第5話 折れない忠誠心

「ああ、そうか。別に止めやしない、俺はお前の親じゃないからな」


 そして。


「どうする? 仲良く手でも繋いで飛び降りるか?」

「するかよ気持ち悪い。あんたが先にいけ」


「ったく、分かった分かった……ああ、一応、先人として教育だ」


 たとえ犯罪者でも、いや、犯罪者だからこそ、身に染みて分かったことなのだろうか。


「すぐに飛び降りるなよ、これまでお世話になった人たち一人一人に感謝をしろ。

 優劣をつけるな、力を抜くな、感謝の気持ちで祈り、それから死ね」


 じゃあな、とあっさりした挨拶を交わして、老人の姿が国の後方へ消えていく。


 灰色の空気の中に紛れ、老人の姿はもう見えなくなった。


「祈り、か……」


 何度か町にある教会へ訪れ、竜へ祈りを捧げたことがあった。

 自分たちがこうして生きていられるのは、食材や資材を体の一部から与えてくれているからだ。国があるこの土地背中も分けてくれている。もちろん見返りは求められているが、人間にとってはこちらが得をし過ぎていると感じてしまう。


 感謝は絶えない。

 竜に限らず、ディンゴという人間はたくさんの人に支えられていた。


 一人一人の顔を思い出し、祈り…………、

 それでも大切な人の重荷にはなりたくないと、覚悟は揺らがなかった。


 一歩踏み出し、彼の体が重力に従い落下しようとした瞬間、



「ダメぇえええええええええええええっっ!!」



 ディンゴの真横から勢い良く突撃してきた物体があった。

 勢いに負けて地面を転がり、まだ残っていた水の上を通って泥だらけになる。


 ディンゴのみならず、押し倒してきた小さな子供も同じように汚れてしまっていた。


「なにしやがッ……っ、ッッ!?!?」


 純白のドレスに泥がつき、金色の髪も汚れ、白い肌には少しのかすり傷が。


 なのに、少女の怒る理由は、自分のことではなく、


「飛びおりるなんて、ぜったいにダメっっ!!」


「おま……、あんたは――」

「アリス! 急に飛び出して一体なにが……っ」


 遅れて、小走りで現れたのは、ディンゴの腹の上に乗る少女をそのまま成長させたような絶世の美女だった。知らぬ者などいない、この国の王女である。


 彼女の後ろからは、現在は王女ではなく、彼女の一人娘であるアリス姫を護衛する近衛騎士を務めている、英雄と呼ばれる騎士だ。


「父さんもいやがるのか……」

「ディンゴ……、ここ数日、探してもいないと思えば、こんな場所に……!」


 父親がアリス姫の状態を見て、腰に差していた剣を抜いた。


「お前……、姫様を、なんて姿にさせているんだ!」


 父親は顔を青ざめ、王女の足下に跪いた。


「申し訳ありません! 我が愚息に、多大な罰を与えますのでどうか――」


「いえ、構いません。それよりもお前は、あの可愛い私の娘が一人の男の子の命を救ったことを褒めもしないのですか?」


 王女がゆっくりと近づき、足場の悪い道を歩いて、ディンゴの傍に屈む。

 ドレスが汚れてしまったが、構わないとでも言いたげに、気にも留めていないようだ。


「よく気付いたわね、アリス。だけど突撃するなんて危ないわ、もしも少しでもずれていたら、この子と一緒に竜の上から真っ逆さまよ?」


 理解したアリス姫が、もしもの想像に息を飲んだ。


 今になって恐くなったのか、母親の胸に飛び込んで、体を震わせ始める。


