第4話 ディンゴ その2
本当の子供ではないと知ったのは、義理の妹(実際、姉なのか妹なのか分からないが、ディンゴは自分の方が上なのだと思っている)が、うっかり口を滑らしたからだ。
従者の仕事を放り出して良くない仲間とつるんでいる、と人伝に聞いたのだろうエナがディンゴを真っ当な道へ連れ戻そうと町中を一日かけて探し出した。
窃盗は当たり前、賭けごとをするため人目につかない酒場に入り浸っては小遣い稼ぎをしていた時もあった。野蛮な相手と揉め、顔に大きな傷をつけて帰ってきたこともある。
世話焼きのエナでなくとも、ディンゴの行動を叱るのは家族として当たり前だった。
「いつまでお父さんの顔に泥を塗る気!? 国一番の騎士の息子なんだから、もっと堂々としていなさいよ、あんたにだって才能があるんだから!」
「才能? はっ、ねえよそんなもん。言われた指示通りに動けない、教わった剣術もなに一つまともに再現できない。稽古だって長続きしねえし、従者としての仕事も失敗ばかりだ。……どいつもこいつも言いやがる、本当にあの英雄の息子なのかってな」
エナという比較対象がいるのも、ディンゴへ向けられる目がマイナスに働いていた。自然と期待されてしまうのだ。ディンゴの才能はともかく、実力に関して言えば、卑下するほどのものではなかった。だが自分の評価が分かるのは、周りが見せる反応だ。
芳しくなければ当然、ディンゴには最底辺なのだと映ってしまう。
「……周りなんてどうでもいいでしょ」
「いいわけあるかよ、父さんの顔に泥を塗るなって言ったのはお前だぞ」
周りからどう思われているか、と一番に考える奴が言う慰めなど、あてにはできない。
「俺に才能はねえ。元々、騎士になりたいわけでもなかったしよ……」
強要されたわけでなくとも、子供ながらに分かってしまうこともある。
ああ、父親は子供が同じ道を歩むことを、期待しているのだろうと――。
汲んではみたものの、やる気があって目指している者とそうでない者の差はやがて広がっていく。当たり前だ。体や精神年齢が同程度であれば差は少ないだろうが、ある程度の成長を迎えれば、誤魔化せなくなってくる。
脱落者が少ないわけではない。共につばぜり合いをした仲間が一人また一人と去っていくのを何度も見送ったのだ。ディンゴもそちら側なのだろうと答えが出ただけだ。
才能がなくともやる気があればなんとかなる。
しかし、たとえ才能があったところで、やる気がなければなにも成し遂げられやしないのだ。
「俺のことなんか放っておけよ」
「放っておかないわよ」
「なんでだよ――……あぁ、そういうことか。
俺みたいな落ちこぼれがいれば、比較されるお前は優秀に見えるもんなぁ!」
「そんな打算で、あんたを更生させるために一日中っ、駆け回ったりしないわよッ!!」
町中を探したということは、男でも嫌悪するあの糞溜まりにも足を踏み入れたということだ。
罰として処理をさせられたことがあるディンゴも、あの場所には二度といきたくない。
「私は! あんたと一緒に騎士になりたいのよっ。二人で、お父さんの跡を継ぐの!」
年老いて、やがて引退する父親が安心できるように、というエナの親孝行だ。
「周りがなんと言おうと、私はあんたを見捨てないし、騎士に相応しいと思ってるから!」
「……向いてないんだよ。それに、父さんはお前だけが騎士になっても嬉しいと思うぞ。それにずっと俺の味方でいてくれるって言っても、本当にずっと、なんて無責任なことは言うなよ。
俺たちはいずれ、離れることになるんだからよ――」
「離れないわ。ずっと、一緒にいるもの」
「お前、婚約もしねえ、子供も産まねえ、そっちこそ親不孝だろ」
「あんたとずっと一緒にいるって言ったでしょ」
それは、まるで。
「俺とお前は兄妹だ。そういう関係には――」
「ううん。できるよ、だって……」
今にして思えば、現在のエナが苦労していることを幼い頃のエナは簡単にやっていた。
しかもさらに踏み込み、ほとんど告白そのものであった。
「…………俺は、血が繋がって、いない……?」
「そうよ。だから関係な」
「尚更、だったら父さんはなんで俺をこのままにしてんだよッ!!」
ディンゴの怒声に、エナが肩を震わせた。
「ちょ、ディンゴ……」
「さっさと切り捨てればいい……本当の息子じゃないなら、役に立たない、しかも迷惑ばかりかける他人の子供のことなんか、守る必要なんてないじゃねえか」
なのに、父親はこんな悪ガキを毎日食わせて、充分な暮らしをさせて、騎士にさせようとたくさんの人に頭を下げている。……国一番の英雄が、だ。
