後編 海の支配者、世界の頂点

 男の指先がニオの服を引っかけ、引き千切ろうと力を入れる。

 いとも簡単に破れるだろう力が入り、服の端からびりびりと嫌な音が鳴り響く。


 腕を掴まれ、体を抱くこともできないニオの目尻に、涙が溜まり出した。


「やだっ、やだ、やめ――いやっ!!」


 みんなを守るためにこの身を犠牲にする覚悟を決めて、海賊の取引に応じた。


 だけど、


 …………こわい。


 彼女の素直な感情が表情に浮かび上がる。

 そして。


「助けて……!」

「助けなんてこないよー、周囲には、だーれもいないんだから」


「それに、お前の弟は怯えて助けにもこれないだろうな」


 弟ではなく兄だが、彼のために身を売るニオを見れば、彼女を姉と見るだろう。


「助けて、ください……!」

「むりむり、そんな風にお願いしたって、助かることはな――」



「お願いしますっ、助けてください、神様っっ!!」



 瞬間だった。


 ニオを掴んでいた巨体が、膨らんだ風船に針を刺すように、弾け飛んだ。


「――んぼ」


 静寂が場を支配した、僅かな間の後、


 ――ぼとぼと、と、

 巨体が弾け飛んだことで分離した、腕や頭が甲板に落下した。


 部下の末路を見届け、海賊団・船員が、空間に突然現れた人物に視線を向ける。


「…………て、めえ、は……!?」


 海賊であれば誰もが知っている。


「あ……!」


 点在する三つの島に住んでいれば、誰もが知っている。


「――ニオの声、きちんと届いたよ」


 この世界に存在していれば、知らぬ者はいないだろう。


 海の支配者であり、世界を統べる頂点。


 ブラウンの髪を後ろで結んだポニーテール。

 頭に被せた青色の海賊帽子。


 スタイルの良い彼女の体に沿って羽織られた、黒い海賊コート。

 腰には拳銃が差してあり、手には体以上に長い杖が握られていた。


「か、神様ぁっ!!」


 はだけている服を手繰り寄せているニオを見て、

 長い杖の先端が、カッ!! と甲板に叩きつけられた。


「ニオを泣かせたのは誰? 連帯責任で叩き潰すから」


 問答無用で、神の力が戦場を席巻した。



 大きな帆船が真っ二つに折れ、ゆっくりと海の中へ沈んでいく。


 脱出した海賊たちが海を泳ぎ、散り散りに逃亡しようとするが、遠くで爆ぜた海の波に押し戻され、近くの島の浜に打ち上げられていた。


 赤い海賊たちが、青い海賊たちに囲まれ、ロープでぐるぐる巻きにされている。


「……で、俺たちをどうするつもりだ」


 縛られ、浜に正座している赤い服の男たちの筆頭……、

 海賊帽子を被った男は船長だ。


 鋭く尖った顎髭と、高い鼻を持つ。


「なぜ殺さない」


「今までだって誰も殺していないもの。人様に迷惑をかける海賊を潰して吸収してる、それがわたしのやり方なの。海『賊』なんて言ってるけど、近海の自警団みたいなものだね」


「俺たちに協力をしろと? いつ裏切るか分からん相手を懐に引き入れるとは、危機管理能力が低いのではないか?」


「裏切りたいならすればいいけど、たぶんできないと思うよ?」


 なに? と聞き返す前に、

 男の顔面が少女の手によって、がしっと、わし掴みにされた。


「……そりゃ、ちょっとは手を入れるに決まってるじゃん」


 途端だった。

 男の眼球が不規則に蠢き、言語の羅列が左から右へ高速で流れていく。

 その様子を外から見ていたオットイには、彼女がなにをしているのか分からなかった。


 ……神にしか分からない、力の中身なのだろう。


 口から唾液を垂れ流す船長の様子に、周囲の船員たちが怯えを見せ始めた。


 見た目は年下の女の子、地形を変えるような強大な力を持っていても、それは自然災害の延長線上であり、耐性がある。

 だが、人の精神を簡単に操り、破壊と変更ができる神の力に、彼らの半信半疑がぽっきりと、心と共に折られたようだ。


「わたしの海賊団に入ってくれる?」


 海賊帽子を脱ぎ捨てた船長が頷いた。

 それを皮切りに、周囲の船員たちも声を揃えて協力をすると打診してくる。

 協力的な者まで、中身を書き換えようとは思わない。


 彼女は、にっ! と笑みを見せて、


「みんな、よろしくね!」


 やがて、赤い服が青い衣服へ変わっていく。


 彼女はこうして勢力を拡大させていた。始めは小規模な船団だった。オットイたちと同じように、小舟に木箱を五つも積めば、重量オーバーしてしまうほどに小さい。


 それが、気付けば巨大な帆船を持つ海賊団に成長した。

 食材の乱獲、縄張り争いが激しかった一昔前の海も、今では規則によって管理されている。


 彼女が自警団と名乗っているのは、規則を敷いても、そこからはみ出るものが後を絶たないためだ。平和を維持するためには、敵を殲滅する力を持ち、彼女が不在であっても対抗できるように基盤を固めておく必要がある。


 彼女がたとえこの場にいなくとも、海賊団の看板が抑止力になってくれている。


 今日のような事態は滅多に起こらないのだが、もちろん、完璧でもないのだ。

 安全を維持していても、しかし完全には保証ができない現状である。


「オットイ、大丈夫?」

「ニオの方こそ……」

「私は平気」


 彼女は破れた服から着替え、同じく、黒い海賊コートを羽織っている。


「いいでしょ、これ、神様が私のために作ってくれたんだ」


 そう言って、見せびらかすようにくるりとその場で回った。


 嬉しさを隠す様子もなく、ニオが笑う。


 その笑顔を、できれば自分が引き出したかった。


「…………ごめん、助けられなくて」


「もうっ、毎回それ言ってるけど、そんなのいいのに。オットイは、私に守られていればいいの。無理をして怪我をされても、こっちが困るんだから」


 ……情けないと自覚している。

 男なのに、兄貴なのに、女の子に、しかも妹に守られているなんて……。


「――ほらっ、神様のところに、行こっ」


 ぎゅっと手を握られた。

 そのまま前へ足を踏み出すよう、引っ張られる。


 変わらなきゃいけないと思っていても、今の居心地の良い居場所を捨てたくもない。


 ……一体、いつまで妹に浸っている?



