第4話 自由の先

 吊されていた姫様の体が、男に離され、地面に倒れる。

 乱暴な扱いにカッとなったディンゴだったが、一瞬にして姿を消し、目の前に現れた男によって、頭に上った血が一瞬で引いていく。


 自覚がなかったが、足が自然と数歩下がる。


「おいおい、逃げ腰だな、臆病もの」

「ッ、んの野郎!」


 がしぃ! と、男の手の平がディンゴの顔を真っ正面から掴んだ。


「あが、ァあ、ァアああああああああああああああッッ!?!?」


 みしみしと頭蓋から嫌な音がし始め、視界が明滅していく。

 それでも決して意識だけは手離さないように声を張り上げる。

 笑みを崩さない。屈すれば終わりだ。自分のペースを決して乱さないように――。


 姫様の笑顔を、思い出す。


「……奪わせねえぞ」


 恐怖ではなく、感情の高ぶりによって震え出した拳が、今か今かと先走ろうとしている。


「あいつは幸せにならなきゃいけねえ! なら、救われた俺があいつを幸せにしなくちゃなにも返せねえだろうがよォッ!!」


 鉄のように硬く握られた拳が、男のこめかみへ叩き込まれた。


 ディンゴの頭にかかっていた負荷も緩み、その一瞬の隙に拘束から脱出する。


 しかし、過去最高の威力を誇る一撃を直撃させても、男は倒れなかった。


 僅かに数歩、よろめいただけである。


「……今のは、効いたなぁ……」

「なんなんだよ、お前……! なんで、なんで倒れねえんだよっ!!」


「普通の人間とは違う……眷属、だからかもなあ」


 魔法を与えられし者。

 眷属――その者を、魔女たちは【ギフト・ワーカー】と呼ぶ。


 都合の良い労働者、とも。


「力比べも飽きたな。使え、魔法を。

 お前も眷属なら、授かった魔法があるはずだ」


「……魔法、だと……?」


「自力で解かなきゃ、お前に勝ち目はないぞ、小僧」



 地響きと共に、遠くに見えていた空が巨大な壁によって遮られていく。


「え、ちょっとっ、なにが起きてるの!?」


 外を目指して走っていた元魔女の少女が速度を上げたが、見えた壁がさらに上昇し、同じように上昇した別の方角の壁と頂点が接する。放物線を描くように空を遮って頂点で接したため、半球のような状態で国が閉じられてしまった。


 物理的な壁である以上、結界よりも厄介である。


 町の端まで辿り着いた少女が壁を乱暴に叩く。

 開けなさいよッ、と怒鳴っても当然、壁が下がることはなかった。


「嘘……っ、閉じ込められた……?」


 背後には広く膨れ上がり、国を丸ごと飲み込んだ火の手がある。

 少女の元まで火が迫ることはないだろうが、有毒な空気が充満することは確実だ。

 隙間なく密閉されてしまえば、致死性は以前よりも跳ね上がる。


 その絶望感に、少女が膝を落としてその場に座り込んでしまう。


「……せっかく、運命から逃げられたと思ったのに……ッ」


 魔女を捨て、他者に全てを押しつけても逃がさない、とでも言われているようだった。


「わたしが一体、なにをしたのよ……っ」


 少女が目の前の壁を強く殴りつけた。


「わたしたちは、ただ普通に生きたいだけなのにッッ!!」


 魔女として生まれた少女――アルアミカの願いだった。


 その時だった。

 加熱した彼女の頭を冷やすように、一滴の水滴が鼻先を濡らした。


 次第に水滴の数が増えていき、ぽつぽつと石の地面の色が濃くなっていく。


 皮肉にも、火のおかげで、閉じられた町中にも明かりがあったが、あらためて壁の内側に彫られている不規則な刻印が光を放ち、まるで真昼のような鮮明な視界を再現させた。


 すると、時間と共に水滴の量がさらに増え、家を包んでいた火の手も弱まり始めた。


 見上げたアルアミカが手をかざして水滴を防ぎながら呟く。


「…………雨」


 井戸からしか汲めない少量の水のせいで、人々は消火をしようとしても火の量の方が多くて敵わなかった。しかも勢力を拡大させていく火のせいで、余っていた人の手も、次第に奪われていく始末である。


