第6話 「命ばっかり」




「経験値はそこそこ……でも、それであれだけ弾けるとか、もはやチートじゃね? なぁ、水希〜。」


 風斗の声で、僕は現実に引き戻される。


「ん……うん、そうだね。」


 なんだろう。さっきと何かが違う。


 日菜の心に、何かが引っかかった。頭をフル稼働させる。


 雰囲気的な問題なのか……。それとももっと別の何か……。


 案の定、頭がよろしくない風斗は、気づいてもいない様子。


 この短時間で何があったのか。


 さっきは風斗と話していた。



『はっ? まだ初めて二ヶ月くらい!? ありえないだろ、そんな才能!!』


『いや、ほんとに初めて二ヶ月だけど。』



 この前後くらいから水希は変わった。


 まだ私が初めて二ヶ月くらいしかたってないから、嫉妬したとか?自分よりも恵まれていたと感じたから?


 もしそうだと仮定して、考える。


 ……私は、恵まれてなんかない。


 確かに才能には恵まれていたかもしれない。


 だけどね、人生には恵まれてなかった。人間にも。愛にも。友情にも。なにもかも。


 でも、優美さんたちが変えてくれた。人の手を加えて、人工的に。


 だから、今、俺はここに——。


「……い……おぃ……おい!!」


 びくぅっと、日菜と水希の肩が飛び跳ねた。


「どうしたんだよ、二人して。」


 なんかあったか? そうやって、こちらに目が聞いてきている。


「いや……特になんでも。」


「そうだよね。私も。」


「なんだよ、ぼーっとしてただけかよ。話、どこまで聞いてた?」


 んー、と二人して首を傾げて思い出す。


「……星がピアノ歴二ヶ月って言ったところから?」


「奇遇。私もその辺から。」


「ったく、ちゃんと聞いてろよ。」


 コホンと一つ咳払いをすが風斗がおかしいと思うのは、私だけか。


 いや。きっと水希も思っているんだろう。クスクスという声が聞こえるし、口元がさっきより少し上がっている。


「星の声が高いのは、よぉくわかった。でも、それだと身元が割られないか。」


「あ〜。」


 言われてみれば、確かにそうだ。


 この二人が夜桜星という人間に出会ったのは、SNSのおかげ。ただこれは全国、いや、そんな域じゃない。全世界に向けて、情報が出ていったんだ。


 桜駅は風斗の家から二駅乗り継いだ駅。


 すなわち、水希の出現場所は割れている。けど、この二人の出身はわれてないし、公開もしていない。


 学生ということもあっての配慮が、今ここで崩れる可能性もあるのだ。


「わあ、風斗にしてはいいこと言ってんじゃない?」


 へへへ、そうかなぁ、ぐふふふふ、と気持ち悪い笑い方を風斗は日菜たちに披露してくれた。


 こんなやつが同級生とか……うちの学年、十分やべぇな、と日菜ははぁとため息をついた。


「そこだけ心配なんだよな。そこは、どうお考えで?」


「ん〜。」


 特に考えていた訳では無い。


 ぱっと浮かんでぱっと言ってみただけなのだ。


 こんなことになったのは初めてかもしれない。


「もぉ難しい事考えるの嫌! 頭痛い! 頭使ったら腹減った!」


「なにいってんの風斗。とうとう耳から小さな脳みそ、転げ落ちた?」


「んなことってあんの?」


「このバカならありえるんじゃない?」


「ねぇ、なんか心からぐさぐさ音が聞こえるんだけど、なんでー?」


「僕、知ーらない。」


「じゃあ私も。知ーらないっと。」


 ちょっとだけ空気が柔らかくなった。


「まぁ、なにをどう足掻いても、結局、この問題に行き着くんだよね。」



どんな曲を歌うか。



「だよな。」


「そうだなぁ〜。」


 三人でうーん、と首をひねる。


 ただ、有名どころの曲ならまだしも、日菜は音楽の知識がさらさらない。オタクだけが知ってそうな、マニアックな曲なんか知ってるはずがない。


 そうなると、二人に任せざるおえないのだ。


「う〜ん……。」


「ちょっと、風斗! 水希くん来てるなら、教えなさいよ〜。」


 ぱっと顔を上げる。


 そして声のした方向、ドアのほうに視線を向ける。


——ガチャッ。


「あら、お母さんが言ってたのは本当なの〜! あの有名人の夜桜くんが遊びに来てるてって。」


 その女は、日菜のほうを見て、目をぱちくりとする。


「ねーちゃん。」


「こんにちは、琴音(ことね)さん。」


「??」


 女——旭日(あさひ)琴音(ことね)は星の方を向き、にっこりと笑う。


「こんにちは。」


「先週ぶりね〜、水希くん。あと、夜桜くん……星くんでいいかな? こんにちは。」


「……はい。こんにちは。」


 一拍おくれて日菜もあいさつを済ます。


 じっくり日菜は琴音を観察する。


 旭日と同じ茶色がかった黒髪に、キャメルのような黄土色の目。