 王女が、大丈夫よ、と頭を撫で、姫様を安心させていた。


「あの……」

「どうして死のうと思ったのかは、話すべき相手が私ではないでしょう?」


 王女の視線は、後ろで跪く父親に向けられた。


「謝罪と感謝は後でいいわ。今はなによりも、親子で話し合うべきよ。

 いいわね? あなたも父親としてきちんと話し合いなさい」


「耳の痛い話です」


「あと、自分の息子を愚息と呼ぶのはやめなさい。

 それを聞いた子供がどう思うのか、あなたは父親になっても分からないと言うの?」


「ですが……」

「私はアリスを恥じたことなど一度もありませんよ?」


 それはそれで、甘やかし過ぎているため別の問題が浮上しているのだが、ともかく。


「話し合った結果を、報告しにきなさい。今日の仕事はもういいわ」


 立ち去る王女の肩から顔を出したアリス姫が、ディンゴと目が合い笑顔を見せる。


「――わたしの国に、いていいんだよっ」


 その言葉は。

 自分には居場所がないのだと思い込んでいたディンゴの張り詰めた心を、弛緩させた。


「国のみんな、大好きだから、いなくなったらさびしいもんっ!」


 だから、きみも!


「この国を、好きでいてね!」



 遠目から何度も見てはいたが、こうして顔を合わせて話したのは初めてだった。


 ディンゴとアリス姫に接点などないのだから、当たり前だが。


 騎士をやめれば、本当に一生、会うことはないだろう。


「ディンゴ、話を」

「父さん、俺、騎士になるよ。真面目に稽古をする、従者の仕事もがまんする……」


「…………なにがお前を、そこまで変えたんだ」


「守りたい人ができた」


 誰か、など、聞くまでもなかった。


 英雄である騎士だって、始まりはたった一人の女性を守りたいという、下心なのだから。


「そうか」


 父親が拳を突き出した。

 ディンゴも同じように、互いに拳をぶつけ合った。


「頑張れよ」

「ああ」


「それはそれとして、説教が短くなると思ったら大間違いだからな」


 なにはともあれ。

 まずは、三日三晩、泣き続けているエナに謝るところから始めなければならない。



 才能がない、などと卑下していたディンゴだったが、実際のところ、あったのだ。

 騎士としての才能も含め、たった一人の姫様のために努力をし続ける才能がだ。


 それから四年が経ち……、英雄と呼ばれ続けた騎士が、初めて敗北を観衆に見せた。


 地面に手をつく彼を見下ろすのは、英雄に拾われた赤ん坊——成長した青年だった。


「……お前になら、任せられる」


 騎士同士が一騎打ちで戦う、国のお祭りの中で、英雄は負ければ引退すると表明していた。

 その相手が我が息子であれば、本人は当然、観衆も文句はないだろう。


「父さん……」

「英雄にはなれないかもしれないが、お前はこの国で一番強い。それを誇りにしろ」


 英雄ではなく、最強、と。


 ディンゴたちを囲む観衆の盛り上がりが、さらに加熱していく。


 ……俺は、認められているのか。


 この町で生まれたわけではない、多くの人に迷惑をかけたし、償いだってまだ終わっていない。これからだ。たった一人の女の子を守りたいがために騎士になったが、なってしまえばこの観衆も守らなくてはならない。それを、嫌だとは思わなかった。


