第2話 小さな姫と近衛騎士

 この国を真上から見下ろせば綺麗な円形になっており、ディンゴが身を置く王宮は真ん中に位置している。

 凹凸の少ない石造りの住居が多い中、王宮だけは縦にも横にも広く作られていた。王宮だけが突出しており、そしてこの国、唯一の王族が住んでいる。


 短い昼休みを利用して酒場にいっていたディンゴは、もっと早く戻る予定でいたのだが、食い逃げ犯を追いかけている内に多くの時間を取られていたらしい。

 そのため戻る予定の時間が大幅にずれてしまっていた。


 真っ白な王宮の巨大な門を守る、左右に立つ騎士の内、片方が剣を抜く。


「遅い!!」


 おいおい、と片方の騎士が呆れた様子だが、止めもしないようだ。


「あのなあ、こっちにも事情があったんだ、いいから剣をしまえ」


「姫様の近衛騎士だという自覚が足りないのよ、だから平然と遅刻できる!」


「平然となんてしてねえよ、これでも焦ってんだから」


 町のはずれから全力疾走で戻ってきたため、軍衣の内側まで汗で湿っている。


「一人で休憩を取るからでしょ。誰かと……、わ、私とか誘えばいいじゃないっ」


「いや、お前は門番この仕事があるだろ」


 タイミングが合えば誘わないこともないが、仕事が被ってしまえば誘うはずもない。

 正論のはずなのに、幼馴染の少女はいつも通りにおかしなタイミングで不機嫌になる。


「お前、その癖、まだ直ってないのかよ……」

「断られることが分かっていても一度は誘うの!」


「分かってるなら誘わねえって。意味が分かんねえよ……」


 まともに取り合っていたら時間の無駄になる。そもそも遅刻をしているのだから一秒さえも惜しいのだ。遅刻を咎めておきながらこの場に拘束している幼馴染は、やはり分からない。


