第4話 ピアニスト 夜桜星




 時は戻って、一か月前。



「え?」


「あのね、桜駅に行って、ピアノをひいてきたらどう?」


 桜駅。


 最近、グランドピアノが置かれた、珍しい駅。


「ほら、ずっと家にいるのって、健康にどうかなって思ってたんだけど、最近桜駅ってピアノが置かれたでしょう? それでどうかなって思ったのよ。」


 どうかしら? こてっ、と少女漫画なら効果音がつくように首を傾げる優美を、日菜は何故か否定できない。


「……じゃあ、行ってきます。」


 それが理由で、今も桜駅に通っている。


 もちろん、人物特定がされないように、変装をしていく。


 まず、グレーのパーカーと黒のズボンを身につける。髪をゆったりとローポニーテールでしばり、縛った方の髪はパーカーで隠す。いつものメガネを、前に先生からもらったコンタクトレンズにし、ついでに右目に黒のカラーコンタクトをいれる。黒の手袋をして、長く伸ばした前髪をろくに見えやしない右目を隠すようにおろし、マスクをつける。上から下まで真っ黒なのに、マスクまで黒だとどんな目で見られるか考えたくもない。グレーのマスクでもう半分見えない顔をさらに隠す。


 そうすれば。


「……私じゃないみたい。」


 もともと顔も声も中性的だった。


 これで私というのは変人な気がする。


 まあ、いっか。


 口調を若干変えれば、きっと問題は無い。


 不審者のような格好で、日菜は桜駅に向かった。



 家で練習するのもいいけれど、駅だと音が響いて弾きごたえがある。気持ちがいい。


 今日は何を弾こうか。


 タイミングよく、誰も座っていなかったストリートピアノのイスに腰掛けた瞬間、たくさんの人の視線が日菜に集まる。


「あ! あれって夜桜(よざくら)星(ほし)って人じゃない? ほら、なんか前にSNSで話題になってなかったっけ?」

 夜桜星。


 ここでの日菜の名前。流石に本名はダメだと思って、適当に考えた名前。


 この駅から出たとき、星をバックに夜桜が綺麗だったからそう適当に名乗っておいた。


「えっ、まじで!? でも……意外とちっちゃい。あれでピアノを弾けるの? すごいけど……、なんか女の人みたいじゃない? 噂通りの力強い演奏できる人には見えな~い。」