 迷ってばかりのディンゴに居場所を与えてくれたのは、小さくても勇気がある、この国、唯一のお姫様だ。


 ディンゴは王宮を見上げ、剣を高く掲げた。


「俺の命は、あんたのために使うさ――姫サン」


 そして数ヶ月後、ディンゴはアリス姫の近衛騎士に就任する。



 姫様が王女と勉強をしている間、ディンゴは自分の仕事場へ辿り着いていた。


 騎士ならば誰もが担当することになる、糞溜めの掃除である。


「騎士様っ!」


 すると、そうディンゴを呼び止める者がいた。用件を言う前に、慌てた様子の女性がディンゴの手を引いて、掃除場所とは違って広い通りへ誘導する。


 数人の子供たちがおり、ボールを使って遊んでいたのだろう、形跡が残っている。


 と、一人の女の子が他よりも比べて薄着であるのが気になった。


「突然、帽子を被った人が現れて……、あの子のマントを奪っていったんです……!」


 女の子は母親に作ってもらった大事なマントだったらしく、ずっと泣き続けている。


 周りの子たちからは慰める声の方が多いが、中には自業自得だと言う子もいた。


「普段のおこないが悪いと魔女がくるって、母さんが言ってたぞ」

「わ、わたし、悪い子じゃないもん……っ!」


「口ではなんとでも言えるだろ、魔女はそういうの、見てるんだからな」


 魔女。……初めは子供を叱る時に言い出した母親の知恵だったらしい。人々の味方をするのが竜であれば、敵対するのが魔女である。

 創作なのか、本当に存在している伝説なのかは分からないが、魔女が人々の魂を持ち去ってしまうという話は多くある。


 今回はたまたまマントだったらしいが。……かなり安上がりな魔女である。


 とは言え、子供の言うことだ、本当に魔女がいたのだと信じるディンゴでもない。


「その魔女がどこにいったか、覚えてるか?」

「あっ、……ディンゴが捕まえてくれるの?」


「ああ、俺が奪い返してきてやる。

 なんとなーく、奪ったそいつに心当たりがあってな」


「ディンゴは魔女と知り合いなのか!?」


「知り合い……まあ知ってる、な。そいつが本当に魔女であるなら」


 子供たちによると、魔女は屋根に飛び乗ってしまったので行方が分からないらしい。

 だが、方向は分かった。あとは、もしもディンゴの知る相手であれば、特定の道を避けて通るはずだ。複雑に絡まっているため、余所者であれば迷うことは必至である。


 子供たちと別れ、道に詳しいディンゴが素早く周辺を捜索する。


 と、やはり狭い道に放置されている汚物を見て、道を変える人影が見えた。


 町の住人もさすがに嫌悪するが、遠回りをするなら一瞬の不快感の方をがまんする者が多い。

 それさえも躊躇うのは、町に慣れていない証拠だ。つまり、余所者である。


「……しかしそうなると、あいつはどうやって侵入したんだか」


 他国の王子が国王の許可によって入った時にでも紛れ込んだのだろうか。

 自分と同じように、物資に紛れて……。


 侵入させないための結界なのだが、簡単に紛れ込めてしまう以上、本当に堅牢なわけでもない。まあ、空の上から知らぬ間に侵入されるよりはマシだろうが。


「おい」

「――!?」


 人影が肩を大きく上下させてこちらを振り向き、臨戦態勢に入る。


 とんがり帽子と、女の子から奪ったマントを羽織っていた。


 小さい子にしては大きなマントであったため、目の前の彼女にはちょうど良い大きさだ。


 別に袋小路に追い詰めたわけではないのだが……、彼女は「うっ」と声を出し、背には汚物が溜まっている道だけしか逃げ道がないと確認した。


 そこを通るくらいなら……、と彼女は諦め、全身の力を抜く。


 そんなに嫌か。


「そのマント、返してくれねえかな。別にお前を捕まえたりしねえから」

「無理だ」


 奪ったのだからそう簡単に返してくれないことも織り込み済みだ。彼女の目的は分からないが、ようは羽織れる衣服が欲しかっただけ、なのであれば、代替物は用意してある。


 ディンゴは腰に巻いていたローブを差し出した。


「これ、お前のだろ。交換しようぜ」

「あっ、返しなさいよ、この泥棒っ!」


 現在進行形で窃盗を働いたお前が言うな、とは思ったが、言わなかった。

 手に持っていたローブが力づくで奪い取られ、彼女が羽織っていたマントが返される。


「……ちょっと、臭うんだけど」

「お前しか着てないぞ、それ」


「自分の臭いを嗅いで臭いって言うわけないでしょ。……もぉー、最悪、こんな場所ばかりあちこちにあるから臭いがついたのよ……」


 顔をしかめながらも、ローブを羽織り、帽子を目深に被り直して目立たないように。


「なあ、お前って魔女なのか?」

「はぁ? そんなわけないでしょ」


「だよな。やっぱりあれは作り話だったか」


「いないとは言ってない。世界は広いんだから、探せばいそうなものだけどね」


 なるほどねえ、と感心するディンゴをよそに、

 彼女が「それじゃあ」と言って立ち去ろうとした。


「あ、ちょっと待ってくれよ」


「なによ、まだなにかあるの?」

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