 首にはやっぱりヘッドホン。ただ、デザインが違った。


 フレームはグレーで縁取られていて、鉄の棒がいくつかうめこまれている。


 身長が高くてスラッとしていて、大人っぽい雰囲気を纏った人だった。


「何か悩んでるの? そんな感じがしたんだけど。」


 あっ、何も無かったらいいんだけどね、と琴音は付け足した。


「次のカバー曲、何にするか考えてるんです。」


「でも、一人使いもんにならないヤツがいるんだよな〜。」


 うぐっ、と日菜の息が詰まる。


 言い方に刺があるが、正しいことだ。間違ったことは言っていない。


 風斗、と琴音の声が聞こえた。


 風斗が縮こまる。


 日菜が座っているカーペットの上に、琴音も正座をする。



「じゃあまず、ジャンルから決めたら? そういうのから入るのも大切だと思うよ。」


「やっぱ、楽しい曲だろ。」


「恋愛系の曲。」


 綺麗に割れた。


 しかも、水希の選んだジャンルは、恋愛。口調といい、好きなものといい、中身は女子か、と思う。


「割れちゃったなぁ……。あ、星くんはどう?」


 急に話を振られて、日菜は焦る。


 やっぱり、これしかない。


 すぅっと息を吸い込んだ。


 これだけのことなのに、胸が妙にドキドキする


「……命の曲、とか。」


 三人の顔が、さっきの笑顔で止まる。


 静かになった。


 これが嵐の前の静けさ、というものなのか。


 人間だからこそ、命に関わることを考えることは大切だと思う。だからこその回答。


 次は、何をされるんだろう。


 人が……怖い。


 こんなこと、ここ数ヶ月は思ってなかったのに。


「いーじゃん!!」


「はぇ?」


 同意してきたと思えば、風斗が日菜に急に顔を近づけてくる。急に話しかけてこないでよ、変な声出ちゃったじゃん。それに、……ちょっと顔が近すぎると思う。


「ん^、いいねえ。やっぱ僕も、そっちの案にのろうかな。ナイス、星。」


「てゆーか、『はぇ?』ってなんだよ。ハエってあのぶーんって飛んでる、生き物のハエ?」


 さすが水希、冷静な判断。と思ったのに、バカ笑いをして風斗が邪魔をしてきた。もったいない。


「おっ、驚いたの! いいでしょ!」


 さっき初めて出た声に、自分が一番驚く。


 いろんな感情が混じり合って、みるみる顔が赤くなるのがわかる。


 こんなことでさえも、なんだか楽しく思ってしまう。


 ただこれは三人の共通意識だろう。


 あの水希でさえも、顔が初めと比べればほころんでいる。


「命の曲か……。みんな案はある〜?」


「そりゃあ、『命に嫌われてる。』だろ。」


「いや、『失敗作少女』でしょ。」


 星は? と話を日菜に振られた。


 両方とも、何の曲かわかんないから。


「私はわかんないから、どうでもいいけど……。」


「ねぇ、星くん。」


 琴音が真剣な顔で、日菜を見つめた。


 その思いに答えるように、日菜も真剣な顔つきになる。


 さっきまで言いあっていた二人も、何事かとこちらを見た。


「どうでもいいはだめだと思うの、私。自分だけ話の輪に入らずにいるのは、卑怯だと思うな。」


 琴音は一息すってから、こう続けた。


「だから、今回は私が決めようと思いまーす!!」


「え。」


「えっ。」


「えぇぇぇえ!」


 琴音がにっこりと微笑んで、言った。


 風斗と水希は、不満と顔にだしていた。


「それに、星くんにもっと知って欲しいの。音楽のこと。」


 音楽が好きで好きで、堪らない。そんな表情の琴音さんは、音楽関係者にしか見えなかった。


「……音楽、やってるんですか。」


「え、ああ、ええ、そう。一応音楽大学作曲科でお勉強してるの。それでも専門知識はそんなにないの。このおバカ風斗といい勝負するくらい。」


「ねーちゃん!」


「というかね、両親がミュージシャンなの。結構有名だったのよ。」


 風斗の声なんか聞こえていないかのようにスルーし、両親の話を持ち上げた琴音。


 なるほど、だからこいつらは中学生にして有名人なんだ。


「んで、なんの曲やるんだよ、ねーちゃん。」


 無理矢理話を軌道修正した風斗は、むーっと頬が膨らんでいる。


 あんなこと言ったからには、もう決まってるんだよな、と風斗。


「もっちろん!」


 琴音は白のトートバッグをごそごそとあさる。


「これ!」


 はい! と元気よく渡されたのは、『命ばっかり』と印刷された紙束だった。


 なんだ。初めからこの気だったのか、この人は。


「ちゃっかりコピーまでしてんじゃん。」


「もとからこの曲を私からの課題曲にしようと思ってたの。これなら恋愛要素もあって、命に関係してる感もあるからいいじゃない。でも、星くんが来るのは予想外だったから、私の分を入れて三組分しか作ってなかったんだけどね。私の分はまた作ればいいから、はい、これ。


