第6話 背中の国
すれ違う瞬間に、ディンゴが彼女の腕を掴んでいた。
「さっきは逃がしちまったけど、それでお前の食い逃げがなかったことにはならねえから」
「――ちょっ、捕まえないって言ったのに!」
「今回の窃盗に関してはな。さっきの食い逃げに関して見逃すとは言ってねえ」
「…………あんた、ひっどい死に方しろ」
ろくな死に方をしないと言われたと思ったが、微妙に違う。彼女の願望だ。
「あーそうかい、言われなくても酷い死に方をすると思うぜ。
とにかく、マントを持ち主に返しにいくんだ、お前、ちゃんと謝れよ」
嫌だと駄々をこねる彼女を引きずり、子供たちの元へ戻る。
……この扱い方には、どこか既視感を抱くディンゴだった。
女の子にマントを返した後、
「……なにこれ」
ディンゴと赤髪の少女の腕が縄によってきつく結ばれていた。
「お前、放っておくとすぐ逃げるからな。
俺も仕事があるし……手伝わなくていいから近くで見てろ」
汚物処理はなによりも優先される仕事である。もちろん、ディンゴの場合は姫様の護衛があるので最優先ではないが、それも期限による(そして機嫌にもよる)。
今日は、この仕事の方を優先しろ、と指示が出たわけだ。
「あ、あんた、この道の奥にいくつもりじゃ……」
「掃除をするんだからいくに決まってんだろ。綺麗にしながら奥に進むから、後からついてくるお前の足は別に汚れねえから安心しろ。……裸足ってわけでもねえだろ」
「だとしても、嫌に決まってんでしょ! うぅ、もう臭い、気持ち悪い……っ」
じりじり、と後退しようとする少女の力は弱く、
ディンゴが引っ張れば簡単に前に進めてしまう。
「駄々をこねてねえでいくぞ。一応、ここでは犯罪者への罰として汚物処理をさせてんだが、食い逃げをしたお前への罰も、これになる可能性もあるんだぞ?」
少女が顔を引きつらせる。
「今の内に慣らしておいた方が」
その時、少女の手が伸びてディンゴの腰に差してある剣を掴んだ。
抜かれる前に、反射的にディンゴの拳が剣の柄を叩く。
刃は鞘に収まったまま、少女が力を入れても微動だにしない。
「……正気か? 縄を斬ろうとしたのか俺を斬ろうとしたのか、どっちにしろ、罪に罪を重ねるのは賢い選択じゃあ、ねえな」
「そんなの、今更よ」
そう言った少女の目には、これまでのような駄々をこねている時のような軽さはない。
数秒、互いにじっと見つめ合って、先に息を吐いたのは、ディンゴだった。
「……分かったよ、掃除は後回しにする。
一旦、酒場にいって、お前を引き渡してからにするわ」
汚物まみれの道を歩かなくていいと知っただけで、少女の表情が明るくなった。
被害者に身柄を渡すのだが、犯罪者の正当な手続きが進んでいると分かっているのか。
この道を歩くよりはマシ、と割り切っていそうでもある。
……俺も最初は絶対に歩きたくなかったからなあ、気持ちは分からないでもない。
今では普通に歩くことができるし、臭いもそこまで気にはならない。
慣れとはまさに万能薬である。
特定の道を歩けないというのは、ディンゴにしてみればストレスであり、かなりの遠回りをさせられることになった。
「ねえ、なんでこんなに汚れてるわけ? 不衛生よね、この国」
「自分たちが出したゴミは自分たちで片付けましょうっつう、当たり前のことをしているだけなんだがな。道に落ちてるあれらは一時的なもんだ。どうせ所定の場所に集めろって言ったって知らん顔で道端に捨てる奴はいるんだ、だったら最初から集積所じゃなく、いつでも手の届く範囲に捨ててもいい場所を設ければいい」
実際、表通りは綺麗に利用されている。理想を求めたら上手くいかないが、妥協し、譲歩すれば、大多数は納得して従ってくれるものなのだ。
「お前の国は違うのか?」
「当たり前でしょ。というかね、自分の体から出たものを、誰が触るか分からない場所に平気で置くわけないわよ」
どうやら彼女の国として利用させてくれている竜は、人間側に大きく譲歩してくれているらしい。『綺麗好きな』ディンゴの国になっている竜とは大違いだ。だがその分、食材や材料をたくさん分けてくれている。今のところ飢餓で苦しんだ時代は一度もない。
「つーか、そんな発想、普通はしねえけどな」