 すると、


「……ん?」


 門の中、太い柱に隠れているものの、顔だけをこっちに出して窺う幼女の姿が。


 ディンゴと目が合うと、小さな手を出して、こっちこっちと手招きしてくる。


 門の外だけでなく、庭に出ることさえも難しい立場のはずだが、いつものように監視の目を盗んで抜け出してきたのだろう。

 ディンゴがいなくてもここまで抜け出せてこれた成長速度の早さに感動を覚えたが……そうこうしている内に、あまり待たせても悪い。


 幼馴染の説教を聞き流して、門を開けて王宮の中へ。


「――結果はどうあれ一度は誘ってほしいのが気持ちっていうか、誘うのを建前に一日に一回くらいは話しかけてくれてもいいじゃないのあんた全然、家に帰ってこないんだか」


「エナ、もういないぞ」


 門の内側にいるディンゴに気付いた幼馴染が、「はぁああああっ!?」と、門番でありながら持ち場を離れようと門に手をかける。


「――待ちなさいよ、ディンゴッ!」


「夜飯には誘ってやるよ。だからそれまで待っとけ」


「…………」


 急に黙ったエナに、気になったもう一人の門番がちらりと視線を移すと、


「……え、きゅ、急にそんなこと……よ、夜、え、え? な、なに着てこうかな……」


 乙女の顔をし、一人で悶え出したエナから一歩下がる。


 午後はまだ始まったばかりだ。

 夜までずっとこうなのか、と辟易する門番だった。



「どこいってたのよ役立たず、大事な時にいないなら、おまえがいる意味ないじゃない」

「すんません姫サン。んで、なにかあったんですか。そういや縁談がなんとか――」


「知ってるならなおさら早くこい!」


 スカートをたくし上げ、傷一つない白く細い足によって蹴られた。


 ディンゴが顔を俯かせなければ、向き合っても彼女の顔を見ることは叶わない。


 所々にしわが見える純白のドレス。長く、整えられた金色の髪も激しく動いたせいか乱れてしまっていた。王女が見たらなによりも優先して櫛を持ち出しそうだ。


「それで、どういった状況なので?」

「……あいつがきてるのよ」


 苦虫を噛み潰したような表情をしながら、あいつとなれば心当たりがある。


 どうやらこの反応を見るに、噂ではなく実際に縁談が持ち込まれたらしい。


「あいつに会わないように――」



「あっ、こんなところにいたのですか、アリス姫っ」



 ひっ!? と青ざめたお姫様が素早くディンゴの背に隠れた。

 服をつまんで、しかもその先の肌をつねりながら、まったく力を緩めてくれない。

 痛いと訴えても威嚇するのに夢中で聞き耳を持ってはくれなかった。


「おやおや、未だ人見知りは治らないようですね」


「「死ね」」


 と、声が揃ったが、相手にはディンゴの声しか聞こえなかったようだ。


「い、一国の王子に向かって死ねとはなんだッ、不敬罪で斬り捨ててもいいんだぞ!?」


「おっ、やるか? 再戦ならいつでも待ってるんだがな」


 ディンゴは腰に差した剣を指先で弾くと、今度は目の前の男が、ひっ!? と怯えた。


 見た目だけは良く、金色の鉄の鎧を身に纏っているのだが、やはり根っからの騎士ではなく、向いてなさそうでも王子なのだろう。


 怯えることは劣等ではない。

 危機察知能力は人の上に立つ者が持つべき力だ。


 ……そういう意味では、素質がないわけではないらしい。

 少なくとも、身を守るために武器ではなく鎧を選ぶあたり、兵士には向いていないだろう。


「冗談だ、そもそもお前は剣を持ってねえじゃねえか」

「アリス姫を恐がらせてしまうため、持ってきてはいないのだ」


 小さな気遣いができる良い男だろう、とでも言いたげな流し目をしているが、現状、その気遣いが徒労に終わっていることを奴は気づけていなかった。


「ガチガチに鎧を着てるけど、喉元を裂いたら終わりよね」


「言うな姫サン。あいつはあいつで顔に自信があるから命が危なくても顔まで守ろうとはしねえんだよ、そういう信念がある奴は嫌いじゃねえ。あいつは嫌いだが」


「おい! こそこそと話しているのではない! 私も混ぜたまえよ!」


 一歩、近づいてくる足音に気付いて、ディンゴが咄嗟に剣を握る。


「うっ」


「つーか、約束が違うぞ? お前と俺で一騎打ちをして、お前は負けたはずだ。

 金輪際、姫サンにちょっかいを出すなとウチの王から言われてるはずなんだがな」


「た、確かに……そうだ。今回はなにやら縁談を持ちかけたとそちらでは捉えているようだが、私としてはちょっかいを出しにきたつもりはなくてだな……あ、アリス姫の好感度を上げたいがためにアピールをしにきてはならぬのか!?」


 ……かつて、ちょっかいを出すな、とは言ったが、諦めろとは言っていない。

 もし言っていたとしても、強引な方法ではなく、正面から堂々と会いにきたとなれば、問答無用で追い返すというのはこちらの器が小さく映ってしまうだろう。


 実際、他国の王子がこうして訪れているのだ、お姫様の父親である国王が、理由は分からないが許可を出した、ということだ。


「無理強いはしない。アリス姫、誤解を解きたいので私と食事でも――」


「絶対に、やっ」


 べっ、と舌を出して、お姫様は王宮の中へ入ってしまう。拒絶されたことに傷心でもしているのかと思えば、他国の王子は胸を手で押さえて、その場でうずくまっている。


「くっ、可愛過ぎるだろう……!」

「良い大人が気持ち悪い反応すんなよ、年齢を考えろ」


「私はまだ一八なんだが!?」


 予想に反してまだ若い。ディンゴの一つ年上だったらしい。


「いや、歳を考えろ。姫サンはまだ一〇歳だぞ?」


「好きになったものは仕方がないだろう。

 たとえ倍以上の差があろうと、私は同じようにアリス姫を好きになっていたはずだ!」


「どっちにしろ気持ち悪い」

「……おまえがそれを言うのか」


 振り向けば、冷たい視線を向けてくるお姫様がいた。


「あれ、部屋に逃げ……戻ったのでは?」


「おまえがいつまで経っても追いかけてこないから戻ったんだっ! 

 そしたら聞き捨てならない言葉が聞こえたから耳をうたがったぞ」


「なにがです?」


「おまえが! あの王子のことを気持ち悪いと言ったのが! だ!」


「アリス姫、私を庇ってくれて……!」

「おまえとは話してないわぁばかぁ!」


 怒涛の勢いで叫んだせいで、お姫様の息がぜえぜえと上がってしまっている。


「……姫サン、疲れません?」

「おまえぇ……ッ!」


 土の下から聞こえてきそうな声である。


「……なにをしておるか、お前たちは」


 と、王宮の大仰な扉が開き、顔を出したのはこの国の王……、アリス姫の父親だった。

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