 いくら燃え移りづらい石造りとは言え、全てが石でできているわけでもない。この国では貴重となる木材でいくらか補填しているため、燃え出すと一瞬だ。頑丈さで家自体は倒壊しないものの、有毒となった空気や燃えた家具が倒れ、人々の命を奪っていく。


 それに、偶然ではなく意図的な発火源だ。

 燃えづらいものをどう燃やすか、考え尽くされている。

 ここまで被害が出るとは思っていなかった人々の怠慢が招いた大惨事だ。


 これ以上はもう、人間にはどうにもできない。

 だから、竜が動いた。


 侵入者である魔女を閉じ込めたわけではなかったのだ。


「…………わたしの、勘違い、だったのね……」


 アルアミカが安堵の息を吐く。すると、座り込んでいたので視界が下がり、立っていたら気づけなかった僅かな空気穴を見つけた。

 外の光が見えているその隙間に指を差し込んでみると、ぴったりとはまっていた、両手で抱えるくらいの岩が持ち上がった。


 地面よりも一段下に、子供だけが通れそうな穴が広がった。

 ……アルアミカは自分の体を見てから穴を見比べ、もしかしたら……、と期待を抱く。


 頭から穴の先へ体を伸ばし、途中で通りが悪くなってゾッとしたものの、なんとか全身が抜け出せたようだ。


 全身に風が当たる。

 外の世界だ。下を見れば灰色の重たい空気が溜まっている。


 首を左右に振り、嫌なことを忘れるように進行方向へ顔を向けると、


 巨大な黒い瞳が、彼女の傍へ移動した。


「…………!」


 驚きのあまり声が出ず、ごくりと生唾を飲み込んだ。


 瞳が離れていくまで、アルアミカは身動き一つ、呼吸をすることもできなかった。


 この世界において絶対的な捕食者である――竜。


 人間と契約し、その体を土地として提供している世界の頂点。


 だが、魔女にとっては、竜はただ自分たちを捕食する、敵でしかない。


「――――っ、はぁ、はぁ、けほっ、うぇ」


 取り戻した呼吸に肺が追いつかず、息が乱れて咳き込んでしまう。


「……どうして、わたしを食べようとしないの……?」


 彼女は、自分の体にもう魔力がないことを忘れていた。

 既に竜にとって、アルアミカは魅力的な餌ではないのだ。


「そ、っか……わたしはもう――」


 やっと手に入れた、自由の身である。


 ただ本当の自由を手に入れるためには、この竜から別の竜へ移動したいところだが、すれ違う竜が現れるのはまだまだ先のようだ。

 見渡す限り、地平線の先まで見てもなにもない。


 魔力を持たないことで竜の餌にならなくはなったが、今度は魔法が使えない弊害が出ている。

 そんな状態で竜の足下の世界へいくのは自殺行為だ。

 あそこは魔女でなくとも、腹を空かせた竜たちの餌食になってしまうだろう。


 運命からは逃げられたが、まだこの竜と共にいなければならないらしい。


「……仕方ない。どうやって身を隠そうかなぁ……」


 この竜に居づらい理由はもちろん、アルアミカが苦しんだ運命を、この国の姫様に押しつけてしまったからである。


 今頃はもう、もう一人の魔女に負けてしまっているだろう……。


 ……今度はあの子が別の誰かを引きずり下ろすことになるけど、時間もないし、もう無理よね……。


 残り一週間を切っていたはずだ。

 眷属が一人しかいない幼女が、経験において勝る魔女に勝てる要素はなに一つない。

 意外と眷属一人の強さで覆ってしまう場合もあるが……。


 この国は平和だが、それは悪い方へ作用してしまうだろう。

 彼女を追いかけていたあの青年は、喧嘩には自信があるようだが……、しかし足りない。


 本気の殺し合いには慣れていないようだった。


 ……ように見えた、だけどね。


 とは言うが、彼女の意見も間違いではないだろう。

 この国で本気の殺し合いを経験しているのは、今ではもう英雄くらいだろうか。


 彼はもう引退しており、その実力もかなり衰えている。


 挙げ出したらきりがない。

 姫様が勝てる光景が思い浮かばなかった。


「…………わたしが生きるためなんだから、仕方ないじゃんッ!」


 考えてしまったことを否定するように、アルアミカが叫ぶ。


 両手で顔を覆う。

 外の景色を見なくなったせいか、見えてくるのは記憶だった。

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