第7話 姫の背中

 国王と王女の死体はディンゴが土に埋め、墓を立てた。

 しかし、その墓石は小さく、王族と示すには頼りない代物だった。


 ……まだ一日、だ。


 家族や友を失った国民の傷はまだ深く、国自体もまだ復興していない。


 大火事が起きてまだ一日しか経過していないのだ。

 全てを円滑に回るようにするのは難しいだろう。


「……もっと良い墓石を探して持ってくるんで、もう少し待っててください……」


 振り向けば、見上げるほど近くに王宮がある。


 アリス姫の最も近い場所に、二人を眠りにつかせるべきだと思ったのだ――。



 人々の不安は拭えない。

 放火、王族の殺害……その犯人が未だ捕まっていない。国を仕切る者が現状不在であることも拍車をかけてしまっている。

 しかも民衆に知られてしまったディンゴの敗北――、つまりこの国において、誰も犯人に対抗できないことが目の前で証明されてしまったわけだ。


 団結していた国民が、ばらばらになっていく。

 中にはこんな状況だからこそ、犯罪に手を染める者もいるため、混乱はさらに過激になっているのだ。ディンゴという強さの象徴が敗北したことで、実際にディンゴの強さが変化したわけではないのに、自分でも対抗できると勘違いする輩が増えている。


 非常事態であれば、これまで培われていた町のルールなど守られない。


 誰もが自分優先で動き、人に手を差し伸べる者はごく少数だ。

 当然、流通は滞る。

 経済は回らなくなる。生活が苦しくなり、不衛生な場所が増え、病気が広がる。


 悪循環が始まりつつあった。


 王宮の高所から見渡せる町を見れば、騎士たちが忙しく動いてくれているが、やはりカバーできない部分も仕方なく存在する。

 全ての人間を救えるわけではないし、全ての悪事を暴き、咎められるわけでもない。こんな時に罰則を与えている場合ではないし、大火事によって苦しくなった生活をどうにかするため……つまり生きるためだと言われてしまえば、騎士たちも強くは言えなくなる。


 仕方なくおこなっているのか、騎士の目が甘い今を狙って計画的な犯行なのか判断がつかなくなってしまっている。その迷いが多数の犯罪者を野放しにしてしまっていた。


 圧倒的に手が足らない。

 とは言え、いま駆り出されている騎士も同じ立場でもある。


 自分よりも優先して町のために動いてくれているが、これがいつ不満を爆発させて放り出すか分かったものではない。王から授かった土地に住む人々を守る、それが約束であったはずだが――その王がいないのだ。


 忠誠心は一体、どこへ向ければいいのか……?