そこまでして繋ぎ止める価値のある人間ではないと、自分が一番、良く分かっている。
そう、つらい稽古、面倒な仕事から逃げ出し、現実逃避で悪事に手を染めたクソ野郎だ。
だから、血が繋がっていないのが納得だった。模範的な騎士であり、誰にでも手を差し伸べる英雄の息子が、こんな末路を辿るわけがないのだから。
「ねえ、ディンゴ……」
「帰れ」
恐る恐る声をかけたエナを、冷たく拒絶する。
「ごめん、私……」
「血が繋がっていないなら、そうだよな、お前とも兄妹じゃねえってことだ」
エナにとっては最大の障害が取り除かれたが、代わりに唯一の繋がりも途絶えたことになる。
「二度と世話を焼いてくんな。お前に拘束される筋合いはねえんだよ」
そう言って去るディンゴを、止める言葉も手もなかった。
「今日も仕事、ごくろーさん」
糞溜まりの狭い路地で、汚物処理の罰を受けている老人がいた。
何度か顔を合わせているので、既に友人と言える仲である。
「おぉ、あれだけ嫌がっていたのに、この臭いにも慣れたのかね」
「まあな。今は綺麗な空気の方が嫌な気分になる」
共感など求めたわけではなかったが、老人はなるほど、と頷いた。
「汚い自分がいることで、綺麗な人間のことを汚くしてしまう光景でも幻視したか」
「…………体験談か?」
「現在進行形でな」
この老人、遙か昔だが、人殺しをおこなった罪人である。残り三〇年は汚物処理をし続ける罰が与えられているが、終えるよりも先に寿命の方が尽きるだろう。
残り数年も持たないだろうと、彼自身も自覚しているらしい。
「お前という友達がこの歳になってできたから、急ぎはしなかったが……、とは言え、そろそろかと思っていた。……フッ、お前は、なかなかタイミングが良いではないか」
「ん? 今日、なにかするつもりなのか?」
「お前に見届けてほしいのだが、構わんか?」
内容は分からなかったが、してほしいことがあるなら無条件で受け入れるつもりだ。
「この国から飛び降り、竜の餌となろう。
この老いぼれが美味いかどうかは分からんが、遅いよりはマシだろうさ」
集めた汚物は国の『後方』へ運ばれる。
そこから外へ排出するのが、竜と交わした契約であるからだ。
「良い天気だ、底の見えない真下とは大違いだ」
「……本当に、飛び降りるのかよ」
「俺は死ぬつもりで飛び降りるが、もしかしたら下にはまったく別の世界が広がっているかもしれない……いってみなければ分からないなぁ」
動く国から下を覗き込めば、重たそうな灰色の空気が沈殿していた。
国が地響きを立てて歩いているのだから、底はあるようだが……、距離は掴み切れない。
竜の巣窟とも呼ばれる足下の世界。
運良く竜に捕食されなかったとしても、落下によって命はないだろう。
この場所から身投げする者は多い。
汚物処理とは、人間も含まれる。
それはなにも、人が他人を扱う場合とは限らないわけだ。
「国から出ようとする者に関して、結界は効力を持たないらしい……助かるな」
逆に、外からの部外者は絶対に侵入させない堅牢な守りとも言える。
他国との貿易のように、王族の許可があれば結界の一部に穴を開けることは可能だ。
「さて、最後の仕事だ」
老人が溜まっている汚物を斜面に押して、外へ流した。近くの井戸(町のあちこちに点在している。正式には汗腺と呼ばれていた)から汲んだ水で、周囲を綺麗に洗う。
老人の最後の仕事がこれで終わったようだ。
「あとは俺か」
「なぁ、本当に――」
「なら、お前も一緒にくるか?」
すぐさま、冗談だ、と老人は言ったが、ディンゴは真剣に考えた。
父親は恐らく、観衆の目の前で自分を拾ってしまったのだろう。英雄という立場であれば、そこで赤ん坊を見殺しにできるわけもない。
拾った、と国民に伝播してしまえば、その赤ん坊の成長はそのまま父親への評価に繋がる。
切り捨てたくても切り捨てられない。
たとえ悪ガキでも、重荷になっていようとも。
実の娘にもっと構ってやりたいのに、他人の子供がいたら邪魔でしかない。
だけど守らなければならない、英雄という立場ゆえに――。
そんな呪縛から解き放つためには、簡単だ、ディンゴがいなくなればいい。
悪事に手を染めた悪ガキだ、誰にも見られていないところで野垂れ死に、汚物と共に処理されてしまったとすれば、自業自得の結果だと周りも納得するだろう。
父親のせいじゃない。
子供が勝手に反発しただけのことなのだから。
……それでもまあ、多少の非難はあるだろうけど……。
その時は、エナが支えてくれるはずだ。
「――俺もいく」
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