第7話 異物混入

 目の前の果物が消費されるのを眺めているのも飽きたので、何気なく店内を見回して気付いた……、さっきまでやけ酒(?)をしていた男がいなくなっている。

 食事もせず木のコップ一つを使い、何杯も注ぎ直していたのでテーブルは綺麗なものだった。


「や、やめて……ッ」


 厨房の中から、か細い声を聞き取った。物静かだが仕事が早い店主の娘は、こうして女に飢えた客の餌食になることが多い。

 がたいの良い店主を前にして、堂々と触る客は最近は減っていたが……、少なくともいま触っている客は常連ではないようだ。


「あーあー、ったく、あの客、泥酔してやがる。――おい、人の娘になにしてんだ!」


 鼻の下にある左右対称の小さな髭。温厚そうな見た目をしている男だった。


 体格は頼りなさそうだ、店主と並ぶと筋肉のなさがよく目立つ。

 店主によって羽交い絞めにされ、厨房から出されて元の席に戻されていた。


「あんた、これ以上飲むのはやめておけよ、俺も面倒を見切れねえからな」


「あぁ、もう、一杯……うにゃあ」

「だから、注がねえって言ってんだろ」


 男はテーブルに突っ伏し、鼻ちょうちんを作って眠ってしまった。

 店中に響き渡る轟音のいびきをしながら、である。


「はぁ、昼間からここまで泥酔する客は初めてだ。つらいことでもあったのかねえ」


 店主がこちらをちらりと見てきたので、釘を刺しておく。


「迷惑客の始末は騎士の仕事じゃねえからな」


 その客が暴れたならまだしも、今のところ騒音を出しているだけだ。注意はするだろうが彼がまともな思考をしている時にしなければ意味がない。

 よって、現段階においてディンゴが出る幕はないのだ。


 そうは言っても同じ空間にいる以上、そのいびきをうるさいと感じてはいる。


 がまんの限界が訪れたのは早かったし、しかも限界を迎えたのはディンゴではない。


「うるっっさいのよ、あんたッッ!!」


 果物に夢中だった少女が立ち上がり、眠っている男の腹部を思い切り蹴り上げていた。


「…………おいおい」


 急に引っ張られたディンゴは、その光景を上下逆さま、地面に倒れながら見ている。

 繋ぎ止めておくための縄が、色々な部分で支障を出している。


 油断していたとは言え、騎士が椅子から転げ落ちていては威厳が保てない。


「っ、てて……。お前なあ、酔っ払いにはもっと優しく――」


 起き上がったディンゴが見たのは、怒髪天を衝く様子だったとは思えないほど、真っ青にした少女の横顔である。

 言葉が出ないどころか、呼吸もままらなず、過呼吸に苦しみ、胸を手で押さえ始めた。


 やがて足が折り畳まれ、膝が地面についてしまっていた。


「お、おい! 急にどうしたんだよ……っ」


「痛みのせいで酔いが覚めたと思ったら、まさか目の前に探していた獲物がいるとは」


 と、男が少女を見下ろしていた。


 さっきまで酔い潰れていた男が姿勢正しく真っ直ぐに立つと、頼りなさそうだった体格が今では大きく見えている。

 姿勢一つで劇的に変わるようなものではないのだが、そう錯覚してしまうのは、彼から出ている殺気のせいだろう。


 ディンゴには――、いや、この国の人間には出せない、本物である。


「……あん、た、どうして……」

「探しましたよ、アルアミカ」


 男が拳を握ったと視認した瞬間、ディンゴは体を反射的に動かしていた。


「分かっているでしょう? 

