第3話 魔女と眷属
道を開けた少女の隣を通り過ぎて姫様の近くへ。
彼女は息を潜めているかのように呼吸が静かだ。していないわけではないが、せっかく取り戻した命を少しづつ手離そうとしている段階だった。
「酸素を口移しで分けても長く続くわけじゃねえ。どうにかしてこの場から脱出を」
言葉の途中で、がくんっ! と、ディンゴの視線が傾いた。
戸惑いの声を上げたのはディンゴだけではない。
隣にいた魔女も同様に、傾いた視線の方へ体が浮いていた。
変化は手を地面につけた瞬間だったようにも感じた――、
そうだ、体重を預けたら手応えがなくなり、そして今に至る。
床が突然消えたことで、ディンゴたちの体が下の階の部屋へ落下した。姫様を抱きしめたことで受け身を取り損ねたが、結果的に囲んでいた火の手からは逃れられている。
落ちた先の火の回りは上階ほどではない。進行が遅いというよりは、一度は吹き消したが、時間と共に元に戻りつつある状態が正しいか。
「うぉ、冷てぇ」
上から滴る液体が額に当たった。
火に対して水は有効だが、圧倒的に物量が足らない。
しかしなぜ水が上から降ったのだ? この国で水は、井戸から汲み上げる分しかないはずだ。氷にする保管方法もあるが、火の手が回ってしばらく経っている以上、氷が溶けたとしても既に蒸発しているはずだ。
保管している分は台無しになったと見ていい。
かろうじて残っていたところで、少なくとも冷たくはないはずだ。
なのにディンゴの額に落ちた水滴は冷たく、ぽつぽつと等間隔で今も落下している。
「いったぁ……っ、ちょっと、あんた一体、なにしたのよっ!」
「知るか。床が火のせいで脆くなってたのかもな――なんにせよ好都合だ」
環境がまともな場所に移れば、姫様の衰弱もすぐに回復するはずだ。
鼓動が止まったさっきとは違って、火の手によって酸素が減っているせいなのだ。
ならば、一刻も早く王宮を出ればいい。
床に燃え移っている火を飛び越えて、部屋を出る。
王宮の広くて長い廊下を走っていると、視線の先に立ち止まっている人影を見つけた。
王の死を知らないディンゴは、人影を見てすぐに国王か王女を連想したが……違う。
魔女の少女と瓜二つ、どころか、まったく同じ姿をしている少女が目の前にいる。
背後を見れば遅れて付いてくる魔女の姿があった。
どちらかが偽物でどちらかが本物となるわけだが……、違いがあるとすれば帽子の有無だ。
姫様が被っている帽子のせいで、傍にいる魔女は帽子がなく、
目の前にいる少女は帽子を目深に被っている。
立ち止まったディンゴに続き、付いてきていた少女も足を止めた。
「なに立ち止まってんのよ」
「あいつとお前、関係あんのか? ……あるよなそりゃあ……!」
ディンゴの陰から顔を出した少女が、もう一人の自分を見て声を上げる。
「うわ、わたしがいる! ち、違うわよ、本物はわたしだから!」
「そんなのどっちでもいい」
ディンゴが敵対するのは邪魔をする者だけだ。
ここを素通りさせてくれるならなにもしない。しかし立ち塞がるなら反撃する。
それは後ろで身を隠している少女を相手にしても同じことだ。
他人の事情に首を突っ込むほど、自分たちの状況に余裕があるわけではない。
「……急病人だ、悪いが通してもらうぞ」
「好きにしたらいい。僕の目的は後ろにいるその女だ」
そう言われて、ディンゴが間抜けな顔を浮かべる。
拍子抜けして、危うく姫様を腕からするりと落としそうになってしまった。
「なら、通させてもらうぞ」
そうして、少女の隣を通り過ぎるディンゴ。
当然、背後にいた魔女は瓜二つの自分に止められていたが。
「だ、誰よあんた! 人の姿を真似して、変なことしてないわよね!?」
彼女はただの変装だと思っているようだが、近くで見たディンゴには、そんなレベルでは収まらない再現率であると分かった。
骨格や髪質まで同じだ。
双子でもここまでは似ないだろう。
そもそも似るレベルではなく、同一とまで言っていい。
まるで魔法のような変装――いや、変身だ。
どちらが本物かまでは分からなかったが。
……魔法、か。
なら、魔女のあいつと同じ畑の奴かもな。
