第3話 ディンゴ その1
耳まで繋がる顎髭。
目立たない装飾を施した落ち着いた色のマントを羽織っている。
竜が象られた持ち手の杖を握り、かつんっ、と自らの歩みを周囲へ知らせている。
「げっ、父上……」
「アリス、どうしてここにいる?」
本来ならアリス姫はこの場にはいないはずだ。自室で勉強をしている時間である。
しかし彼女の一カ所に留まれない性格ゆえに、人を欺き抜け出しているのだから、国王の怒りはごもっともであった。
こういう姫様の監視もディンゴは担っているのだが、いつもならばまだしも、今日は目を離した時間が多かったし、自分のミスによる遅刻を国王に告げる――のもしたくはなかった。
最悪、姫様の近衛騎士から除名されてしまう。
元々、先代近衛騎士の推薦によりごり押しされた経緯であるため、国王はあまり快く思っていない。そのため、隙あらば除名しようとしてくるのだから油断ならない。
そんなディンゴの内心を知ってか知らずか、なんにせよ姫様は最高の選択をした。
「あ、あの王子に無理やり誘われて……こ、恐かった……!」
「えぇ!? ちょ、無理やりに誘ってなどいませんよ、誤解です、お父様!」
「ほぉ。聞き捨てならぬな、誰がお父様か、クズ野郎」
国王の杖が、王子の眼前に突きつけられる。
「国王ー、断頭台の準備しますかね?」
「頼もう」
「頼もう、ではないでしょう!? く、貴様、騎士の分際で……ッ!」
王子に向けて軽く手を振り、ディンゴが姫様の小さな体を持ち上げた。
肩と膝の裏を支える、最も相応しい人物のためのお姫様抱っこだ。
すると、姫様が自分の胸を両手で防御している。
年相応の、控えめ以下の胸だ。
「なに警戒しているんですか」
「信用ならないからだ」
「そんな相手を近衛騎士に置いて、今更……」
「仕事はできる、だから信頼はしている。
でも、おまえがわたしを見る時の目も、たまに以上に恐い時があるからな?」
「へえ。あ、守ってるところ悪いですけど、胸なんて触りませんよ」
「どーだか」
「胸なんてないようなものですから、今まさに触れている肩だって胸となんら変わりないでしょうよ。つまり、俺にとっては姫サンの体の一部分に触れているだけで満足です」
「き、気持ち悪い! 下ろせ下ろせ、すぐに死ね!」
じたばたともがくアリス姫だったが、その程度で振り解けるほどディンゴの拘束力は甘くはなかった。姫様を抱いたまま、予定通りに自室へ送り届ける。
アリス姫の自室には、彼女をそのまま大人にまで成長させたような(とは言え、胸だけはどうなるか分からないが)容姿の女性が先んじて待っていた。
「あら、おかえりなさい。良かったわね、アリス。お兄ちゃんに抱っこさせてもらえて」
「か、母様! ち、違うよ、あいつ、わたしの体をさり気なく揉んだりしてきて――」
「歩いた時の振動のせいでそう感じるだけなのでは?」
「じゃあ途中で呟いた『やっぱりないか』はなんだったんだこら」
一応、確認した結果、成長期はまだらしかった。
「こら、アリス。そんな言葉遣いは、ダメよ」
人差し指を唇に当て、優しく諭すアリスの母親――もとい、国の王女である。
国王が他国の王子となにやら貿易の話をしている最中、その伴侶は子供のお勉強を見ているというのは、平和の象徴なのかもしれなかった。
「ディンゴもどう? 一緒に」
「いえ、俺は普通に騎士の仕事がありますし」
「それは残念。……あら、腰に巻いているその布はなに? オシャレなのかしら」
「ああ、これ……預かりものです」
食い逃げ犯から奪ったローブなのだが、犯罪者を逃がしたまま放置しているとなると体裁が悪いので、咄嗟に嘘を吐いた。まあ、返す予定ではいるので嘘でもない。
「んー」
アリス姫が寄ってきて、ローブを掴んで臭いを嗅ぎ始めた。持ち主を知っているからこそ激しく止めはしないが、外部の人間が持っていた物だ……綺麗とは言い難いだろう。
顔をしかめた姫様だったが、嫌悪感よりも、なんだかむくれているようにも見える。
「……女のものだ」
「よく分かりましたね、女が身につけていたものですよ」
「え、奪っ、え……?」
衣服、奪う、無理やり、と姫様の中で連想されたようで、むくれた顔も一瞬で消えて一気に嫌悪感が巻き返してきたようだ。
「さ、最低! おまえは遂にそこまで……!」
「あ、もしかして無理やり衣服を剥がしてきたとでも勘違いしてますか? しませんよ、もしもしなければならない状況に陥ったら、姫サンにします」
「おまえってもしかして、わたしの近衛騎士に一番相応しくなくない……?」
にこにこ笑顔だった王女も、さすがに笑みのままでも苦笑いだった。
だけど。
……病的なまでのアリスへの忠誠心が、今の地位まで登り詰めた彼の努力の源よね。
王女は知っている。どんな状況で、どんな選択肢を突きつけられても、ディンゴだけは絶対にアリスを裏切らないと、信じることができる。
だからこそ国王の反対を押し切ってでも、彼を近衛騎士にすることに賛成したのだから。
慣れない野外活動、人との会話、様々な障害を乗り越えて――、
多くの人々の、ディンゴへの支持を集めた。
彼を陥れるような者がいれば、王女自らが率先して守ると心に決めている。
誰が分かっただろう――かつて町を騒がす悪ガキだったディンゴが、今ではこうして姫様の近衛騎士をしているだなんて、未来を。