「あ、ありがとうございます。」


「俺の頼みは!?」


 琴音は叫んだ風斗をスルーした。


「ボーカルも全部、音声は今回も、借りてくるでいい。」


「それなら。」


「大丈夫!」


 水希が琴音の言葉を止めた。それに続いて風斗も声を上げる。


 日菜は二人に肩を組まれる。


 不思議と、駅の時のように嫌悪感はわかなかった。


「ここに新しい仲間が。」


「優秀なボーカルを見つけたから大丈夫です。」


 水希が風斗のセリフを横取りした。


 ああ゛ぁぁ! 俺のセリフがぁ! とほざく風斗は少し放っておいてもいいだろう。


 もういいや。使えるものは使ってやる。


 水希は覚悟を決めた。


 手のひら返しがうまい人。


 日菜は、一息着きそうになり、あわてて止める。


「まぁ、そうなの!?」


 琴音は目をキラキラと光らせた。


「一応こいつ女だから、高音も出せるし、今みたいな声も出せるの。」


「えっ!?」


 驚く琴音に、事のあらましを全て聞かせた。


 日菜は女であり、男装していること。三人同じ学校で、同じクラスということ。次の動画に日菜が特別出演すること。


 琴音は最後まで、相槌を打つのも忘れるくらい集中して話を聞いた。


「とんでもないものを聞いたみたいな気分だわ。」


「あはは……。まあ、実際とんでもないことを言ったんですけどね。」


「確かにそうね!」


 ふふふっと笑う琴音さんは、どこか優美さんと似ているように思える。顔も髪色も全然違うのに。


「女声から考えると、地声の余裕でhi域までいける気がする。男声ならmidくらいだと思う。」


 風斗がさらっとよく分からないことを言った。


 ハイ域? ミッド??


 聞いたことの無い言葉に、星は目の前がくらっとしてきた。


「あ……あの、そのハイ域とかミッドとかってなんですか?」


「hiとか、midっていうのはね、音域のことを言うの。音階をアルファベットで表す、英語名は知ってる?」


「え、知らないです。」


「中心になっているドの音はC。そこから順番に、レがD。ミがE。ファがF。ソがG。で、ここまで登場してこなかったAがラ。シがBっていう表記になるんだ。それでね……。」


「ねーちゃん、その話はまたにして? 水希がそこで船漕ぎ始めてる。」


 はっとして周りを見回せば、こくこくと首を揺らしている。


「まあ? ちなみに俺は全部覚えてまーす。」


「うっ。」


「風斗に勝つには、まだ早いんじゃない?」


「〜っ!」


 風斗に爆弾発言をされた後、いつの間にか目をぱっと覚ましていた水希にも爆弾を投下された。


 負けたくない。少なくとも風斗には。


「ふふふっ。でも音域に関しては、星くんの方がいいわよ。風斗は一個高いドを出すので精一杯だもの。『命ばっかり』はhiDからhihiB、だからえっと、真ん中のドの一オクターブ上のレ、から次のシまでの音域だから、星くんなら大丈夫よ。」


「ねーちゃん!!」


「でね、今日の宿題なんだけど。」


「え〜。」


 宿題やだー! とごねる風斗を横目に、日菜と水希は琴音の話に耳をかたむけた。


 琴音はちらりと水希に視線を送ると日菜に向き合った。


「ひとつの曲をカバーするのって、とっても難しいの。何も考えずにさらっとやるのと、何日もかけて、歌詞の意味まで考えて、時間をかけるのと、どっちがいいと思う?」


「私は後者です。気持ちを込めた方が、なんだって出来ると思うから。」


「なんだ、よ〜くわかってるじゃない〜!」


 えらいえらい〜、と子供扱いをされるのは、気持ちいいものではない。


 ただ、ほめられるのは案外うれしいものだ。


 日菜も、なぜか水希も口元がほころんでいる。


 風斗はというと、しゃがんでうつむきながら話を聞いている。


「なので今日の宿題は、歌詞の意味を考える、でーす! 頑張ってね〜。」


「はい。」


「うい〜。」


「うん。」


「ならよし、解散!!」


 旭日家を後にした時にはもう、あんなに高かった日が、傾きかけていた。


 オレンジ色に染まったのわたがしみたいな雲が、ふわふわと楽しそうに泳いで行ったのを、星には強く印象に残った。






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