第2話 役は移った
平凡な日常が壊れたのは、思えばこの少女がきっかけだったようにも思える。
復讐だと言って、少女を追って現れた男。直接的な関係があるとはまだ分からないが、火に包まれ、壊滅的な被害を受けている我が国……、そして、犠牲となった姫様――。
ディンゴを見捨てて一目散に逃げた少女が、このタイミングで現れ、場を掻き回すようなセリフを吐く。……警戒をして当然だ。
そもそも、死者の蘇生など生命に対して反則技である。一体、なにを代償に……。
聞きたいことが山ほどある。わだかまっている文句を発散したい。
反射的に剣を握ろうとして、ついさっき破砕したのだと思い出す。
しかし、ディンゴは構わず剣を握り、そこにないはずの切っ先を少女へ向けた。
彼女の誘いは、必ず墜ちるところまで墜ちるだろうと予想できていた。
今、手元にあるものを全て失うということも。
それでも、ディンゴは騎士であっても、正義であるという自覚はない。
「……任せても、いいんだな?」
「わたしが言うのもなんだけど、もうちょっと警戒したらどうなの? 大切なお姫様の死体を得体の知れない魔女に渡すなんて、このまま奪われて死体人形にでもされたらどうするのよ」
「そん時はお前を地の果てまで追って、俺の剣で斬り殺すだけだ」
片腕で抱える姫様の死体を、一層、強く抱きしめた。
「――死にたくなけりゃ、姫サンを生き返らせろ」
「はいはい、しますよーだ。……失敗なんて、するものですか……っ!」
親の言いつけを嫌々守るような声のトーンとは変わり、小さく呟いた時の少女の表情が、以前と比べて、ぐっと引き締まったように見えた。
少女が屈み、抱き抱えられている姫様へ手を伸ばす。
周囲の火の手はもう既に、ディンゴたちを完全に包囲するほど大きくなっていた。
「今から、わたしの魔力の全てを注ぎ込む」
どいてなさい、と抱えていた姫様を地面に置くように促された。
邪魔だから、と言われ、ディンゴは火の手、ぎりぎりまで後退する。
少女がローブの内側から針を取り出し、指先に刺す。
ぷくぅ、と指の腹から膨らみながら出てきた血をこぼれないように上へ向けながら、
少女が帽子を取り、姫様の頭へ被せる。
「魔女にとっては帽子も含めて、力の源になっているの。……魔力を持つ者に憑りつく一種の生命体みたいなものね。
一瞬にして魔力が消えれば、帽子は宿主を見失う。だけどすぐに魔力を持つ者が現れたら……帽子は一体、誰に憑りつくのかしら」
少女の呟きをディンゴは理解できなかった。
無条件の美味い話だとは最初から思っていない。だから不安さが常時続いているのだと思っていたが、だとしても不穏な空気を感じ取っている――。
だけど……、止めてどうなる。
今が最悪なのだ。ここからさらに下がることはない。あの魔女を全面的に信用するのもどうかと思うが、姫様が生き返ることで前進するなら、多少の不都合は受け入れるべきだ。
どんな脅威が降りかかろうとも守り抜く。
そう覚悟を決めたはずだろう――っ!
「さあ、魔女の血よ。――王族であり、処女であり、血族を失った悲劇の感情を持つあなたなら、胸の内に空いたその穴に、魔女の力が入ってもパンクはしないはず……。
竜との契約なんて認めない。魔女のわたしがあなたと契約し、救ってみせる!」
血を乗せていた指を、姫様の唇の間に差し込んだ。
流れ出ていた血が、姫様の体内へ落ちていき、やがて姫様のくすんだ金色の髪が、元の輝く色を取り戻し始めた。
頭の上に置いてあっただけの帽子が、まるでかじり付くように強く密着する。
ちょっとやそっとの力では脱げないほどに強固に――である。
そして、静かだった脈が、動き出す。
鼓動が小さな体を上下に震わせる。
姫様のまぶたが、ゆっくりと持ち上がった。
「姫サ――」
「わたしを救ってくれて、ありがとう」
と、
……そう言ったのは、少女の方であった。
唾液で濡れた指先を抜き取り、立ち上がった少女が笑みをこぼす。
がまんしていたのに、がまんし切れずに息が漏れて、呼吸が乱れたような不気味な笑い方だ。
「あっ、あは、ははひっ、はっ、あははは、あっはははははははっっ!!」
ローブを揺らしたり、指先で宙になにかを描くような挙動を繰り返したり。
「使えない、使えなくなってる! わたしの中から、魔力がなくなったんだッッ!」
ぐぐぐ、と両手の拳を握り締めて、身を屈めた後に、真上へ大きく跳んだ。
「――いやぁったぁ!! これでわたしは、竜に怯えることもないんだァッ!!!!」
「……え、なにあれ」
蘇生したアリス姫が命の恩人に抱いた感情はまず、警戒と呆れであった。
起きたばかりで状況が分からないため、戸惑っているのもあるが、一部始終を見ていたディンゴも同じような感情である。
ただ彼の方がまだ、戸惑ってはいても、硬直はしていなかった。
「姫サン、気分はどうだ?」
体を起こした姫様の背中を支える。
彼の場合はただ、姫様優先で、魔女に興味がないだけだったのかもしれないが。
「気分は……、ちょっと気持ち悪い、くらい……」
魔女による蘇生魔法の弊害だろうか。
そうでなくとも他人の血を飲んでいたのだ、気分が悪くなるのも分かる。
血を見ただけで貧血になる者もいるくらいなのだから。
「おい、魔女。お前、魔力がなくなったとか言ったが、もしかして姫サンを生き返らせる代償に、お前の魔女の力がなくなったんじゃねえのか?」
彼女の言動からそう推測できる。
が、だとしたら彼女のこの喜びようはなんだ?
