第5話 アルアミカ

 魔女フルッフから逃げていたアルアミカが国に逃げ込もうとしたが、結界のせいで侵入することができなかった。

 空腹で今にも飛行魔法が切れそうだった彼女に声をかけたのが、秘密の抜け穴を使って王宮から外に出ていた、アリス姫だった。



 王族は竜と話すことができる。

 だからこそ彼、彼女らにしか契約ができない。

 当然、アリス姫もその力は受け継いでおり、竜とコミュニケーションを取ることができる。


 結界の向こう側で、姫様は、しーっ、と人差し指を立ててアルアミカに微笑みかけた。


 すると、人が一人通れるくらいの穴が、結界に空いたのだ。


 アルアミカが通ると、結界に空いた穴が小さくなり、やがて元に戻ってしまった。


『父上と母様には内緒にしておいてね』


『……どうして、通したのよ。だって、わたしは得体の知れない誰かで、この国を侵略しにきたのかもしれない……。不用心過ぎるわよ、あんたは』


『え、侵略しにきたの?』


 まったく危機感を抱いていない姫様に、毒気を抜かれてしまう。


『……違うけど』

『ならいいよね。だっておねーさん、困ってるように見えたから』


 それに、と言った後のアリス姫の表情が、きりっと引き締まる。


『もしも敵なら、わたしの騎士がおねーさんを倒しにいくよ』



 数日前のそんなやり取りを思い出す。……思い出して、しまった。


 忘れようと、考えないようにしていた。


 ただひたすら逃げることだけを考え、徹していなければ、足が鈍ってしまうからだ。


 全てを押しつけたくせに、あの子の心配をするなんて――、


「…………これで、良かったのかな……」


 良かったわけ、ないのに。


 彼女は中途半端だ。

 悪役に徹するのではなく、多少の同情を持ち込んでしまう。


 だけどそれは、逆に酷だろう。

 アリス姫にしてもアルアミカにしても、責めるべき相手がいなくなってしまう。


 それはとってもずるいことだと自覚していた。


「はぁ……重ねていくばかりよね……ずっと、痛い……っ」


 アルアミカは膝に顔を埋めて塞ぎ込んだ。

 落ち込む魔女を、竜は慰めたりしなかった。



「雨、か……」


「屋内で雨が降るわけないだろ。

 この竜が蓄えていた水分を、放出しているだけだ」


「それを雨と言うんだろ」


 気がつけばこの国にいたディンゴは、雨と言えばこの光景しか知らない。

 天井が開けた時に降る雨など、見たことがなかったからだ。


「……そうか、そう言えばこっちでは天候が変わらなかったな。

 もし天候に影響があれば、近くにいる竜の仕業、としか考えられない」


 天井から注がれる雨のおかげで、町を包む火の手が弱まり始めていた。


 絶えることのなかった悲鳴が、竜に感謝の祈りを捧げたことで、静かになった。


 声がやんだことで、強く叩きつけられる雨音が鮮明に聞こえるようになる。


「……? なんだ、細かい金属音が……」


 雨音とは別に、小さく鳴り続ける音が気になったディンゴは、敵前にして意識を逸らす。


 音を探していると――驚き、目を見開く魔女の表情が、視界に入って引きつけられた。


 眉をひそめた魔女が、不可解な感情を瞳に映しながら――視線はディンゴの後ろ。


「――なにをしに戻ってきた」


 ディンゴが振り向くと、赤髪の魔女がいた。……いや、もう魔女ではないのか。


 魔女の力は姫様へ移譲されたのだから。

 自分の重荷を丸ごと姫様へ押しつけて逃げ出したその元魔女が一体、なんのために戻ってきたのか。それにはディンゴも気になった。


 これ以上、状況を悪化させると言うなら、相手をする順番を変えてもいい。


 黒髪魔女よりも、赤髪の元魔女へ矛先を向けるだけだ。


 赤髪の元魔女は、居心地が悪そうに指で頬を掻いて、


「えっと……、どうして、だろうね。

 なーんで、戻ってきちゃったのかな、わたし……」


 分かっていながら、彼女はとぼけていた。

 ディンゴにはそう感じられた。


 だから、矛先はそのままだ。変えなくて済んだ。


「……お前にもあんじゃねえかよ。ちょっと安心した」


 ディンゴの言い方に、アルアミカが少しむっとした。

 相性、があるのだろうか。

 ディンゴを相手にする時、アルアミカはいつもよりも好戦的になってしまう。


「知ったような口を利かないでよ、なにも知らないくせに――偉そうにさ!」


