第3話 嘘と嘘

「それは……」

「仲間たちが見つけたんです。ディンゴさんも、犯人を追っていたわけじゃ……?」


 追っていた人物は違うが、犯人と聞いて見過ごすわけにもいかない。


 王女を殺害した犯人……、

 国を火で包んだ、フルッフの動向がはっきりと分かる。


 そうなると同時に、相手の敵対対象である姫様を保護したいが、敵を追えばおのずと姫様の元に辿り着けると信じて、今はこの青年に従い、追うのが賢明だろうと判断した。


「案内を頼めるか?」


「はい、当然です! ディンゴさんがいれば絶対に助けられます! ……卑怯なことに犯人は姫様を人質に取っていますから……ッ、腹が立ちますよ、クソッ!」


「ちょっと待て。……姫サンが、人質だと……?」


「はい。え、だからディンゴさんは、犯人を追っていたんじゃ……?」


 青年と会話が噛み合わない。

 いや、大筋は共有できているが、細部が異なっている。


 根底が違うために、そこから先に伸びる枝の形がまったく違うかのように。


「その犯人ってのは、黒髪を頭の後ろで縛った、片目だけに丸いレンズをつけた……」

「違いますよ、赤髪で、首の裏で縛った二つの髪の束が腰まである女です」


 青年が続けて言った。


「――名を、アルアミカと言うそうです」



「いたぞ、赤髪の……あいつだ! あいつが国王様と王女様を殺した犯人だ!!」

「町に火をつけたのもあいつだぞ!」

「娘を……妻を――奪ったお前は絶対に殺してやるッ!」


 採掘に使うつるはし、木材を切るための斧……、町に転がっていた、死者が落とした剣を持ち、大勢の人間がアルアミカに向かって駆けてきている。


「母様、お祭り?」


 殺意が向けられているにもかかわらず、アリス姫はのんきなものだった。しかも自然と足がそっちに向かっていた。手を振りながら、わたしも混ぜて、とでも言いたげに。


 ……犯人って、一体なに!?