本来、魔女であれば魔力の流れを感知できるため、魔法を使われているかどうか、相手が魔力を持つ魔女であるかどうかが分かるのだが、疑う少女は気づけていなかった。
そんな基礎的なことすら知らなかったとは言え、この状況でディンゴはかなり楽観的であると言えよう。
背後で聞こえる一方的な言葉を、やがて遠ざかりながら聞き、王宮を後にする。
幅広く、大きな階段を下りている最中にすれ違う人影。それは――、
ディンゴの鼓動が大きく跳ねた。
「お、前……ッ!」
「ん? ああ、生きていたのですね」
ディンゴを汚物処理場まで殴り飛ばした酔っ払いの男である。
自然と、震えながら構えたディンゴだったが、相手に喧嘩をするための動機はないようだ。
「大切なものをそこまで大事そうに抱えながら戦うあなたを相手にする必死さは、今の私にはありません。さっきはあなたが私の獲物を庇うから排除したまで。
今は理由がありません……。
もちろん、あなたが私を排除する理由があるのであれば、私も戦いますが?」
戦わないと聞いて、ほっとしている自分がいたことを自覚してはいない。
ディンゴは抱える姫様のことを考え、敵意という矛を収めた。
「いや、俺にもねえな」
「なら、お互いにここはすれ違いましょう。私は合流をしにきただけですので」
と言って、先に階段を上がり始めた男を見送る。
合流するとなれば、どっちだ? と、置いてきた少女を気にかけたが、関係ないことだ。
「あと少しだ、姫サン」
見下ろす姫様の首元の数字をあらためて見る。
これと似たような刻印が、男の手の甲にも表れていたのが、すれ違う時に確認できた。
よく見る刻印、くらいにしか思わず、その意味を熟考するディンゴではなかった。
「――だから、わたしの順位はそのままあの子が引き継いだってことっ!」
そんな訴えが風に乗って聞こえてきた頃だ。
姫様が意識を取り戻した瞬間、
彼女が見たのはディンゴの背後に迫る男の姿だった。
「っ」
ディンゴの胸倉を引っ張り、彼の頭を下げさせたことで、迫る男が振るった拳がディンゴの頭があった場所の空間を切る。
「なッ、にッ――」
「悪いが、こちらには理由ができてしまったようでな」
振り返ろうとしたディンゴの足が、読み違えた段差を踏んだことで、体重移動に誤差が生じた。遠方から引っ張られるように、ディンゴの体が階段から遠ざかる。
「うぉっ……!」
姫様はディンゴの胸倉を掴んで離さなかったため、空中で分離することはなかった。
ディンゴもあらためて姫様を抱きしめ、二人の体が密着しながら長い階段を転がり落ちる。
「――姫サン、無事か!?」
「けほっ、こほっ……、後ろ、見て……っ」
警告を発したが遅かった。
ディンゴの姿が姫様の視界から一瞬で消え失せた。
衰弱したせいで引き起こった視力低下のせいもあるが、その場でぱっと消えたように、殴られたディンゴの体が吹き飛ぶ速度が異常だったのだ。
「失礼」
男の手が伸び、片腕が掴まれた。
姫様の体が持ち上げられる。
「……確かに、首元に数字の刻印があります。フルッフ、あなたの一つ上ですよ」
「魔女としての力を全て移動させたことで、運命さえも押しつけたわけか……。蘇生も力の譲渡も禁忌魔法のはずだが……いや確かに、こうなってしまえば守る必要もないわけか」
階段を下りてくる魔女の姿……、黒いローブに赤髪の姿が、やがて変化していく。
元に戻っていく、と言った方が正しいだろう。
本来の姿が見え始め……赤髪は黒髪へ。
結んでいた二つの髪の束を解いて、一つにまとめてしまう。
片目だけにかけられた丸いレンズの奥にある瞳が、姫様の体を下から上まで観察していた。
「警戒をしないでもよさそうだな。……それにしても、禁忌を犯して逃げた魔女を放っておく学院でもないだろう……、結局、賢くはない選択だ」
「それで、アルアミカは?」
「初歩的な魔法さえも使えなくなったあいつを拘束するのは難しくない。上で転がっているだろうさ。……復讐相手のことを好きにしてもいいが、まずは役目を全うしてからにしろ」
「役目、ですか……。魔女相手には、魔女でしか攻撃が通らない、と言っていたのでは?」
「お前の相手はあれだろう」
黒髪の魔女が指を差す。
その先には立ち上がった騎士の姿があった。
「あいつの手の甲にはお前と同じ刻印がある。つまり、その子の眷属だ」