「姫サンを巻き込んだ罪悪感で戻ってきたんじゃねえのか? 普通はあるんだよ、罪悪感ってのは。だからお前にもそういうのがきちんとあるんだって、安心したんだ」


 ディンゴにも覚えがある。

 姫様のために厳しくしなければならない時は、国王の下にいれば否応なく従わなければならない。その中でも、ディンゴは比較的、規則を破る方だったが……、

 破れない場合もあるし、そっちの方が断然多い。


 姫様のためとは言っても、姫様には意地悪にしか思われていないだろう。

 いくら姫様のため、姫様のためだと言っても、なかなか伝わらないものだ。


 嫌がる姫様の表情を見ると、いつも心が苦しくなる。


「平気で食い逃げするし、演技で食べ物をねだったり、人を陥れたりな。色々やってて、お前はなんにも感情を抱いてなさそうだったから、生粋の犯罪者だと思ってたんだ。

 更生の余地がないくらいに、墜ちるところまで墜ちてると思っていたが……、こうして戻ってこられるなら大丈夫だろ、お前は人間だ」


「……人間よ、ついさっき魔女から人間になったところだもの」


「墜ちるところまで墜ちた人間は、悪魔になんだよ。……だったような? 実際のところは分からねえけど、なんか本に書いてあったような気がするし――子供が話していたのを隣で聞いただけのことだが……、悪魔って、魔女よりも悪そうな感じがするだろ?」


 人の噂は事実と異なるが、よく言われるのが、悪い子は魔女に攫われて、魔女に攫われても更生しない子供は悪魔となり、二度と人間には戻れないと言う。

 人間に恐れられ、魔女にも相手にされず、竜にも見向きもされない。そんな孤独な存在。


 悪いことをしても誰にも気付かれなくなる――そんな罰が一生、ついて回る。


「だったような、確か。……良かったな、人間で」

「……うっさいわね、子供扱いすんな、ばかっ」


「いいや、悪魔だよ、そいつは」


 アルアミカがびくりと全身を震わせた。

 雨による寒さ、ではない。火のおかげで逆に蒸し暑いくらいで、雨が体を冷やしてくれてちょうど良いと感じるくらいだ。


 アルアミカが感じたのは、表面的な寒さではなく、恐怖からくる内面的な悪寒だ。


「罪悪感を抱く? もしそうならなぜ貴様はのうのうと生き、あまつさえ人間となり、自分の運命から逃げて生き続けようとしている? 

 罪悪感だと? 貴様に欠片もあるわけがない。あるならここで自害をしてみせろ、すれば認めてやろう――貴様の墓くらいは作ってやってもいい」


「おい」


 アルアミカから目を離さない男の胸倉を、ディンゴが掴んだ。


「お前の相手は、俺だろ」


 しかし、男の視線がディンゴへ向くことはなかった。


「てめ――」


「見ずともお前を潰すくらい、容易く可能だ」


 男の拳がディンゴの顔面を横から打つ。なんとかその場で踏み止まったディンゴだったが、首から嫌な音がしてアルアミカが咄嗟に悲鳴を上げる。


「何度繰り返す。お前は俺には」


「勝てない、か? 

 ……てめえがへばってきてんじゃねえのか? 一撃が軽いぞ?」


 ……胸倉は掴んだままだった。


「分かりかけてきた気もするんだよな……、お前は速度やパワーを強化してる。そういう魔法なんだろ? で、その効力も今はもう、消えかかっている……とかな」


 威力の波があることを身を以て知っていたディンゴ。

 普通の人間にも好調、不調の波は必ず存在するが、この男の場合はその差が大きいのだ。


 満タンと、なくなりかけくらいの大きな差が。


「お前の力の源は、なんだ……? たとえば、酒、だったりするのか?」

「……気付いたからと言って、お前の勝率が上がるわけではないぞ」


「白状するのが早いな、意外とメンタルは打たれ弱いのか、おっさん」


 瞬間、ディンゴの腹部に男の拳が突き刺さり、彼の体が浮いて地面を滑る。


 軽い一撃と言ったが、それでも重い。さっき吐いたばかりでなにも口にしていないのが幸いだった。もしも胃になにか入れていたら、全て吐き出していただろう……。


「気付いたからと言って、お前の勝率が上がるわけではないぞ」


 男は繰り返す。その事実は揺るがない、と強調するように。


「ちょ、あんた――」


「アルアミカ、お前は殺す」


 う、と咄嗟に口を両手で塞ぐアルアミカ。

 男の機嫌を損ねないように口を塞いで喋らないようにしていた。

 なにを言っても男には通用しないと、身を以て知っているからか。


「お前だけは、楽には死なせない」

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