 現実を直視できていないアリス姫を抱えて、彼らから逃げることを優先する。魔女の力があれば……、とないものねだりをしてしまい、頭を左右に振って思考を切り替えた。


 自分から捨てておいて、今更、取り戻したいと願っても――もう遅い。


 アルアミカは魔女を裏切ったのだ。

 その魔女に助けてもらえるなど、思ってはならない。


「囲め!」


 足音が後ろだけではなく、周囲から聞こえてくる。頭に描いた地図はほぼ真っ白だ。恐らく、足音に誘導されて、袋小路に追い詰められている気がする……。

 屋根の上と考えたが、アリス姫を抱えたまま高く跳ぶことは、魔女ではないアルアミカにはできない芸当だ。


「他の道は……!」


 比較的、綺麗な裏道を走っていたアルアミカが気付いたのは、足音がするものの、誰も踏み込んでいないさらに細い道である。


 そこは――、町中の人たちが出した、汚物が敷き詰められている場所だった。


「う……っ」


 嫌悪感が足を止めたが、背後から迫る足音に心が急かされる。


「アリス……鼻をぎゅっと押さえてて」


 この靴はもう二度と履けないが、どうせ拾い物である。汚物の上を走るか、集団で襲いかかってくる男たちに八つ裂きにされるかだったら、前者の方がまだマシだ。


 背後を見られるよりも早く、アルアミカは茶色い汚物の絨毯の上を走り抜ける。


 周囲の足音が遠ざかっていることを耳で確認し、暗い細道から開けた場所に出た。


 そこには、

 大勢の男たちが武器を構えて待っていた。


「な……、えっ!?」


 足を踏みしめ、急ブレーキをかけたが、靴の裏に貼り付いた汚物のせいで滑り、頭を垂れるように男たちに差し出してしまう。


「このッ、人殺しがァ!!」


 斧を振りかぶった男が、倒れるアルアミカに向けて刃を振り下ろそうとしたが、周囲の男たちが彼を羽交い絞めにした。

 怒りのせいで行動が直情的になってしまっている。

 アルアミカが手離さなかったアリスも、同様に斧で叩き斬るつもりだったのだろうか……。


 男を押さえるために人員が割かれたのを見て、滑る靴を脱いでアルアミカが立ち上がろうとした瞬間だ。……背後から、すっと、刃がゆっくりと視界に入った。


「…………っ」


 僅かでも動いていたら首が刃をなぞり、ぱっくりと斬られていただろう……。


 九死の一生だ――ごくりと唾を飲み込む音が、自身の中で大きく響き渡る。


「まずは、姫様を離せよ」


 声が若い。目の前に見える大人とは違い、同年代、もしくはもう少し下の子供までもが、アルアミカを狙っていると分かる。

 老若男女の誰もが、国王と王女を殺害した犯人を追っている……、

 アリスの両親が多くの人々から支持されているのがよく分かる絵だった。


「違う、わたしは殺していないわよ」


「姫様を人質に取っておきながら、どの口が言う。騎士様が王宮の中で国王様と王女様が殺害された瞬間を見ていたんだ……、そこにはお前がいた。言い逃れなんてできねえぞ」


 王宮から出てきたアルアミカを見た者もいる。


 実際に彼女は王宮にいたし、目撃情報を否定する気もなかった。ただ、アルアミカは国王と王女には会っていない。責められるべきであるとすれば別のことだが――、彼女が思い浮かべるもう一つのことについて、彼らからの言及はなかった。


 それを告白したところで、意味はないだろう……ない罪に罪を重ねるだけだ。

 時間が被っているという証拠は出せないのだから、彼らからすれば時系列は前後するものの、連続して手を下したと判断されてしまう。


 アリスを抱えていることで、彼らに乱暴な攻撃をさせていない。刃を向けるだけで斬ろうとしないのは、返り血がアリスにかかってしまうと危惧しているからだ。


 両親の死を間近で見ていた国の姫様に、再び血を見せることは避けるべきだと、男たちも頭で理解しているのだ。


 しかし、


「痛っ」


 アルアミカの額に投石が当たった。

 瞑った右目の上を流れるように、血が滴り落ちる。


 転んだ拍子に驚き、アリスもぎゅっと目を瞑っていたが、頬に当たった水滴に初めて目を開ける。人々や町の様子が、過去とすり替わっていても、血だけは変わらず血だった。


 記憶と意識が過去へ遡っている彼女の時間を戻したのは、赤色だ。


 アルアミカに当たった投石の場所が、額というのも良くなかった。


 ……王女が死亡した時、貫かれたのは同じく、頭だったのだから――。


「かあ、さ、ま……ッ」

「大丈夫……っ」


 アリスの呼吸が乱れていく。

 喉を押さえ、空気が充分に取り込めていない。


「アリス、大丈夫だから、わたしはここにいるから!」

「いかないで、母様……、置いて、いかないでよぉ……っっ!」


 アリスが掴むアルアミカの黒いローブが、力のせいでしわくちゃになる。


 強く引っ張られ、アルアミカの体がアリスに近づくように垂れていく。


 周囲の男たちからすれば、今のアルアミカは無防備だろう。

 だが、これを好機である、と仕掛ける者は誰もいなかった。


 幻視してしまったのだ。

 姫様をあやすアルアミカが、かつての王女に見えて……。


 歳を重ねている者ほど、昔を懐かしみ、戻らない過去に想いを寄せている。


 男たちが互いに見合い、押さえつけられていた小さな疑念が膨らみつつあった。


 だが、ぽつりと呟かれた一言が、男たちの霧散しそうだった怒りを元に戻す。


「母親を失った子供が求める母親役を演じて、同情を誘う、か。卑怯な手だな、さすがは犯罪者、よく考えられている。

 どうせこのまま依存させて、足取りを残さず逃げるつもりだろう? 悲しむと知って、その子を捨てるわけだ。最低だ。一刻も早くそいつを始末しないと、お姫様が壊れてしまうぞ?」