「それな。」


 二人の女はアハハッと笑った。


 あはは。次に笑うのは、どっちだろうね。一泡吹かせてあげる。


 そこまで思って日菜ははっとした。


 ここでは人に好かれるような人を演じているんだった。

 あーあ、もったいない。この心を理解できる人はいないのか。


 なんか気分がイラつく。


 自分に素直になってきてるせいで、気持ちに左右されるようになってきた。


 やべやべ、あぶないあぶない。


 すぅー。はぁー。


 深呼吸をひとつする。気持ちを静める。


 そうだな。ここにいるみんなが知っていそうな、かといって昔の曲過ぎない曲……。


 頭をフル回転させて、数少ないストック曲から答えを導く。


 そうだ、これにしよう。


 指をけんばんの上におく。


 あ、そうだ。


 先生に、「自分が弾いていると、周りがどう聞こえていら分からないから、録音するといいよ。」ってさっき言われたんだっけ。


 スマホをポッケから出し、インストールしたばかりの録音アプリを開く。


 録音開始、っと。


 ピアノのすみっこに置く。


 気を取り直して、今度こそ。



曲名 残酷な天使のテーゼ



 初めは簡単な和音だけの伴奏で。


 右手も主旋律だけ。


「あれ……。SNSだともっとさ、こう、手が暴れてた感じがするんだよね……。」


「やっぱり、そんなに上手に出来ないじゃない?」


「もうちょっと期待していたんだけどなぁ。」


「ニセモノなんじゃね?」


 周囲がザワつく。


 けれど、日菜は動じない。


 そう。これは想定内。


 イントロに入った瞬間。


 高音キーから低音キーまで指を滑らせる。


 右手は主旋律だけからもう一つ音を付け足し、左手はさっきと比にならないほど音を増やした。


「えっ。」


「す、スゲー……。」


「さっすが、ホンモノ。」


 一人、また一人と、日菜が空に描く音色に足を止められた人が増えていく。


 周りがぽかん、と口を開ける中、日菜は思いっきり鍵盤を叩いた。



「あれが、最近SNSで人気の夜桜星? なんかどっかで見たことがあるようなヘッドホンしてる気がするんだけど……、それって僕の気のせい?」


水色と黒が混ざったヘッドホンをした男が言う。


「そうなんじゃね? 少なくとも俺は見たことねぇわ。」


 そう言い、黄土色のヘッドホンをつけた男はカメラを向けた。その先にはもちろん、この大きい渦の中心で、ピアノを弾いている日菜。


 日菜は知る由もなかった。


 大勢の人に紛れて人だかりの中心を見ている彼らを。



〜♪


パチパチパチパチ


「すごい……なんで、あんなに指が動くの?」


「ねえねえ! なんでそんなに弾けるの! なんでなんで!?」


「何、あの人。かっこいいんだけど。ヤバい、惚れるわ」


 知っていてくれた人も、知らない人も。


 子供も、お年寄りの方も。


 たくさんの人に見守られて、思いっきり好きなことが出来る。つい最近までこんなこと、考えもしなかった。


 先生に、感謝だなぁ。


「あの……。」


 さっき日菜のことを笑っていた女が、日菜の近くによってくる。


「さっきはバカにして、すみませんでした……。その、リクエスト、いいですか?」


 ほら。都合が悪くなったら、テキトーにあやまる。


 顔にちゃっかり書いてあるんですけど。


 だから人間は嫌いなんだ。


「ああ、はい。いいですよ。」


 ただ、ここでは夜桜星という一人の人間。


 人が嫌いではない。むしろ好き。それが夜桜星という人物の設定。


 にっこりと微笑んだら、お姉さんの顔が赤く染った。


 あはは。恥ずかしいって顔にかいてありますよ、おねぇさん。



「ありがとうございました!」


「いえいえ。」


 ガバッと頭を下げるお姉さん。


 こういう大胆な人は、ちょっと苦手かもしれない……。


 はあ、とためいきをもらしたい所だか、本人が目の前にいる手前、そんなことはできない。


 早く帰れ。


「あの〜、すみませ〜ん。お話聞かせてもらってもいいですか〜?」


 猫撫で声で、カメラを持ち、黄土色のヘッドホンをした男は言った。


 その隣には、色違いであろう水色と黒のヘッドホンを持った男がいる。


 こういうのって、応えてあげればいいんだっけ。


 めんどくさいなぁ。


「いいですよ。」


 さっきまで、めんどくさいなんて思ってたかと疑問に思うくらい、日菜は愛想よく笑った。


「で、お話って……は?」


 振り返り、話しかけてきた人物の顔をしっかり見たら、マスクつけ、ヘッドホンを首にさげた風斗と水希がいた。


「は?」


「え?」


 日高と流レ星も気づいた。


「夜桜って……まさか、お前!?」


「そう、だけど……。」


「キャー! 〇件(まるけん)と星くんのコラボ!?」


 さっきリクエストをしてくれたお姉さんが、三人に聞く。


 さっきまで笑っていた人が、なんで名前呼びなんだ。


「ま、〇件?」


 朝、ネットでやってたやつ?


 確か、ドラムとギターで曲をカバーしているっていう?


「『〇〇の件についてご説明します』、知らないのぉ〜?」


 星くん、抜けてるとこがある〜!! といい、お姉さんはその場でピョンピョン跳ねた。


 ちょっと気持ち悪い……。


 そんな気持ちさえも、心の奥に押し込んで、無理矢理ふたを閉めた。


「いや、知っているのは知っているんだけど。」


 とまどった人っぽく、えへ、と笑う。


「え、可愛いも持ち合わせとか、最強じゃん。」


「はいはい、人前でイチャイチャはやめてね。」


 水希が女と日菜の間に割って入る。


「とにかく、コイツはもらっていくから。」


 その言葉と同時に、風斗が日菜の肩を組んだ。


 は? 何するの。


 最近出会ったばかり、これで会ってまだ三回。しかも一応私、女の子だよ。ふざけてるの?


「は、ハイ……。」


 はぁぁぁぁあ。


 星は心の中で、大きなため息をついた。


 終わった、これで他に見てる人がいたら、ネットで拡散されるだろ。


 触るな。気色悪い。吐きそう。


「!」


 さすがにここまで来たら、気づかない方がおかしい。


「ねえ、空……。」


 独り言かと思うくらい小さな声で、水希が風斗に喋りかける。


「ヤバいって、そろそろ。」


「ん。」


 視線だけで、流レ星が星の気持ちを代弁した。


 おけ。


 日高の口がマスクの中でそう動いた。


「悪いねー、おねーさん。それじゃ、またどこかで会えれば。」


 風斗がひらひらと手を振る。


 その反対の手は、やっぱり日菜の肩を組んだまま。


「あっ、待って、サイン! サインください!!」


 後ろからさっきの女の声がする。


「残念〜、遅かった〜! また会う時にね〜!!」


「もっと早く思い出せればいよかったのにね、あのお姉さん。」


「……。」


 まぁもう会うことはないんだろうけど。そういて後ろに一人取り残されているであろう女に、風斗は振り返らず言った。


「ちょっとついてきてもらうからね。」


「は、はぁ。」


 こうして日菜は〇件の二人に連れていかれた。



 同時刻、とあるカフェのカウンター席に制服姿の男は近づいた。


「先輩?」


「あら! 久しぶりねー。卒業式ぶりかな?」


「そうなりますね。」


「やっぱり近所でもなかなか会わないねー。」


「近所というほど近くないですけどね。」


「いいじゃない、一駅くらい。そうだ! ここだけの話ね、秘密よ。」


「えぇ。」


 女は男に強く念を押した。


 そして、聞こえるか聞こえるかわからないほど小さな声で、


「弟がね、……ユーチューブ、始めたのよ。」


 と、こそこそと男に耳打ちをした。


「へえ、そうなんですか。」


「そうなのよ。もう、音楽オタクになっちゃって。というかボカロ、かな? あ、そうだ。もしよかったら、手伝ってくれない? 編集なんて、私たちでできなくて困ってたところなのよ〜。」


 編集?


僕、自他ともに認めるパソコンオタクだということ、言ったっけ。


 男は訳が分からず、頭を働かせる。


 そうだ。……思い出した。


 学校ではパソコンで、一応一目置かれているだっけ。賞をとったとかで。


「……いいですよ、その話。のります。」


 時間あけて、男は返事をした。


「ホント! じゃあ、今からうちに……。」


「けど、今日はやめときます。」


 女の声に被るように、男は声をだした。


「あら、そう? じゃあ、録音のときだけでもきてくれないかしら。」


「じゃあ、お邪魔させていただきますね。」


 男はすっと顔に小さな笑みを浮かべる。


 女はずっとにこにこと綺麗に笑っていた。




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る