第3話 『○○の件についてご説明します。』
「いってきます。」
「いってらしゃ〜い! 気をつけてね〜。」
黒とピンクのかわいらしいヘッドホンを首から下げて、日菜は家を出る。
さっきの暗さはどこへやら、優美はいつもの様に明るく言った。
しかし、いつものように暗い日菜に戻ってしまったが。
ガチャリ、とドアの鍵を閉めた。
本当に、何も起きない、よね……?
本当に、大丈夫かしら……?
みごとに、日菜と優美の心情は重なった。
日菜が通っている月夜通信制小中高一貫校は、いじめ、家の事情、人が苦手、病気で普通に通えない……。いろいろな理由を持った人たちが集まっている、通称、訳あり学校。
三学年ずつに分けてある、週に一回の登校日。
日菜の場合、中学一年生は水曜日だ。
中学一年は生徒が多い。
日菜と、男子二人。
どんな人たちだっけ、と記憶を手繰る。
さわやかな風が日菜の頬を優しくなで、ぱたぱたと制服をはためかせる。
先週、初めての登校日に一度だけ着た、シワ一つない制服。
校長先生直々ののお言葉を、放送できくだけという超簡単な始業式のあとに配られた、山のような課題。それらを詰め込んだリュック。
あのときはあまり感じなかったけど、もう、中学生なんだよね。
日菜は初めて実感した。
顔の横でも舞う桜の花びらが風に運ばれてどこか遠くへ運ばれていった。
バスや電車を使えば、もっとおそく家を出られる。
でも人は好きじゃない。
ずっと友達だよって言ってくれた人も、私が変だと言い張って、すぐには離れていった。
結局、人間っていう生き物は自分勝手。自分に都合の悪いことがあったら簡単に裏切る。そのことをなかったことにしようとするんだ。
だから優美さんというものにあった時、とても驚いた。あんなに優しい人にあったのは初めてだった。
いや、本当の父さんも優しかったっけ。名前は忘れたけど、いい人だった気がする。
……もう、いっか。
今、考えても、あの時何も出来なかった私が悪い。それに、今あーだこーだ言っても、もう過去は変わらないから。
信号を待つ時間に、世間の話題がどんなものか調べる。
しばらくネットを探索していると、ある二人に目が留まった。
へえ。ドラムとギターで、ねぇ。
日菜のスマホの中には、「〇〇の件についてご説明します」という文字が浮いていた。
動画投稿を主な活動とする、ユーチューバー。
色違いのヘッドホンを首からさげるその容姿は、誰が見ても一目惚れらしい。
『・空
十五歳。
ドラムを叩く姿は、学生とは思えないほど強い。演奏中はずっと笑顔で爽やかな感じがまたかっこいい。
・アオ
十四歳。
たまにギターで弾き語りをするその姿は、男女ともに人気が高い。だがアーカイブに残す確率が少ないため、めったにお目にかかることは出来ない。』
と、サイトには書かれている。
まあ、どうだっていいけど。
ぱっと信号が赤から青に変わる。周りに並んでた人たちに紛れて、日菜も横断歩道に足を踏み込んだ。
渡り終わってからいったん通路のわきに足を止める。今さっき見ていたサイトを閉じ、てきとうな音楽をかけて学校に向かった。
その背を見て、とある男は足を止めた。
「ん?」
あいつ……、うちのクラスの。
かっちりとしていrはずの制服を着崩して身に着けている男は、ヘッドホンを片耳ずらした。
話しかけてみよっかなぁ〜。
「ねぇー、えっと、名前なんだっけ。え〜、ねー待ってー。君だよ、君。そこの君―!」
声をかけたのに反応もせず、すたすたとそいつは歩いていった。
ヘッドホンをつけていたから、しょうがないっちゃしょうがないか。
てかあのヘッドホン、俺らのと同じじゃね?
まぁいっか。
どうせ今から学校だし。顔くらい合わせるっしょ。
男はまた、足を動かし始めた。
着くの、最後だったか。
無防備に開いているドアを通過し、物音一つ立てず、教室に入る。
私の隣の席では黙々と絵を描く男子と、その机をガタガタ揺らす男子。
朝から元気だね。
スクールリュックを開け、教科書を机に突っ込む。
ガタンとイスを引く音で気付いたのか、二人がこっちをふりかえる。
「奈坂か! おはよ!」
「おはよう。」
「……おはよう。」
同じクラスの旭日風斗(あさひふうと)と明星(みょうじょう)水(みず)希(き)が話しかけてくる。
正直、こういう自分からな人間は好きじゃない。優美さんたちは好きだけど。
いじめの主犯者とかは、こういう人間がなるんだろうな。
「あ! 奈坂だ。そうだそうだ、思い出した!」
はぁ? なんの話? と呆れる水希を無視して、風斗は一歩、日菜の机に近づく。
「いやーさ、朝、駅前んとこの大通りでお前みたいな人見つけたんだよ。」
そう言って日菜の顔を覗き込む。
「名前なんだったっけな〜って思ってたんだけど、今やぁっと思い出したわ! サンキュッ!」
ぐっと親指を自慢げに立てて、にかっと笑った風斗は水希の席に戻った。
誰に、そして何に対するお礼なの。
そう言いそうになる口を自制して、とりあえずぺこんと軽く頭を下げておく。
「そのヘッドホン……。僕らと色違いじゃない? ほら、これ。」
水希が指を指したのは、水希のリュックの影に半分隠れていた日菜と色違いのヘッドホン。
黒と水色がベースになっている。
そう言われてみれば確かに、と納得する日菜に向かって、風斗は自分の瞳と同じ色の黄土色がベースとなったヘッドホンを見せつけてきた。
「そうだね。」
会話は最低限にして欲しい。お友達ごっこをするためにここへ来ている訳じゃない。勉強をして、学生という時代を終わらせるために来てるんだ。
「なぁなぁ、学校にヘッドホンって持ってきていいと思うか? ってか、お前も俺らも、もってきてるんだけどな。」
ガハガハとバカにするように笑う風斗に、日菜は無性に腹が立った。
けれどここで反論をしたら、相手がどう出てくるかまだ分からない。
初めて会ってまだ二回目。しかも一回目はろくに喋らなかったせいで、性格もよく知らない。
そしたら自動的に選択肢は一つ。
「……。」
無視。
「俺さ、今、何にも聴いてないんだけど、無音のヘッドホンって結構いいよな! 水希の声とかはくぐもってるけど、雑音は聴こえないし……。」
そう。それで?