「そ、そうだ、そいつが王女様を殺した……姫様は騙されているだけだ!」


 落ち着いていた周囲の男たちが、そうだそうだと武器を上げた。


 ……誰がいる……。


 睨みを利かせるアルアミカが群衆の中を探る――人々の隙間から、見えた知る顔。


 男の中に混ざる、少年のような格好をしているが、体のラインで分かる――少女だ。


 彼女はアルアミカに見られたから、ではないだろうが、

 同時に背を向けて、この場から遠ざかっていく。


 アルアミカの口から漏れた名は、


「……フルッフ……!」



「元々は隠れるお前を見つけるための手段だったが……始末にも使えるわけだ」


 彼女は被っていた帽子を取り、収めていた黒髪を外に出す。


 指先で帽子をくるくると回し、空に向けて飛び出したそれを、見もしなかった。



 フルッフが現れたことで、男たちの勘違いの謎が、アルアミカの中で綺麗に解けていく。

 覚えがないのに目撃情報があることが不可解だったが、王宮の中でアルアミカは、もう一人の自分と出会っていたはずだ。


 その時はもう魔力がなかったため、フルッフの変身魔法だとは気づけなかったが――彼女の目的が分かって、アリスに魔女の権利が渡ったと説明し、見逃してもらえた。

 その安堵によってすっぽりとその時のことを忘れていたとすれば、間抜け過ぎる記憶力だ。


 国王と王女を殺したのはフルッフになる……が、説明のしようがない。

 もう魔女ではないアルアミカには、魔法を証明することもできないのだから。

 いくらフルッフを捕まえ、彼女が本当の犯人だと指摘したところで、彼女に白を切られてしまえば、アルアミカの犯人説は揺らがない。


 フルッフが流した虚実である。

 アルアミカの反対意見を捻じ伏せる策だって、当然、講じているはずなのだから、勝ち目がなさ過ぎるのだ。


 それ以前に、この場から離脱することも叶いそうにない。

 再び燃えた男たちの怒りは、今度こそ沈静化させることは不可能だろう。


 さっきと比べて、武器を握り締める手に込められた力が強い。


 指先が圧迫され、真っ赤に染まってしまっている。


「姫様を助けるんだ!」

「多少手荒になってもあいつから解放するためなら、仕方ない!」


 アリスが枷となって攻撃できなかった男たちに、手を出せる理由を作り出したのもフルッフである。姫様を守るため――、アルアミカに酷使されるよりは、心が壊れようが、まだ回復する兆しがある。最悪の状況になるよりは……! と、男たちの意思が統一されていく。


 もう、止める者は誰もいない。


「いくぞ、お前らァッ!!」


 先導者の声と共に、男たちが一斉に襲いかかってくる。


 だが、アルアミカは言葉少なく、冷静だった。


 アリスの状況は良くない。血を見たショックで、がっしりとアルアミカを掴んで離さなかった手は、今、意識を失いかけているため、拘束が緩んでいる。

 幸いにも、これでアルアミカはアリスを手離すことができるわけだ。


「大事なお姫様でしょ? ちゃんと受け取りなさいよ――」


 と、一人の男に視線を向けた。


 男がアルアミカの意思に勘付いたらしく、武器を下げた。

 その時を狙ってアリスの体をふわりと前方へ投げる。


 小柄なアリスの体が男の腕に収まったのを確認して、アルアミカが微笑んだ。


「あーあ……死にたくなんて、なかったのになぁ……」


 捕食者を決める魔女たちの戦いに望まず巻き込まれて、他者を欺き、無関係な犠牲を払い、その末に、決まってしまった運命からも逃げられたのに……——。


「結局、死んだ方が楽になれるからって、そっちを望むなんてさぁ……」


 微笑みは、安堵だ。


 これで解放される。

 生き続けていればいるほど苦しい時間は、もうお終いだ。


 視線の先に見える、男に抱えられたアリスが暴れて、地面に落下していた。


 なにやってんのよ……、と呟いたアルアミカの耳に、薄らとあの子の声が聞こえる。


「母様……っ」


「わたしは母様じゃないって」

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