてしまえば、確かめないわけにもいかなかったのだ。


「……頭の中を、かき回してきやがってよぉ……ッ!」


 魔女フルッフの虚言(と思いたい)を聞いてから、まだ数分も経っていなかった。



 ディンゴを案内していた若い男が曲がり角を曲がったところで――殴打音が聞こえる。


 遅れて曲がると、彼の体が地面に倒れており、こめかみに傷があった。


 日頃の癖で腰に差している剣に手を置くと、石でできた槌を持つ帽子を被った少年(?)が、手を離して、武器としては心許ない大きさの槌が、地面に落下する。


「危害を加える気はないさ。君と二人きりになりたかっただけだからね」


 見慣れない帽子だったが、既視感を抱く被り方だ。

 目深に被り、表情を窺わせない。

 だが、いつも被っている帽子とは違い、つばが短いので、表情がよく見える。


 顔を見れば、いくら見た目が少年のように見えていても正体は明らかだ。

 町に潜伏している、姫様とは違う、魔女である。


 名は確か――、いや、分からなかった。


「フルッフだよ」


 名前など、どうでもいい情報だ。


「――で、なんの用……」

 と言いかけて、足止めだろうと気付いた。


 眷属であるディンゴでは、魔女に攻撃が通用しない。

 魔女フルッフの眷属である男を倒さなくては、傷の一つもつけることができないのだ。それは相手の眷属の男が姫様を攻撃しても同じことだが、アルアミカに関しては制約がない。

 眷属だろうが普通の人間だろうが、構わず攻撃を与えることができる。


 さらに言えば、普通の人間の攻撃は姫様に通じてしまうのだ。悪意があろうがなかろうが、事故で死んでしまう場合だってある……、まあ、そうなっても魔女の遊戯に影響はなく、ただ魔女フルッフが順位を上げるための獲物が一人、減っただけの話だ。


「……この騒ぎはお前が仕組んだわけか。そういや、王宮の中であいつに変身したお前が出てきたわけだしな。その時からこれを見越していた……わけではなさそうだ」


「元々は別の目的のために仕込んだものだったが、無駄にするよりは使ってしまった方がいいだろうと思ってね。……安心していい、大切なお姫様に危害は加えない。状況によりけりだが、自国の姫様を傷つけてまで、王族殺しの犯人を捕まえようとする国民もいないだろうさ」


 姫様への忠誠心が試される状況だ。


「僕はただ遊戯のルールに真っ正面から勝負を挑んでいるに過ぎない。やり方は卑怯にも思えるかもしれないが、魔女を守る盾を一枚ずつ破壊しようとしているのだからね」


 だから、まずはアルアミカ。

 だが、こうして接触している以上、彼女の狙いはディンゴということになる。


 危害を加える気はないという言葉が、信じられなくなってくるのは当然だ。


「おっと、だから警戒しないでいい……は、無理な話か。でも信用してほしいとしか言いようがないね。まあ、剣を抜いたところで僕に攻撃が当たるわけもないからいいんだが……、眷属と魔女であり、僕の眷属がまだ敗北していない限りはね」


 攻撃は当たらないが、剣を抜いたままで損をするわけでもないだろう。


 周りに警戒を払いながらも、彼女の意図を訊ねる。


「危害を加える気はねえ……、それを信じるとして、だ。

 じゃあなんの用だ。

 二人きりの状況にさせている時点で、こっちは警戒さぜるを得ないんだがな」


「第三者に聞かせるような話ではないってことさ。——少し歩こうか。

 頭部を殴って気絶させているとは言え、いつ起きるか分かったものじゃないからね」


 足下の男を気にして、魔女が歩き出す。

 だが、それに従うディンゴでもなかった。


「こうしている間にも、あいつと姫様は追い回されてんだ。話をしたいなら構わねえが、後にしろ。どうせ俺を助けにいかせないための足止めでしかねえんだろうが」


「取引をしたいんだけど」


 構わず振り返ったディンゴの足を止めたのは、やはり、姫様の存在だった。


「あのお姫様を助ける方法があるんだけど、聞かないのかい?」



 姫様を助ける方法……、そんなものは簡単だ。


「お前が狙わなければいい話だ」


「それはできないね。僕も命がかかっているんだ。残念ながら、誰かが犠牲にならないといけないルールでね、しかも魔女であるという制約がついている。

 テキトーに誰かを連れてきて生け贄にすることもできないわけだ」


 魔女は自分も助かりたい、その上で姫様も助けられる方法があると言いたいのだ。


 それはディンゴにとって願ってもない内容だが、素直に頷くこともできない。


 取引と言ったのだ……、単なる人助けで言っているわけではないはずだ。


「根本的なことを言えば、あのお姫様が魔女の役目を継いだことが原因だろう? ……なら、その役目を取り払ってしまえばいいのさ。元々の、あるべき場所へ、返す――そしたら全てが綺麗に収まり、誰もが納得する結果が出せる」


「……つまり、魔女の権利を、あいつに返すってことか……?」


「そういうことになるね。

 ……別に、アルアミカに特別な感情などないだろう?」

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