第2話 大罪人

 がたんっ、と椅子が倒れ、アリス姫がびくっと震えた。

 すかさず、アルアミカが姫様を抱きしめ、視界を遮り、両手で耳を塞ぐ。


「……てめえ」


 もしも腰に剣を差していれば、すぐさま抜いていたくらいの怒気を含んでいた。


「そんな理不尽な状況に、姫サンを巻き込んだのかッ!?」

「……悪いとは、思ってるわよ……っ」


 姫様の眷属となったことでアルアミカはこの場にいるが、本来なら役目を姫様に押しつけ、今頃はどこか遠くへ逃げ切っているはずだったのだ。


 計画的に、悪意を持って姫様を生け贄にしておきながら、その口で「悪いとは思っている」だと……? 


「…………ふざけんな……ッ」


 手元に剣はないが、握り締めた拳ならある。


「ふざけんじゃねえぞ……ッ!」


 ディンゴが拳を振り上げると、アルアミカは最後まで見届け、逃げようとも、防ごうともしなかった。


 瞳を閉じず、姫様をさらにぎゅっと抱きしめ、今この場を支配する物騒な空気を伝えないように努めていた。


「……いくらでも、気が済むまで殴ってもいいわよ……っ、でも、今は――」


 この場を凌ぐためだけに言った、自分が助かりたいがための言葉ではなかった。


「この子がいるところでは、やめなさいよ……っ!」


 ディンゴが怒りで見落としていた、姫様のことを、彼女は第一に考えていた。


 耳を塞がれているため、聞こえないはずの姫様の体が震えていることで、ディンゴも狭まった視界に気づき、振り上げた拳をゆっくりと下ろした。


「……そうだな、悪い……助かった」


 ディンゴの素直なその言葉に、アルアミカは酷く居心地が悪そうに下唇を噛む。


「わたしなんかに、謝んな……っ!」



 ディンゴとアルアミカの喧嘩が収まり、姫様もそれを肌で感じ取ったようだ。

 緩んだアルアミカの抱擁から抜け出した。


「――ぷはっ、母様、苦しい……」

「あ、ごめんごめん」


 姫様は途中になっていたお話の続きを、アルアミカに催促した。


「どうしたら、まじょたちを助けられるのかな……?」


 それは、アルアミカからは決して出てこない言葉だった。


 いざ当事者になってしまえば、他人を救う発想などまず出てこない。自分のことでさえ満足に助かるかどうかも分からない内に、他者にまで目を向ける余裕などないからだ。


 だけど、今のアルアミカはどうだろう……、もう魔女ではない。

 竜の捕食に怯えることもなくなった。


 目の前の小さな女の子に、全てを押しつけたのだから。


 記憶を失った今の姫様ならば、理解していなくとも無理はないが、当事者である彼女から他の魔女を助けたいという言葉が出るなんて――。


 ……最初はただ、罪悪感から逃げる足を止めて、引き返しただけだった。


 心に刺さり続ける棘をなんとかしたいと、形だけでも彼女の傍にいて、最期のその時まで見届ける……そのつもりでいた。

 こんな風に首を突っ込んで、抜け出せなくなるところまで深く踏み込む気はなかったのだ。


 だけど、機を逃した。そして、今の言葉だ。


「……守らなきゃ」


 それは、目の前にいる姫様にさえ聞こえないほど、小さく呟かれた言葉だった。


 俯いてしまったアルアミカを見て、元気がないと思った姫様が、ベッドから下りて窓を開ける。部屋から繋がる広いバルコニーに出て町を見下ろし、


「母様! すっごく良い天気! 町も賑わってて、楽しそうだよ!」


 彼女の目には、数年前の町の様子が映っているのだろう。現状、町の様子は大火事後の悲惨な状態であるため、姫様のような感想が出ることはまずない。


 姫様が普通の状態であれば、これを見て賑わっている、とは言わないのだから。


「外に出れば、母様も元気が出てくるかもしれないから……一緒に、外に……っ」


 バルコニーから戻り、手を引いてせがむ姫様に従うように、アルアミカが動いた。


「……そうね、うん、いこっか」


 だが、そこで当然ながらディンゴが立ち塞がった。


 姫様が人々に必要とは言ったが、現実と回想の区別がついていない今の姫様を見せたところで、人々を逆撫でしてしまうだけだろう。

 普段なら許せることでも、ストレスを溜め込んだ人々はいつもよりも沸点が低い。

 みすみす、姫様を危険に晒すわけにはいかない。


 鞘に収めた剣を、床に突き刺すように、叩いた。


「この部屋からは、出させねえよ」



「母様、こっちこっち」


 王宮の地下通路を四つん這いで進むと、外に繋がっていた。

 小柄なアリス姫だからこそ通れる道であるため、ディンゴも追ってはこれないようだ。


 アルアミカでもぎりぎりの幅であり、途中で詰まったらと考えると、地を這う手が止まりそうになったが、手招きするアリス姫のはしゃぐ様子を見ていると、引き返そうとは思えなかった。