「なにがよ」
「自分から出たそれを誰かが持っていくとでも思ってたのかよ」
どんな美女のものであろうと、その一線を越える者はなかなかいないだろう。
自意識過剰というか、自信過剰というか……。
気付いた少女が、髪色と同じように顔を真っ赤にさせた。
「お前、顔は中の上くらいだろ」
「う、うるさいわ!」
結局、遠回りをしている内に、目的の酒場に辿り着いたのは、一時間後のことだった。
ディンゴが顔を出すと、すぐに店主が反応した。
縄で繋がっている少女を見て、ディンゴの両肩をばんばんっと強く叩く。
「お前にしてはえらい時間がかかったな。
それほどこの嬢ちゃんの逃げ方が上手かったってことなのかもな」
店主は食い逃げをした少女を見ても怒らなかった。
まだ子供だから……、だからと言って犯罪が許されるわけではないが、感情的に怒鳴りつけるにしては、さすがに躊躇ってしまう見た目だ。しかもこの少女、ディンゴに見せた一面とは打って変わって、今は両目から涙を流して嗚咽を漏らしている。
……こいつ…………。
男ならともかく、女の子、しかも涙を流されてしまえば、被害者であっても店主も強くは出られない。店の真ん中で泣き出してしまった女の子の機嫌を直すために必死である。
事情を知っていれば、被害者と加害者の正しい配役が分かるが、いま見ているだけではほとんどの者が反対に思い込んでしまうだろう。
周りの視線の痛さに、店主もしたくもないサービスをせざるを得なくなった。
「あっ、獲れ立ての果物があるんだ、お嬢ちゃんも食べるかい?」
「……ひっ、うぅ、た、食べ、ます…………」
少女が歩き出すが、縄のせいでディンゴもついていかなければ前に進めない。
気付いた少女が、顔を俯かせながらも、縄をぐいぐいと力強く引っ張る。
余計なことを言うなよ、と引っ張られた縄から相手の意思が伝わった。
席に座る前に店内を一望する。いつもは店主の一人娘が注文を取るのだが、今は店主と共に分担して作業をしている。
料理の注文が多ければ店主の腕が忙しくなるが、娘でも飲み物を注ぐことはできるので、偏った注文のせいで今はそちらにかかりきりになっているらしい。
どうやら一人の客が何杯も注文しているようだ。
客は少ないが忙しそうなところを見ると、早いペースの注文だと分かる。
「昼間からやけ酒なのかねえ……」
眺めていると、苛立った相手から縄を強めに引っ張られ、急かされる。
縄のせいで必然的に同じテーブルの席につくことになるが、仕方ない。
店主の姿が厨房の奥へ入ると、張り続けていた緊張を解いたようで、ふぅ、と少女が息を吐いた。涙は流れたまま……本物らしい。
「器用な奴」
と、頬杖をついてディンゴがぼそっと呟いた。
それから一息つく間もなく、店主が慌てて獲れ立ての果物を持ってきた。
獲れ立てそのままを、切り分けてはおらず、皿に乗せてテーブルの真ん中へ。
「悪かったね、恐がらせちゃったみたいで……これで許してくれないかな……」
「……うん、いいよ……」
少女は顔を俯かせながら、手を伸ばし果物を取って口元へ運ぶ。
「んんっ!!」
一口含んだ瞬間、目を輝かせ、両手を使って次々と果物にかじりついていく。
そんなに美味いのだろうか、とディンゴが手を伸ばすと、すかさず相手の手によってはたかれた。力強い目で、これはわたしのだ! と訴えられる。
「一つくらい別にいいだろ」
少女が頭を左右に振る。
もう、言葉さえも交わさない。
夢中になって食べている様子を見ると、数日ぶりの食事のようにも思えるが……、
……こいつはついさっき、食い逃げしてんだよなあ。
飢餓寸前ではないにせよ、いつ食べられなくなるか分からないから食べられる時に食べておく方針なのかもしれない。
飢餓の危機に迫られていると言えば、そうとも言えるか。
飢餓に怯えているにしては贅沢であるが。
「つーか、店主のあの様子じゃあ、食い逃げの件に関してはもうどうでもいいのかねえ」
少女の見た目から察するに、年齢は店主の一人娘とそう変わらない。
咎めるのは親として慣れていても、裁くのには抵抗があるのかもしれない。
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