騎士としてまったく芽が出なかった、落ちこぼれだった彼の姿は、凡人以下にしか見えなかったはずだ。
人は変わるものだ。
そして、変えたのは、当時はまだ六歳になったばかりの、アリス姫なのだ。
他国から運ばれてきた物資の中に紛れていた赤ん坊がいた。
体が痩せ細っており、生きてはいるが目が開けられないほど衰弱していた。
赤ん坊なのに泣き喚くこともなく、体を丸めて浅い呼吸を繰り返している。
「どうした?」
当時の姫(現在の王女である)の近衛騎士を務めていた男が、やけに騒がしい現場に気付いて声をかけた。
「騎士様……それが――」
状況を把握する。赤ん坊が送られてくるとは言われていない。恐らく、他国にいるこの赤ん坊の母親が、意図的に紛れ込ませたのだろう。
手違いで、厳重に確認し、蓋をする木箱の中に赤ん坊が入るとは思えない。
生きるために必死だった母親が、身軽になるため子を捨てた……よくある話だ。
生涯、奴隷として売ったり、人肉として食材にするよりかはまだマシだろうか。
……幸いなのは、この子がまだ母親との思い出を作り過ぎていないところか。
捨てられた、というのは、子供心には大きな傷となる。
「私が預かろう」
衰弱している赤ん坊を抱き上げると、弱々しくも小さな手が伸ばされた。
男が差し出した指を、赤ん坊が頼りなく握り締めたのだ。
まぶたは下りたままだ。
だが見えなくとも、体温を感じて、赤ん坊は安心したような表情を浮かべた。
「私にはこの赤ん坊と同じくらいの娘がいる。……一人も二人も変わらんさ」
その日、家族が増えた。
赤ん坊は、ディンゴと名付けられた――。
それから十数年が経ち、拾われた赤ん坊は騎士の従者として働いていた。
従者は、騎士の身の回りの世話をする役目を担っている。騎士の下で下積みをした後、認められた者だけが剣を与えられ、騎士となる。騎士になったら同じように従者を指名し、師から教わったことを今度は弟子へ伝えていくのだ。
父親が騎士であるとその子供も騎士の道を志すことが多いと言われている。そのため昔は騎士の家系が伝統的に役目を継いでいたが、最近では実力主義にもなっていて、庶民の子供が大物になることもよくある話となっている。
王宮の庭にて、真剣ではなく、刃もついていない木製の剣で稽古をおこなう。
何度も何度も打ち込まれる弟子の剣を、騎士の男が全て受け止めていた。
「踏み込みが雑になっているな、だから力の伝達が不十分なのだ、お前は」
「はい!」
従者としての役目を終えた後の稽古だ、疲れもあるのだろう、指摘された部分を直したつもりなのだろうが、まったく変化していないことに騎士の男も熱くなる。
打ち返すとは言っていなかったが、反射的に反撃してしまう。弟子の剣が手元から離れて、くるくると回転して真上へ飛んでいく。
やがて遙か後方で剣が落下した。尻餅をついた弟子の眼前に切っ先を向け、
「……今日はこれまでだ」
「は、はい、ありがとうございました……っ」
「体力をつけておきなさい。従者の仕事の後の稽古でへばっているようでは、騎士になるなどとは夢のまた夢だ」
騎士になれと強要したわけではない。親が騎士だから子も騎士になるべきだという風潮も最近はなくなりつつある。
周囲からの圧力もないはずだが……それでも娘は騎士になる道を選んだ。
女性の騎士がいないわけではない。
力は劣るものの、それに勝る技術力がある。
女性が騎士になるのに越えなければならない障害はそう多くはないが、やはり男性と同様に稽古の厳しさはつきものだ。
実の娘だからこそ他人よりも厳しくなってしまうし、心配もしてしまう。傷の一つもついていないかと逐一確認するほどだ。
「厳しいのか甘いのか、よく分からない指導をしているようだな」
「他人の稽古を盗み見るとは行儀が悪いな。数多の騎士を育て上げてきた女性騎士のお前が今更、人様の指導法を参考にすることもないだろう」
「そうでもないさ、まだまだ私にも分からないことはたくさんある。……一体、あれをどう指導していいのか分からないな。お前は普段、騎士としてではなく、息子としてどう接しているのか聞かせてもらえないかな」
現れた女性騎士の現在の従者は、ディンゴだ。
のだが、女性騎士によると、ここ数日、顔を出していないらしい。任せた仕事も途中で放り出して、今もどこでなにをしているのか、その所在は掴み切れていない。
「はぁ、またあいつは……。すまないな、すぐに連れ戻す」
「急ぐ用件でもないから構わないが……、なら、お前のエナ嬢を少し借りるとしよう」
「え?」と、これまでの疲れが吹き飛んだように、少女の瞳が輝き出した。
父親の指導に文句があるわけではないが、やはり憧れの騎士に教えてもらえるとなれば、前のめりになるのも無理はない。
「エナ嬢から見えてくる、『あれ』の本音も知りたいところだしな」
親と子よりも、当然、子と子の方が互いに心の奥底をさらけ出している可能性が高い。
親が知らないことを子が当たり前のように知っていた、というのは多々ある。
「エナ、ディンゴがいきそうな所は、分かるか?」
父親の質問に、娘が頷いた。
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