「……あんたがいなくちゃ始まらねえよ」


 酷なことだと思う。

 王族だから、という理由で僅か一〇歳にして国一つを全て背負うというのだから。


 両親を失った。

 しかも彼女は、母親の死を目の前で見てしまっている。


 命が散る場面をその目に焼き付けていた。


 思い出が全てそこへ帰結する。

 であれば、錯乱してしまうのも仕方ない。


 昨日から夜通し泣き続けて、一生分の涙を流したと思えるほどの量を経て、ついさっきのことだ――泣き声がやんだ。


 アリス姫は、巨大な天蓋付きのベッドの上で、小さく丸まり眠っている。


 まるで、生まれたばかりの胎児のような体勢で、だ。


 ディンゴが部屋の扉を閉めると、しっ、と人差し指を立てて赤髪の少女が責めるような視線を向けてくる。


「静かに閉めなさいよ、この子が起きちゃうでしょ……っ」

「疲れ切って眠ったんだからこの程度じゃ起きねえだろ……いや、悪い。気をつける」


 ようは気を遣え、と言いたいのだと分かってすぐさま訂正した。


 この場でくだらない言い合いをすることこそ、眠るアリス姫を起こしてしまう。


 赤髪の少女は、泣き続けるアリス姫にずっとついてくれていた。彼女自身も眠いだろうに、一人では壊れてしまっていただろう一〇歳の女の子の拠り所になってくれていた。


 その名残か、眠った今でも彼女はアリス姫の頭を撫で続けている。


「ん、むぅ……」


 アリス姫が身じろぎし、少女の服を掴んだ。

 ローブの下に着ていた服は丈の長い、至って普通の庶民服であった。王族のベッドに入るには不相応だが、身なりではなく、姫様は彼女という存在に心を許している。


 それは、やはり同性だからなのだろう。


 ディンゴでは決してできない。彼女にしかできないことだった。


 ベッドの近くに椅子を用意し、ディンゴが腰かけた。


「外の様子は芳しくねえ。手っ取り早いのは、姫サンが王として立って先導してくれることだが……、この状態じゃ、無理強いはできねえよな」


 だが、必要なことだ。アリス姫しか適任がいない。無理強いはしないが、やってもらわなければ、この国が死ぬことを把握しておいてもらわなくてはならない。


 無理強いではなく、自身で気付いて表舞台に立ってもらうことを期待している。


「……あんた、最悪ね」


「なんとでも言え。姫サンを守ることが俺の役目だが、敵対者を排除することだけが姫サンを守ることに繋がるわけじゃねえ。生活の基盤を整えなくちゃ、俺にはどうしようもねえ別角度からの脅威に晒されることになる」