日菜は席に着く。
「奈坂は、きくとしたらなんの曲をきく? 俺はリズムいい曲だよなー。俺、ドラム出来るんだけど、やっぱりそれが理由なんかな?」
自分が好きなのを選べばいいんじゃないの?
日菜は今日提出する分の問題集とプリントを机の上に並べる。
「風斗、無視されてるの、いい加減に気付きなよ。」
はあ、と水希が呆れる。
「え、無視されてた俺? せっかく色々喋ってたのに。」
「逆に気づいてなかったの? それってある意味才能じゃん。よかったね。」
「そんなことが言われて、嬉しくなるヤツいんの?」
「さあ。」
これが茶番なのだろう。普通のような口振りで、明星は手を動かし始めた。
「ちぇっ。水希も奈坂も釣れねぇーな!」
つまんねぇー! と叫ぶ風斗。
正直うるさい。
騒ぐなら他でやって。ここは一応学校なんだけど。
ちょうどその時、タイミングよく廊下から足音が聞える。
「はいはーい、ホームルームの時間はとっくに始まってるわよ。早く席に着きなさーい。」
パンパン、と手を鳴らしながら担任が教室に入ってくる。
「はーい。」
ちょっとつまらなさそうに、風斗はしぶしぶ席に着いた。
——
「お、終わった……。」
「終わったね。」
今は十二時三十分。今週の授業は、これで終わりだ。
まあ、旭日は他の意味で終わったんだと思うけど。顔が死んでいる気がする。
「宿題が……多すぎる……。」
やっぱり。
わかりやすすぎるよ、それだと。
もう少し、周りに警戒心を持った方がいいと思うのは、私だけかな。
「早く帰ろ、僕お腹へったよ。」
「そうだ、飯! 昼飯食いに行こうぜ!」
ガタン!
風斗が勢いよく立つせいで、イスがばたりと倒れる。
これ、旭日のものじゃなくて、学校のものなのに。大丈夫かな? まぁ、壊れてはなさそうだけど。
「あ、そうだ。」
何かを思い出したように、黄土色の瞳に日菜が映る。
え、なに、私?
そんな表情を日菜は風斗にむけた。
「奈坂も一緒に帰ろうぜ。ほら、水希もいいだろ? 俺ら腹減ってるから、ファミレスよるつもりだけど、来いよ。」
「僕はどっちでもいいけど。どうするの?」
私が決めてもいいことなのかな。
自分で決めることすらも苦に感じる。
日菜は床と向き合ってにらめっこしていたら、ん、どうした? というような顔で風斗が覗き込んでくる。
ほんとにこれ、勝手に決めていいの? 誰にも聞かないで、私が決めてもいいことなの?
どうしようかと思った、その時。
♩︎ピコン
タイミングよく、誰かからメールが来た。この通信制学校は私立、というよりかはもはや事業であるから、スマホの持ち込みが許可されているのだ。学校にスマホを持ってきても、なにも問題ではない。
これは逃げる可能性が出来たかもしれない。
日菜は藁にもすがり着く思いで、メールを開いた。
『私と秀のお昼ご飯を、帰りになってきてください。病院にいます。』
と、優美からメールが届いていた。
よかった。いい口実になりそうだ。
「ごめんね。この後、用事あるから……。」
あくまでも、行きたかったかのように話す。
ここでの私の人物設定は、ちょっと暗い女の子。さっき無視をしていたせいで、どう思われているか分からない。慣れれば少し話せられる、というので大丈夫だろう。
「そー。りょーかいっと。」
「じゃあ、僕たちは先に帰るから。」
「おっさき〜。」
ルンルン気分で教室を出ていく風斗と、それを呆れてように見ながら背中を追う水希。
それを見送った直後、とてつもない倦怠感に襲われた。
どうしよう、頭痛がする。
……はぁ。
本当にどうしてくれるんだ。
確かに、悪気があっての行動じゃないのは犬でもわかる。
人と長い時間一緒にいたから、それで体が疲れたんだろう。
けれど、頭が痛いのに変わりはない。
……あの人は弁当でいい、といつも言っていた。ならば私もコンビニですませてしまおう。めんどうだし。
机の中に入ったままの教科書類をカバンに放り込み、日菜も遅れて教室を後にした。
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