まるで、魔女であること自体が、大きなマイナスになっているような……。
「ぷくく……、ええそうよ、わたしはもう魔女じゃないのよねえ」
その場でくるくると、踊るほどに気分が高揚しているようだ。
「お前は、いいのかよ、それで」
魔女がいること自体、半信半疑だったため、実際にいたこと自体が驚きだったが……、彼女が生まれた時から魔女なのであれば、生まれ持つ存在意義を奪ってしまったことになる。
彼女から持ちかけられた話とは言え、奪ってしまったことを意識するものだ。
「いいのよ。わたしはずっと、こうなることを望んでいた――」
付け加えるのなら。
「それに失ったのではなく、移っただけなのよ。魔女が一人いなくなったわけじゃない。あんたの手元にいる新たな魔女が、わたしの代わりに役目を継いだだけ」
「……あ?」
ディンゴが視線を下ろす。
姫様が小首を傾げてディンゴを見上げていた。
あらためてこうして見て、気付くことがあった。
……姫サンの首元にある数字は、なんだ……?
「おい魔女、姫サンのこと、ちゃんと説明をしろ」
背を向けて立ち去ろうとした少女が、ディンゴの言葉に立ち止まった、わけではなく、
「……教えるって、言ったら、どうにかしてくれる?」
「なにが」
少女が前方を指差しながら、首を回してディンゴを見た。
さっきまでの笑みが、今では引きつってしまっている。
「火、やばいんだけど……」
あれやこれやとしている間に、全方位を火の手が壁として立ち塞がってしまっている。
一瞬だけがまんし、突き抜けていくには、火の壁が厚過ぎる。
さっきから呼吸も苦しくなってきていた……、起きたばかりの姫様は酸素を取り込み始めたばかりなので、元々の取り込み量が少なく、火に囲まれた中では最も衰弱するのが早い。
体を起こした途端だが、再び全身の体重が、支えているディンゴの腕にかかった。
「おい魔女! 魔女なら魔法でなんとかならねえのかよっ!」
「わたしはもう魔女じゃない……っ、魔女はその子なのよ――あーもうっ、こんなことなら一旦、外に出してから押しつけるべきだったわ!!」
頭を掻き毟りながら嘆く魔女は、役立たずだと判断し、手元の姫様に視線を戻す。
「……姫サン……大丈夫か……?」
「苦し、い……」
咳を何度も繰り返し、姫様がぐったりとし始め、まぶたも再び下り始めている。
「なんとか、しなさいよ……ッ」
「なんとかってよお……」
「わたしの、騎士、でしょぉ……、守って、くれる、んでしょお……?」
それが騎士の役目だと、姫様の視線が語っている。
一度ならず二度までも、失敗することは許されない。
「……とりあえず姫サンを今の苦しみから解放させる方法は、ある。
やり方に文句がねえならすぐにでも実行するが、どうする?」
姫様は頷かなかった。
彼女のまぶたは既に下り、返事をすることも難しいのだろう。
だが、弱々しく腕が上がって、ディンゴの頬に触れた。
――さっさとやりなさい、という意思であると判断した。
「ああ、すぐに楽にさせてやる」
「あっ! そうだあんた、その子から――」
その時、魔女の少女が見たのは、ディンゴが姫様の唇に、唇を重ねているところだった。
「――はぁっっ!?!?」
咄嗟にディンゴの顔面を蹴り抜くという行動を起こしてしまったが、彼女自身もなぜそんなことをしたのか分からなかった。
とにかく小さい女の子が性欲の塊である肉食男に襲われているのを助けなければ、と激情に駆られたのだ。条件反射と言う。
蹴られたディンゴの体が大きく仰け反って、火の壁ぎりぎりまで転がっていった。
「て、てめえ、なにしやがんだ……」
つー、と、眉間を押さえるディンゴの鼻から、一筋の血が滴り落ちていた。
「へ、変態が、こんな状況で衰弱してる幼女に、き、き、キスなんてしやがってぇ!」
鼻血が出ているせいか、少女は喧嘩腰ではあるが、上半身は引いている。
精神的に近づきたくない嫌悪感を感じているのだろう。
「幼女に欲情する変態なのね……鼻血まで出してるし……」
「お前が顔面を蹴ってくるからだろうがッ!」
クソ、と吐き捨てて、姫様の元に戻るディンゴの前に立ち塞がる、魔女の少女。
「あの子の処女は、わたしが守るわ」
「あのなあ、姫サンの呼吸が浅くなっていたから、口移しで酸素を渡しただけだ。
欲情したからじゃねえ。つーか、こんな状況で欲情なんてするわけねえだろ」
こんな状況でなければ。
そんな仮定を吐露するディンゴではなかった。
「あ、そういうこと……そうならそうと早く言いなさいよ……」
「だからお前が聞かずに勝手に――いや、いい。とりあえず姫サンの回復に努めるぞ」
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