 オットイたちが運んでいた食材は神様が引き継いでくれた。


「あの、ありがとうございます、ユカ様……」


 オットイは以前、神様から勧められた、オッドグリーンの甚兵衛を羽織っていた。

 丈夫に作られているのか、威力の高い攻撃を受けても滅多に怪我をしていない。


「いいよー、これくらい。あ、オットイ、ちょっといい?」


 と、神様から手が伸びてきた。

 敵の海賊団・船長のように……? と末路に身構えたが、指先で額をとんっと押されただけで、オットイの身にはなんの変化もなかった。


「なにもしないってば。ただの確認。……うん、大丈夫みたい」

「な、なにを……?」

「んー、いや。オットイは相変わらず、恐がりでニオに守られてるなー、って思っただけ」


 オットイはそれを責められていると勘違いしたが、彼女は悪いとは思っていない。


「神様っ、私は!?」

「ニオに確認作業は必要ないよ。ちょっと見ない内に、大きく変わることもないでしょ?」


「身長は、少しだけ神様に近づいたと思います!」


 言いながら背伸びをし、神様の視線に合わせようとするが、ぷるぷると数秒も持たずに体勢が崩れていた。


「確かにこんなに小さかった頃に比べれば、大きくなってるよね」

「い、いつのことを言ってるんですか神様ってばっ!」


 神が腰の高さに手を並べる。

 当たり前だが、ニオもオットイも、それくらいの身長であった時期が確かにあったのだ。


 なのに、同じく日々を過ごしてきた神の姿は変わらない。


「時が経つのが早いなあ。

 わたしたちとは時間の感覚が違うんだからそりゃそうだけど」


 神が小さく呟いていると、船が島に辿り着いた、と船員が報告にやってきた。


「さっ、ニオ、オットイ! ひと仕事するよ!」



 島に降りた瞬間、出迎えたのは大勢の子供たちだった。


「ゆか!」

「ゆかち!」

「先生っ」

「お姉ちゃん!!」


 様々な呼び名が、神に投げられていた。誰一人として、「神様」と呼ばないのは、不敬ではなく、神自身がそう呼ばせないように振る舞っているためだ。

 それが意図的かどうかはともかく。


 オットイたちが運んでいた食材は、子供たちにも届けられる予定だった。

 碇を下ろして停泊しているこの島には、孤児院がある。浜から坂道を上がった先の丘の上だ。

 理由わけあって預けられた、親の顔も知らず捨てられた子供たちが集まっている。


 今でこそ海は平穏だが、一昔前は荒れていた。

 海賊に襲われ、子供だけでも逃がそうとした親が多かった。生活に苦しみ、我が身可愛さに重荷をはずした……、そんな不幸な子供たちを見つけては引き取っている、年老いたシスターが孤児院の長を勤めている。


「ちょっとあんたたち! きちんと神様と呼びなさいっ、失礼でしょ!」


 ニオとオットイも幼い頃に孤児院に引き取られて育った。今では二人が最年長である。


「? ゆかはゆかじゃん」


 子供たちは首を傾げる。

 ニオの言い分にぴんときていないようだ。


 神の正体が誰なのか分かっていても、世界にとって彼女がどれだけ重要な役目を担っているのか、把握できている子供は少ない。しかも孤児院で一緒に戯れる彼女と過ごしてしまえば、神様というよりは、友達感覚になるのだろう。


 それもこれも、神に威厳がないせいである。


「あっ、こら! そんな乱暴に神様にしがみついたら……っ」


 足下に群がる子供たちに多少面食らうも、神はすぐに表情を緩ませる。


 むむむ、と口を波線にして体を震わせるニオの視線が激しく突き刺さり、神も意識を子供たちから離してニオを見た。


「ニオ、呼び名くらいでわたしは怒らないから。だから、ね、ほら落ち着いてってば」


「…………神様は小さい子が好きなんですね。

 成長した私なんか、もう可愛がってくれないんですねっ」


「え、ニオ!? なんで怒ってるの、ねえってば!?」

「もうっ、神様なんて知りませんっ」


 ニオが背を向け、丘の上へ向けて走り去ってしまう。


「ま、ちょっ――オットイっ!!」


 遠巻きから見ていたオットイに、神から視線が向けられた。


「わたしが行くまで、ニオの傍にいてあげて!」

「拗ねてるだけなので、少し経てばひょっこりと顔を出すと思いま」


「――オットイ、お願いっ」


 海賊を相手にしている時とはまったく違う、余裕のない表情にオットイが動いた。


「……ぼくにできることは、本当に傍にいるだけですからね」


 説得も慰めも上手くいくとは思えない。さらに悪化させてしまう可能性がある以上、なにもしないのが無難だろう。

 失敗は、恐い。それによってなにかを失ってしまうことがきっと、一番つらい。

 力のない者が下手に手を出すべきではないのだから。


 ―― ――


 完全版 ↓↓


「ランド」

 https://kakuyomu.jp/works/1177354054913390357

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