 不衛生な町こそ、そうである。

 病気が蔓延してしまえば、ディンゴの力ではどうしようもできない。騎士であって、医者ではないし、病原菌を防ぐために姫様を隔離するわけにもいかない。

 守るだけなら監禁するのが最も確実だが、それでは本末転倒だろう。


 姫様が幸せでなければ、意味がないのだから。


「それに、竜と会話ができるのは姫サンだけだ。

 王として立たなかったとしても、竜との対話はしてもらわなくちゃな」


 こんこんっ、と扉がノックされ、ディンゴが立ち上がる。


「仕事だ。おい元魔女、姫サンのことを頼んだぞ」


「こうしているだけだし、いいけど……。というかあんたさ、いつまでもわたしのことを元魔女って言うのやめてよ。確かに、元魔女だけど、わたしにだって名前が――」


「興味ねえよ。姫サンを守るのに、お前がどこの誰でどんな過去を持って傷を作っているのかなんて、どうでもいい」


 事情を聞かないことは、踏み込まないことで、彼女にしてみれば都合が良いはずだが……、

 なのに彼女はしかめっ面である。



 ディンゴが部屋を去った後、隣でぐっすりと眠る少女に問いかけるように。


「あいつ、これだけ尽くしてるわたしに対して冷たくない……?」


 アリス姫には絶対に分からない感覚だろう。

 問いかける相手を間違えている。


 彼女はきっと、こう答えるはずだ。


『え、……そう?』


 冷たい? いや、鬱陶しいくらいなのだから。



 扉を開けた先でディンゴを待っていたのは、軍衣を身に纏う女性騎士だった。

 彼女の服は汚れ、肌は煤で若干、黒くなってしまっている。


「……はいこれ。拾ったらさっさといくわよ」


 雑に地面に落とされた、砕かれてしまった剣の代替物である剣を拾い上げ、彼女の後を追う。

 服が汚れたことで不機嫌なのかと思っていたが、どうやら違うようだ。

 ディンゴに向けた不満が見え隠れしている。


「なんで怒ってんだ? 気に障ることでもしたか?」


「分かってないのがまたさらに逆撫でされるのよね……ッ」


 身に覚えがなく、ディンゴが肩をすくめる。こういう理不尽な怒りを持たれるのは日常茶飯事なので、踏み込んで解こうとも思わなかった。

 幼馴染のご機嫌を取るよりも、今は国を復興させる方が優先である。


「父さんは?」


「火事での怪我はなかったみたい。ただ、足腰が悪いのに、今の町の状態を見て動こうとするから、みんなが必死に止めてるところ。

 お父さんは表舞台には立つ気はないみたいだけど……、姫様の様子を考えたら最悪、みんなを引っ張ってもらう必要があるかもね」


 かつて英雄と言われていた男が前線に立って指示をしてくれれば、みんなが安心してついていくことができる。

 主導者としては最適な人物だ。


 ただ、英雄の時代は既に終わり、ディンゴへ引き継がれている。

 老害がいつまでも現場にいては下の者が育たないと頑なに主導はしないようだが、後生のためだと言ってもいられない状況だ。


 現状を打破しなければ、先もなにもあったものではない。


「介護が必要な人間が、人助けなんてできるわけねえのによ……」


「私もそう言ったけど……お父さんもこの国の一人だから」


 ただ守られているだけなのは、性に合わないのだろう。



 民家から食料を奪う男たちを見つけ、エナと共に撃退する。


 ……降参しているのにしばらく男たちを痛めつけているエナを見ると、やはり不機嫌なのは間違いないようだ。


「それくらいにしとけよ、数が多いんだ、一人に構ってる暇もねえだろ」


 ふんっ、と反抗的な態度で、叩きつけるように剣を鞘へ収めた。


 捕らえた男たちは病原菌の温床となっている不衛生な場所の清掃を罰則としておこなわせるつもりだ。複数いる騎士の監視の目があれば、逃がすこともないだろう。

 清掃には多くの騎士を割いていたが、男たちを導入することによって騎士の手が空く。他の必要な場所へ、手が空いた騎士を送ることができる。


 食材確保、資材の調達、民家の修繕、怪我人の介抱など、一日が経とうと、やることが片付いてもさらに問題が積まれていくので、まったく終わりが見えない状態だ。


 厄介なのが、これからくるであろうストレスである。


 ……なのだが、既にストレスを抱えている騎士がいるのは問題だ。


「なんなんだ、不満があるなら全部を吐けよ。

 こんな時に拗ねられてもこっちも困るんだよ……状況を考えろ」


「……分かってるわよ」


「分かってねえよ。だからそうやって目を逸らしてんだろ。

 こっちを見ろ、一方的な言葉で逃げてんじゃねえ」


 顔を背けるエナの肩に触れて、振り向かせようと力を入れたディンゴの腕が、エナの腕によって払われる。


「うるさいッ、裏切りものっ!」


「あぁ? 裏切り者って……いつ俺が裏切ったって言うんだよ……?」


 分からない。身に覚えがない。心当たりがないことが、エナの琴線に触れてしまっていることさえも、ディンゴは分かっていなかった。


「昨日、の夜……私、ずっと待ってたのに……」


 ディンゴは記憶を遡らせ、昨日の夜はなにをしていたのか思い出す。


 時間感覚が正確ではないかもしれないが、問題はないはずだ。なぜなら昨日から延長して今に至っている。やっていることはほぼ変わらない――国のために動いていた。


 もしもなにか約束をしていたのだとしても……当然、それどころではないはずだ。


「お前……まさかあの状況で優先させろとか言うつもりじゃねえだろうな……?」


 約束をしていたのだろう(覚えていないが)……でなければ、エナがここまで拗ねることもないはずだ。予定を破ったのは確かに悪いが、しかしあんな状況だったのだ。


 裏切り者とまで言われる筋合いはない。


「私だってそこまで自己中心的な考えをしてるわけじゃないわよ、でもさ……ごめんとかまた今度ねとか、約束したんだからそれくらい伝えにきてくれてもいいでしょぉ……!」


 わざわざ出向く時間もなかった、という言い訳も通用しないだろう。

 こうして面と向かっている以上、エナと再会した時にまず謝罪をするべきだったのだ。


 ディンゴが約束を覚えていれば、まずその言葉が出るはずだったのだが――、


 ……忘れていたら、そりゃ出ねえよ言葉なんてなあ……。


 エナの不満は約束を果たせなかったことではなく、

 そもそも約束自体を覚えていなかったところにある。


 興味がない、ということの証明なのだ。

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