 あなたが私を見て顔を真っ青にさせたのは、思い当たる節があるからなのでは?」


 少女へ放たれた男の拳と、寸前で割り込んだディンゴの剣が衝突する。


 鉄を殴った男の顔色が変わることは一切ない。

 迫力のせいか、接する拳の力が増したように感じた。


「う、ぉ……ッ」

「――復讐、ですよ」


 瞬間、少女が店の出口に向かって走り出した。


 しかし、彼女は忘れている。

 片腕には一体、なにが巻き付き、そして誰と繋がっているのかということを。


 ぐんっ、と後方へ引っ張られ、ディンゴの体が回転する。

 人間の重さを片手に感じながらも、少女は構わず、足を止めようとしなかった。


 結果、ディンゴの体が引きずられることになる。


「おいっ、クソっ――」


 そのまま店の外へ連れ出される。

 地面を滑りながらディンゴが見たのは、当然、店の外まで追ってくる男の姿だ。


 しかし彼の狙いは隙だらけのディンゴではなく、背を向けている少女の方である。


 見たところ、彼女たちは知り合いらしく、浅くない因縁があるようだ。

 縄で繋がれたディンゴは、不幸にも巻き込まれてしまった……つまり、関係のない話である。


 とは言え。


「……姫サンの町で、堂々と暴れさせるわけにもいかねえなあ……っ」


 引きずられていたディンゴが体勢を立て直し、片膝をついて剣を抜く。

 少女と繋がっていた縄を切断した。


 二人の間にある因縁は知らない。

 男に恨みなど毛頭ないが、騎士として危険因子は制圧しなければならない。


 離れていく少女の気配を背に感じながら、男と向かい合う。


「ここで立ち塞がりますか……、もしや、あなたは彼女の眷属なのですか?」


 ディンゴは答えない。

 武器を持たない相手(しかも意識がまともとは言え、さっきまで泥酔状態だったのだ)に剣を振るうことに躊躇いもあるため、傷を作らない制圧の仕方を考えなければならない。


 思考に意識を割いていた。

 そのため反射的にさっきと同じ行動が表に出た。


 剣を持つ人間に対して、まさか再び拳一つで向かってくるとは思わなかったのだ。


 虚を突かれたとも言うが、所詮は酔っ払いの拳、と油断していたからか――。


 現状を飛ばして先を読んでいた思考が、瞬間で吹き飛ばされる。


 ……さっきと同じ光景は繰り返されない。


 ――受け止めた剣が、亀裂を広げて破砕した。



「ぁ、……は?」


 剣を突き破り、そのまま伸びた拳がディンゴの腹部に深々とめり込み、彼の体が向かいの店の壁を破壊する。

 体を埋める砕けた石材を腕で払いのけながら、体を起こす。


 立ち上がろうとしたが途中で足が崩れ、前方へ倒れてしまう。

 地面に伏さないように、刃がなくなった柄を握り締めている拳を地面に叩きつけた。


 体の支えになる腕なのだが、小刻みに震え続けている。

 胃から逆流してきたものが目の前に吐しゃ物として広がった。


 ……細い体型をした人間が繰り出す拳の威力ではなかった。


 男が近づいてくる。

 人を殴ったせいか、さっきよりも表情には清々しさがある。


「町で聞き込みをした結果、あなたがこの国で最強の騎士だそうですが」


 男がこちらを見下ろしているのは見ていなくとも分かるが、腹部のダメージが全身に支障をきたしてしまっていて、顔を上げられない。

 嘔吐感が続き、ディンゴは立ち上がろうとしては倒れかけ、手を地面につけて踏ん張る、を繰り返していた。


 だから、相手の失望も感じ取れない。


「あなたを落とせば、もう私の邪魔をする者はいないということですね」


 俯いたままでも、男がディンゴを置いて立ち去ろうとしているのが、音と気配で分かった。


 男からすれば、相手にするまでもなく虫の息だと判断したのだろう。


 …………ふざけんな……ッ。


 騎士最強。それは生半可な覚悟で受け取ったものではない。


 先代の意志を継いでいる。

 父親のように英雄になれなくても、大局を左右するような勝利を掴み取れなくとも……、こんな小さな店でのありふれた日常の喧嘩でさえも、ディンゴは負けるわけにはいかない。


 負けるということは意識を失うということだ。

 そうなれば、姫様の危機に、一体誰が駆けつけると言うのか。


 あくまでもあの少女を追っている……にしても、この男の牙がいつ姫様に届くか分かったものではない。相手の意思によって標的が変わる可能性も、なくはないのだから。


 ……制圧じゃあ、ねえ。


 ――害虫の駆除に、切り替えるべきだ。

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