眷属から魔女に攻撃を通すためには、相手の眷属を全て撃破してからでないとならない。
つまり、眷属の男がアリス姫を傷つけるには、ディンゴをまず撃破しなければならないのだ。
ただ、魔女同士であればその制約はない。
魔女・フルッフの攻撃は、魔女となったアリス姫に通ってしまう。
そして、通ってしまえばアリス姫の敗北が決まり、
肉体に刻印された数字の順位が、時刻・零時に重なった瞬間に更新される。
アリス姫と魔女フルッフの順位が、入れ替わるのだ。
「敗北者はたとえ上位者だろうが、最下位へ落とされる。
ま、最下位争いをしている僕たちには関係のない話さ」
「離せ……汚ねえ手で、姫サンに触ってんな……ッ」
「君たちに恨みはないが、僕も時間がなく、命も惜しい……そう、非常に困っているんだ。だからこちらのルールに則って、仕留めさせてもらう。
安心するといいよ、なにも殺すわけじゃないからね――あくまでも、僕は、だが」
黒髪の魔女に向けたディンゴの敵意は強い。
しかし駆け出した瞬間に、つま先が地面をこすって、顔面を地面に擦らせてしまう。
体が自由に動かないことに疑問を抱くディンゴだが、当たり前だ。
酔っ払っていた男に殴り飛ばされ、目を覚ませば町が火に包まれていた。姫様を救出——脱出をしている途中に、再び男に殴り飛ばされ、こうしてなんとか立ち上がった。
肉体は限界をとっくのとうに越えている。いつも通りに動けるわけがないのだ。
姫様を守るために、アドレナリンが出ているために、痛みをあまり感じていないのかもしれないが、体は正直だ。痛みを感じなくても、機能に障害があれば動かすのは難しい。
男も、倒れているディンゴに攻撃をすることに躊躇っている。屈辱的な同情の視線だ。
黒髪魔女の方は、相手をするまでもなく目的を達成させられると、興味が失せていた。
「邪魔が入らないなら排除する必要もない。僕がこの子に手を下せば、解放されるんだ、わざわざ怪我を増やすこともないだろう。
全てが済めばこの火の手からも脱出させよう……君がやれよ、ダイアン」
「構いませんが。……いつになっても『パパ』とは呼んでくれないようですね」
「僕は君の娘の代替物ではないのでね。それにその呼び名はアルアミカをまず最初に連想しそうなものだが……、僕に殺意を向けられても困る」
肩をすくめた男を見切り、魔女フルッフの手がアリス姫へ伸びる。
だが、伸びた手が、ぴくっ、と止まった。
「……立ち上がって、どうする気だ?」
見なくとも、足音で把握できる。
近づくディンゴは、満身創痍だ。
「こちらは二人、しかも一人は君を二度も沈めた強者だ。
そして君自身も、彼には多少の苦手意識があるのではないか? 違うか?
僕への敵意があっても、ダイアンへは、怯えしか感じ取れないぞ」
「……うるせえ」
「平和の代償だろうな、相手の強さと距離感を分かっていないらしい」
戦いに慣れていれば、圧倒的な戦力差を感じ取れば、引くべきだと頭が理解し納得できる。
がむしゃらに挑めばいいというものではない。何度も挑めば、勝てるわけでもない。
再戦までの間隔がなさ過ぎて、結果は同じことの繰り返しだ。
今、ディンゴには一筋の光明さえ見えていなかった。
それでも挑むのには、理由がある。
「たとえば、お前が……、姫サンがお前よりも数倍、強い相手でも、絶対に勝てないような相手でも、たぶん挑むんじゃねえか……? 言ってただろ、時間がない、命が惜しい、困っているんだって……。それでもお前は、手を引くのかよ……、納得できんのかよ……ッ!」
魔女から返ってくる言葉がなかった。
見当違いだと笑われることもなかったようだ。
「切羽詰まってたんだろ……、同じことだ。
俺にとっては今の姫サンを守れなければ、それは死んだも同然なんだよォッッ!」
「…………なるほど、よく分かった。君も僕と同じなのか。だったら同情もしない、手を抜いたりもしない、施しもなしだ。
救う気がないのに距離を詰めても仕方ないだろう。
だったら徹底的に敵対してやろう――ダイアン」
魔女が眷属に、命令を下す。
「叩き潰せ」
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