 平坦な道に綺麗に収まっている石の板が持ち上がり、アリス姫が顔を覗かせた。

 周囲に誰もいないことを確認して、体を外に出す。姫の後に続いて、アルアミカも外に出た。


 振り向き、見上げれば王宮が見える。


「この前は汚いし体が通れないからって言ってたけど、母様でも通れたね」


 アリス姫が言っている母様は、アルアミカとは違う王女のことだ。だから体型に差があっても仕方がない。確かに、通路は掃除が行き届いておらず、汚いが、この町の汚物が溜まっている道と比べれば、がまんできる汚さだ。


 ……あいつ、怒ってるわよね……一言くらいは言っておくべきだったけど……。


 言わずとも、置き手紙くらいは残しておくべきだった。

 町のどこにフルッフが潜んでいるか分からないのだから、ディンゴという戦力を分断させるのは賢くなかった。


 だが、アリス姫が強く拒絶している。……彼も酷く嫌われたものだった。


 ……いや、あいつじゃなくて、嫌われてるのは父親の方だったっけ。


 どちらにせよ、今のディンゴを一緒に連れていくと、アリスが嫌がるので除外している。


 まあ、姫に執着しているあの騎士のことだ、いくら秘密の道から抜け出そうが、今この瞬間でさえも、どこからか見届けているはずだ。……そう信じよう。


「わたしも眷属だし……、この子を脅威から守るのは、わたしの役目よね……」


 母様っ! と腕にしがみついてくるアリスの頭を、思わずこぼれた笑みと共に撫でる。


 アルアミカが取り戻した心の余裕……、しかし、代わりに失ったものも存在していた。



 ディンゴが知る秘密の抜け道を探したが、姫様たちを見つけることはできなかった。


 彼が知らない抜け道を、姫様が共有せずに隠していた……というよりは、姫様が忘れていた抜け道が、今の姫様にとっては比較的、新しい抜け道だとすれば……、

 時代の錯誤に欺かれた形になる。


 経験による優位に立てる、と思いきや、姫様の意図はどうあれ、出し抜かれたわけだ。


 王宮から町を見下ろすと、仲良く手を繋ぐ姫様とアルアミカの姿が見えた。


「あいつら……っ!」


 部屋にいろ、とは言ったものの、守る姫様ではないと分かっていた。

 町に出た時の危険さを知らないアルアミカではないと思い、多少の信頼を寄せていたのが裏目に出てしまったようだ。


 休憩のために王宮へ訪れたエナの対応をしていたら、案の定、部屋には姫様の姿がなかったわけだ。


「ディンゴ、あんたちゃんと食べてるの? 

 姫様の護衛もいいけど、あんた自身が倒れたら意味がないんだからね――」


 という、エナの忠告も聞かず、ディンゴは町へ駆け出した。


 町を歩く騎士や、大火事による被害が少ない者に声をかけ、姫様の居場所を探る。


 しかし、何人に聞いても見ていないと言う。

 ……おかしくないか?


 姫様の存在感は大きく、視界に入らないということはないだろう。

 記憶年齢が今は幼いとは言え、だからなにが変わるでもないはずだ。


 体に変化はないし、姫様は生まれた時から姫様だった。

 たとえ汚れていても、彼女の持つ気品は損なわれてはいなかった。


 ディンゴはそれを身を以て知っている。なら、魔女となったから……? 

 魔女という存在が姫様であることをかき消し、存在感を薄めてしまったのだろうか。


 ……いや、それ以前にもっと簡単に、だ。


 ――人々の目につく大通りを歩いていない場合もある。


 だとしたらなぜ裏道を通る必要がある? 勘繰ってしまうが、アルアミカが機転を利かせて他の魔女の目につかないように対応したと見るべきだが……、気になったのは人の動きである。


 ディンゴが特に選んだわけではないが、姫様の居場所を聞いたのは、騎士を除けば女性であった。男たちは力仕事に駆り出されているため、比較的、町を歩く人数が減るのは当然なのだが――ディンゴだからこそ知る、町のやり方がある。


 荒事は裏道で。


 その時、裏道へ向かう一人の青年を見かけ、追いかけて肩を掴む。


「今、裏でなにやってんだ?」

「おい、なんだよ……って、ディンゴさん!?」


 ディンゴにこの青年と面識はなく、青年の方が一方的に知っていただけのようだ。


 騎士として、強さを見せつけ、しかも罰則等において緩いディンゴの基準は、正道から離れた思春期の青年たちから、多くの支持を集めている。


 特にこれと言って目をかけたわけでもないのだが、自然と慕ってくれていたのだ。


「で」と、顎と視線で話を先に促すと、青年が「こっちです」と先行した。


 曲がり角で現れた別の青年と言葉を交わし、先行していた青年が振り向いた。


「犯人を追い詰めたそうです」

「……犯人? なんの犯人だよ」


「隠さなくてもいいです、俺たちはもう全部、知っていますから」

「……詳しく話せ」


 隠していることと言えば、二つ三つはあるが……、意図的に情報を伏せているものと言えば、一つに絞られる。

 情報規制もせず、そもそも判明していないことなので、ディンゴたち騎士も隠しようがない真実だった。


「国王様と王女様を殺した……犯人ですよ」

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